歴史

2011年7月15日 (金)

金沢市内の神社めぐり 3

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続いて、円光寺の白山社(しらやましゃ)
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ここでは、残念ながら注意書きの看板が。
子供たちが以前には石灯籠に登ったりいたずらしたりしてたんでしょう。そういったことで事故って問題になったことがあったのかな。
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本殿?拝殿? が、アルミサッシの窓枠で全面囲われています。
いわゆる風除室になるわけだが、北陸は温暖化とはいえまだまだ雪国。風雪から歴史ある木造建築を守るために、こんなふうに全面を囲う工事を取り入れてる神社が金沢では多いです。これからもたくさんご覧入れることになります。
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そこからほど近い、寺地の八坂社。先の白山社もそうですが、神社庁では[社]。それぞれの神社の碑では[神社]となってますね。どっちが正解なのか。
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拝殿の表には、平成25年の伊勢神宮式年遷宮を奉賛した垂幕が。現在、神社庁管轄の神社にはほぼ例外なく掛けられています。
再来年ですね。ぜひ行ってみたい。
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サクサク行きます。横川の横川神社。
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古くは横川八幡宮と呼ばれ歴代藩主の崇敬も篤かったようで。掲額の字が鮮やかな青なのが特徴的でキレイですね。
神社マニアは、狛犬や紋章、もちろん建物など、神社の何を見るかというのがそれぞれ違いがありますが、僕は歴史含めた全般ながら、特には掲額に興味がありますね。石製だったりなかったりと、さまざまですよ。
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西泉の井手神社。古くは國造社と言ったそうで。
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3組もの石灯籠が。寄進された年代ごとに特徴があって面白いです。こういうのも深く研究するといいのかもね。
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米泉へ行って米日吉神社。御祭神は大山咋神などなれど、創立のころの記録は裏を流れる伏見川の度重なる氾濫などで散逸されたらしい。
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昭和39年に再建された社殿の屋根が山小屋ロッジ風でユニークですね。
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國造神社(こくぞうじんじゃ)。藩政期初頭、利家所蔵の虚空蔵菩薩が奉納されたことから虚空蔵之宮(こくぞうのみや)ともいわれた。
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神社の正面には、ちょうど前の月に設置されたばかりのまちしるべ標柱[旧北国街道]が。旧北国街道標柱はこれで5つ目だ。
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なんとこの日は偶然にも、お祭りの最中だった。後日調べてみると、30年に一度の式年祭が、まさにこの日にあたるんかな?
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國造神社の拝殿の破風と、苔むす神木にいにしえの重みを感じますね。
各神社それぞれの特徴は全然違うから、その神社の良さが現れてるところも千差万別。たとえば狛犬だけを追いかけてもそういったとこが見えないと思うから、僕は何か決まったものを見る、というのはしないのかも。
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有松の貴船神社。富樫氏の一族が祀った水の神様で、おかげで昔から有松は火災がなかったと伝えられています。
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夕方になって、熱心なたぶん氏子さん? 相次いでお参りにきています。
昼間全く人気(ひとけ)のない神社でも、地元の崇敬が昔から深いんだな、と改めて感じさせられますね。
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野町の泉野菅原神社。二代利長の正室、信長の娘永(玉泉院)が利長の死後高岡より遷座。この隣はその永を弔う玉泉寺。
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10年ほど前の火災で拝殿が焼け、今は跡地に小さいプレハブが建ってるだけのみずぼらしいお姿。しかしそれでも[天満宮]という掲額が掛けられているのがその貴重さを思いますね。掲額はその神社の顔でもあるから、だから好きなのかも知れません。
このほどみごと再建が決まったようで、表には寄付の氏名板が立てられてます。
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この日の最後は、寺町通りに出て諏訪神社。室町時代に創建された八幡宮が起源。信州諏訪の神は鷹の守護神でもあるらしく(建御名方)、利常の時代に鷹匠頭が勧進したので明治まで通称「諏訪八幡宮」と言ったらしい。
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これでこの日は19社、約20kmを走破。写真はもっとこまめに撮ってるし、謂われは神社庁HPですべて調べ済ですが、ここでは一般の方も多く観られてるんで、そんなに専門的な話はカンタンに済ませることにします。
これからもたびたびお伝えすることとなりますが、いやがらずにお付き合いいただけたら幸いです。

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2011年7月13日 (水)

金沢市内の神社めぐり 2

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それでは久しぶりに金沢の神社をレポートする。
前回5月のの続きで同じ4月13日に廻ったものだ。あれから80以上も廻ってるんで、ストックがたまってしょうがない。ゆっくりおつきあいください。

