2009年12月13日 (日)

河北門、とうとうその威容を現す!!

Img_126382z 長い風邪が治りきらないまま、前日は会社の若い者の結婚式に呼ばれて、2次会までフル参加だったんでかなりパワーダウンしてしまいました。
しかし日曜はお歳暮を買いに行かなきゃなんで、ムリして街まで。そこで河北門の覆いが外れた金沢城も久しぶりに。来週には雪が続くだろうから今のうちに。

まずは鯉喉櫓台石垣。このたび上部も登れるように整備すると正式発表があったんで、工事の様子を。上面が全部見て廻れるようになるみたいですね。とても楽しみです。
Img_126392z さて石川門から金沢城三の丸に入ると、もうさっそく、河北門の威容が眼前に飛び込んできました!
覆いがすっかり外されて、これから雪でも積もろうかというのにいきなり吹きさらしにするんですなw。


Img_126412z 三の丸広場に菱櫓をバックに一大モニュメントがとうとう姿を現した、というかんじです。

明治の一時代にはまさにこのような様子だったはずで、感慨深いですね。


Img_126396z さてよく見てみましょう。
櫓門である二の門は近づけませんが、ちょうど修復なった石川門の二の門同様太い大梁がむき出しで重厚感があります。




Img_126404z 一の門の鬼瓦のひとつです。鉛板に前田家の梅鉢紋を打ち出している例のやつです。
土の瓦を一切使わず、木の型に鉛板を一枚一枚貼っている瓦です。風雨にさらされると、これよりもっと白くなっていって、それはそれでキレイというんでしょうが、この無垢の状態も今だけなんでとても貴重ですw。
Img_126405z 出窓の部分です。ここは銅板で覆われ、赤銅色に美しい、というとこですが、最初もっと無垢の銅色をしてたと思います。10円玉のようにもう色あせてしまったんでしょうか。



Img_126420z 河北門は枡形門。二の門はほとんど晒されましたが、まだその枡形部分と一の門、ニラミ櫓台が囲われたままです。
枡形の石垣や地面の整地も済んでおらず、そのあたりはこれからでしょうね。しかし数日後には雪が積もる予定?3月の完成は大丈夫でしょうか?
Img_126429z 真新しい白漆喰が美しいものの、完成から10年近くたった菱櫓などに比べると、赤っぽく見えるのは気のせいでしょうか。





Img_126427z その菱櫓と五十間長屋です。
雪吊りも美しい北陸の城、という姿ですね。






Img_126425z こちらは橋爪門続櫓。やはり河北門より青白いんじゃないですか。

今日も金沢城内は多くの観光客がそぞろ歩いてました。雪はまだでそんなに寒くはないですが、北陸の冬は海の幸がおいしいんで、寒さに負けず観光客がたくさん訪れますよ。
Img_126442z 宮守堀側に出ると、工事中の旧県庁の裏側も覆いが外されてました。
ガラス面が美しい、レストランも併用される「しいのき迎賓館」として生まれ変わる旧県庁の建物も、宮守堀、河北門とともに来年3月オープン。ここら一帯は春にはにぎやかになりますよ!!

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2009年11月24日 (火)

金沢城の発掘・工事の今の様子。結構進んじゃった。。

Img_123895z 連休中に、久しぶりに金沢城を見に行きました。各地の復元工事・発掘調査が順調に進み、先週と来週の見学会も行けず、ちょっと取り残された感じです。
まぁ人が多くないほうがいいんで、ひっそりと巡ってみましょうか。


Img_123898z まずは広坂側の宮守堀(いもりぼり)、鯉喉櫓台石垣(りこうやぐらだいいしがき)の修復現場へ。
鉄の足場が全部取り払われ、石積みがすべて終わっているようです。石垣の高さは結局ここまで。堀の水が入ってないのでかなり高く感じますね。
足回りも完了し、水を湛えると街側から正面なんでかなりインパクト高いスポットになりますよ。
Img_123900z 広坂交差点の正面から見るとこうです。
柵も作られそうなんで、あの石垣台の上まで登れそうです。だとするとそこから旧県庁や街方向を望めるんで、こりゃ人気でそうですね。



