歴史

2009年11月23日 (月)

塩硝蔵の発掘調査跡を確認☆

Img_123882z 塩硝蔵搗蔵跡を見に行きました。
先週発掘調査の現地説明会があったのだけど、雨降りだったので行くのをやめてました。しかし友人S氏からそのときの資料をもらい、末浄水場の戻りに立ち寄ってみました。
ほとんどはやはりブルーシートが敷かれ、掘られた中の様子はうかがい知れませんでしたが、一部は露出したままです。
Img_123885z しかしこの辰巳用水の遊歩道のすぐそばとは。それもそのはず、辰巳用水から水を引き、水車の力で原料を粉末に搗いていたそうです。
梅林の間を縫って数箇所発掘され、この左側10数メートル一帯が搗蔵だったようです。
Img_123887z 塩硝蔵とは鉄砲の火薬の原料、黒色火薬を製造する施設。幕府に隠密裏に製造してた、全国でも有数の規模の施設だったようで、だからこそ残された資料も少なくて謎も多いです。しかしここ周辺11万㎡、周囲の現在民家になっている部分も敷地だった広大な施設。平成19年から順次発掘調査され、史跡指定も目指しています。
自宅から程遠く無い場所に全国でも珍しい史跡があると、やはりこの先の調査が気になってきますね。

| | コメント (0)

2009年10月 2日 (金)

「火天の城」を観に行ったわけで。。

Img_119614z 金石と大野とを一緒に廻った友人とは、共に城マニア。朝には「火天の城」を観に行ってました。
金沢ではサティでなくコロナでやってるということで、初めて現地へ。日中の時間を有効にと思ってみたら、なんと第一回の時間は8時だって。そんな早朝の映画も初めてでした。

安土城築城のエピソードを綴ったこの映画は、総棟梁の西田敏行が主役。城づくりには大掛かりなセットや迫力あるCGをふんだんに使って魅せる作品になってました。ところどころ突っ込みたくなるポイントはあったけど、でも本格的な築城映画は初めてのはずでとても興味深いストーリーに仕上がってました。

作り手としては、西田敏行の岡部又右衛門の家族愛とか職人集団の団結とかをテーマにしたかったみたいだけど、あまり人間人間とした深みは伝わってこなかったかな?
エンドもラストエピソードが解決したら、あっというまに終わってしまったんで締りがなかったし。
それでも、大竹しのぶは味のある、たおやかな演技はすばらしかったし、緒方直人はかっこよかった。椎名桔平の信長はイマイチだったかな。

まぁあまり語るとネタバレになるといけないので。でも戦国時代など歴史好きには必見ですよ☆

| | コメント (0)

2009年10月 1日 (木)

金沢の沿岸の隠れたスポット☆

Img_119564z 21日は友人と早朝から映画を観た後、そこが海に近いとこだったので銭屋五兵衛記念館に行ってきました。
近くは何度も通ってるのに入るのは初めて。
銭屋五兵衛とは江戸後期、金沢近郊の港町、宮腰(今の金石)にあった豪商。はじめ質屋から北前船で財を築いた金沢では知らぬ者のいない有名人です。
Img_119568z 北前船とは江戸時代に日本各地を寄航しながら土地土地の物産を転売していった船で、主に蝦夷地から日本海沿岸を巡りながら大坂に至るルートを本拠としていました。
展示室では北前船の大型模型や当時の文物の実物が多く並べられていて、子供のころ学校の歴史の時間で習って以来おぼろげにしか覚えてなかった銭屋の生涯を、久しぶりに体感できてよかったです。
Img_119573z わずか一代で巨万の富を築き上げた五兵衛でしたが、加賀藩にその点で尽すも密貿易の疑いがあり、幕府の嫌疑を恐れた藩によって河北潟干拓工事の疑惑から陥れられ獄死するという悲劇のヒーローでもあります。


Img_119582z しかしシルバーウイーク中といえども、こういった地味な記念館には来客が少ないのか、どの地方から来たかわからないお年寄りの団体が風のように過ぎ去ったあとには、僕らだけが取り残されましたw。

五兵衛の旧家の一部と土蔵を移築した「銭五の館」では昔ながらの古い家の造りが保存されていますが、数年前まで住んでた自宅も大正時代に建てられたものなんで、共通点が多くて懐かしい思いに耽ることが出来ました。
Img_119556z 外は庭園のような公園になっていて、お台場が保存されています。