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野田にある日吉神社。創立は不詳だが往古からの産土神とある。
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およそ本殿の体をなしていない建物だ。扉にもカギが掛かっていて、神社名の掲額もないのがザンネン。
そこそこの敷地の半分は日当たりもよく、満開の桜が鮮やかに美しかった。開発された大桑への新しい道がすぐ脇を通って、静かな環境とは言いがたくなってしまったようだ。
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野田から一気に山側環状を長駆チャリを飛ばして山科までたどり着いた。
山科神社だ。だいたい神社は深い森を今だ有してるから遠くからでも場所の見当はつく。
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ここも創立年は不詳。元は八坂社といったようだ。金沢の名の由来になった芋掘り藤五郎の像を祀る祠があるようだが見落とした。この先の満願寺山の麓にある藤五郎を祀った神社とも関係があるらしいんで行ってみる。
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山側環状を跨ぎ、伏見川を越して坂を登ると、中腹に見えた藤五郎神社。
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金沢の名の由来となった芋掘り藤五郎を祀ってある。
山芋掘りの藤五郎が、今は兼六園、金澤神社の脇にある金城霊沢で山芋を洗ったら砂金が出てきたというのが顛末。
藤五郎はここ山科村の出身で、昭和になってから先の山科神社にあった碑をここに祀ったらしい。それでか神社庁の管轄とはなっていない。
社殿造営は昭和63年と新しい。
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山科の奥の谷、伏見川には珍しい甌穴という天然記念物がある。そこへの道には藤五郎夫婦の仲睦まじい像があった。
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ここは2~300万年前の大桑砂岩層にある化石と、甌穴で国指定天然記念物のエリアになっている。
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甌穴というのは、写真ではちょっとわかりにくいが、石ころが川の流れで回転して河床の岩肌を削って穴を作っていく現象。竹やぶに阻まれていいアングルで撮れなかったが、なかには大きなのもあってたくさんの穴が両岸に見える。
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そう、あたりはうっそうとした竹やぶで町からも離れ静か。いや、風で竹がこすれあって時折バキバキ!という音だけが響いてちょっとブキミ。熊がいつ出てきてもおかしくないww。
早々に退散しよう。
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街へ降りて三馬(みんま)の白山神社。
石川県には、白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)が加賀一の宮として、全国3000ともいわれる白山神社の総元締として君臨している。当然金沢にも白山神社は多くて18社ある。
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しかし白山神社と書いて(はくさんじんじゃ)と読むか(しらやまじんじゃ)と読むかは分かれるところだ。ここ三馬は(しらやま)と読む。そして創立はここも不詳。なんとも頼りない。
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久安まできて御馬神社(みうまじんじゃ)。ここは古い由緒がはっきりしている。
平安時代の律令制にまとめられた延喜式神名帳に記載された石川郡十座のひとつ、とある。
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古くは国幣社とか社格などもしっかりと細分制定されていた。延喜式とかこむつかしい話はおいおいするとして、そのわりには住宅地のただ中にあって境内はさほど広くなくなってしまっている。
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それでも社殿は立派で、年中行事など看板に書かれ、地元の崇敬が深いのは偲ばれる。
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境内に加賀国守護の富樫氏から勧進された稲荷も祀られている。
市内の神社は、近い距離にあっても千差万別だ。昔の郷里、村集落ごとにさまざまな神社が大切に祀られて今日まで来てるんだなぁ、としみじみしつつ、けふはここまで。

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2011年7月 5日 (火)

活動再開。神社めぐりでスペシャルトピック!

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また久しくごぶさたしてしまいました。やっぱり気分がすぐれないとなかなかにやる気が続きませんね。まぁそこそこ活動はしていましたがブログにまで書く元気がなかったというか。これからボチボチとアップしていきます。

先日の日曜はまた暑い中チャリで神社めぐりしていました。6時間で今まで最大の26箇所。これで金沢中の神社約350のうち115箇所です。春からの歴訪記録はおいおいアップするとして、この日の特別なトピックを先に。
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金沢市北西部の南塚町。一面の田んぼが開けたところに新しい道と住宅地も多い場所に、なんと「雉」のつがいを発見!