Img_123905z 宮守堀と一体の公園になるわけですが、堀の廻りには木製の柵が工事中。堀端まで近寄れないのはザンネンですが、これで全体の完成イメージがつかめました。
今でも香林坊から百間堀通りへの近道のように歩く人でこの後ろは途切れてませんが、地味ながらもホッとする空間がまたひとつ出来るようでとても楽しみです。
Img_123907z さていよいよ玉泉院丸へ乗り込みます。発掘調査が一段落したんで先週見学会がありましたが、雨で出不精で行きませんでした。S氏からもらった資料と照らし合わせて一人でゆっくり満喫することにします。

すでに見学コースが出来てて、玉泉院丸の中周辺を一周して歩けるようになってます。
Img_123920z 庭園時代に大きな池があったわけですが、かなり深くまで掘り進められた発掘で、大掛かりな池の遺構が出現したようです。石垣や玉石・景石、中島の跡など、意外にもはっきりと残されていました。
度重なる火災や、主のいなくなった外郭での繰り返された造成などが、明治の陸軍による埋め立てもからめ、層になって時代をも追えるようです。
しかしこの日はほとんどグレーシートで覆われてなにも見えませんね。
Img_123916z 玉泉院丸は、それを囲う石垣も多様で、泉水とともに石垣も庭の借景になっていただろうと云われるほどです。
最終的に庭園として整備されるようですが、この石垣の景観も充分満喫できるように復元してほしいですね。今のままでは立ち木が多くてよく見えません。
また、2014年度の北陸新幹線開業に合わせて暫定整備するようですが、広坂緑地や宮守堀のように、超中途半端にならないようにしてほしいと思います。
Img_123921z さて河北門の工事現場も寄ってみました。しかし見学路が取り払われ、中の様子がもう見ることができません。
白漆喰塗りなど外観もほとんど完了したことから、来週の見学会をもって順次覆いも外されていくようです。先週にはまだ中に入れたようで、やっぱりムリしてでも見学会に行くべきでしたかね。
かすかに無垢な白漆喰が見えるでしょうか。
Img_123926z 広坂まで戻ってきました。鯉喉櫓台石垣の道路からの高さがわかりますか。
右後方の辰巳櫓石垣とあわせて、金沢の新しいランドマークになること間違いなしですね。
河北門とともに、公開予定の来春がとても楽しみになってきました。


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2009年9月29日 (火)

シルバーウイークの金沢城周辺☆

Img_119358z ようやっとシルバーウイークの話ができますw。しかし遠出はしませんでしたが、金沢市内をいろいろと廻ってそれなりに充実。久しぶりの金沢城レポートから。

宮守堀の工事現場では、鯉喉櫓台石垣の積み上げが佳境に入ってました。水面より5~8m上段まで積むという石垣は、実際あとどれぐらいの高さになるのか興味しんしんです。鉄の足場で見えにくくなってますが、広坂の交差点から金沢城方面の正面に見える石垣は、金沢の新しいランドマークにふさわしいものになるでしょう。
Img_119361z 石垣の内部は栗石で埋められてますが、土をかぶせてないのが気になります。堀は当然水も入るというのに、石垣は崩れてこないか、将来がちょっと心配ですw。




Img_119366z 堀の裏側にもこうやって石垣が積まれてますが、鯉喉櫓とはどんなだったでしょうか。早くから史料がなくて櫓台だけになってるんで、ここに立派な櫓があれば、石垣だけとの比ではなく注目浴びるんですけれども。



Img_119371z 宮守堀の復元堀です。ここに水を湛えるのに、あと半年となりました。県庁跡地も再開発内容が決まり、半年後にはここら一帯は新しい観光スポットとして目立ちますよね。どんな風になるかとても楽しみです。



Img_119373z 玉泉院丸の発掘現場に廻りました。ここもかなり発掘が進み、庭園の池の跡などの全貌が次第に明らかになってきています。
2014年度末の北陸新幹線開業に間に合わないとして、暫定整備の仮公園化が計画されてますが、新幹線の開業がひょんなことから不透明になってきて、もしかして14年度には開通してないかも知れません。
Img_119376z そしたらあわてず、発掘を確かなものにして二度手間掛けずに庭園の完全復元も期待したらいいと思いますが。





