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2011年5月

2011年5月31日 (火)

「加賀八家と本多家」特別講演会

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29日は加賀八家の筆頭である本多家にまつわる講演会に友人と大雨の中行ってきたよ。
加賀藩には一万石以上の家臣が幾家もあり、中でも由緒ある家柄の八家を加賀八家と呼して特別な家格と扱われていた。
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今回のテーマは二部構成で、まず本多家末裔当代のご子息、本多俊彦高岡法科大准教授「知行宛行状と叙爵にみる『加賀八家』」から。
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最初に当代、本多政光氏のごあいさつが。最初の写真の藩老本多蔵品館の館長である。
今回は当館での特別展を記念しての講演。
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続いて本多俊彦氏。本多家は代々『政』の字が継がれてきたのに、突然関係ない名前に。それにこの親子全然似てないww。
まぁそれはさておき本題に。

知行宛行状(ちぎょうあてがいじょう)とは藩内において主君から家臣に与えられた知行(領地や給与)の割り当てを示す文書。知行地の場所や知行高が明示されている。代が替わるごとにも発行された。
これに加賀藩独特の特徴があると解説。

形態が折紙から五代綱紀時に竪紙になったり、紙質も米粉を混入した白い奉書紙から檀紙、そして黄色い料紙になるなど。時代が下るにつれ大きな変化があった。
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そして与えられる者の身分によって、形式や文言、果ては文字の崩しまで厳密に決められ差を付けていた。
「殿」の字のバリエーションにもいくつもの崩しがあるとは。下位の者には「方へ」とかで済まされてるとか・・。
加賀藩はかなり公式の文書が各家に残されている(戦災に遭っていないのも大きい)ので、最近は博物館で見る機会も増えてきたが、まだまだ古文書の崩し字はよく読めない。同じ字でもこれだけ違うのだからムリもない。
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書面にはもちろん、藩主の署名にも差をつけてる。八家には実名と花押がちゃんとあるが、平士には印判だけとか。
宛名書の高さも細かいほんの僅かの段差をつけている。

それと叙爵。武蔵守とかいうあれだが、参議もしくは従三位以上の高級貴族を公卿というが、公卿は宮中に参内する際、諸大夫に任官した家臣を供奉する。大名が公卿になると、その必要性から大名家家臣が従五位下に叙されて諸大夫に任じられた。
これを陪臣叙爵(ばいしんじょしゃく)という。江戸時代通してとなるとその陪臣叙爵があったのは、徳川御三家と加賀前田家だけだった。
前田家当主は極官で従三位参議[宰相]。最大4名の叙爵陪臣を持てた。
そして八家の中で最大五万石の本多家と、宗家に近い前田土佐守家の二家が別格として優先されてほぼ常に叙爵されていた。
本多家は主に安房守。前田土佐守家はもちろんその通称どおり土佐守だ。土佐守資料館には歴代の、朝廷よりの任命書である「口宣案」と「宣旨」がいつも陳列されているよ。
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後半は長谷川孝徳、北陸大学教授の「八家の職務内容」。
他藩ではナンバー2以下を家老と言うが、加賀藩では年寄とか人持組頭という。江戸時代は軍政。戦国時代の軍制をそのままに行政組織として整え臨戦体制に応じられるようにしたので、そういう軍役の名称がついた。
加賀藩の家老とはその下にいて、いわゆる官僚の仕事をしていたし、年寄が合議で重要な決定事項を決めていた。時代が下るにつれ藩主の意志は直接には反映されず、そういった官僚構造は幕府の老中機構はもちろん、明治から現代に至るまで、なんとも変わらないものだったよう。

話はそれるが江戸期も九十歳以上生きた者も多かったようだし、今と同様老齢報奨金みたいのがあった。
藩財政のうち半分、多い藩で7割もが参勤交代や江戸藩邸での経費で、地方の藩は財政難になりながらも、道中や江戸にかなりの金を落とし経済に貢献してきた(週刊『江戸』によると加賀藩は参勤交代だけで銀330貫、約8億2500万円にも及んだって)。今、東京都に地方へ文句言われる筋合いないってww。

最後は脱線したけど、ちょっと専門的すぎて難しかったかな?
たまにはいいでしょう。それでも、古文書はゆくゆくはもっと読めるようになりたいね。

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2011年5月30日 (月)

今度はアイスクリーム作りました☆

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先日、姉の家庭菜園から、りっぱに出来たいちごをたくさんもらってきた。ネットを張っとかないと、鳥はもちろん、人にも盗られちゃうって。

まぁそれはさておき、そんなら以前から作ってみたかったアイスクリームを仕込んでやろうじゃないか。
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今はネットをみれば、一般の方のいろんなおいしいレシピが溢れてるから初めてでも作り方の心配はない。

けど牛乳がいらないなんて、知らなかった。

メレンゲや生クリームを泡立てるのに、やっぱハンドミキサーだけは必須みたいだから、それを購入して格闘してたら、作ってる最中の写メを忘れた(^^ゞ

生クリーム200cc

卵 2ケ (卵黄と卵白を分ける)

砂糖50g

んで いちご適宜

それだけ。それぞれグルグルとハンドミキサーで泡立てて、混ぜて冷やすだけ

や、それだけじゃつまらん?
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しかしそれでできたんだからしょうがない。

いろんな方のレシピを見て工夫せねばと思ったのは、生クリーム、卵黄、卵白を別にボウルに移して、それぞれに砂糖を入れてから、氷を敷いたボウルの上で冷やしながら泡立てること。

混ぜる順番は、生クリームに卵黄を入れて、ほどよく混ぜてから卵白を入れる。

いちごはあえてザク切り。一晩冷やして完成したよ。
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初めてにしてはフワッとした食感でけっこう美味しくできたかな?

ザク切りいちごはシャキシャキしてて、却って違う食感を楽しめて正解!

けど今回は味より実は、食品撮りにチャレンジ! が一番の目的。

自宅でライトボックスを自作してて、まだ本格的に使ってなかったから、いい実験として写してみたがどうだろう?

ちゃんとレタッチもした上でだが、それがまだ甘いかな。

これからどんどん練習していきたいね。

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2011年5月29日 (日)

金沢大学公開講座「城と歴史を活かしたまちづくり」

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先週末には金沢大学公開講座の「城と歴史を活かしたまちづくり」セミナーに行ってきました。
前半は城郭研究で有名なNPO法人「城郭遺産による街づくり協議会」理事長・滋賀県立大学人間文化学部准教授 中井均氏の講演。
午後には中井先生と金沢大学人間科学系地理学類の伊藤悟教授とともに金沢城内と城外の旧陸軍建造物を3時間ものエクスカーションを行いました。
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中井先生が一貫しておっしゃるには、城跡の復元には今生活している街と一体のまちづくりが重要と。それには架空の模擬建造物よりは史実にあわせた復元に、地元住民によるイベントがユニーク。
そして復元もはたしてどの時代に(江戸時代?)戻すものか、明治以降も歴史の一部ではないのか?という問題定義をされました。
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午後のエクスカーションでは金沢城を大手門から隅々と、伊藤先生のゼミの学生たちも交え総勢40人もが、陽がさして暑い中に大集団となって廻りました。
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翌日は金沢城リレーマラソン大会。新丸では準備が進行中。雨予報の中明日はきっと大変だな~。
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大手門の石垣にも、柱のための溝が彫られていたし、ここ河北門石垣にも、鬼門としての五芒星が彫られていた。隅石の両側に彫られるのは全国的にも珍しいそう。
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河北門一の門。再建して一年経つが、まだ白木の部分は美しさが保たれててホッとした。
鉄板が貼られた門のコントラストと黒鉄(くろがね)の輝きがまばゆい。
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一般参加者は12人ほどで、テーマからさすがに金沢の歴史に興味がある人達だから、城内には何度もいらしてるでしょう。
しかし学生たちは、本来は地理学。課外授業みたいなもんなんで、金沢城に入るのは初めての子たちがむしろ多かった。
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石垣の博物館といわれる金沢城。他ではなかなかない亀甲形の石垣とかももちろん紹介。
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築かれた年代によって、特徴が大きく違う。こんなふうに、四角く並列に並べられたのなんて幕末近くだ。
造営担当した?紋などが多く表面に刻まれている。
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有名な?玉泉院丸の色紙短冊石垣。
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玉泉院丸の現状。北陸新幹線開業前に、庭園を仮整備するが、なんか人工的な池を模した溝が掘られてるね。排水槽みたいのがもう設えてる。
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菱櫓の三階にも登った。復元して10年ほどになるが、案外に内部はキレイさが維持されていてよかった。
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金沢城内の中井先生の解説は、残念ながら僕らレベルでは既知のことばかりだった。中には曲解されてることも。
しかし学生たちは、熱心にメモを取り続け。まぁこれも試験とかに出るのかな。
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普段の勉強の範疇外だろうから、最後のほうは興味なさに手持ち無沙汰してる子もいたけど、終わりまで熱心に着いてきてる子がほとんどだった。
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金沢の場合、明治以降の旧陸軍第九師団の施設が城内外にいろいろ残されているのに、その活用が殆どなされていないのが残念とのこと。確かにそうだし、市民に知らされていないことも多い。今後の課題ですな。
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僕としては、辰巳櫓跡地にあるはずの三角点の存在箇所がナゾだったのを、地理学類の伊藤先生の見解を教えていただいたのが(唯一の?)収穫。
土盛りに埋もれてしまったらしい。三等三角点「金沢城」TR35436657201 で現行の基準点なのに。土をはらって柱頭を出してもらったが、説明板の前にある写真の真ん中のがそうらしい。
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最後に修了証書をいただいた。いろいろ質問しようかと思ったけど、暑くて疲れたのもあってよした。こういうのなら、何度受けてもいいが、正直もうすこし勉強になるのが良かったかな。金大の先生で地元を語れる方はいないものか・・。

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2011年5月28日 (土)

巨大貨物船のハーフカットを見た!