野生?の雉は初めて見ました。海の近い市街地に雉なんて珍しいんじゃないでしょうか。すぐに逃げるなんてことはなく、近づいても一定の距離をたもちつつひょこひょこと畦を歩いてる姿はユーモラス。最望遠のレンズを持ってこなかったのがザンネン。
しかしオスとメスがこれほど違うのもフシギですね。
犀川ではアオサギやゴイサギはよく見かけますが、某アニメのように人に寄ってくることはありませんよ。雉は飛ぶのがヘタというんであまり逃げないのかな。

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もうひとつ。市街の神社めぐりしてると、日曜でも境内であまり人を見かけることはありませんでした。
ところが、高畠神社に来てみたら、どうやら僕と趣味を同じくする人が。

同様に折り畳みチャリで来て、ビシバシ撮影しています。訊いてみると、地図片手にやはり金沢市内の神社を廻るのだと。おんなじような方もいるもんですね。
しかしこの方は、金沢へ赴任してきて1年ばかり。まだこれからだそうですが、ずっといる僕はもっと先進んでなきゃいけませんね。
やっぱり市街を廻るにはチャリでないとですが、山間部とかは自動車は無論だけど狭いとこなら軽かバイクですね。それがいまのところ難問です。

これからまた、春に戻って時系列順にお伝えしていきます。

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2011年6月 6日 (月)

60回記念「百万石まつり」パレード 後編

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いやしかし暑い日だった。後で確認したら気温29度だって。日陰だったけど汗が止まらなかった。
そんな中、パレードも例年通り間延びして、14時半出発から2時間近く、ようやく藩主利家公の出立だ。
「皆の者、出発じゃ!」そうマイクで叫んでからもまだなかなかやってこなかった村上弘明氏が、やっと顔を見せて祭りも最高潮に!
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各ポイントで演技しながらの長い行列で、出発してからも滞留することが多く、村上利家が目の前に来る前に間があったけど、いざ進んだらあっという間に通りすぎてった。
最後尾は赤母衣衆の騎馬隊だが、それを待ちかねたように駅前の人だかりは一斉にバラけて、駅へ帰る人もあれば、僕らのように利家公を追いかけて。
すると武蔵が辻のだいぶ手前で、やはり立ち止まってる村上利家を追い越してしまうくらい。ここでも廻り中にファンサービスを振舞ってるとこをパシャリ!
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そして武蔵が辻交差点でも意外に近づけたんで、今日のベストショット!
これだけ機動的に追いかけられたのは初めてだ。さて今度は一気に金沢城内へ入って行列を待ち構えよう。
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街の繁華街を一周してる行列を尻目に大手門から城内に入ると、長い行列で既に入ったのはまだ加賀鳶梯子上りの演技中だった。
しかしこのときは気がつかなかったが、奥のほうの梯子で落下した上り手がいたらしい。大怪我をして重症のようだが、大事にならなければいいが。
この10年で3回目の落下というんで、よほどみなさん気をつけていただきたい。
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その後、順々に行列が城内に入城してくる。これは利家公を祀る尾山神社の御鳳輦(ごほうれん)。たまたま運良く、迎え入れる最前列に陣取れた。
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この子たちは3代利常と奥方珠姫、とその遊び相手。珠姫は今の大河ドラマ「江」と徳川秀忠の次女。3歳で嫁いできた。各地の「江」展では名前も出てないがww。
こうやって利家・利長・利常は毎年出てるけど、4代以降は今年初。歳が合わないけどね。
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最後に村上利家公が入城して、入城セレモニーをしてクライマックス!
でも毎年たくさんの人で埋め尽くして、背の低い僕はマトモに見たことがない。後ろのほうで腕を伸ばしてなんとかやっと。
ステージまでのルートが毎年変わるから、どこに陣取ればいいかもわからないんでいつも苦労する。
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出入り約5時間にも及んだ一大セレモニーが終わった後は、さすがに疲れたけれどもうひと踏ん張り。ライトアップで夜の幻想的な兼六園を撮る。しかし人がいっばいすぎて入り込まないようにするのはムツカシイ。
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七福神山前の曲水には、加賀友禅流しの演出。
しかし思ったより幅が狭くてあまり絵にならなかった。
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霞ヶ池の内橋亭。最近は管弦楽演奏もしてて厳かでいい雰囲気。しかしちょっと疲れもあって落ち着かない。メモリカードの残り容量も少なくなって、最後はちょっと適当になってしまった。

近年は梅雨前で晴天に恵まれる百万石パレード。暑さも加わってヒートアップした一日でした!