えっ、お台場って。そう、ここ金沢でもお台場があったんですよ。
ご多分に漏れず、幕末には金沢でもお台場が数箇所設えられ、特にここは寺中台場と言われ、敵上陸後の攻撃をするための珍しい内陸の台場でした。
Img_119560z 台場の内側から、ここに大砲を設置して敵に備えたもんなんでしょう。そのときの大砲はどんなものなのか、うまく伝わっていません。
しかしこんなところに固定の台場を設けても、なんの対策にならなかったでしょうな。品川台場ですら役に立たなかったろうと言われているし。
Img_119585z そしてもう少し足を伸ばして金沢港まで来て、大野の「からくり記念館」にきました。
大野とはあのTBSアナの安住伸一郎氏も興味持ってる、日本の五大醤油産地で有名。さらにここには[からくり師弁吉]という大野弁吉でも有名です。
東芝の創業者の[からくり儀右衛門]と並び称される幕末の科学者で、例のお茶運び人形やらエレキテルの改良器やらたくさんの実績があります。
Img_119600z ここは銭五館と打って変わってたくさんの来場者でにぎわってました。いろんなパズルなどの体験からくりも豊富で、久しぶりに頭をひねらせて苦心し、正解を紐解けたときは最近忘れてた爽快感が呼び戻ってきてうれしかったですね。
エントランスでは江戸時代のからくり人形の実演で大人たちも感心しきり。
Img_119590z 底の歯車とカムの仕組みで、ちゃんとUターンする距離を調節できるようになってます。経年劣化の歪みを防ぐため、木材は当時から合板が使われてそうでとてもオドロキました。

ゼンマイの動力で動くわけで、浄瑠璃などでもその材料に鯨のヒゲが使われてるのを知ってたんだけど、誰も館長の問いかけに言わないので僕がこの後もいろいろ答えてしまった。
Img_119606z このアクロバット人形は、バク転しながら階段を下りるけど無動力。そのココロは中の水銀柱の移動で重心が動いてくるくる廻る仕掛け。
江戸時代のこれらの代物は、もう同じ材料と水銀量の調整が不可能に近いので、ベンツ並の価格がするし、今でも車や家電の大企業メーカーの技術者が研究に来るって。
Img_119608z 童心?に帰って充分楽しんだ後は、その隣の「大野お台場公園」へ。

えっ、ここもお台場?
ここは海岸がすぐで、海に向かって築かれた台場跡ですよ。


Img_119611z しかし台場そのものの丘ははっきりせず、公園の外側を廻ってやっとモニュメントを見つけました。
しかしここにある短い砲身の大砲では、決して防衛の役割に適さないのは一目瞭然だし、当時としては付け焼刃で、それはどこでも一緒だったんでしょうね。

海沿いを昼ゴハンも食べずに駆け足で廻ってみました。けど楽しかったですね。

| | コメント (0)

2009年9月28日 (月)

梅のない、暑い偕楽園でした☆

Img_119463z 水戸駅前で簡単に食べるところも見つからず、このまま偕楽園に向かうとしましたが、なんとバスが1時間に1本。バス会社2社でようやく2本といったところ。しかもルートも不案内で、時間かかるの覚悟したところすぐに来た茨城オートのバスに飛び乗りました。すると街のメイン通りをぐるっと通った後、偕楽園入口バス停へ。

入口??