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突如金沢港に、半分にカットされた巨大貨物船が現れた~!

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実はこれ、1月30日の嵐で、防波堤に座礁した大型貨物船の撤去作業。

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あまりにも巨大なため、半分に切って埠頭に持ってくると聞いたんで、
その様子をウォッチしにきました。

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話には聞いてたけどトンデモなくデカイ!

10階建ビルはあるだろうか。見上げても15mmで入りきらない。

4ヶ月も防波堤に放置されてたんで、喫水線より下に貝やらがいっぱい付着して、普段あまり匂わない港なのに、スッゴク磯臭い!

バルバス・バウ(下の丸まってるとこ)も超巨大だ。戦艦大和の偉大さは今も生きてるな~。
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切断面見てもなんかスゴイ。これを半日で切ったってんだから・・。

報道を聞いてこの昼休み時間、何人も見物人が寄ってきてたよ。
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後ろ半分はまだ事故現場に。この日の午後からまた、昨日同様大型クレーンで台船に載せて持ってくるらしい。

全長120m、8700トンもの巨体を、半分ずつとはいえ持ち上げてしまうんだからすごい話だ。
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この冬のあいだ、何kmもある西防波堤に、貨物船があるのが金沢港の風景になってたけど、ようやく平穏ないつもの姿に戻るわけですね。
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今回、活躍したかどうかわからないけど、海上保安庁第9管区の大型巡視船PL43「はくさん」 これで79mだからいかに貨物船が巨大かわかる。
日本海の安全を、これからもよろしく!

あっ、あの貨物船はこの後、船主のある韓国まで輸送される予定です。

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2011年5月27日 (金)

この春も「あぶりもち」で厄除けだ!

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石巻から戻ってきた月曜日は、昼から半年に一度のあぶりもち神事に行ってきた。

金沢は野町の神明宮で、全国でも珍しい、あぶったお餅を食べて厄をはらうという行事。

いつもはチャリをひと飛ばしで駆けつけるのに、さすがに疲れてたんで自動車にした。
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小さく平たい四角に切った餅を串にさして、あぶって生姜醤油につけていただく。

お宮でもおまけで一本もらえてその場で食べるのもおいしい!

他に、焼かずにお札にして玄関や神棚に飾って魔除けにするものある。

半年に一度取り替えるわけだけど、不思議とカビたことは決してないね。

お神明さんは氏子の地域は広いけど、僕は地域外だが好きでやってる。
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この日も平日なのにときおり大行列。

縁起物だから、氏子の建設会社とかでも、社長が朝から社員つれてお参りして、みんなにあぶりもち振舞うのが恒例になってるんだって。

金沢の古くからの年中行事のひとつ。

5月と10月の15・16・17日に行われてるんで、目がけていただきにきませんか。

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2011年5月26日 (木)

大乗寺丘陵公園のツツジの山

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先日、ツツジを撮りに大乗寺丘陵公園へ。

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地元新聞にも載ったんで、あぁもうこの公園オープンしたんだ、ってやってきてみた。
厳密には整備の最中で、まだ本オープンしてなさそうだけど、できたとこから開放してるみたい。
野田山の丘陵地一面の傾斜の芝生広場に、だだっ広い視界が開けた空間で、金沢の街も一望できる。
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黄砂もあってけぶってて、日本海が見えないけど、晴れた日には爽快な景色になるだろうな~。
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夜景とかステキだろうけど、午後6時で閉鎖ってんだからもったいない。
まぁそれはともかく、早速ツツジの花壇へ。
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これはすごい! なんとまぁ、あたり一面ツツジの海!

幅200m、奥行き50mはありそうだ。
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こんな大きな花壇があったなんて知らなかった。

整備中とはいえ、金沢市はもっとお知らせ不足だよなぁ。
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でもさすがにこれだけあると、もうしおれかかってるのもあれば、まだこれからってのもあって、一度にそろえるなんてムツカシイよね。

あたたかい陽気の午後に、そこそこ訪れた人もあった。ツツジ花壇の他に、"あじさい園"とか"はぎの丘"とかもあって、まだこれからも楽しめるね。
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車を撮った駐車場から、ずっと下るとこの広場に出てくるけど、戻りの登りはけっこうキツイなぁ。お年寄りにはやさしくないね。
中腹の駐車場は入る道が細くて分かりにくいし、下部の駐車場はまだ出来上がってなさそうだ。
いつごろ完成するかわからないが、できたらぜひみんなにも来てもらいたいね。

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2011年5月25日 (水)

車の撮影依頼を請けた。

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先日GW前に、以前から頼まれてた、知り合いの友人の車を撮るのをやっと実行してきました。
ソアラのシャコタン、というのでどんなんか!と思ったけど意外におとなしい車だった。
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やっとCS5のPhotoshopでレタッチしてみたけどどうだろう?
クライアント?の希望が特に無いというので、レタッチのポイントをどこにもっていけばいいのかちょっと苦労した。

永年乗ってて、今後も乗り続けたいと大切に手入れしてるようで、愛着があるものを美しく撮ってあげようという気持ちが肝心だね。
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しかし正面よりバックからのが好きだというんで、後ろからたくさん撮ったが、陽が射したり曇ったりで光のコントロールもむつかしい。
20年ほど前のモデルだよね。当時流行った四角いフォルムがいいらしい。

故障してもいいように、各部品をオークションとかで買い集めてるんだって。
それだけで何十万、いや何百万になってるって。
カーマニアは金のかけ方が違うというけどホントだわ。
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いわゆる"ブツ"撮りだから、こんなとこで苦心してる場合じゃないが、もっとこれからたくさん場数をふんで行きたいね。
ボランティアに行く前にと、いそいでレタッチしたからどうかと思ったけど、とても喜んでくれたらしい。

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2011年5月24日 (火)

秋常山古墳群。能美のこれからの観光スポット

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手取川のあと、13日に保存整備工事が竣工したばかりの秋常山古墳群に向かった。
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加賀平野の中心部、能美市一帯には、田んぼや集落にポツンとある小高い丘は、ほぼ古代の古墳とみて間違いないくらい古墳の宝庫だ。
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この秋常山も、昭和59年に古墳と確認されてから、発掘調査のあと平成11年に国史跡に指定され、7年前から保存整備が始まりようやくこのほど完成した。
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誰もが気軽に訪れられるようスロープも敷設されるなど、能美市は市内に点在する古墳群を観光資源化して町おこしを図っている。
地肌に草も茂る前だから、古墳が造られたばかりの本来の姿に近い様子を見られるのは、夏前の今がチャンス。
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一号墓は前方後円墳。市から嘱託のおばあさんが説明板とかを清掃してまわってたよ。
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古墳の斜面には、こうやって葺石が敷かれていて、試算すると約40万個の川原石で覆われていたそう。1600年前のホンモノは保護のため盛土で隠し、露出してるこれは整備で新たに敷き直した物。
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後円部の山頂。全長140mと北陸最大の前方後円墳は4世紀後半のものらしい。内部の被葬者はあえて発掘しなかったんでわからないようだが、大きさからよほどの首長だったと想像できる。
手取フィッシュランドの観覧車がちょうど真正面に見える。
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頂上から見る2号墳の方墳。
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後円部から見る前方部。こうやってみるとけっこう大きい!
こんな身近なところで、本格的な前方後円墳に出会えるとは。しかも遠慮なしに頂上まで登れるし、なんか大きらしい気分になるね。
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前方後円墳の前方って、鍵穴みたいに下に方形で図示されるんで、なぜに前というかよくわからなかった。
前方部は後円部への通路か祭祀の場、あるいは後円部に埋葬された人物とかかわりのあった者の埋葬所と推定されてるらしい。
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前方から見た後円部。
背の高い木々があるのは、つい以前までここが森だった名残。
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方円部からの見晴らし。右に見える山ふたつも、和田山と末寺山の両古墳群。
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そこを下に降りると秋常八幡神社。かつて前方の中腹にあったのを、整備で移設遷座させられた。
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大きすぎて全部視角に入らないが、横から見た前方後円墳の全景。かなりデカイのがわかっていただけるだろう。早く来ないとこれが草で覆われてしまう。
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隣接する2号墳。ここは発掘調査したので副葬品やら埴輪やら、いろいろ見つかったようで、5世紀半ばのものらしい。なんと中にも入れるのだ。
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中はちょっとした展示スペース。子供たちを念頭に、やさしい解説板がならんでいる。
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そういや隣に保育所があって、子供たちの格好の遊び場にもなっちゃってる。
しかし副葬品がちらちら見つかったのに、肝心の骨が見つからなかったのを、溶けちゃったんだね~、と説明するのばどうか?
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2号墳の埋葬部。木棺を粘土で覆った粘土槨というもの。見つかった鉄剣もそのまま置かれている。
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頂上には、環状に置かれていたであろう土器や埴輪も復元されていた。
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能美市は多くの古墳群を巡るコース化やマップを年度内にも作成する。
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僕が見ている間にも、市職員が誰かを連れて案内しに来た。秋にはシンポジウムもするらしいし、観光誘客のために力を入れてるね。
けどそれにしては、集落の裏にあるこの秋常山古墳群の入口に辿りつくのは、かなりわかりにくかったなぁ。まだまだ改善点はあるんじゃないですか。