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2011年6月 5日 (日)

60回記念「百万石まつり」パレード 前編

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4日は年に一度の金沢の最大イベント「百万石まつり」パレードでした。
前田利家公の金沢入城を記念した祭りだからと、パレードのゴールを金沢城に変更してから6年目。友人に誘われて初めてスタートの金沢駅前で待ち構えることに。
駅前の鼓門での一斉太鼓演奏が威勢よく始まりを告げた。
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1時間半前に来たのに沿道はもういっぱいの人だかり。スタート地点100mあたりでようやく路地前の最前列にすわった。そしたらちょうど報道陣のスタッフたちが僕らの視界の邪魔をする。
来月にせまった地デジ完全移行を前に、地デジカくんがアピールにやってきた!。金沢の地元放送局女性アナの地デジ大使5人と仲良く行進だが、同じ白い服でもみんなそれぞれだなぁww。NHKの片山千恵子アナの「NHK」が主張しすぎ?
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百万石まつりに合わせて選ばれる「ミス百万石」3人もオープンカーで。民放テレビのゲスト石田純一氏も近寄ってインタビュー。こちらの2人は完全ムシで面白かったww。
でも石田純一氏、ホントに靴に裸足だったよww。
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元々商工まつりだったこのパレード。学校や警察などの音楽隊や獅子舞とか長い行列が続いたあと、加賀鳶火消し梯子上りの伝統演技が。いつ見ても迫力あるシーンだ。
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木遣り唄の合唱も威勢がいい。かなり耳に残る唄で帰ってからも頭の中で響いてた。
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女の子たちのあやめ隊。今年久しぶりに衣装を新調したそうで鮮やかでかわいい。
子供のころは各小学校順繰りでいろんな参加が回ってくるが、僕のいた頃は母校がした記憶がない。
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大人奴は顔に朱塗りをして、挟箱や毛槍を担いで独特の振り所作をして練り歩く。
今や粟崎の若衆にだけ許されて地元で伝えていってるんだろうけど、今年は例年より人数が少ないと思ったが。
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利家奥方の「お松の方」。地元デパート2店の女性が交互に演じてたが、人材不足?で女優を呼んで4年目。今年は藤谷美紀さん。やっぱ女優になると沿道からの声援が違う。
けど乗せてる車の覆いをもう少しデザイン工夫したらどうだろう?
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この百万石まつりも今年で60回。記念して今年は4代以降の歴代藩主の騎馬行列が追加された。さすがにそれだけうち揃うとたいしたものだったが、その藩主たち在任時にふさわしい年齢層になってたか疑問だww。
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そうそう、パレードに来る前に金沢城内の河北門で歴代の百万石まつりポスター展を見てきた。毎年アイディアに卓越してると思うが、このデザインコンペはいつどうなってんだろう。一般参加できないのか。
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大勢の武者行列も一般参加だが、募集要項がよくわからない。重い甲冑を着て長時間歩かなきゃならないから大変だが、一度やってみたいもんだ。
草鞋やすね当てのヒモもゆるめば、こうやってスタッフの人が付いていて直してくれる。裏方の人も一緒になってパレードの表舞台に見えてるのが却っていい。
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いよいよメインエベンターが近づいてきた。
2代利長公だ。近年、金沢駐屯の陸上自衛隊から、第14普通科連隊の連隊長が勤められている。この方宮城県の方で、震災にも尽力されているよう。
利長夫人、信長の娘「永」も、利長ゆかりの高岡から参加してるはずだが、見つけられなかった。

さて、やっと利家公の登場が迫ってきたが、それは後編のおたのしみにしませう。

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2011年5月31日 (火)

「加賀八家と本多家」特別講演会

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29日は加賀八家の筆頭である本多家にまつわる講演会に友人と大雨の中行ってきたよ。
加賀藩には一万石以上の家臣が幾家もあり、中でも由緒ある家柄の八家を加賀八家と呼して特別な家格と扱われていた。
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今回のテーマは二部構成で、まず本多家末裔当代のご子息、本多俊彦高岡法科大准教授「知行宛行状と叙爵にみる『加賀八家』」から。
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最初に当代、本多政光氏のごあいさつが。最初の写真の藩老本多蔵品館の館長である。
今回は当館での特別展を記念しての講演。
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続いて本多俊彦氏。本多家は代々『政』の字が継がれてきたのに、突然関係ない名前に。それにこの親子全然似てないww。
まぁそれはさておき本題に。

知行宛行状(ちぎょうあてがいじょう)とは藩内において主君から家臣に与えられた知行(領地や給与)の割り当てを示す文書。知行地の場所や知行高が明示されている。代が替わるごとにも発行された。
これに加賀藩独特の特徴があると解説。

