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2011年3月

2011年3月23日 (水)

JR西日本でも震災の影響で間引き運転!

JR西日本でも、震災の影響で来月から運転本数を減らさざるを得ない事態になってきた。

電車のモーターに使う部品を納入しているメーカー工場が被災したからだ。

JR西日本の発表

たとえば福島県浪江町の浪江日立化成工業では直流電動モーターに電気を流す「直流電動機ブラシ」を生産。

JR西日本所有の在来線電車の約50%にもなる2,300両で使用している。

ブラシは消耗品なのに今後の供給の見通しが立たない。それで運転本数を調整して減らし、消耗を極力避ける方策を採った。

交流区間と言えど影響はJR西日本全体にわたり、北陸本線・七尾線(金沢支社エリア)ではデイタイムで全体の60%の本数に削減すると発表があった。4月2日からの予定。新ダイヤはこれから検討に入る。

詳細はリンクを見てもらうといいが、413・415・475系電車、計110両が使用している。

特急列車は全列車運行する予定だ。

大震災はもちろん日本全体の問題だ。西日本も応分に負担や援助、支援したいしその動きもすでに活発だ。

物資も東日本に回してるのもあって若干不足気味。一緒になって頑張りたい。そしていよいよその影響がこういう形で具体的に出てきた。なんとか日本の鉄道界も全国で助け合って、ふたたび旅情あふれる楽しい鉄道旅が東日本で早く復活できるのを祈ろう。

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2011年3月18日 (金)

金沢でも支援体勢、着々と・・

引き続き、各地で支援の体勢が進んでいます。

ここ金沢でもたくさんの応援が。

初動近くに野田の陸上自衛隊が動いたのはもちろん、自治体からも医療チームや消防が参加。

そしていち早く被災者を受け入れる動きもありました。

今日は福島の原発近在にお住まいの方が息子さんを頼って金沢に来られ、市営住宅を無償開放。市の呼びかけにこれから続々といらっしゃるでしょう。

金沢市による、救援物資の個人からの受付も始まっています。

集積場所だった東力のクリーンセンターははや満杯になって、明日からは泉本町の元北陸農政局の金沢政府倉庫、つまり食料倉庫だ。金沢高校向かいと言えばわかりやすいかな。

受け入れのものは主に、

インスタント食品・ペットボトル飲料・粉ミルク・紙おむつ・衛生用品・トレペとか家庭用紙・タオル・毛布・・・

あと電池とかもいいだろう。

しかしすでに、これらのかなりの品物が金沢の店頭から姿を消しているのも実情。

買占めよりむしろ救援のための購入や店舗が被災地優先で確保したとかだろう。店頭にも告知してあった。

僕の元部下も横浜の元同僚に今日インスタント食品送るって。

農政局倉庫で毎日9:30~17:00まで、22日からは20:00まで受付てます。僕も明日見繕えたらなんとかします。

みなさん、西日本も一緒になって頑張ります!!

 

あと、ツイッターってなかなか使えなくて、今まで読むだけだったけど、今回の震災でかなり役立つ情報源(デマと表裏だけど)だってのもわかった。

被災地でもうまく活用していただければいいけど。

それもあって、携帯のみならず、スマートフォンもすごく便利に使えるだろうと思うんで、今度のMEDIASかXPERIAarcから考えてみたいなぁ。

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2011年3月17日 (木)

震災に・・

今回の東北関東大震災により、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。重ねて被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

僕も学生時代に仙台でお世話になりましたもので、東北のおびただしい被害状況を見るたびに身が張り裂けそうな思いにかられます。

今は幸いにも遠く金沢に居るもので、ブログとはいえ軽々に語れぬと、原発を含め事の推移を黙って見守っておりましたが、久しぶりに筆を執ります。

というのも、ここ遠い金沢においても、そろそろ物資不足が見えてきたからです。被災地に優先して回されてるならよいのですが、むしろそうすべきなんですが、もしここでも不急不要の買いだめが始まっていたならと危惧してしまいます。

知り合いが物資不足に悩む横浜の友人にインスタント食品や乾電池など、必要なもの見繕って送ったと聴きました。僕の友人も北関東にいますが、ロジテックが問題なければ僕もぜひそうしてあげたいです。いやむしろ、原発のこともあるんで、こっちにしばらく呼んであげたいとも思ってます。

ただ生活物資に限らずガソリンとか移動にも事欠くようで、それもあってホントはすぐにでも飛んで行きたい気持ちを抑え、落ち着いたら仙台にボランティアとも考えてましたが、果たしていつそういったことも可能になるのやらです。

何しろ報道にしても情報が偏って、なかなか伝えられない孤立した被災地も多いようで、だのに受け入れ態勢がと言うことで、こちら西日本の逸る気持ちもありとてももどかしいです。