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2011年5月23日 (月)

手取川橋梁でバリ順鉄撮り

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あまりにもの快晴に、久しぶりに手取川橋梁へ鉄撮りに。
白山の遠景と長編成の列車が撮れるビュースポットだ。
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本当は485系雷鳥などが退役する前に来たかったが、あのころは天気も良くなくバタバタもしてて、とうとうチャンスを逃してしまった。
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そして気がつくと、デイタイムには681系か683系のサンダーバードやしらさぎ。

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そして521系の普通列車がほとんどとなって、なんとも味気ない路線になってしまっていた。

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しかも、以前来た時もそうだったが、また橋梁が修繕工事していた。
それはそれでいいのかも知れないけど、ちょっと残念ではある。
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とすると、期待するのはあれしかない。

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そう、トワイライトエクスプレス。EF81と24系客車寝台。
下りは月・水・金・土運転なんで、示し合わせたわけではないが、ちょうどうまく出くわせた。
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その長編成もワンシーンで白山とともに広角で捉える。
北陸にいると珍しくもないが、被写体としても全国から根強い人気。
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しかしブログに載せるのに修正はほぼしてないから、EF-S15-85mmは周辺減光が激しいなぁ。
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時間がないんでブログにはあまりレタッチしてないのを載せてるが、じっくり研究するために、今はデータを貯めてるところ。
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NHKドラマのロケ地にもなった手取川河口の人道橋で撮ってると、通学帰りの女子中生に明るく「こんにちは~」っと声を掛けられた。そんなことはめったにないのにね。
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午後はバリ順になるから撮りやすいけど、いくら晴れても白山はもやって痛し痒し。
まだまだ本格的に撮り回るには、念入りなロケハンと修行が必要のようでんな。

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2011年5月22日 (日)

えちぜん鉄道、行き帰り

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さて実乗は初めてとなる521系で福井へ行く。

この3月のダイヤ改正で金沢に追加増備され、基本金沢以西の普通列車にはほぼすべて(七尾線直通を除く)これとなったから、確実に乗れるチャンスができた。普段は普通列車に乗らないんだけど、金沢にこれが来てはや2年、もう乗らないとね。

乗り心地はまずまずだった。揺れも少ないボックス席では快適といえよう。しかし今まで3両編成が標準の普通列車で2両となっては、ラッシュとかどうなんだろうか。
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福井に着いたら「えちぜん鉄道」に乗るのが目的だったけど、ホントは三国に行きたかったのに接続が悪くて、時間が惜しいんで今回は反対方向の勝山に向かうことにした。
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旧京福電鉄でもあったターミナル駅としては簡素な造りで、自動券売機でなく手売りオンリー。しかも三国まで料金は一緒なのにちゃっかり「勝山行」の印字がされてるキップ750円ナリ。気まぐれで三国に行けないじゃん。
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MC6101形。えちぜん鉄道の主力だ。ホームでは学者のような恐竜がベンチをずっと温めてるようだ。じゃまだなww。
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九頭竜川越しに見る車窓の白山は、またいい眺めだ。この日は数日ぶりに黄砂もなく晴れて、気温も高く続いたせいか、山頂の雪解けも進んでて驚いた、とアテンダントの子が教えてくれた。
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勝山到着。行きはちょっとシンプルに。

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勝山駅舎内には京福電鉄時代の遺産がいろいろと展示してあった。
小林幸子は月末にコンサートがあるらしい。
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えちぜん鉄道の勝山駅は、街から外れて九頭竜川の対岸にある。この先大野まで延伸計画があったはずだが頓挫している。
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今日は乗りつぶしの旅だったがせっかくなんで勝山市街も歩いてみよう。
駅と市街地を結ぶ勝山大橋は、恐竜の街らしくなにか巨大生物を思わせる。
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河原のグラウンドにはこいのぼりの群れを流してたんだろうけど、ちょうど撤去作業をしてた。なんだか疲れてわびしい感じww。
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やっぱり恐竜の街ということで、銅像のオブジェがあちこちにあった。カツヤマリュウとフクイリュウだ。
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フクイリュウだ。昭和末期に石川の手取層群という地層で化石が見つかって以来、勝山の同じ地層を探して大量の化石群を発見。一躍恐竜の街として名が知れるようになった。
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しかし何も無い静かすぎる街だ。博物館とかはいろいろありそうだったが、バスの便も極端に少なく、足がなくやってきた者には正直しんどい。市役所にあるはずの勝山城址もアピール度が足らん。公園を一周したけどなにもなかった。
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結局すぐ戻ることにした。
30分に一本あるけど、間に合わなくて滞在時間1時間。
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帰りは5つめの駅くらいまで、乗客は僕一人。それだからじゃないだろうけど、この車両のアテンダントの子はそれまで業務案内含めてしゃべってくれなかった。
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えちぜん鉄道は乗務アテンダントで成功した、全国でも有名な鉄道。石川の北陸鉄道でもマネごとしたけど全く歯が立たなかった。
行きの子は人懐っこくお年寄りになんでも話しかけて、喜んでもらおうと努力してた。けど時折疲れた顔見せてたり、なんか運転手に注意されたり。
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しかし戻りのこの子は淡々と業務案内をしただけだったが、乗っている間モデル立ちと笑顔を絶やさなかった。
さてどっちがプロフェッショナル??
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案外に有人駅の多かった「えちぜん鉄道」。急な階段の上に駅があったりでバリアフリーとはいかないが、地域の利用者に愛されるべく、極め細やかな心配りが各駅でも見られた。
単に合理化するだけじゃなく、どうしたら多く乗ってもらえるようになるか、北陸鉄道もより研究してほしいと思った。
えちぜん鉄道があるJR福井駅の東口。新幹線の高架も準備できてる。ここまで到達するまで生きていられるかww。
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ようこそ福井市へ。大河にまつわる率が高くていいよねぇ。
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戻りは松任にも停まるしらさぎ57号で。
北陸新幹線、白山総合車両所の工事現場。
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以前に踏切撮りしていた米光踏切などは、工事現場の真っ只中だ。
車両基地は嵩上げされるので、下を流れる用水は多くが暗渠に。道路もトンネルが用意されてる。
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石松踏切。このあたり一面田んぼだったのに、えらい変わり様。ここいらまでが工事区間のようだ。これは一度周辺探索しなきゃですな。

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2011年5月21日 (土)

松任駅ウォッチング!

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5月9日に出かけた際に、松任駅からJRに乗ることにした。
駅前の駅南駐車場ビルからは、松任駅の工事状況が一望できた。

北陸新幹線、白山総合車両所までの高架線工事もあって駅前の変貌にあわせて、駅の南北自由通路と車道トンネル、北口広場の新設だ。
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大掛かりにあちこちで同時進行、ひところに比べてもうかなり変わった姿を見せている。北口にもオブジェが並び出したし。

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南口には以前から、静態保存のD51822がある。静態保存というと昔はこうやってコテコテに塗装したのが多かったが、動態保存も珍しくなくなった昨今では、却ってこういうテカテカの方がなんか痛々しいね。
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駅の北側すぐにある「北町踏切」には、今では珍しい蒸気機関車の踏切標識がまだ残っている。
北陸新幹線の巨大な高架がどんどん立ち上がってる横で、古い時代そのままの標識があるとは、なんか味があっていい。ずっと残してもらえるとうれしいよね。
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松任駅構内。2面3線、地方線の中堅駅の標準で、1番線は改札すぐの片面。島式の2番3番線は、奥側の3番線が本線。この駅は松任本所への分岐線もあるし、側線が何本かあるのが主要駅の名残。
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せっかくなんで金沢総合車両所松任本所(旧松任工場)の留置線を観に行く。「鉄道ファン」5月号にも載ってた419系のその後を確認するためだ。
ここは敷地外の公道からでもよく見えるからいい。
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いたいた。3両ユニットで考えると外で確認できるのは5編成。「鉄道ファン」で3月26日時点7編成とあったんで、これは順次廃車されてゆくと見て間違いなさそうだ。
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利用してる間は、乗り降りしにくいし雨漏りもする。なにしろビンボくさい、と不評だったし早く新型が欲しかったが、いなくなってしまうとやっぱりさみしいもんだ。
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583系時代より長い車歴ってんだから、まぁよくここまで頑張ってくれました。
やっぱり北陸でも鉄道博物館作って、動態保存してほしいですよね。一両保存してくれないかな?
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松任本所はここで見るときはいつも古い車両ばかり。全検を管内車両すべて行ってるんだからそうとは限らないんだけどね。
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再開発中の松任駅北口広場。南北自由通路も出来て利便性が向上する予定。もういろんなオブジェも据えられてたし、小さいながらショッピングモールはオープンしてた。
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南側に戻って本来の松任駅舎。北陸の中堅駅は皆こんな様式。富山の石動(いするぎ)とかね。それが新幹線高架がこの上を通るし、イメージがガラッと変わる。
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419系に代わって増備された新型の521系。敦賀から順次北上してきた増備は、金沢総合車両所にも今改正で多数配属されたにも関わらず、基本金沢以東には運用されない。
この後さらなる増備で富山にも進出できるのか、それとも北陸新幹線で在来線が第三セクターになるのを見越して配置されないのか? 見守る必要がある。

さてこれから、初めてこいつに乗って、福井まで行きます。

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2011年5月20日 (金)

北陸新幹線、金沢駅舎デザイン案決まる!