形態が折紙から五代綱紀時に竪紙になったり、紙質も米粉を混入した白い奉書紙から檀紙、そして黄色い料紙になるなど。時代が下るにつれ大きな変化があった。
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そして与えられる者の身分によって、形式や文言、果ては文字の崩しまで厳密に決められ差を付けていた。
「殿」の字のバリエーションにもいくつもの崩しがあるとは。下位の者には「方へ」とかで済まされてるとか・・。
加賀藩はかなり公式の文書が各家に残されている(戦災に遭っていないのも大きい)ので、最近は博物館で見る機会も増えてきたが、まだまだ古文書の崩し字はよく読めない。同じ字でもこれだけ違うのだからムリもない。
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書面にはもちろん、藩主の署名にも差をつけてる。八家には実名と花押がちゃんとあるが、平士には印判だけとか。
宛名書の高さも細かいほんの僅かの段差をつけている。

それと叙爵。武蔵守とかいうあれだが、参議もしくは従三位以上の高級貴族を公卿というが、公卿は宮中に参内する際、諸大夫に任官した家臣を供奉する。大名が公卿になると、その必要性から大名家家臣が従五位下に叙されて諸大夫に任じられた。
これを陪臣叙爵(ばいしんじょしゃく)という。江戸時代通してとなるとその陪臣叙爵があったのは、徳川御三家と加賀前田家だけだった。
前田家当主は極官で従三位参議[宰相]。最大4名の叙爵陪臣を持てた。
そして八家の中で最大五万石の本多家と、宗家に近い前田土佐守家の二家が別格として優先されてほぼ常に叙爵されていた。
本多家は主に安房守。前田土佐守家はもちろんその通称どおり土佐守だ。土佐守資料館には歴代の、朝廷よりの任命書である「口宣案」と「宣旨」がいつも陳列されているよ。
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後半は長谷川孝徳、北陸大学教授の「八家の職務内容」。
他藩ではナンバー2以下を家老と言うが、加賀藩では年寄とか人持組頭という。江戸時代は軍政。戦国時代の軍制をそのままに行政組織として整え臨戦体制に応じられるようにしたので、そういう軍役の名称がついた。
加賀藩の家老とはその下にいて、いわゆる官僚の仕事をしていたし、年寄が合議で重要な決定事項を決めていた。時代が下るにつれ藩主の意志は直接には反映されず、そういった官僚構造は幕府の老中機構はもちろん、明治から現代に至るまで、なんとも変わらないものだったよう。

話はそれるが江戸期も九十歳以上生きた者も多かったようだし、今と同様老齢報奨金みたいのがあった。
藩財政のうち半分、多い藩で7割もが参勤交代や江戸藩邸での経費で、地方の藩は財政難になりながらも、道中や江戸にかなりの金を落とし経済に貢献してきた(週刊『江戸』によると加賀藩は参勤交代だけで銀330貫、約8億2500万円にも及んだって)。今、東京都に地方へ文句言われる筋合いないってww。

最後は脱線したけど、ちょっと専門的すぎて難しかったかな?
たまにはいいでしょう。それでも、古文書はゆくゆくはもっと読めるようになりたいね。

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2011年5月29日 (日)