Img_119381z シルバーウイーク初日は仕事で、日曜20日でしたがすごくいい天気に恵まれましたよ。
金沢市内の観光客も大勢いらしてて、高速道路1,000円の効果もあって県外ナンバーが数珠つなぎでした。レポートには書きませんでしたがここに来る前に石川県立美術館と歴史博物館に寄りましたが、石川県の職員が来場者にアンケートを配って、どこからどんな手段で、何を目的に来ましたか?などと調査してました。
ジモなんでそのまま書きましたが、ジモの意見はあまり参考にならないかも。しかし設問が多くて観光客にはうざったく思われたかも知れませんよ。
Img_119390z この後は例によって河北門の工事現場に。久しぶり(3ヶ月ぶり)に来たらもう屋根の鉛瓦葺きはほぼ終わってました。
土壁の斑直しもほとんど終わり、あとはいよいよ漆喰を塗る段取りでしょうか。先端の剣梅鉢紋も神々しいです。
この日はまた寄進記名会の日のようで、出席者には正面からの見学が許されてるみたいでした。
Img_119395z いつもの見学台からはもうあまりこれ以上の工事の様子は当分伺い知れないでしょうが、正面からこの段に入れるとなるととても興味深いでしょうね。そういや10月3日にまた見学会があるんですが、その日は仕事で行けません。またメディア付いてしまうキケン?があったですが回避されましたww。
Img_119400z 新丸側に廻って河北門の一の門の様子を。ここはもうほとんど出来上がったようなもので、この上の屋根もあらかた出来てるはずです。
両側の海鼠塀の平瓦も埋められ、それには僕ら寄進者が記名した瓦ももう使われてると思います。どの位置にあるかは端末が用意され検索できるようになるらしいです。今からとても楽しみですね。
Img_119403z さて石川門から城外へ出ます。ご覧のように観光客でひきもきりません。石川門のこの二の門はまだ外側は修復工事の覆いがしたまま。このあと有名な櫓の方も修復に入ります。姫路城同様、今から数年は石川門は工事の覆いがかぶされますが、河北門の方は来春いよいよ完成ですよ。
Img_119409z 広坂に戻って21世紀美術館です。とってもいい青空になって撮影日和ですね。今年の週末の秋はこうやって晴れてくれるといいんですが。

さて、シルバーウイークのレポートはまだまだ続きます。



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2009年6月18日 (木)

金沢城河北門復元工事見学会3 下巻

Img_113177z 後半は、鯉喉櫓台石垣の加工現場へ。金沢城は江戸時代の藩政期を通じて再建・増改築・修理が続き、年代ごと、工事責任者ごとのさまざまな石垣が見られ、石垣の博物館とも喩えられています。
この二の丸西数奇屋敷北空堀縁の石垣も、布積み、金場取残し積みの典型で美しい景色です。
Img_113182z さて現在、石垣加工の現場となっている藤右衛門丸に来ました。ここは普段石川県職員以外は立入禁止で、初めて立ち入れる貴重な経験です。かなり広い敷地で驚きました。
ここでこれから石切の実演をしてくれるというので楽しみです。
Img_113187z 金沢城の石垣は、ほぼすべてが金沢郊外の戸室山の石が原料。約40万年前の噴火で出来た、小さいながらも立派な火山で、古いため表面の岩が崩れ地中に埋もれた安山岩の塊を、掘り出して石材にしているというわけ。戸室石と名づくその石材は、江戸年間数次にわたって切り出され、長い石引きの道を曳いて金沢城まで運ばれました。城内には推計、15万個もの戸室石が石垣を形作っています。
Img_113185z 石を割るための道具類です。大きな石を石垣にふさわしい大きさまで割るのに、タガネで割れ目を入れてからクサビを打ち込みますが、昭和40年ころまではその方法で。後年はドリルで穴をあけてからの打ち込みで、掛かる時間は1/3になったそうですが、基本的に穴にクサビを打ち込んで割るのは、何百年の昔から現代になっても変わらないのにビックリしました!
Img_113194z まずは先時代的実演です。現在はほとんどこの方法をとらないというのですごく貴重です。表面にクサビを打ち込む穴を等間隔につくり、大きなかなづちでそのクサビを均等に打っていきます。この道の熟練ならではで、クサビの頭を確実に捉えるのに感動しました。
Img_113202z この大きい石で、この面の8つのクサビだけで割れるんです。一瞬パキっと音がして石にヒビが入りました。これで割れたみたいです。