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北陸新幹線の金沢駅駅舎デザイン案が、検討懇話会でまとまりました。

上の写真をクリックして拡大していただくとわかりやすいですが、県民からのアンケートもまじえ、A案を採用。

鉄道・運輸機構に提示して、最終的に取り入れられる予定。

すでに金沢駅東口にデンと構えるもてなしドームの外観との調和を保てる曲線と、金沢漆器をイメージした漆黒。

直線的なデザインが大半の他の北陸新幹線駅舎よりもユニークな個性があると評価。

それに一番危惧された、ホームの明るさを確保するための採光にも配慮するため、天窓配置や在来線ホームへの採光も付帯意見されたようで、それも含めてGOODだったんではないでしょうか。

僕もアンケートでそのへん強調して意見させていただきました。


アンケートでは他県を圧倒する8,420件もの意見が寄せられ、41%にあたる3,467件がA案を支持。懇話会でもほぼ全員一致したようです。

来年夏の着工を目指し、2013年度中の完成を見込んでいます。

震災で建設そのものが見直されないかと危惧しますが、浜岡原発がそうであるように、東海道側のリスクヘッジのバイパスとして、一番早い段階から建設を謳っていた北陸新幹線の、順調な進捗をぜひ期待したいですね。

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2011年5月19日 (木)

GW最終日は富山の伝統を味わった

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GW最終、5日には友人と城端の曳山祭に行ってきた。

280年も続いてる、豪壮な山車を狭い町の中で曳き歩く、伝統ある行事だ。
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開始時間に間に合うように早朝出かけて、城端別院善徳寺前からスタート。

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各町6台の山車が、車輪をキュッキュッと独特の音で軋ませながら曲がっていく。

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木彫の装飾と鮮やかな塗りの色彩がみごとだ。火災で再建した一台を除きすべて江戸中期の作というからすごい。
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目の前で勢い良く回していく迫力は圧巻だ。

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上に乗っている人は、狭い路地に入ったらぶつけないように、山車の屋根を素早く折り畳む係りだそうだ。
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合わせて子供獅子舞も町を巡り、一軒一軒披露して回っていた。

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金沢の獅子舞と違って、子供とは戦わないし、獅子の胴も人数は少なめだ。祝儀の額違いか簡単に済ます家もあったりw。

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各町、山車の先導に庵屋台というのがあって、古い料亭を模した精巧な模型になっている。
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この中に囃子方が入って。

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山車とともに練り歩きながら、「庵唄所望」と祝儀を出した家や企業の前で唄を披露する。
三味線、笛の哀調ある調べに乗せたゆっくりとした庵唄に、江戸の味わい深い情緒が。
各町独自の唄がそれぞれ数十もあり、毎年違ったものを選んで決めているという。
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メイン通りに出てきたが、庵唄を一軒一軒唄うので行列が遅々としてなかなか進まない。

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山車の上には御神像の大きな彫刻が各町それぞれ鎮座している。これは一番山、西上町の竹田山の恵比須像だ。これで寛政7年(1795年)作
子供も山車の上に乗っけられてうれしそうだ。
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親子晴れ舞台だね。

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ようやく6台勢揃いだろうか。

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東上町の路地に勢揃いして昼休憩。圧巻な様だが狭くて隠れるんでアングルに収まりきらない。
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みごとな装飾を少しみていこう。欄間で有名な井波彫刻の地元でもあるから、その技術がふんだんに使われている。
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これは西下町諫鼓山の堯王像。享保元年1716年。
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午後に入ってさらに狭い路地に向かう。ここでまた勢い良く90度ターンをすると、後ろの衆が歩道で見ていた子供やカメラマンとぶつかった。大事ないといいが、これでは昔からこういった事故が多発していたに違いない。
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提灯山など、夜の10時まで繰り広げられる壮大な祭りだけど、次があるのでそろそろ引き上げる。順序が逆になったが祭りの列を先導する飾り山も特徴的だった。

富山の田舎にこんな立派な祭りがあったなんて今まで知りませんでした。数々の豪華な山車と格調ある庵唄と地元の人々の意気込みに、半日かなり興奮してしまいましたね。
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城端というと、ピーエーワークスのアニメtrue tearsの舞台。

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いわゆる聖地?ってやつ。 まだタイアップ熱が冷めやらないらしく、祭りのメインストリートにグッズ店があって、各地から来た大きいおともだちで賑やかだったみたい。
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今年は我が石川が舞台の「花咲くいろは」もアピールしてて、のれんやポスターが

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展示してありましたなぁ。まだ観たことないけど、温泉地が舞台のくせに、どこと特定できないみたいで
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それってどうなの?とは思いますね。

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戻りは新湊へ。城端線終着の城端駅は昔ながらの佇まい。昔は当たり前で、僕が越したころの藤沢や茅ヶ崎駅だってこうでした。
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富山-新高岡間の北陸新幹線高架。だいぶ進んでるようですが、まだまだ途切れ途切れのところも。
震災に関係なく、順調に工事進んで欲しいですね。
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最後に、新湊博物館で"まつ"の手紙を見てきましたが、併設してる道の駅で、名物の「白えびバーガー」を食べてきました。大人気で1時間待ちしてでも皆行列したものなんですが、味はどうだか?
単にエビを天ぷらしてキャベツをはさんだだけで、なぜこんなに待たされるのか不思議でしたが・・。

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2011年5月18日 (水)

石巻は強い風が吹き、古紙が地層を成していた

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この週末、ようやく石巻に行ってきました。石川県の災害ボランティア派遣の結局第3陣ということで50人がバス3台で。

13日の夜出発し、なかなか車内では寝付けなかったが高速を乗り継ぎ三陸道を経て、早朝現地に着いて朝9時から作業スタート。

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途中バスから見る街中は、道路こそガレキはかき分けてどこも通行できるようになってはいたが、ショップの駐車場や路肩にはガレキや土のうがうず高く積まれ、破壊された自動車をも積まれたり数多く放置されたまま。
毎日それらを他県の重機が撤去に動いてるが、全く追いついていないようだ。


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さて僕らは10人ずつ班を組んでそれぞれの被災家屋に。

日本製紙の石巻工場に程近い一角の民家の泥カキ。

泥を掻いてると、軽い変な薄い地層があるんで不思議がってたら、日本製紙から流れてきた古紙が積もったんだそう!

被災地の方々の被害は様々で、同じ石巻でも家屋が真っさらにさらわれたところもあるが、僕らが派遣された先は家屋は一応建ち残っている。
でも津波は1.5mから2m襲い、壁にスジがくっきり。
海に近いが家屋が流されなかったのは、日本製紙の工場建屋がまるで防波堤みたいにその勢いを弱らせたかららしい。その代わりに紙の地層に覆われたのは痛し痒しなのか・・。

匂いはさほどでもなかったが、粉塵がすごかった。天気はいるあいだ良かったが風がとてもつよく、病原菌予防のため必需といわれてたゴーグルとマスクを常に携帯。カッパも上下着用してかなり蒸し暑く汗にまみれた。

そんな中老若男女、初めて会ういろんな経歴の仲間と石川県のビブスを着て頑張った。県を代表して来てるんだから恥ずかしいマネはできないからね。

他県からもたくさんボランティアにいらしてた。群馬のチームと隣り合わせになったり。
徒歩で道路を渡るときに地元の方々の車が真っ先に止まってくれるのがうれしい。自衛隊車輌と会釈しあったりねww。


二日目の作業は、住宅地のガレキを積み上げた公園前の側溝あげから。
これは泥がヘドロになってて、発酵臭がとても強烈で確かに気持ち悪い。
それでも僕らふた班20人の人海戦術で誰も体調不良にならず、なんとか無事にクリア。

午後に向かったのは町の牛乳屋さんの床下泥あげ。巨大な牛乳冷蔵庫がひしゃげてもう使用不能。なによりお客さんが被災して居なくなったという。身が立たず途方に暮れると言うご主人に掛ける言葉がない。

僕らは何かに取り付かれたように汗だくになりながら泥をかきあげるのみ。


二日間、作業時間的にはそれほどでもなかったがとてつもなく疲労した。
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果たしてそれだけの限りある時間で、どれだけのことが出来たというのだろう。微々たる成果でなかなかに達成感は感じられなかった。

県がお膳立てした工程で旅費負担もなく、ボランティアの入門編にしかすぎない今回の作業で大それたことは言えないが、それでもこれほどのちっぽけな行動ではわずかしか進まず、やはりもっと大勢の力と継続が必要だとひしひしと感じた。

余震・原発・衛生問題、いろいろリスクは考えられたが現地にいるとそんな思いは矮小でしかなく、被災現場も数多くの報道で既に見せられている。
現地に足を踏み入れないと気づかないこともあるかも知れないが、決して異質な地域のこととは思えなかった。それこそ町内会の清掃活動のように、大きな抵抗感なく入り込んでいけるんではないだろうか。