金沢大学公開講座「城と歴史を活かしたまちづくり」

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先週末には金沢大学公開講座の「城と歴史を活かしたまちづくり」セミナーに行ってきました。
前半は城郭研究で有名なNPO法人「城郭遺産による街づくり協議会」理事長・滋賀県立大学人間文化学部准教授 中井均氏の講演。
午後には中井先生と金沢大学人間科学系地理学類の伊藤悟教授とともに金沢城内と城外の旧陸軍建造物を3時間ものエクスカーションを行いました。
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中井先生が一貫しておっしゃるには、城跡の復元には今生活している街と一体のまちづくりが重要と。それには架空の模擬建造物よりは史実にあわせた復元に、地元住民によるイベントがユニーク。
そして復元もはたしてどの時代に(江戸時代?)戻すものか、明治以降も歴史の一部ではないのか?という問題定義をされました。
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午後のエクスカーションでは金沢城を大手門から隅々と、伊藤先生のゼミの学生たちも交え総勢40人もが、陽がさして暑い中に大集団となって廻りました。
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翌日は金沢城リレーマラソン大会。新丸では準備が進行中。雨予報の中明日はきっと大変だな~。
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大手門の石垣にも、柱のための溝が彫られていたし、ここ河北門石垣にも、鬼門としての五芒星が彫られていた。隅石の両側に彫られるのは全国的にも珍しいそう。
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河北門一の門。再建して一年経つが、まだ白木の部分は美しさが保たれててホッとした。
鉄板が貼られた門のコントラストと黒鉄(くろがね)の輝きがまばゆい。
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一般参加者は12人ほどで、テーマからさすがに金沢の歴史に興味がある人達だから、城内には何度もいらしてるでしょう。
しかし学生たちは、本来は地理学。課外授業みたいなもんなんで、金沢城に入るのは初めての子たちがむしろ多かった。
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石垣の博物館といわれる金沢城。他ではなかなかない亀甲形の石垣とかももちろん紹介。
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築かれた年代によって、特徴が大きく違う。こんなふうに、四角く並列に並べられたのなんて幕末近くだ。
造営担当した?紋などが多く表面に刻まれている。
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有名な?玉泉院丸の色紙短冊石垣。
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玉泉院丸の現状。北陸新幹線開業前に、庭園を仮整備するが、なんか人工的な池を模した溝が掘られてるね。排水槽みたいのがもう設えてる。
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菱櫓の三階にも登った。復元して10年ほどになるが、案外に内部はキレイさが維持されていてよかった。
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金沢城内の中井先生の解説は、残念ながら僕らレベルでは既知のことばかりだった。中には曲解されてることも。
しかし学生たちは、熱心にメモを取り続け。まぁこれも試験とかに出るのかな。
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普段の勉強の範疇外だろうから、最後のほうは興味なさに手持ち無沙汰してる子もいたけど、終わりまで熱心に着いてきてる子がほとんどだった。
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金沢の場合、明治以降の旧陸軍第九師団の施設が城内外にいろいろ残されているのに、その活用が殆どなされていないのが残念とのこと。確かにそうだし、市民に知らされていないことも多い。今後の課題ですな。
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僕としては、辰巳櫓跡地にあるはずの三角点の存在箇所がナゾだったのを、地理学類の伊藤先生の見解を教えていただいたのが(唯一の?)収穫。
土盛りに埋もれてしまったらしい。三等三角点「金沢城」TR35436657201 で現行の基準点なのに。土をはらって柱頭を出してもらったが、説明板の前にある写真の真ん中のがそうらしい。
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最後に修了証書をいただいた。いろいろ質問しようかと思ったけど、暑くて疲れたのもあってよした。こういうのなら、何度受けてもいいが、正直もうすこし勉強になるのが良かったかな。金大の先生で地元を語れる方はいないものか・・。

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2011年5月24日 (火)

秋常山古墳群。能美のこれからの観光スポット

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手取川のあと、13日に保存整備工事が竣工したばかりの秋常山古墳群に向かった。
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加賀平野の中心部、能美市一帯には、田んぼや集落にポツンとある小高い丘は、ほぼ古代の古墳とみて間違いないくらい古墳の宝庫だ。
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この秋常山も、昭和59年に古墳と確認されてから、発掘調査のあと平成11年に国史跡に指定され、7年前から保存整備が始まりようやくこのほど完成した。
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誰もが気軽に訪れられるようスロープも敷設されるなど、能美市は市内に点在する古墳群を観光資源化して町おこしを図っている。
地肌に草も茂る前だから、古墳が造られたばかりの本来の姿に近い様子を見られるのは、夏前の今がチャンス。
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一号墓は前方後円墳。市から嘱託のおばあさんが説明板とかを清掃してまわってたよ。
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古墳の斜面には、こうやって葺石が敷かれていて、試算すると約40万個の川原石で覆われていたそう。1600年前のホンモノは保護のため盛土で隠し、露出してるこれは整備で新たに敷き直した物。
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後円部の山頂。全長140mと北陸最大の前方後円墳は4世紀後半のものらしい。内部の被葬者はあえて発掘しなかったんでわからないようだが、大きさからよほどの首長だったと想像できる。
手取フィッシュランドの観覧車がちょうど真正面に見える。
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頂上から見る2号墳の方墳。
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後円部から見る前方部。こうやってみるとけっこう大きい!
こんな身近なところで、本格的な前方後円墳に出会えるとは。しかも遠慮なしに頂上まで登れるし、なんか大きらしい気分になるね。
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前方後円墳の前方って、鍵穴みたいに下に方形で図示されるんで、なぜに前というかよくわからなかった。
前方部は後円部への通路か祭祀の場、あるいは後円部に埋葬された人物とかかわりのあった者の埋葬所と推定されてるらしい。
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前方から見た後円部。
背の高い木々があるのは、つい以前までここが森だった名残。
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方円部からの見晴らし。右に見える山ふたつも、和田山と末寺山の両古墳群。
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そこを下に降りると秋常八幡神社。かつて前方の中腹にあったのを、整備で移設遷座させられた。
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大きすぎて全部視角に入らないが、横から見た前方後円墳の全景。かなりデカイのがわかっていただけるだろう。早く来ないとこれが草で覆われてしまう。
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隣接する2号墳。ここは発掘調査したので副葬品やら埴輪やら、いろいろ見つかったようで、5世紀半ばのものらしい。なんと中にも入れるのだ。
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中はちょっとした展示スペース。子供たちを念頭に、やさしい解説板がならんでいる。
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そういや隣に保育所があって、子供たちの格好の遊び場にもなっちゃってる。
しかし副葬品がちらちら見つかったのに、肝心の骨が見つからなかったのを、溶けちゃったんだね~、と説明するのばどうか?
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2号墳の埋葬部。木棺を粘土で覆った粘土槨というもの。見つかった鉄剣もそのまま置かれている。
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頂上には、環状に置かれていたであろう土器や埴輪も復元されていた。
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能美市は多くの古墳群を巡るコース化やマップを年度内にも作成する。
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僕が見ている間にも、市職員が誰かを連れて案内しに来た。秋にはシンポジウムもするらしいし、観光誘客のために力を入れてるね。
けどそれにしては、集落の裏にあるこの秋常山古墳群の入口に辿りつくのは、かなりわかりにくかったなぁ。まだまだ改善点はあるんじゃないですか。