それらしきものが見当たりません。県立歴史館ってあるけれど、それとは違う? ちょっとした偕楽園→の看板を見つけ、観光客数人と狭い路地を進んで数分、やっとこさたどりつきました。偕楽園御成門だって。
Img_119464z 中に入って園内地図と市街図を見たら、いわゆる表側でなくて裏側にたどりついたようです。
そしたらまっすぐ表側に行かずに、ぐるっと廻ってみようじゃないかい。
うっそうとした竹林や松林を抜け、坂を下ると常磐線沿いの開けたところに出ました。
Img_119470z ここまで来て気づきましたが、偕楽園って無料なんですね。兼六園も僕の子供のころまで無料でしたが、園内整備の費用を観光客にも負担してもらうことになって、300円掛かります。水戸は弘道館が190円で、幾分リーズナブルに市内観光できると思いました。
今の季節、梅園も緑一色で、なにか特別見るものがあるのか?って感じで観光客も少なめでしたが・・・。
Img_119475z この日は9月13日、夏復活を思わせる日差しで、久しぶりにとても暑くて大汗かきました。水戸城めぐりしてるときからタオルが手放せなかったんですが、偕楽園の外周を廻ってる今が疲労もピーク。
園内から常磐線が撮れるすごくいいアングルも列車が来ないとタカをくくってたらいつのまにかフレッシュひたちが通過。追いかける元気も出てきませんでした。
Img_119485z 偕楽園もこんなもんか・・・と思ってて、最後にきつい坂を上ってどうにか正面側に出たら、なんとそこはとても開けた広場になってました。そして観光客もたくさん来ていて、家族連れとかも大賑わい。のどかな日曜昼下がりに一変です。
そしてなにやらあの奥が騒がしい??
Img_119483z 行ってみるとそこには、あの有名な集団が・・・w。

そう、水戸といえばコレ! 水戸黄門ご一行様たちです。観光客一人一人の、ご希望者と記念撮影に納まってました。もちろんテレビに出てる俳優本人たちではありませんが、無料でご当地でこんなサービスしてくれるなんて粋ですね。
この暑い中役者さんたちもお疲れ様です。
Img_119487z ここは高台にもなっててすごく見晴らしもよく、思わず疲れもふっとびました。
なんだ、偕楽園っていいとこじゃないの。ここにいたるまでいったい何を見てたんでしょうねw。

日本三名園の二つ目にようやく来れましたが、しかしここはマイカー前提の観光地ですかね。もう少し駅から便がよければいいんですが。
Img_119489z 向こうには水戸市街地と千波湖が見えます。シーズンには桜並木とつつじが美しいそうです。
偕楽園といえば梅ですが、今回は全くの季節外ですね。でもシーズン真っ只中で混雑してひどい思いするよりよっぽどのどかでよかったですわ。
Img_119498z さて正面側の東門を出ると、常磐神社がありました。徳川の三つ葉葵の紋を拝むのは意に反しますが、水戸家ならヨシとしますか。
徳川光圀・斉昭が祀られています。黄門さんといえば葵の印籠。それを模した印籠お守りがあったんで思わずゲットです。

友人たちの予定がつかず、今回は全くの一人旅となってしまいましたが、いつも自由時間がなくて関東をあまり回れなかったんで、意外と充実した関東めぐりでしたよ。

| | コメント (0)

2009年9月27日 (日)

水戸城跡は学校の中?

Img_119413z では水戸観光を駆け足で。
まずは水戸駅前から正面の小高い丘の上、水戸城敷地内三の丸にある、藩校「弘道館」
幕末近く天保12年(1841)に徳川斉昭によって創建。光圀から始まる流れを汲む水戸学の精神を教える総本山です。
この正門と正庁、至善堂が国の重要文化財として残っています。
Img_119416z 正庁の中に入って諸役会所の間。いきなり「尊攘」の掛軸で圧倒されましたw。
天皇(神)を尊び日本古来の倫理道を基本とし、儒教をあがめた水戸学の真髄が早くも篤く伝わってきました。



Img_119419z 正席の間では、大きな拓本の掛軸が。弘道館では藩の精神を謳う各種の石碑を拓本にした掛軸が多く掛かっていました。その石碑の一部は偕楽園でも見かけることが出来ました。
これは弘道館記という弘道館建学の精神と教育方針を記したもので斉昭の筆によるもの。
Img_119423z 奥に入って至善堂御座の間。絵が掛かっているように、大政奉還して江戸城から引き上げた慶喜が恭順謹慎していた部屋です。
決して暗くないですが、質素な空間は当時の状況を想像させて凛とした気持ちにさせてくれました。
Img_119428z 徳川慶喜の写真です。右は光圀の肖像。
水戸家は慶喜の兄弟が跡を継ぎ、現在も15代目斉正氏がご存命ですが、慶喜は宗家別家として明治になってから徳川慶喜家を創立。今は4代目に写真家の徳川慶朝氏がいます。慶喜も晩年、写真を趣味としていました。
Img_119432z 弘道館を出て、本丸に向かいます。元の空堀?をまたいで大手橋。女学生が歩いてました。