それぞれ出来ることからでいいのだけど、ぜひにも皆さんも前向きに、我が事のように思いを致してもらえたら、さらなる復興へのスピードも増すのではと。

僕も伝手とタイミングが合えば、継続してと考えていきたい。

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2011年5月17日 (火)

今年のサクランボは大猟だ~

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今年のサクランボは、いつのまにか満開だった。
4月27日の撮影です。
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今年の桜は遅かったんで、自宅のサクランボなんて5月中旬かしらん、と思ったら、前田家墓地への帰りに裏庭を覗いてみたら、満開の白い花たちが
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去年は剪定ミスもあって、花も数輪しか咲かなかったが、今年は枝いっぱいに咲き乱れる、うれしい姿を魅せてくれた。
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このサクランボの品種は「高砂」。ホントは複数の木がないと実をつけないんだけど、一昨年はいくつもの赤い実をつけた。
ほとんど小鳥に喰われてしまったが、3房だけ食べることができたよ。
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今年は何房食べることができるでしょう?
今月末くらいが収穫時期かな。

写真を撮ってたら、学校のグランドで遊んでた子供たちにチャかされた。
あまり絡んでも最近はムツカシイからね。

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2011年5月16日 (月)

福井を堪能した一日☆

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では、「江」姫たちの戦国展へ、福井県立美術館。
今年に入って、東京、この福井、そして7月に長浜へと回る巡回展。
「江」ゆかりの品となると、織田家・豊臣家・徳川家どれも関係あるのでさまざまに並んでました。けど展示スペースは狭かったですね。歴史博物館じゃなくて美術館ってのがネックだったか。
ギャラリトークには100人くらい連れ立ってましたがそれで満杯で、解説の声も聴きにくくなったんで途中で諦めました。
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けどパンフレットにもある、祐天寺の崇源院宮殿(くうでん)は素晴らしかった。
位牌を安置する厨子だが2m以上もの大きさがあり金箔と極彩色で彩られた豪華な造り。
家康のものと謂われてたのに近年の調査で「江」ものもとわかった。
徳川将軍家の半分が葬られていた増上寺の徳川家墓地は、空襲でそのほとんどの豪奢な建造物を失った。今もあったら世界遺産になってもおかしくないだろうにね。これだけは残念に思う。
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さて展覧会を観終わったら、かねてから行きたかった一乗谷へ。

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友人に車を飛ばしてもらって、夕方閉館間際の時間に資料館から観て回りました。

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史跡の谷あいに入るには、まず大きな土塁の城戸に入らねばなりません。用水が整備されてキレイでした。
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大きな石垣に挟まれた虎口は、確かにここしか開いてなければ、堅固な要塞に思えますね。ワクワク感が否が応にも増して来ます!
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今となっては自動車でスイスイ入れる谷には、観光地の端くれ?として夕方ではあるもののGWとあって観光客もかなりの人数残ってました。
ここで取引先だったメーカーの営業をすれ違いで見かけたんですが、声を掛けるタイミングを失ってそのままに。まぁあっちも人連れだったんでいいか。
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さぁいよいよ朝倉氏の屋敷跡に潜入です。

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館の跡はほどよく整備され、昔のよすがを偲ぶにはいい感じ。静かな雰囲気はそこはかとない侘しさもあって、
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想像どおりの空気感で感動しましたね。日本人には、こんなそっとした場所がとても癒されるんじゃないですか?
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朝倉義景公の墓もありましたよ。風が強くなってきて、ろうそくがすぐ消えてしまったのが残念でしたが、なんかここを残してくれてありがとう、って祈りました。
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奥の台地には泉水の庭が発掘復元され、林立した岩石群の威容も素晴らしいです。ここも完全埋没していたらしく、よくぞ残っててくれましたね。
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谷あいは一乗谷川の両岸に、御殿と復原された街並があって、集落も一部あるんですが、まさに谷ごと遺跡。広いといえば広い、広くないと言えば広くない。越前を支配する城下町を、開けた福井平野の真ん中じゃないここに造った朝倉家の真意が、来てみてなんか得心できた気がします。
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上城戸まで来ました。この土塁で完全に谷を封鎖。今に至るまでこんな大規模な土塁が残されてたなんて、すんごいことです。ぐるっと歩き廻ってみましたが、向こう側は田んぼですよ。
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寺院や屋敷跡だった復原地区。小さい家にも皆井戸があったようです。
シダレ桜が点々と、満開すぎくらいで風情をいっそう醸しだしてました。
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思わず夕方なのに時間を忘れて、暗くなる直前まで堪能してしまいました。他の人影もいつの間にかいなくなって。でも最近陽も長くなって、7時頃でもまだ撮影できるくらい。
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帰り道に、丸岡城にも寄ってくれました。

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自粛ムードの今でも、ライトアップしてるだろうからと。天守だけ煌々と明るかったですが、ここに登るまでがとても暗く、しかも風が強くて木々がこすれあう音が、より雰囲気を出してなんか怖かったですね。
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ここを建てたときに人柱になったお静の慰霊碑というのもあって、怖さ倍増ww。上からの夜景もキレイだったですが、撮るのはやめました。
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友人の三脚を借りてなんとか風に負けず撮りきって、さぁもう帰りましょう。ひとりではとても来れませんね。今日は有難う。

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2011年5月15日 (日)

GWは福偉人に会ってきた。

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GWの初日には、歴史好きの友人と福井を探訪してました。

福井県立美術館の「江」展に。

その前に福井市内の神社をめぐろうと。足羽山の足羽神社へ。
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ここはこの越前から出た継体天皇を祀ってある。

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「願い桜」ってさくらの花の絵馬があった。みんないろんなアイディアを尽くしてるねぇ。

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足羽山の頂上には越前人が敬愛する継体天皇のでっかい像が。

この山で古くから産出される笏谷石(しゃくだにいし)で造られている。火山礫凝灰岩で柔らかいから墓石や石段など昔からさまざまに加工されてるが、その分もろくて割れるのが早い。
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足羽山を降りたら橋本左内の墓地へ。

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住宅地の中の広い公園に、高い立派な銅像。

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そして左内とゆかりの人達の墓が。26歳で井伊直弼により安政の大獄に連座。
若いのに今においても敬われる存在になるとは。

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続いてすぐそばの柴田勝家の墓へ。西光寺という寺だがバリバリ保育園を経営していた。
わかりにくい裏道でやっと見つけ、中に入るのがはばかられるくらいだったが構わずイン。

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笏谷石で掘られた石像が、やはりもろいのかどれも真ん中で真っ二つ。修繕してあった。

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柴田勝家とお市の方の墓。北ノ庄城で爆死自害したはずだが墓とは?

僕は右にある柱状の福井県里程元標が気になる。九十九橋にあったものが、こちらに移転させたらしい。
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勝家とお市の像が祀られてるが、普段この建物は非公開らしく、予約しないとということだか、開いてたんで外から撮れた。

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次は藤島神社へ。ここはこの地で命を絶った新田義貞が祀られている。

GWなのに参拝者がいないからと言って、社務所の人も全くいないのはどうか。お札が買えなかった。
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以前にも行った柴田神社にも寄ったよ。「ふくい五社めぐり」のスタンプラリーがあったんで、せっかくだから全部廻ろうと。

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以前なかった三姉妹の銅像ができてた。

ここだけは今大河「江」の注目スポットとして観光バスもきてて結構賑やか。
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柴田神社に並んで三姉妹神社も。なにごとにもあやかりたいしね。

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中心部の市役所の横に佐佳枝廼社(さかえのやしろ)。福井の名君、松平春嶽が祀られている。

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ちょうど翌々日から始まる春まつりの準備がされてて、松平家当代も参拝に来られるようだ。社殿はかなり立派な神社だし、当然と言えば当然だが家康と初代秀康も祀られてる。
福井市民は、初詣となるとどの神社に詣るのがスタンダードなのだろう?
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最後5つめは、ちょっと足を伸ばして福井県護国神社。
ここも全く人はいない。
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BCリーグの福井ミラクルエレファンツの大きな絵馬が飾られてた。
今や押しも押されぬライバルだが、石川も地元で参ってるだろうに、こうやってなにか展示しておくとアピールになるのに・・。
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街中の大きな神社がコンクリ造りなのは、昭和23年の福井地震で倒壊したかららしい。自然の力はやはり脅威だ。
ここで5社巡り達成。先程からの5偉人の絵葉書をもらった。"福偉人"と言うそうだ。

では「江」展に向かいましょう。

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2011年5月14日 (土)

野田山の前田家墓所は壮大ナリ

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先月末、加賀藩、前田家の野田山墓地に行ってきた。

ここは前田利家公以下、歴代の藩主や正室、子女などの墓がほぼすべて集められている、一大墳墓である。

前回一年半前の秋に来たときは、枯葉が足元を滑らせるくらい積もってたんで、山肌の急斜面の石階段も危ないと思って一部しか廻らなかった。
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利家公の墓。前田家の墓は3段の方墳になって、まるで古墳のよう。特にこの利家公の墓は大きく、幅は19mあり高さは5mもありそうだ。

他の墓は正面から拝するようになっているが、利家公のだけ入口は横を向いている。

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3代利常公の墓。明治になって神式に改められ、どの墓にも鳥居がある。

数ある大名家の墓地でも、こういった墳墓形式でひとつひとつが広く、全員一箇所に揃っているのも他にないだろう。
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利常公の正室、珠姫の墓。薨して天徳院。徳川将軍家の、今をときめく"江"と秀忠の次女なんで、利常公より高い場所に位置している。