Img_113204z 戸室石は金沢城の五十間長屋など最初の建物復元時にも、当時新たな切り出しが見込めず不足となると危惧されてましたが、県の石材組合や地元企業の尽力で大量の採掘・切り出しに成功。復元の安定供給はもちろん、金沢の名産として各種の公共施設や道路、庭石にまで幅広く使われるようになりました。
Img_113209z 現代の工法です。ドリルで穴をあけた後に打ち込むと中で開くクサビをハンマーで打ち込みます。確かにこちらの方が短時間で割れました。
石質は斜方輝石を含む角閃安山岩で、石英、黒雲母の斑晶も含有。凍寒や耐火性も強く、圧縮強度はコンクリートの2~6倍あります。
Img_113221z 中を重機で開いてみると、ひとつの石で違った色が。溶岩噴出の温度と酸化作用の違いで赤と青の違いが出るようで、赤戸室・青戸室と言われています。今は赤戸室のほうが多いようです。
今では数多くの加工品も発売され、庭の敷石や縁石、工芸品もあるようです。思わずほしくなってしまいました。
金沢城は当分、復元工事が続きます。金沢では、不況知らずの業種がここにありましたよ!!

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金沢城河北門復元工事見学会3 上巻

Img_113063z 土曜は第三回の、金沢城河北門復元工事見学会があり行ってきました。雨予報だったのに曇りから晴れ間も見え、晴れ男の面目躍如でした。しかし気温はさほどでないものの湿度が高く、二の門の覆いの中で汗びっしょりに。これが後で効いてしまいました。
城に入る前に歴史好きの友人S氏と合流。宮守堀の現状を確認。
Img_113069z 水堀の底は土がつき固められ、およその水深は1.5mか2mといったところ。しばらくは土手の芝生の養生にかかるでしょうか。
一転、堀の南東端には鯉喉櫓台石垣の復元工事中。芝土手の堀部とも土盛りで今は塞がれてます。この底面ともレベルは同じと思えないので、下部は少し埋められるのでしょうか。ここからまだ5段ほど石垣が積み上げられる予定です。思ったより高くならないんじゃ。
Img_113072z 積まれる予定の石垣です。発掘した石垣をそのまま使うのです。向こう側が外側。内側はこのように細長く、永久歯のような形をしています。端がギザギザになってるのわかるでしょうか。後で出てきますが、石を割るときのタガネの跡です。


Img_113107z さて城内に入って、見学会がスタートです。今回も大勢の予約者で、100人弱が集まりました。だんだん増えて、TV各局も取材に来てるので、注目度が高まっていくのはいいことですね。
壁板に名前を書く寄進の枠がまだ余ってて、さかんにアピールしてましたが、そこに見慣れた苗字が並んでてビックリしました。しかし親戚でもなんでもありませんw。
Img_113108z いつものように、まず外で説明。約100人を二班に分けて、別班は鯉喉櫓台の石垣加工現場を先に見学するそうです。後半は楽しみですね。
僕らは河北門へ向かいます。