Img_119435z 渡りきると徳川斉昭公の銅像が。







Img_119436z 土塁の跡があって、水戸城の案内看板がありました。
水戸城はそのほとんどの史跡は存在せず、空襲その他で焼けてしまったようです。この本丸・二の丸・三の丸も現在公立学校になっています。さっきの弘道館も一部は旧県庁・県立図書館と、三の丸小学校になっていました。
Img_119439z 戦前までは、二の丸に三階櫓が残ってて、これが天守の代わりをしていました。今は櫓台もはっきりとはしていません。





Img_119442z こういった全くの文教地区。水戸二中に水戸三高が両側にあるここが二の丸。この通りが水戸城跡通りと呼ばれてます。





Img_119443z 本丸に向かう橋の下には水郡線が通ってました。ここも空堀だったようです。列車が走ってる瞬間が撮りたかったですが、1時間に一本では待ちきれませんね。




Img_119446z しかしこの橋を平気で渡れたわけではありません。
橋の向こうは水戸一高。学校に用がある人だけが通れるってわけですが、そこは水戸城本丸。城跡見学の人も通ってヨシ、だそうで。校門?前には城を案内する看板が。


Img_119455z 水戸一高の入り口には、移設された水戸城の薬医門が。この門を見学に来た人だけが唯一校内に立ち入りを許可されます。
旧領主佐竹氏時代のものらしいですが、明治維新後あちこちに移され、最終的にここに移設されたようです。
薬医門というと本来寺院にあるものと思ってましたが、城にもあるんですね。
近代的な校舎とはうらはらで、とても異質に感じましたし、門をくぐるとすぐに、コレより奥は立入禁止の看板が。隣のテニスコートで学生たちが汗を流してるし、観光客はいずれにしても来にくい場所ですね。
Img_119459z 水郡線沿いに坂を下りて水戸駅に戻ってきました。なかなか鉄撮りにいいロケーションなんですが、いかんせん本数が少ないので走ってるところが撮れません。時間がないのでこれから偕楽園に向かおうと思うんですが、これもちょっと難儀するとは。

続きは次回で。。。

| | コメント (0)

2009年9月23日 (水)

日本の水準はどこにあるのか?

Img_118680z その後は永田町へ。週が明けて水曜には新しい内閣が出来る、今一番ホットなスポットを目前に、一体何しに来たんだ?というと別に国会議事堂に用があったわけではありません。
しかし新政府誕生を前に、なにやら工事してますな。

Img_118684z 僕が用事あったのはここ。国会議事堂前庭の、憲政記念館がある側に、あったありました。
地図マニアの聖地のひとつ、日本水準原点標庫
水準原点とは、日本全体の標高を決めるために、その元となる高さの基準を設けたもの。この国会前の、国土地理院の前身、旧陸軍参謀本部陸地測量部のあった安定した台地の上に、明治24年に竣工設置されました。
Img_118687z 安定した、というくせに、関東大震災で地盤がわずかに沈下し、設置時点の標高(東京湾平均海面T.P.)24.5mから現在は、24.414mになっています。
原点はこの建物の中にあり、これはそれを保護するための標庫。石造りのローマ風神殿建築のすばらしさから、千代田区の特別登録有形文化財として登録されています。
「點原準水」というレリーフと、扉の菊の御紋が厳かですね。
Img_118691z 小雨がきつくなってきました。予定してませんでしたが、隣接する憲政記念館に入ることにします。今ちょうど国会が盛り上がることになるでしょうしね。
土曜午前では来場する人もまばらで、ゆっくり静かに落ち着いて見ることができましたが、それでいいんでしょうか?
Img_118694z 中は基本的に撮影禁止でしたが、一部OKのところだけちょっと。
国会議事堂の現在の模型です。左脇の衆議院の一部が現在工事中でしたね。自民党・民主党の議員控室のレイアウト変更にも関係してるんでしょうか。


Img_118695z 議場の中の模型です。展示では、国会開設からの歴史がつぶさに紹介されてましたが、もちろん教科書以上に貴重な写真映像や書物、肖像画などもあって大変興味深い。これも国立で当然運営されてるわけで、もっと外向けにアピールしてほしいですね。