これは二代利長公の正室"永"(玉泉院)が主君織田信長の娘なんで、利長公より上にあるのと同じ、いやこの墓地全体でも一番高いところにある。
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十二代斉広の夫人、真龍院の墓。ときおりいくつかの墓は、あんなふうに鉄門扉がひらきっぱなしだった。

ひと気は僕くらいしかなく、入ろうと思えば入れそうだったが、不敬になるからもちろんやめた。

ここは平成18年には発掘調査を行って堀などの遺構を確認し、平成21年にはこの広大な規模と風格とで、国の史跡に指定されている。
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深い森の中でもあるわけだが、そこからちょっと離れたひらけた一角に、近代のお墓が。

先代の利建さんの墓だ。その隣には奥さんの政子さんの、そして。
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奥には「累代之墓」とある。右横の墓碑にはまだ名がない。

当代の利祐氏以下が入るのだろう。この後はずっとこの中に入られるのか?
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こういった墳墓が8.6haもの敷地に大なり小なり80基ほどある。

生暖かい空気と湿度とで、途中から汗が止まらなくなってきて、一番下の列の見学をやめて切り上げることにした。

案の定、夕方から大雨になった。
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木々の切れ間から、下界がほの見えた。

あっ、そうか。このとき気づきましたよ。

当時はそんなに木々も茂ってなかったろう。ここから金沢城下が一望に見下ろせる。

藩主たちは薨したとしても、金沢の町と人々をここから見守ろうと思ったに違いない。

それに藩士や庶民も、常にお殿様に思いをして、この野田山を仰ぎ拝んだことでしょう。

願わくば、もう少し足元を整理して、どなたでも来やすくすれば、今よりさらに顧みられるようになるんじゃないだろうか。

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2011年5月13日 (金)

今年の残雪は深い白山

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先日、山開きなった白山。

今年は雪がかなり深く、雪質も固いため雪解けはかなり遅くなりそう。

登山道はどこも雪に覆われ、白山公園線の道路も市ノ瀬までは開通されていない。
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そんなんでも、登ろうと言う人がいるんだから、たいしたことだ。

頂上付近の室堂は5月1日から営業開始。けど積雪5mだって。

写真は4月4日の木場潟からの白山。確かに雪はまだ厚そうで、しっかりとその名の通り白い。
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300mm望遠レンズが治ってきたんで、久しぶりに最望遠で撮ってみた。

怠けもんだから山に登ってまでは撮らないww。

というか、白山は山麓の山々が折り重なってるから、近づくにつれて逆にすぐ視界から消えてしまう。

程よい遠景のほうが美しい山容を眺められるのだ。下からだとね。
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木場潟からは白山麓の他の山々も。陽に光る小松ドームと富士写ヶ岳。

富士写真フイルムとは、全く関係がありませんw。

日本百名山で有名な深田久弥が12歳の時に登って山への興味を抱きはじめた由緒ある山。942mだから近在の方はわりと気軽に登れるらしい。
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15mmで撮るとこう。白山は遠いでしょう。

んでも先日来の温かい気温と雨で、頂上部もだいぶ雪が少なくなって、山肌がうっすら見える箇所もでてきたらしい。

いつかは登ってみたいけど、ひざを痛めてるからもう自信がないけどね。

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2011年5月12日 (木)

しつこいけど桜づくし

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被災地を含めた北国ではまだ桜は散りきっていないでしょうから、しぶといけど最後にもう一日だけお付き合いください。

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他の日の神社めぐりの最中にいろいろと撮る。

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今年はあちこちで撮れたもので。

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21世紀美術館のシダレザクラ。

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シダレた上から撮る。

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では、今年はこんなもんで。

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2011年5月11日 (水)

金沢城の満開のさくらに囲まれた

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次の日は街の中心部へ。観光地めぐりになっちゃたけどね。
21美も意外な桜や花の宝庫。

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しいのき迎賓館の中から、桜と石垣ごしに三十間長屋。手前の木をもう少し伐採してくれるとフルシーズンはっきり見えるんだけど。

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定番の観光写真。石川門の左方土塀はまだ修復工事中で覆いがかぶさっている。

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兼六園下の前田利家像。大河ドラマが戦国の活躍同時期になってもなかなか登場させてくれない。「江」でもね。

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この日は平日だったけど、観光客は思いがけずいっぱい。桜に魅せられてみんな感嘆の声をあげてたなぁ。

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先に兼六園に。桜の満開時期にはいつも一週間ほど無料開放になる。けど園内のメジャーな桜はソメイヨシノじゃないんで満開の日はまだ先だ。それに定番のこのアングルには桜は見られない。
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むしろ園内から園外を見るとキレイ。ちょっと霞んでるけど医王山。

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それに金沢城のほうが桜の見所が増えた気がする。

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石川門裏

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橋爪門は二の門復原工事中。平日なんでショベルカーのフル回転を見られた。

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この位置に櫓門となる二の門が建造される。河北門と違って石垣は再構築されない。
右側がかなり掘り進められてるが、図面によると長屋があることになるが、どこまで復原されることになるのだろう。
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ん~、かなり深いねぇ。発掘調査はもう済みで、新年度になったからいよいよ建設工事の開始なのか。

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いつものトップ画像の位置から。この数年で河北門や石川門、そして橋爪門と、順次工事が仕上がってくのがわかってなんだかうれしいね。

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あとは、いやじゃなかったら城内の桜を楽しんでください。

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新丸のこの一角も、新たな桜の名所になんの? 
ブルーシートでもう宴会やってるよ。

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横着こいて、jpgをそのまま縮小しただけだけど、今は撮りためといて、そのうちRAWを期待色にレタッチしようと思う。

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2011年5月10日 (火)

伏見川の桜もすてきだ。

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金沢の川ぞいの桜は、なにも犀川と浅野川だけじゃない。伏見川も長い距離にわたって両岸とも桜並木が続いてとてもすばらしい景観を見せてくれる。
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しばしごらんいただこう。
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伏見川は川幅はそんなに広くないがその分、水鳥も近くにみえるし、両岸には遊歩道が続いて対岸の桜も接近して見事。住宅地を身近につらぬくピンク色の巨大なレールのよう。
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一年間のうち、わずか一週間ほどのために、これだけの景色を与えてくれる華やかさと儚さに、自然に抗いきれない人間の存在を含め様々なことを感じずにはいられませんね。

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2011年5月 9日 (月)

金沢市内の神社めぐり 1

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金沢市内に神社がいくつあるか知ってますか?
およそ350あります。いずれの目標として、そのすべてを巡ってみたいですね。
初詣に行くような街中の有名どこや近所のは既に完了したとして、その他は自転車や自動車で。山奥のはホントはバイクとかあると手軽に行きやすいんですが、今後の検討にしましょう。

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まずは午前の花見のあと、チャリで寺町台地に登り、十一屋の八幡神社へ。
天正12年創立の、富樫氏にゆかりのある神社。金沢市内には八幡神社の名のつく神社が一番多く90以上もある。加賀守護職だった富樫氏にまつわるのも多い。
狭いながらも境内には、3本もの太くて背の高いケヤキがあって、金沢市指定の保存樹になっている。
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寺町に戻って闕野神社(がけのじんじゃ)へ。難しい字だからか昭文社の地図でも開野神社と誤記になってた。
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この社は新しく江戸時代に開かれた神仏混合の神明社だが、その影響力は強かったようで、犀川上流をはじめ13社もの他の神社を管理下に置いている。
一口に神社と言っても、豪勢な本殿に神職が常駐してお札を売ってる社務所があるところもあれば、小さな社だけあってひっそりとしてるのもある。拝殿が小さくなくても、誰もいなくて普段カギがかかってたり不在だったりってのが実際はほとんどだ。
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そんな神社はなにかしら大きな神社の宮司に管理を任されている。山あいの村の鎮守はほとんどそうで、普段は村の肝煎が面倒を見るかも知れないが、神社庁で管理宮司がすべて決められているようだ。自らで管理している神社は350中実は45にすぎない。
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寺町から泉野へ入り組んだ道に入って、泉野櫻木神社へ。このあたりは自宅からそう遠くないけど裏道なのもあって来たこと今までなかった。
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住宅地の真ん中だが、かなり広い敷地にここも神木のように高い木々が生い茂っている。
白山を開山した僧泰澄が8世紀に開いた古い神社で、元は櫻木八幡社といったんで応神天皇が祀られている。
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珍しく、拝殿を前に、正面と左右3つもの鳥居が据えられている豪壮な造りが、地元に信仰が篤く広く敬われているのが偲ばれる。周辺の町々はもちろん、一部遠くの集落までその氏子範囲が広いのも頷ける。
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泉野出町の八幡神社。泉ヶ丘高校の裏手にある。
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小さい社だが手水舎、燈籠、狛犬とフルセット揃っている。神社の創立や謂われは詳らかでない。そういう神社も多く、地元で古くから大切にされ存続しているという。
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拝殿には木製でなく石造りの銘額が掲げられていた。珍しいと思ったが、この後ちょくちよく見ることになる。穴があいてるし、以前は鳥居に掛けられていたのだろう。
紋は十二菊。神社それぞれに違う紋があるのも後になって気がついた。撮っていたら解説にいれるとしよう。
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長坂野神社。鎌倉時代直前のころ大乗寺の僧によって祀られた。神仏混淆なんでしょうね。
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ここは境内に不思議な梅の木が咲いていた。
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紅梅に、白梅が接木されているのだろう。同じ木に紅白の花が咲くという珍しい現象。
近所のおじさんが寄ってきて、僕に説明するのだが、白いのを桜と言って譲らない。昔からこうやって咲くから不思議なんだと言うが、梅だと思うんだけどどうだろうか。実がなるときにまた来てみりゃいいね。
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きれいな花も咲いてたんで思わず撮りました。
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なんて花だっけ? 花の名前は覚えられない。
後で調べて、乙女椿って言うんだね。
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この日はチャリで19もの神社を廻ったんだが、この調子ではいつまでたっても紹介終わらない。
その後も少しずつ廻ったんで、今後別のトピックも挟みながら飛び飛びでお伝えしていくとしよう。ではまた。