Img_113147z  二の門の二階の現場に入りましたが、全体が覆われてるので湿度でムッとします。だからか、中央部の床板が外され吹き抜けになって、工事現場用扇風機が大回転してました。
今日は主に屋根瓦の説明。金沢城は他藩と違って屋根瓦に鉛板を使います。いろいろ説があって、有事に鉄砲玉に使うからだとかありますが、どれもはっきりしません。しかし緩やかにサビて白っぽくなった屋根は、陽に光って美しく輝くことになります。
Img_113150z 瓦と言っても鉛の塊ではなく、胴などを混ぜた合金の2mmの鉛板を、能登ヒバの板に貼っていくわけです。雨水が中に入らないように下から1/3ずつ重ねていきますが。平板も真ん中が少し反るようになっていて接合部に雨がなるべく入らないよう工夫されています。上部までそうなのが河北門の復元での特徴で、菱櫓のときは下部だけだったそうです。鉛と相性のいい胴のクギで止めていきます。
丸瓦の梅鉢紋が加賀藩の証。上ではTVカメラがにらんでますw。
Img_113167z 鬼瓦を加工しているところ。実際に触らせてもらいましたが2mmとはいえ鉛は非常にやわらかく、またよく伸びます。そこで鬼瓦も表面に鉛を打ち出し加工。若い職人たちが丁寧に打ち上げてます。時折先輩の厳しい指導がw。


Img_113168z 正式には剣梅鉢紋の加賀前田家の家紋。内側の剣の再現は難しいようですが、ベテランは手早く披露してくれました。

ここでまた突然のことが! 横で取材してたNHKの若い女性レポーターが、僕にマイクを向け「感想はいかがですか?」と抜かしましたw。
「屋根がもうほぼ鉛瓦で覆われ、とても壮観でした。地元の誇りですから、完成がもうじきのようでうれしいですね。」みたいなこと言ったはずなのに、適当に切られアナウンサーの声とかぶって何言ってるかわからんくらいになってましたが、なんとまたNHKに出てしまいましたよww。蒸し暑い汗で首周り濡れてましたがw。
Img_113174z 石川テレビではカメラを構えてるところを撮られてるし、やっぱり今年もマスコミづいてますな~。

平瓦用の鉛板です。特殊に胴とかを混ぜた合金で貴重な材料で高いので、形を整え端を切ると、捨てずに再利用してました。

河北門は、そのほぼすべてが覆われてて、その他の工事現場がなかなか見えないんでザンネンですが、土壁の斑直しが終わった今年後半、白漆喰塗りのときにまた公開されるでしょうか。

後半は石垣加工現場を直撃です。

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2009年5月30日 (土)

金沢城の各工事現場、今日のレポート

Img_112704z 久しぶりに金沢城、宮守堀(いもりぼり)復元工事現場に来ました。ここでは、堀の兼六園側の端にあった櫓、鯉喉櫓(りこうやぐら)の土台であった石垣の復元積み増し工事が進められています。
明治末期に石垣上部が取り崩されで埋められ、6年前の発掘で発見された後、上部の石垣約240個は近くに展示されてました。このうち約200個を、今回の積み増しに再利用します。
写真の石垣にスジのように見える部分がわかるでしょうか。先年までその下は土で埋め戻され、今回以前の発掘した深さまで改めて掘りなおされました。
Img_112713z これが再利用する石垣の石材です。6月下旬から積み増し工事を始め、先ほどの高さからさらに3mほど高くなる予定です。
広坂という、21世紀美術館や兼六園の入口になる金沢の観光の中心部。そこに突如巨大な石垣の威容が姿を現すことになるので、新しい名所になるのは間違いないところ。
Img_112717z そのすぐ脇の、宮守堀、水堀化工事現場です。向こうの土壁の奥が鯉喉櫓台石垣になります。
だいぶん工事が進みました。この様子では、このむき出しの底部が堀の底になるようです。向こう岸の芝生を貼りつけてる面から想像すると、とても浅いですね。こんなもんなんでしょうか。
Img_112720z 首を右に振ると。実際の宮守堀はもう少し長く、旧消防署跡地近くまであったはずです。今はその手前を道路が横切ってるんで、社会資本を優先にしたんでしょう。
この水堀化復元は来年3月ころ完成予定。対岸の旧県庁の再利用工事とあわせて、来年度には新しい金沢の顔になる予定です。
Img_112722z さて城内を進むと、玉泉院丸ではもう埋蔵文化財調査の掘り起こしが始まってました。玉泉院とは二代前田利長の正室、織田信長の娘「永」のことで、利長亡きあとこの地の御殿に住んだことから玉泉院丸と称し、玉泉院亡き後は大きな泉水のあった庭園であったとされています。
多様な石垣群を借景にし、辰巳用水の水を引き入れたとする伝説の庭園の遺構を解明し、北陸新幹線開業前に暫定整備を目標に進められる埋文調査。都度の見学会などがとても楽しみです。
Img_112732z 河北門の工事の様子も見学しようと三の丸に足を進めると、先日から報道のあった石垣の雑草取り清掃の様子に出くわしました。この時期一気に伸びる雑草も、そんなに目に付かないと思ったら、こんな努力が裏にあるんですね。お疲れ様です。