Img_118697z 撮影OKのブースに模擬議場がありました。7/10のスケールでコンパクトですがモノホンに近いです。





Img_118701z どっかの町議会議場にピッタリかも知れませんが、雰囲気は出てますねw。






Img_118703z 実際、このモケットに座ってみました。テレビではあんな狭いとこに・・、とか思ってたんですが、意外に余裕ありました。
ふっかりしてても90度なんでシャキッとしますし、居眠りなんてね・・w。
名札は出席時に立てて退場時に倒すようになってます。賛成票の白票、反対票の青票は机に数枚ずつ用意されてるんですね。

数日後には新しい日本の政治が始まる時に、タイムリーな体験ができて面白かったです。

| | コメント (0)

2009年9月22日 (火)

今回の江戸は加賀の名残りから・・。

Img_118508z 最近の多忙で、ブログを書かないのに慣れてしまいました。しかし活動してなかったわけでもなく、ネタはたまってしょうがないです。この連休も最終日まで動いてて今まで書けなかったんですが、なんとかこれからまとめてアップしていこうと思います。

まず、先週末に江戸へ行った話から。連休を目前にしてか、わりと遅くなった寝台「北陸」のBソロ予約も久しぶりに空いてたんでラッキーでした。
Img_118510z 寝台で眠れないという人はよくいますが、その非日常に興奮したり、車両の揺れや狭さに落ち着かないなど理由はいくつもあるでしょう。この「北陸」は金沢駅発車が22時18分。上野着が6時19分。車内で楽しむ時間的余裕はなく、すぐに寝てしまわないと早朝の準備に遅れる恐怖?からあせってしまいます。日ごろの疲れからかこの日も富山に着く前にどうやら寝てしまったみたいですw。
Img_118527z このアングルの写真もだいぶたまってきましたw。この日もたくさんの撮り鉄に取り囲まれて、いつまでもこういう図柄が残されてほしいものですが、翌日の上野駅ではこの比じゃなかったのもオドロキです。それはまたのちほど・・。


Img_118547z 運転士さんも撮られるのにはもう慣れっこのようで。
願わくば金沢駅のホームはもう少し明るい空間ならいいんですけどね。




Img_118550z さて、朝江戸に着いたら今回まず行きたかったのは、板橋区の加賀地区です。
この一帯は加賀藩の江戸下屋敷のあったところで、地名や建物などに、加賀を思わせるよすががたくさん残されてます。



Img_118553z この橋も「金沢橋」。このあたりは加賀1丁目です。
都営三田線の新板橋駅から北側の住宅地に下りたところにこの地区があります。金沢ではここらのガイドがあまりないので、下調べは大変でしたが、まぁ探訪してみましょう。

Img_118554z 金沢橋のたもとに板橋区立加賀公園がありました。ここは加賀藩下屋敷の庭園、築山があったところで、広大な屋敷地の名残がわずかにここに残されてるだけのようです。



Img_118556z 板橋区史跡、加賀前田家下屋敷跡の石碑があり、左側の碑は板橋区と金沢市の友好交流都市締結を記念して今年建てられた、尾山神社神門のステンドグラスを模したものです。



Img_118558z この一帯にあった加賀藩下屋敷は、21万8000坪にも及ぶ広大なもので、徳川御三家を含む江戸中の大名屋敷地の最大のものだったようです。
下屋敷とは藩主が常駐する上屋敷、隠居藩主などの住む中屋敷とは別に、藩主の別荘的役割・参勤交代の休憩地などとなり、農地や森林・庭園などが備えられたもので、この加賀藩下屋敷では常時50人の藩士が管理に就いていました。兼六園の七倍にも相当する屋敷地には、石神井川もその一部となり、鷹狩りや花火なども興され、宴に招かれた松平容保は「桃源郷のようだ」と評したとか。
在番していた藩士たちは、地元の名主たちとも交流し、寺子屋の師匠などもして地域の教育にもあたるなど、地元の発展に密接に関わった歴史があります。
Img_118581z 屋敷地の一部は明治以降、板橋火薬製造所になり、後に陸軍の造兵廠になりました。その名残は公園敷地を走るトロッコ列車の軌道跡もあり、現在も旭化成の流れを汲む野口研究所が隣接しています。
石神井川は昔の自然の流れとは想像もできないくらい、深い人口用水と化しているようです。
Img_118567z 公園にかわいいねこにゃんがいました。
このへんのノラは人を見てもなんの反応もしませんねw。