とりあえず今出来ることをと義援金は送っておきましたが、ぜひ国じゅう一丸となってこの苦難を乗り越えていきたいですね。
東北・関東のみなさん、頑張ってください。

あと、紙業界にいましたから、製紙各社の工場や代理店各社他も甚大な被害に逢われて、従業員やご家族の被災も心配です。製紙会社の公式発表は人的被害はないように出てますが、ご家族まではわかりません。
また、特に太平洋側の各工場・倉庫の被害がひどく、印刷用紙・新聞用紙の当分の逼迫は避けられませんが、トレペ・ティッシュなど衛生用紙の生産は主に静岡や四国です。むやみに買いだめに走らないように、切にお願いいたしておきます。

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2011年3月 8日 (火)

犀川の菊橋間浚渫完了と、さらなる工事の予感

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月曜日でほぼ、犀川の上菊橋-下菊橋間の浚渫は終わった様子。

やっぱり護岸ぞいには石を並べ、ともすると降りられるように造作されたようだ。

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ならばお望みどおり? 降りて進ぜよう。

まだジャリ砂まざってもいるから、足元がおぼつかないところもあるんで注意が必要だ。

でもこれなら、水鳥も来ようし、釣り客も足場にできるだろう。子供にはちょっと危ないなぁ。それに数年もしないうちに草が茂って藪にもなりそうだ。

もちろん、そんなことが織り込み済みなんだろうけど、中洲がなくなって流れもスッキリしてちょっとだけ安心。

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河原には、のどかな犬の散歩が似合う。

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しかし次はいよいよ鞍月用水堰の破壊も待っている。それにまだその上流の、雪見橋前後の護岸工事も今が盛りだ。

よく見ると堰の水面は手前の護岸より高さが上なんですねぇ。これは確かに許容水量が少なそう。この上流で浅野川の増水分を犀川に受け入れる水路があるんだけど、数年前の浅野川水害では犀川の許容量不足からうまく機能しなかった。
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まもなくこの景色もふたたび工事の槌音にまみれるんだろうけど、今の河原は至って穏やかで静か。

この景色も充分金沢らしい風情があると地元びいきで思うんだけどなぁ。

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2011年3月 4日 (金)

犀川の浚渫、ハイペース!

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犀川の浚渫、昨日の様子だけど、やっぱりというかこちら側の土砂の帯はご覧のようにすっかり均されていた。

相変わらず早朝からショベルカーの騒音がけたたましく響いてたんで、だいぶ作業は進んだに思える。
けどひと月ぶりの降雪で、寒くてとても様子を観察には出れなかったよ。

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講演からの帰りにようやく覗いたら、17時過んでてもう今日の作業は終了。どんなに途中でも時間きっかりでやめてるww。
対岸はまだ流れをせき止める土砂を盛ったまま。そのせいか、中洲があった川の中心部は今や一番早く流れて瀬になってる。

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それが目的かよくわからないが、両岸にはこうやって大石をならべてあえて浅瀬に造作してるようで。4日も一日工事してたみたいだから、明日こそ日中眺めてみよう。

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上菊橋の上流側には、中州というより岸についたブッシュがあって、このように水鳥の大切な休息地になっている。まぁ鴨が主でまもなく渡っていくと思うが、このあとここも浚渫してしまうのだろうか?
まぁそうでないと、どうせここからすぐ上流の鞍月用水堰もまもなくブッ壊すのだから・・。

こうして、喫緊の洪水対策も順次してくれてるのだからあまり余計なことは言えないが、まぁそうなら辰巳ダムまで作る必要あったのかしらん??

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2011年3月 3日 (木)

兼六園の成り立ちに大きな影響を及ぼした前田斉広★

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今日は「金沢城大学」。例によってお年寄りにまじって勉強会だ。

いつも木曜開催のとうとう来週で最後を迎える全8回中、参加6回に到達し修了証をいただけることになった。修了証はほしかったがホントにもらうことになるとは・・。

今回はまた広い県立美術館の大ホール。歴史・文化コースと合同の公開講座で200人くらい集まったけど、昼間雪が積もってやはり出足は遅かった。40分前で5人くらい。早めに到着するのに慣れちゃったねww。

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さて今日のテーマは兼六園の成り立ちについて加賀藩12代前田斉広(なりなが)と竹沢御殿に焦点。

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文政のころの絵図に、今の兼六園のところに「竹沢御殿」と「蓮池御庭」とある。なりたちはこうだ。

蓮池とはかつての百間堀のこと。それにそった上段の細長い場所に作事所があったが5代綱紀が移転させ庭を造営(蓮池の上)。今の瓢池などがあるところだ。

そのさらに上段の霞ヶ池などがある今の兼六園のメインのところは、かつて宝円寺と波着寺があったが移転し藩士たちの屋敷地だった。それも綱紀が火除け地として収公。しばらく藪地として放置されてた。
それをそこに11代治脩が明倫堂など学校を創設した。

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そして斉広の時代、病気を理由に国許で引きこもったうえ、隠居を幕府に願い出てその住居として学校を移転させて広大な屋敷を造営した。それが竹沢御殿。