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2011年5月19日 (木)

GW最終日は富山の伝統を味わった

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GW最終、5日には友人と城端の曳山祭に行ってきた。

280年も続いてる、豪壮な山車を狭い町の中で曳き歩く、伝統ある行事だ。
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開始時間に間に合うように早朝出かけて、城端別院善徳寺前からスタート。

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各町6台の山車が、車輪をキュッキュッと独特の音で軋ませながら曲がっていく。

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木彫の装飾と鮮やかな塗りの色彩がみごとだ。火災で再建した一台を除きすべて江戸中期の作というからすごい。
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目の前で勢い良く回していく迫力は圧巻だ。

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上に乗っている人は、狭い路地に入ったらぶつけないように、山車の屋根を素早く折り畳む係りだそうだ。
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合わせて子供獅子舞も町を巡り、一軒一軒披露して回っていた。

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金沢の獅子舞と違って、子供とは戦わないし、獅子の胴も人数は少なめだ。祝儀の額違いか簡単に済ます家もあったりw。

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各町、山車の先導に庵屋台というのがあって、古い料亭を模した精巧な模型になっている。
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この中に囃子方が入って。

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山車とともに練り歩きながら、「庵唄所望」と祝儀を出した家や企業の前で唄を披露する。
三味線、笛の哀調ある調べに乗せたゆっくりとした庵唄に、江戸の味わい深い情緒が。
各町独自の唄がそれぞれ数十もあり、毎年違ったものを選んで決めているという。
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メイン通りに出てきたが、庵唄を一軒一軒唄うので行列が遅々としてなかなか進まない。

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山車の上には御神像の大きな彫刻が各町それぞれ鎮座している。これは一番山、西上町の竹田山の恵比須像だ。これで寛政7年(1795年)作
子供も山車の上に乗っけられてうれしそうだ。
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親子晴れ舞台だね。

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ようやく6台勢揃いだろうか。

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東上町の路地に勢揃いして昼休憩。圧巻な様だが狭くて隠れるんでアングルに収まりきらない。
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みごとな装飾を少しみていこう。欄間で有名な井波彫刻の地元でもあるから、その技術がふんだんに使われている。
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これは西下町諫鼓山の堯王像。享保元年1716年。
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午後に入ってさらに狭い路地に向かう。ここでまた勢い良く90度ターンをすると、後ろの衆が歩道で見ていた子供やカメラマンとぶつかった。大事ないといいが、これでは昔からこういった事故が多発していたに違いない。
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提灯山など、夜の10時まで繰り広げられる壮大な祭りだけど、次があるのでそろそろ引き上げる。順序が逆になったが祭りの列を先導する飾り山も特徴的だった。

富山の田舎にこんな立派な祭りがあったなんて今まで知りませんでした。数々の豪華な山車と格調ある庵唄と地元の人々の意気込みに、半日かなり興奮してしまいましたね。
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城端というと、ピーエーワークスのアニメtrue tearsの舞台。

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いわゆる聖地?ってやつ。 まだタイアップ熱が冷めやらないらしく、祭りのメインストリートにグッズ店があって、各地から来た大きいおともだちで賑やかだったみたい。
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今年は我が石川が舞台の「花咲くいろは」もアピールしてて、のれんやポスターが

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展示してありましたなぁ。まだ観たことないけど、温泉地が舞台のくせに、どこと特定できないみたいで
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それってどうなの?とは思いますね。