Img_112736z 河北門復元工事の上屋の中に入ってきました。もう鉛瓦の葺き工事がここまで進んでいます。
前回GW中に見た屋根板は、その上に瓦を敷くんじゃなくて、半円形の棒を間隔を置いて這わして、その間に鉛板をはめているわけです。

Img_112741z ここでは金属を扱うので、板には平気で釘を打ち付けてます。大きく平たいタガネのようなもので鉛の形を整えていました。





Img_112738z このあと、半円形の棒状の板にも鉛を這わせて完成です。先端には加賀前田家の梅鉢紋があしらわれています。

6月中旬の見学会が楽しみです。
この後、夏に向けて土壁も斑(むら)直しが進み、今年中には白漆喰に壁面が覆われるでしょう。

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2009年5月16日 (土)

復活!金沢レポート

Img_112224z 長いことごぶさたしました。実はPCが壊れて、GW期間中新しいマシンの構築やリカバリーに追われて時間がとられてしまいました。思わぬ出費で結局どこも出かけてません。やっとこの週末になってPC設定も落ち着き、ようやくブログ再開です。
ハードディスクが突然クラッシュして、大事なデータがすべてパーになって、やむなく新しい筐体を買いました。Core2Duoは初めてで、なにしろ調べたら6年ぶりの購入だったからSATAも初めて。XPもそろそろ買えなくなるんでちょうどタイミングはよかったですが。早いマシン環境を得るのに潮時だったんでしょうが、ハードディスクのリカバリーに新マシン以上費用が掛かったんでどこも出かけなかったのに散々な散財です。当分身動き取れないでしょうねw。
Img_112250z それでその間、4月からのブログへのトピックがいろいろあったのに載せられなかったんで、これから順次お伝えします。
GWスタートの5月2日には、氏子である石川県の県社「石浦神社」の祭りに奉賛金を納めに、次いで金沢城の河北門工事の現状を確認に行きました。

Img_112235z もうすでに二の門の櫓には屋根板が敷き詰められていて、壁には荒壁土塗りの下地がもう完了してました。あっという間ですね。今年度末には完成の目標なんで、ちょっと目を離すと進捗が早いのが驚きです。



Img_112237z 白木の瓦板です。この上にさらに鉛板を貼った瓦が乗っていきます。軒付には銅版が貼られています。





Img_112232z 土が塗られている壁がよく見えるところまで降りてみました。塗るための土は荒壁土といってワラなどを漉き込み、1年ほど発酵させたものを使います。乾燥すると当然こんな割れ目ができるので、この後割れ目を埋め込む斑直し(むらなおし)という作業があり、ぶら下がっている縄は下縄伏せ込みと言いそのときに伸ばして埋め込みます。
Img_112244z 一の門へ通じる土塀の屋根部(あるいは一の門)は土居葺きが完了してました。たしか能登ヒバを薄く裂いた板を使ってたはずです。
このように木地がまんま見えているのもわずかな間だけなんで、これからも毎月ちょくちょく見学に来ないといけませんね。そういえば、宮守堀(いもりぼり)の水堀化工事で、喉鯉櫓台(りこうやぐらだい)の石垣を発掘当初の下部まで掘り下げる工事が始まりました。さらに発掘済みの石垣の積みなおしで、広坂側に高台となる石垣の威容がもうすぐ復活します。堀を掘り込んだ残土は、城内の新丸広場に積み上げられ、起伏を残した広場に再整備するというのでそれも面白いですね。
まだまだこれからも逐次工事の様子をお伝えするのでこれからもよろしくお願いします。

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2009年4月13日 (月)