Img_118591z さて住宅街をしばらくそぞろ歩きします。
すると見えてきました、「金沢」「加賀」の名前が。これは板橋区立加賀児童館。





Img_118595z これは金沢小学校。ほかにも加賀小学校に加賀中学校もあります。
今は住宅地なのも下屋敷地だったわけで、子供たちが住んでるところも屋敷地だったことから、興味をもったある小学生がレポートした作文が、都知事賞を取ったことがなにかに載ってました。
Img_118596z このマンションにも加賀の名があります。
観光するところがあるわけではないですが、地元金沢からも、こちらへたくさん訪ねに来てほしいですね。僕が住宅街を早朝からカメラ持ってぶらついてても、僕自身は違和感なかったですが、気がつけばこの日は普通の土曜朝。子供たちや近くの帝京大学・高校の学生たちがやおら登校。ちょっと危なかったかもw。
Img_118601z ひょんなことから江戸の都心の一地域と金沢の交流があることを知り、思わず訪ねたくなった今回の探訪でした。








| | コメント (0)

2009年6月22日 (月)

「升形」発掘調査現場。

Img_113478z 以前から見たかった、「升形」の発掘現場に行ってきました。
升形とは、藩政期の金沢で、主要な放射路と、土居と外堀からなる「惣構」とが交わる交通の要衝に設けられた防御施設。
数箇所が存在した中で、ここ本町1丁目の「升形」は西外惣構と旧宮腰往還(現在の金石街道)が交差したところにあったもので、先日の報道では明治期に水路を工事した跡が確認されたということです。
Img_113483z 升形の堀の幅は本来約10mもあり、18世紀末に約半分に狭められた記録があります。しかし幕藩体制の崩壊で、明治初期の早いうちから堀が埋められ、周辺で急激な宅地化が進められた証左のようです。
それでも、堀を全く埋めるのではなく、わずか数十センチでも水路として活用し続けたことがわかって、なるほど早く全貌が解明されたいですね。
手前の石垣の水路跡、右側が明治期に築かれたものです。
ここも発掘後、公園整備が予定されています。

この日はこの後、金沢市立玉川図書館の近世史料館に初めて寄ってみました。なにも準備してなかったんで軽く複製図と現代書物を閲覧するだけでしたが、ここは誰でも本物の古い史料をそのまま閲覧できる貴重なところです。暑くて汗拭き拭きで訪れたので、汚してもいけないんで、後日ちゃんと目標のもの下調べ準備してから再チャレンジすることにします。

| | コメント (0)

2009年5月17日 (日)

金沢「神明宮」あぶりもち神事

Img_112296z 16日はじっくりPCを触ろうと思ってたら、前日母親が入院してしまいました。腸炎で微熱がずっと続いてたってことで、大事をとって一週間くらいなんで大丈夫と思いますが、まぁ高齢だからだいぶ弱ってましたね。これ幸いと甘えの部分もあるでしょうがw。それでちょうど行こうと思ってた神明宮のあぶりもち神事に見舞い前に訪れましたよ。
Img_112298z 金沢五社のひとつで、室生犀星で有名な雨宝院のすぐそばにある「神明宮」では、毎年5月と10月の15・16・17日に「あぶりもち神事」というのがあります。悪事災難の厄除けとして、300年以上の歴史がある全国唯一の神事で、四角く小さく切った餅を御幣のように串に刺して、玄関の高いところに供えるお守りとして、また火にあぶって食べることで、一年の厄除けを祈ります。
Img_112300z 中原中也の「サーカス」の舞台だったり、樹齢1000年を超える大けやきがあり普段は神聖で静かな空間の境内も、前田利長が始めたというこの神事の期間は、早朝から大勢の参拝客でにぎやかです。10時前なのにあぶりもちを買い求める人の列が早くも長蛇に。
一人で家族分など何十本も買われる方もあり、この裏では氏子のおばさまたちが待たせないよう一心に大量の餅を焼いてました。飾るほうはこのように、焼かないまま神棚に飾ったり玄関につるします。
Img_112301z 僕も病気の母のためや、永いことそう遠くない場所に住んでるのに祭りのときに来てなかったんで、いっぱい買い込みました。
買った人には小さい焼きたても振舞われ、これは生姜だれが利いてておいしかったですね。