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2011年5月 8日 (日)

金沢の桜は今年も変わらぬ美しさを魅せる

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その犀川沿いに、先月の満開の桜をお届けする。
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今年は満開の時期に晴天に恵まれた。
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データを縮小加工したときに、まだディスプレイのマッチングも不完全で時間もなかったから、web用にとしても色の調整はいいかげん。
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adobeRGBのjpgからほとんど触ってないんで多少へんなふうに視えるかもしれないがご愛嬌ということで。
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鞍月用水堰。これが治水上の問題となって、近々取り壊しの予定となった。
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堰の上流は河水が溜められ流れが穏やかだから、鴨や水鳥の楽園となっているが。
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今は雪見橋から堰の間が大工事中。河道をなだらかにして許容水量を増やして洪水に備える。
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5月中に終わるだろうか?
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この犀川雪見橋の石標は戸室石。金沢城の石垣にも使われている、金沢の山麓で取れる石だ。僕も庭にほしいんだが。
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雪見橋から見た工事現場。もっぱら右岸の土手と河床を再整備。
大なり小なり、犀川の工事は子供の頃からたくさん見てて、ずいぶん変わってしまった。
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この雪見橋も、いつのまにかできてたなぁw。
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対岸の、法島児童公園にゃ花見もかねて子供たちで賑やかな、いつもの年と変わらない風景があって、ちょっと安心。
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河原の芝生では、たぶん中学の新一年生が昼食会。初々しいなぁ。僕らの頃は、こんなことやったかな?

このあと午後は街中の神社めぐりにチャリを走らせる。

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2011年5月 7日 (土)

辰巳ダム工事中。現在のでき具合

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浄水場見学のあと、辰巳ダムの工事現場に久しぶりに行ってみた。
本体ももうだいぶ出来上がってるようだね。
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直したFE75-300mm f4-5.6IS USMを使って最大限寄ってみた。コンクリートを数メートルずつ積み上げて高さを増している様子がよくわかる。
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このダムは普段川の水を溜めないタイプなので、本体すぐ上手の相合谷橋もまだ健在のようだが、完成後も壊されずに済むのだろうか?
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鷹の巣トンネルをくぐって、上流側を見る。ここは工事前は一面雑木林だったが、今は人工的に整備されてまぁすっきりはしている。河岸もなんかのどかそうで、水溜めないんだったら完成したら開放してくれたら遊べたりするんだろうげとね。
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土手にブロックを整然と積んでるなら、安全も問題なさそうだよね。しかし完成したら、一度最大水量まで水を溜めて完成検査をするはずだからムリなんかな。
崖上の緑いのがコンクリート製造プラント。
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上流から対岸をわたって別角度から。周辺のいくつもの集落から見えるこの巨大構造物は、やっぱ異様だよなぁ。
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さらに回りこむ。ここは見学台のひとつ。もう本体下部から通水はされてるみたいだ。完成まで順調に進みそうなんだな。来年度完成の予定。
辰巳用水の東岩取水口は健在で左下に小さく見える。
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犀川上流域は自然も豊富で人の手を付けていない場所も多い。希少な動植物もいてダムが自然破壊するという意見もある。いろいろ問題を含んで計画からこれまで長期にわたった工事だが、造り出したからには早く槌音はおさめてほしい。
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帰りに辰巳用水の三段石垣も見に来た。これも人工物といやそうだし、いずれなんにしろ自然に埋もれてしまうんだろうと思うが。

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2011年5月 6日 (金)

金沢はおいしい水道水に恵まれている

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4月10日は金沢市の末浄水場の春の公開日だった。

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昨年この末浄水場の園地が国の名勝に指定されてから格段に公開日が増えた。

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この緩速沈殿池が登録有形文化財になってるなど、昭和5年に開設された末浄水場は、産業遺産でなく現在も活躍中の施設として文化財的価値も高い。

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特に名勝の園地は昨年春の公開日の後から、開業時同様の規模に復原整備されて秋に完成。とても見ごたえのある幾何学模様の公園になっていた。

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この池は犀川の清流を取り入れ、鯉や金魚を泳がせて水質の状態を監視してるって。
噴水も特徴的で、兼六園のようにサイフォンではないが、時折
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左にみえる白いキノコ型のオブジェに向かってアーチ状に豪快に水を飛ばす。この日もこのあとあったんだが、ちょうど友人から電話が架かって来て見られなかった。

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近代水道百選にも選ばれて、浄水場の景観美に優れてるという評価と、なによりその水がおいしい。自宅の水道もここから導かれてるはずだが、ミネラルウォーターに引けを取らないうまさで、毎日水に不自由しないのがありがたい。
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緩速ろ過池の調整施設。モスクのような屋根が独特。
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ろ過するのに緩速と、昭和40年に増設された急速の設備が併用されてますが、水道管にはそれらをブレンド。全体の約2割を占める緩速ろ過水は、それだけを取り出してボトルにつめて「金沢の水」として販売もされています。
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水道管って、どんな太さしてると思います?
いろいろあるでしょうけど、ここからの主導水管として出ていってるのは直径165mm。子供がすっぽり入っちゃうね。

建物の中では設備のガイドや水利き体験もできておもしろかった。今度は6月の水道週間が公開日だそうで、何日かはご自分で調べてくださいw。

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2011年5月 5日 (木)

大河「江」にちなんで虎御前山と小谷城山に登る!

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順不同と言いましたが、3月からこっちの分は、舞い戻って北陸周辺のトピックは順に記事にしていきます。

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まずは3月9日の、近江浅井の虎御前山と小谷城探索へ。友人に連れ立って虎御前山の探訪会に参加。

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ふもとから、150mほどなだらかに登って、信長が小谷城を攻めたときに陣地にしていた虎御前山に。

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浅井長政のこもる小谷城を眼前に1年も陣を張って監視していた。その山城の陣容が近年の発掘で大規模なものだと再発見されて、ひときわ注目をあびるようになったそうで。

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各曲輪には[伝木下秀吉陣地]とか、各々の武将が任された陣が配置されてて、往時が偲ばれる。

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平らな曲輪と起伏のはげしい堀切とかが意外に明瞭で、それも長年経って木々が生い茂ったから分かりにくかったようだけど、地元の有志の方達が整備されてここまではっきりしてきた。
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この日は地元のTV局も取材に来てて、ただでさえ歴史的遺跡の多い近江にまたひとつ注目に値するスポットができたようだ。

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もともとこの山は古くからの古墳が多数あったようで、信長は古墳の山を利用して山城を築いたことになる。削られた古墳や、そのままこの丘が古墳ではないだろうかという跡も探索することができた。特に前方後円墳だと言うのだが、さて。
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さて虎御前山を降りて、次はいよいよ小谷城山を、下から登山する。大河ドラマ「江」で今年脚光をあびた浅井郡だが、3月当時はまさにピーク。臨時の展示場やバスツアーもあってふもとは賑やかだが、僕らはひっそりと急な徒歩ルートを登ることにする。

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30分以上かけてどうにか登ってきた。向こうに見える小高い山が、午前に登った虎御前山だ。これから小谷山城の核心部に入る。

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この番所跡までは車道もあって、バスで来ることができる。だから小谷城めぐりはお年寄り・子供もなんとか訪れることができる今をときめくレジャーになっている。
けど下から登山してくるのは結構ハードだよ。
この峰の頂上、山王丸跡まで登ることにする。
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この御馬屋跡もたぶん森だったのがきれいに切り払われ、すごく見通しのいい平地になっている。こんな平たい曲輪が段々に連なってるのが小谷城だ。

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こんな感じで様々な曲輪が段々に連なっている。そのつどこういう解説板があってわかりやすい。

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ピンクのジャンバーを着たガイドのおっちゃんが、たどたどしい足でバスツアーのお客に解説。こんな集団があちこちにあった。

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ここにふたつある石は、大河で長政の時任三郎と市の鈴木保奈美が立った場所だという。石にも名前が書いてあった。こんなんじゃ誰かに動かされてしまうだろうに。確かにここからの琵琶湖の見晴らしはとても素晴らしい!