金沢の桜を満喫しまっし! 2

Img_110570 兼六園は相変わらずたくさんの人出。最近は特にハングルや中国語が賑やかで、おじさんに僕たちもどこから来た?みたいな顔をされてしまった。ジモティなのにw。
園内の桜は人だらけでいいアングルで撮れないんで、卯辰山に面した崖沿いの桜はいい撮影スポットになってます。
ちょっと人酔いしそうだし、夜景の兼六園は飽きてるんで、早々に金沢城へ向かいます。
Img_110587 お約束?の観光写真。背中に夕日を浴びた石川門二階櫓。近いうちにこれも修復のため全体が覆われることになります。今のうちだよ~。




Img_110602 石川門への入口、石川橋の上から百間堀通りを。ここは一年で一番華やかになりますね。
右下の広場は城内なのに、花見宴会の場所取りのブルーシートでいっぱいです。無料で無断で花見のできる城跡って他にないと思うんですがどうかw。

Img_110603 このあたりも、実は僕の周りでは東南アジア系の人たちでいっぱい。国際都市にもう充分なってますね。新幹線が開通したらいったいどうなってしまうんでしょう。




Img_110610 河北門の建設現場も久しぶりです。もう18時なんで中には入れませんでしたが、よく見るとニラミ櫓台には、上に登る階段が設えてました。あれを実際登れるのかイマイチ不明ですが、ぜひ登れるようにしてもらいたいです。あのアングルから撮るのもいいロケーションになるはずです。

Img_110617 このあたりを歩いていると、谷本石川県知事に出くわしました。軽く会釈すると、「おっ、ご苦労さんっ」と、カメラを提げてる僕らに声をかけられました。確かに撮影は骨折りですがねw。人出を視察して廻ってたのか、単に桜を愛でたのかw。


Img_110651 さて今日のメインエベントです。数日前、地元新聞にも載ったこの撮影スポットは、堀の水面にライトアップされた桜が反射して美しく映し出されて注目間違いなしでした。場所に着くとそれの張り紙とかもあって、人が殺到することが目に見えてたんで、まだ明るいうちに三脚立てて頃合をじっと待ってました。
新聞ほどまでは行きませんでしたが、まぁまずまずのできばえでしょうか。








Img_110675 このあと金沢城内のライトアップされた桜を満喫してください。






Img_110678 石川門二階櫓の裏側です。







Img_110690 大手門の石垣と。







Img_110694 そこから見る菱櫓と桜。
NHK金沢放送局からいつもオンエアされるアングルもこっちからですよね。





Img_110697 このあと東山茶屋街で越中八尾おわら踊りがあるというので、2人で歩いていくことにしました。

つづく。

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2009年3月 3日 (火)

金沢城復元工事見学会 石川門の今

Img_107592z 河北門の次は、数年にわたって櫓・土塀の修復工事が進んでいる石川門の様子を見学。石川門右方の土塀は、去年の見学会のときよりかなり作業が進捗しているようです。
垂直の控柱が堂々と据えつけられ、土塀には竹小舞がみっちり括られ、屋根の角には銅板が貼られていつでも土壁塗り準備OKのようです。
Img_107597z と思ったら、土曜なのに土壁塗りの作業をされてました。河北門のところで触れませんでしたが、この荒壁土はワラ屑も練りこんで1年発酵させ熟成するので、近寄るととてもクサイです。しかし適度に水分を含み、乾ききらないうちに上塗りを重ねます。この職人たちは、手でこねながら直に塗りたくってます。
Img_107601z 荒壁塗りが終わったところ。屋根の部分までゆるやかにカーブを描いています。
このあと乾くとどうしても割れ目が発生するので、それを埋める斑直しと、中塗り、漆喰塗りという工程を経て、白く美しく輝く壁面となるのです。

Img_107602z 土を塗っている職人に、見学者のおじさんが、「右から塗ってるんじゃ、左官じゃなくて右官やがいね。」「右から作業が進むんやから、しょうがないげんわ。」
右利きには左から塗るほうが塗りやすいことから、土壁職人を"左官"というのはホントのようです。知りませんでしたww。