Img_112302z 正月の左義長の、金沢での始まりもここからだったそうで、金沢城内の注連縄などは、寺社奉行立会いでここで焼かれたとか。
元和年間の伊勢踊りは、江戸の神田・浅草の三社祭に匹敵するほど盛大に、犀川大橋を渡って金沢城まで練り歩かれたといいます。今はまったくの街中で、そんなよすがは感じられないほど境内も狭くなってしまいました。
Img_112304z 行列が拝殿の上まで連なってしまいました。僕はまだ早めだったんで10分くらいの待ち時間で済みましたが、伝統と祈りを大切にする方たちが廃れず多くいらっしゃるのはうれしいですね。



Img_112307z さぁチャリで自宅に戻って早く病院へ行こうと思いましたが、目の前に模様替え完了した犀川大橋の勇姿が。そういえば、銘板の塗装も終わって掲げられたんでした。中央上部に燦然と輝く「橋大川犀」の文字。



Img_112306z 縁取りにきらびやかな金沢金箔が施されました。しかし橋そのものは国道上にあるので国の管轄、もしくは石川県だと思うんですが、この金箔にした費用は地元住民が負担したといいます。そういうとこもオールラウンドで官庁が負担してほしいものですが、なにかオプションすると決まって地元に重荷がかかってきます。新幹線にしたってそうですよね。
さぁ、病院へ急ぎましょう。

| | コメント (2)

2009年3月30日 (月)

歴史家「加来耕三」氏講演会「歴史に学ぶ」

Img_108546z 今日はマスコミでも有名な歴史家・作家の加来耕三氏の講演会に行ってきました。以前土曜の朝のラジオに出演されてたのをよく聴いていて、人柄や考え方が好きでしたので、いつかは講演を聴きに行きたいと思ってました。
「歴史に学ぶ」歴史家としては、単に過去をなぞるだけでなく、現在や将来にその史実の経験を生かす必要があると。日本人は歴史をドラマとして捉えて、夢とロマンを追い求めすぎであると。
実際の歴史はそんなにドラマチックじゃないのに、小説などによって美化された歴史の偉人の出来事をすべて信じ込んでしまう。篤姫は小松帯刀に逢ったことないのに・・。

僕も歴史の真実を知りたい方で、家康がなぜ天下をとりえたか、利家がなぜ生き残れたか、美談ではなく必然な真相が知りたいものです。
伝え聞く歴史の資料や伝記書物などもまず疑ってかかり、必然の積み重ねと数字を重視、客観的・合理的にそのものに対すると、正しい答えが見えてくるといいます。秀忠が関ヶ原に遅れたのは、誰もが一日で決着が付くと思わなかった戦に、家康が次善の策として中仙道に張り付かせていた、と見るのが自然だと。
現代の混乱した世相も、アメリカを見れば近い将来の日本もどうなるかわかるといいます。衰退に気づかなかったイギリスが、やっと目覚めてサッチャー政権で改革したのを日本も学べると言い、数々の官庁やシンクタンクなどで講演してきた氏の言を誰も信じなかった結果が今に来てると豪語します。バブル崩壊後1ドル100円になるって予言とかも。

いちいち納得なんですが、なぜまだ彼の考え方がスタンダードにならないんでしょうね。同じように既存の歴史観を逆説に捉える井沢元彦氏も好きで著書をたくさん持ってますが、本来の見方であるべき両者の思想が一般的にならないところが、日本人の連綿と持ってきた処世観なのかも知れませんね。そういう見方がずっと前から出来てれば、幕末の混乱や太平洋戦争なども、もっと違ったものになったと思えます。もちろん今の政争とかもね。
Img_108543z さて関係著書にサインももらって、まだ陽も高い時間に終わったんで、表通りに出て久しぶりにバス撮りを。
やっとコカコーラバスをゲットしました。毎朝通勤時に寺町通りで見かけてたんですが、運転中に撮影するワケにも行かず、ずっと指くわえて眺めてましたw。これであと撮ってないのはめいてつエムザバスだけとなりました。全部で10種類です。


| | コメント (0)

より以前の記事一覧