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城内中腹の大広間。ここに三姉妹が住んでたという、確かにただっ広い曲輪だ。
NHKの「江」にまつわったクイズ番組でここをロケしてたが、なんか同じ場所に来たと思うと感動だな~。

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一段上に本丸があって、そこに長政が住んでいた。そこからさらに奥に進むのに、右側の急なスロープを滑るように下ったが、とうとうそこで転んでしまった。カメラも少しドロつけてしまったが、なんとか事無きを得た。少しずつ残雪も見えるようになってきて気を付けないと。
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さらに京極丸まで登ると、一面白銀の世界に。足元もぬかるんで大変になってきたが、ここまで来たら頂上まで登らないと気が済まないよねぇ。

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曲輪の境目の坂も足元悪くかなり登りにくくなってきたが、なんとか登り切るとやっと頂上に到着。山王丸だ。標高は400mに達する。左にはここより高い峰の大嶽城跡も見えるが、もう体力が尽き果てた。
下りももちろん徒歩だが、却って下りのほうが膝の痛みに堪える。
汗と寒さと痛みに耐えながら、それでもなにか達成感を得られて、ちょっと辛かったけど満足いく山城登山でした。 もういいけどねw。

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2011年5月 4日 (水)

名古屋圏の鉄道乗りつぶし

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時間のあるうちに今までのトピックを順不同に、とは言っても不規則なのはなんなんで、3月の名古屋のをまとめてお届けする。
あおなみ線を名古屋駅に戻ってから、地下鉄東山線の終点藤が丘駅で、「Linimo」東部丘陵線に乗り換える。
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そう、ここは日本唯一の浮上式リニアモーターでの営業線。反発力じゃなく吸引力で浮く。
大勾配や急カーブもお手のものだ。

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レールに非接触だから走り心地も快適だ。走りだすときにスーと静かにゆっくり動きだし、止まるときはクグッとブレーキがかかる感覚のあとわずかにグッと沈む感じ。

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そしてリニモに乗って来たのはもちろん「愛・地球博」記念公園だ。

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本番は行かれなかったのでぜひ寄ってみたかったのだが、今は静かな丘陵地の自然豊かな公園になっていた。
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けど春休み時期にはまだ緑や花には早くて、人もとても少なめだ。

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しかもムダに?広すぎて、とてもすべて回れない。園内を周遊するバスもあるくらいだが、便数が少なく来たばかりのに乗れなくて断念。雰囲気だけ味わって早々に帰ることにしよう。
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「愛・地球博」記念館てのがあって、ピッコロ・モリゾーがお出迎え。当時の華やかさがしのばれる会場の模型もあって。やっぱ期間中に来たかったなぁ。

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花はまだ早いと言ったが、梅は終わりしなだった。せっかくなんでこれだけはみっちり撮ることにする。花壇とかいっぱいだけどこのときはさっぱりで、GW中なら人もいっぱいになるだろうねぇ。
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んでは早速リニモにまた乗って、終点の八草へ。

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八草では愛知環状鉄道に乗り換え。第三セクターには珍しい黒字の通勤路線。JR中央線の高蔵寺から豊田-岡崎を結ぶ。

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路盤はすべて複線対応だが、運行数量からほとんど単線のみの設備で運用されている。JRの211系なども乗り入れてるようだ。

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愛知環状鉄道の2000系。乗ってる列車もそうだけど。夕方前だったんで学校利用の子らで乗り降りもかなり激しく、ひと駅で降りるお年寄りもいたり、地元に愛されてる路線だなと感じる。なんでJR、いや国鉄が全通させられなかったかなぁ。
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終点岡崎駅がみえてきた。JR岡崎駅に乗り入れる。

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こうやってみるとJRのままでも不自然ないのだが。

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岡崎は名鉄駅のほうが繁華街にあって、JR駅の廻りはとても静かそうだ。近けりゃ岡崎城もと思ったが、2つ手前の中岡崎駅のほうが最寄りで、もうとても戻る元気はなかったw。
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JR東海の313系。快速で名古屋まで約30分。セミアクティブダンパーでとても乗り心地快適な車両だった。JR西日本もぜひ頑張ってほしいが。521系にはまだ実乗してないがどんなもんだろう。

とにかく、久しぶりに一日名古屋圏を広く廻って満足できた。

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2011年5月 3日 (火)

ミリスタの応援に佐野氏と逢えた!

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昨日3日は今季初のBCリーグ、石川ミリオンスターズの応援に行ってきた。

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この日はわが近鉄バファローズのOB、佐野慈紀氏がリーグを盛り上げに来てくれたからだ。

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始球式ではお約束の「ピッカリ投法」も披露してくれてさらに大暴投と、少ない観客の僕らを楽しませてくれた。

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佐野氏は石川を応援に、ちょくちょく来てくれることになるという。

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今年5年目のリーグはそろそろこなれてきて、各チームの実力が伯仲して常にどっちが勝つかわからない、面白いシーズンになりそうだ。

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石川も打撃のパワーが蓄積されて、以前の淡々とした戦いっぷりよりハデな打撃戦も期待できそうだったが、

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この日は昨年以前同様の、気が揉む試合となってしまった。
チャンスにあと一本が出ないし、エラーやFCもあってミスミス相手に有利に進められた。

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そんな中でも5回終了のハーフタイムには佐野氏が球場を盛り上げてくれて、グラウンドでパフォーマンス。

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スタンドでもひとりひとりの観客のところまで回ってくれた。
僕はこのユニフォーム用の古い帽子を持ってきて、佐野氏にサインしてもらった。

しかしそんなでもGWというのに1100人ほどしか来場してないのはサミシイ限り。買ったイヤーブックには昨年動員リーグ最低の一試合平均746人と、サッカーに比べてまだまだ盛り上がりに欠けるのがザンネンだ。

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なんとかかんとか試合は2-2で均衡していたが、8回に替わった初年度のエース、蛇澤が大誤算。あれよあれよと一死も取れず3安打2失点。初年度15勝120奪三振というかつての面影はなかったのがつらい。
この回一気に5点取られて試合は決まった。

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GW中だが一日曇ってとても肌寒い。試合もお寒い結果となってしまった。

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試合後珍しく森監督が数分にわたってミーティング。覇気が感じられないナインに活を入れてるようだ。

今日はデーゲームだったがそれでもこれくらい。週末といえどナイターとかだったらもっと少ない。なかなかまだ"おらがチーム"という意識の高まりが県民にも足りないだろう。始まりは石川より弱小で観客もどうかと思えた新潟は、新しいスタジアムも出来サーカーに負けじと盛り上がりつつある。石川ももっと抜本的に改善できないものか。

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それでも試合が終わったら、ミリスタの端保社長が佐野氏と外で観客を見送ってくれた。
僕もなんとかチームの頑張りに応えて今年はなるべく多く応援に来たい。

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佐野氏のサイン入りとなった貴重な近鉄バファローズの旧タイプの帽子。いつか大石大二郎氏のサインももらえるだろうか?ww

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2011年5月 2日 (月)

「リニア・鉄道館」は春休みに超満員

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大宮の鉄道博物館のあとは、名古屋に3月に出来たばかりの「リニア・鉄道館」にも早速行ってきた。
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名古屋といえばJR東海といえば新幹線。0系100系300系をメインに、大宮に負けじと新旧の車両を取り揃えて満を持してオープン!
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さらには今鋭意研究中のリニア車両も館名に冠したように、「愛地球博」にも展示したMLX01が間近に見られる
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車内にももちろん潜入できた。座席は片側配置で座ることはできなかったが。
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平日で少ないだろうとタカをくくってたのに、春休み真っ最中でたっくさんの人だった。開館間もない名古屋初の夢の館に、オープンの10時目掛けたけど建物の中に入るまでなんと外で1時間半も行列することに。
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300系は右の322形の量産先行試作車も同時展示。正面の顔の比較もできて東海のこだわりがここにある。
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922形ドクターイエローも人気の的で、東日本との差別化もちゃんと心得てる。
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100系168形食堂車の中も見られて豪華な気分。新幹線の食堂車には、とうとう乗れなかったしなぁ。
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もちろん在来線の旧型車もそれなりに揃っている。飯田線の佐久間レールパークを閉鎖してまでここに集めた。新旧合計39両が会している。
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C6217は最速蒸機特急「つばめ」「はと」を牽引。しかしここのはどれも静態保存なのがザンネン。
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もちろん本物だけじゃなくシュミレーションも充実。超ワイド画面で新幹線N700系シュミレートは迫力だった。
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ホンモノに見紛うコックピットはやはり大人気で抽選で当たらないと操作できない。
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館内はしかしそれほど広くなく、スペースめいっぱい使ってすべての車両を並行にならべてこれ以上は入らないくらい。
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それに奥の13両は端部からしか見られない。単に倉庫に引退車両を並べてるのを見せられるだけ、という感じが大宮に負けてる気がしてちょっとザンネンではある。
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ヒストリーコーナーもそこそこ充実してたがやはりスケールでは東日本にかなわなかった。鉄道模型ジオラマコーナーは時間がなかったんで見られなかったが、東海道線沿線を東京から24時間の再現をHOゲージで楽しめる。
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なんにせたくさんの人であふれて、展示は早々に見て出ようと思ったけど、やっぱ記念になにか買おうとミュージアムショップに立ち寄ると、この人だかり。入るのにゲートで順番待ち。さらにレジで順番待ち。計待つだけで30分。
外にでると、来たとき以上に行列が渦巻いて前庭を取り囲んでた。自粛ムードが全盛のころだったけど、安近短もあってか名古屋もここだけは熱気につつまれてた「リニア・鉄道館」だった。
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「リニア・鉄道館」へは、名古屋駅から「あおなみ線」に乗って終点「金城ふ頭駅」東側徒歩2分です。

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