Img_107609z 養生がはずれてて、全貌を現した控柱と控貫です。修理前は、陸軍が施工したとされる大正時代に、コンクリート製の控柱が地面から斜めに壁を支えてましたが、藩政期の資料の調査から、地面から垂直の控柱であったことを忠実に復元することにされました。しかも材木製です。
しかし腐食を避けるため、地面に触れる部分は石材にされ、木材保存処理剤「エコアコール」を含浸する処理が施されました。
このように木材の多くは取り替えられましたが、腐食してなかった部材や、今見える範囲では狭間など、前回修復の昭和33年の部材がそのまま使われている部分もあります。その年の刻印の入った焼印があったのでわかりました。

Img_107611z 工事現場に、見慣れない石碑が建ってました。平成6年に、金沢大学がこの金沢城内から、郊外の角間に移転するのを記念した石碑のようです。荀子の「学は以って已むべからず」(学問は永遠に続けていかねばならない)という言葉とともに。
こういうのがあるとは知りませんでした。工事が終わったら、多くの方がわかるように目立ててほしいですね。
Img_107617z 石川門の、工事のまだ始まってない土塀、附属左方太鼓塀です。控柱が斜めなのがわかるでしょうか。
一口に石川門と言いますが、門本体だけでなく、附属する櫓や櫓門、左右の土塀なども総称して石川門、と呼称されます。石垣の上に、このように左右に長く白漆喰の土塀が残るのは、全国でも姫路城に次ぐ長さと言われます。他の城では明治維新後、城内を秘匿するもの、と真っ先に破壊され、代りに松や桜などが植えられました。石垣の上に松などがズラッと並ぶ姿は、明治に入ってからのものがほとんどなのです。
この石川門全体が順次修復工事に入っており、最後にこの附属左方太鼓塀の修理が終わるのは平成25年度の予定です。北陸新幹線には間に合いますねww。

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2009年3月 2日 (月)

金沢城河北門、復元工事見学会2

Img_107524z 二の門内部から、一の門の工事の様子を見ることが出来ました。かなりもう進捗してるようです。天蓋の幕が張られてるので外部から見えないので貴重ですね。
もう屋根葺きをしています。屋根板の上に薄い板材を葺くのですが、奈良の国宝とかだったら、ヒノキの皮、つまり檜皮(ひわだ)が定番です。しかし檜皮は超貴重。国宝の修復にも足りないそうです。
Img_107526z それでか、ここでは能登ひば(アテ)を薄く手で割って、3分の厚さにするそうです。
それを焙煎して硬くなった竹釘を口に10個ほど含んで、次から次へと手早く打ち込んでいきます。竹釘は触らせてもらいましたが、かなり硬いです。これなら鉄釘に負けず、薄い板何枚も貫通できますね。
今日は土曜なのに工期が押してるからかそれとも僕らに見せてくれるためか、かなりいいポジションで仕事されてる方が多かったですw。
Img_107558z 櫓内部を離れ、屋根の様子がわかる場所まで登りました。逆光に映えて屋根材の白木が美しいですよ。
長さ27m、幅約10mの広い屋根にしては、軒反りがゆるいかなとの指摘がありましたが、寺社に比べて城とはそういうものだそうです。この位置まで登れるのは今しかないので、いろんな角度から撮影しまくりましたよ。
Img_107568z 今度は1階まで降りました。枡形の内部では、土塀に囲まれるわけですが、既報どおり石垣で積まれたこの上部に土壁が塗られ、石垣が隠れてしまいます。それでもこのようにキレイに積まれた職人というか石川県当局の意気込みを感じますねw。この辺が鉄筋コンクリの熊本城各復元櫓と違う、と声を大にして言っていいようですw。
Img_107572z 二の門の"門"の部分です。ぶっとい鏡柱がブルーシートに囲われ大事そうにされてます。このあたりは銅板などで装飾されるので、木肌のままなのは今しか見られないかも知れません。
頭上部を渡す970mmもある太い冠木(かぶき)は、足場などに隠れて見えません。このあたりの重厚な木組みが、金沢城の重要な表門の"門"たる貫禄を示してますね。

さてこの後は、河北門より長期に修復工事にかかってる石川門の土塀塗りをオプションで見学に参ります。

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