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戻りは新湊へ。城端線終着の城端駅は昔ながらの佇まい。昔は当たり前で、僕が越したころの藤沢や茅ヶ崎駅だってこうでした。
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富山-新高岡間の北陸新幹線高架。だいぶ進んでるようですが、まだまだ途切れ途切れのところも。
震災に関係なく、順調に工事進んで欲しいですね。
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最後に、新湊博物館で"まつ"の手紙を見てきましたが、併設してる道の駅で、名物の「白えびバーガー」を食べてきました。大人気で1時間待ちしてでも皆行列したものなんですが、味はどうだか?
単にエビを天ぷらしてキャベツをはさんだだけで、なぜこんなに待たされるのか不思議でしたが・・。

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2011年5月16日 (月)

福井を堪能した一日☆

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では、「江」姫たちの戦国展へ、福井県立美術館。
今年に入って、東京、この福井、そして7月に長浜へと回る巡回展。
「江」ゆかりの品となると、織田家・豊臣家・徳川家どれも関係あるのでさまざまに並んでました。けど展示スペースは狭かったですね。歴史博物館じゃなくて美術館ってのがネックだったか。
ギャラリトークには100人くらい連れ立ってましたがそれで満杯で、解説の声も聴きにくくなったんで途中で諦めました。
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けどパンフレットにもある、祐天寺の崇源院宮殿(くうでん)は素晴らしかった。
位牌を安置する厨子だが2m以上もの大きさがあり金箔と極彩色で彩られた豪華な造り。
家康のものと謂われてたのに近年の調査で「江」ものもとわかった。
徳川将軍家の半分が葬られていた増上寺の徳川家墓地は、空襲でそのほとんどの豪奢な建造物を失った。今もあったら世界遺産になってもおかしくないだろうにね。これだけは残念に思う。
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さて展覧会を観終わったら、かねてから行きたかった一乗谷へ。

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友人に車を飛ばしてもらって、夕方閉館間際の時間に資料館から観て回りました。

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史跡の谷あいに入るには、まず大きな土塁の城戸に入らねばなりません。用水が整備されてキレイでした。
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大きな石垣に挟まれた虎口は、確かにここしか開いてなければ、堅固な要塞に思えますね。ワクワク感が否が応にも増して来ます!
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今となっては自動車でスイスイ入れる谷には、観光地の端くれ?として夕方ではあるもののGWとあって観光客もかなりの人数残ってました。
ここで取引先だったメーカーの営業をすれ違いで見かけたんですが、声を掛けるタイミングを失ってそのままに。まぁあっちも人連れだったんでいいか。
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さぁいよいよ朝倉氏の屋敷跡に潜入です。

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館の跡はほどよく整備され、昔のよすがを偲ぶにはいい感じ。静かな雰囲気はそこはかとない侘しさもあって、
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想像どおりの空気感で感動しましたね。日本人には、こんなそっとした場所がとても癒されるんじゃないですか?
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朝倉義景公の墓もありましたよ。風が強くなってきて、ろうそくがすぐ消えてしまったのが残念でしたが、なんかここを残してくれてありがとう、って祈りました。
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奥の台地には泉水の庭が発掘復元され、林立した岩石群の威容も素晴らしいです。ここも完全埋没していたらしく、よくぞ残っててくれましたね。
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谷あいは一乗谷川の両岸に、御殿と復原された街並があって、集落も一部あるんですが、まさに谷ごと遺跡。広いといえば広い、広くないと言えば広くない。越前を支配する城下町を、開けた福井平野の真ん中じゃないここに造った朝倉家の真意が、来てみてなんか得心できた気がします。
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上城戸まで来ました。この土塁で完全に谷を封鎖。今に至るまでこんな大規模な土塁が残されてたなんて、すんごいことです。ぐるっと歩き廻ってみましたが、向こう側は田んぼですよ。
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寺院や屋敷跡だった復原地区。小さい家にも皆井戸があったようです。
シダレ桜が点々と、満開すぎくらいで風情をいっそう醸しだしてました。
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思わず夕方なのに時間を忘れて、暗くなる直前まで堪能してしまいました。他の人影もいつの間にかいなくなって。でも最近陽も長くなって、7時頃でもまだ撮影できるくらい。
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帰り道に、丸岡城にも寄ってくれました。

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自粛ムードの今でも、ライトアップしてるだろうからと。天守だけ煌々と明るかったですが、ここに登るまでがとても暗く、しかも風が強くて木々がこすれあう音が、より雰囲気を出してなんか怖かったですね。
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ここを建てたときに人柱になったお静の慰霊碑というのもあって、怖さ倍増ww。上からの夜景もキレイだったですが、撮るのはやめました。
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友人の三脚を借りてなんとか風に負けず撮りきって、さぁもう帰りましょう。ひとりではとても来れませんね。今日は有難う。

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