写真の上が石引側で正面。60間半(110m)の堀と辰巳門(76間4尺3寸・139m)を構え、隠居と言えど幼い息子に代わり政務をここで執ったので表・中奥・奥と、江戸城本丸と同様の設備を持つ。

他に今の金沢神社である竹沢鎮守天満宮、金沢の名の由来の金城霊沢、馬場もあった。

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辰巳門の一部は今も成巽閣の正門の塀として現存している。

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ところで「兼六園」という名は、楽翁こと松平定信がつけたことで有名だが、文政5年(1822)9月のことで、そのとき藩主斉広は引きこもり中で江戸へ発っておらず、嫡子勝千代(斉泰)が相続願いのためも兼ねて将軍家斉にお目見えしている。そこで定信への揮毫依頼は斉泰一行に託された可能性がある。

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しかしこの時点では竹沢御殿は健在。今のようなすべて園地ではなかったわけで、はたして「兼六園」と命名された地域はいったいどこからどこまでなのか?

竹沢御殿の書院の前に、みごとな泉水の庭が見える。水の流れや石灯篭の配置まで、ほぼ今と同じだ。

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当時の絵も残されてるが、どこかで見たことないだろうか?

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そう、先週見た七福神山の景色だ。竹沢御殿健在のときも、すでに立派な庭園があったわけで。

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先ほどの竹沢御殿の絵図を見てもらうと、下部の蓮池御庭との間に門が見える。これが水樋上御門という長屋門で、「兼六園」の扁額はここに掛けられていた。別名「兼六園御門」と称されるここが、兼六園の入り口ではないか?
すると今は文句なく園内の瓢池周辺から蓮池門~桂坂あたりのいわゆる「蓮池御庭」が、実は兼六園じゃなかったことになる。

既知の人も多かったかも知れないが、僕には新鮮な話だった。

他にもこの特異な斉広の興味深い話題を講師の長山直治氏からいろいろ聴けておもしろかった。
気鬱の病が深く引きこもりで数年来参勤せず、ついに40歳で隠居。隠居所は金谷御殿(今の尾山神社の場所)と決まってるのに、陰地でイヤだと見晴らしのいい今の兼六園の場所を学校を退けても所望。
能を死ぬ前の1年半に105回も挙行。五十番囃子というぶっ通し演には自ら28番も舞う。
金沢では花火はかぶきもののひとつとして禁止してたのに、自ら城内で揚げさせて庶民を喜ばせたり。などなど・・。幕府で禁止されてた金箔製造の保護も斉広の実績のようだし。

まだまだ加賀藩史は奥が深いなぁと再確認したが、お年寄りに混じるのも最初のころより抵抗なくなってきたww。
なんとか惑わずにいきたいけどね。

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2011年3月 2日 (水)

犀川の浚渫、一気に進行中!!

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最近朝早くから一日中、家の前がうるさい。

目の前の犀川を浚渫工事しているからだ。おかげでかなりスッキリした。

もうひと月近くになるが、ショベルカーやダンプが大挙してきて最初なにしてるかわからないくらいだったが、かなりの森のようになってた広い中州を伐採していた。
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最近の適当な写真がなくて、これは2005年当時だけど、すでに中州は広くジャリが盛り上がって、藪ができつつあった。

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次の年の冬にはこんな感じ。風情のある自然の川の中流域。

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2006年の大雨のとき。河水が護岸すれすれまで来てキケンなときだったが、それでも中州の草木がまだ顔を出している。
この緑の芝生の護岸は僕が子供のころ工事して広げられた、もちろん人工のものだが、河道がそれで整備されたときはもちろん中州なんて全くなかった。

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雪の夜景になるけどそれが去年の冬にはこんなに中洲が形成され、水の流れが対岸側と差があったのも憶えている。

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その対岸側から撮った、去年の写真があった。森になってるのがよくわかるでしょう。
向こうに見える上菊橋の下流側なのが同じです。

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中州の草木をすべて伐採して、土砂をこねくり回し、対岸の河道をふさいでショベルカーとダンプがひっきりなしに出入してたのが、その進み具合が遅々としてたんで、おっとり刀で見過ごしてたんだけど、おとといからその河道をふさいだ土砂も取り除き、中洲がやせ細ったのを見てあせった。

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こりゃいそいで記録しないと、まっさらになった後ではゼッタイ後悔する。。
と思って急遽昼間に撮り出したってわけ。

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しかし、わずかにスジ状に土砂を残してこのあとどうするんだろう?

と思ったら、なんとショベルカーが河水の中に突っ込んできた。なんだそんなに深くないんだ。
この残した土砂もこのあとまだなんだかこねくり回し、護岸ぞいに薄く撒き散らしてた。
さっきの写真に大石が川の中にいくつも積んでたと思うが、それを境目に並べたり。あれはわざわざ上流から持ってきたらしい。

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雪が吹雪いてきた。一時的にできた澱みに鴨が群がってるけど、夕方にはここも土砂が均された。

まだ工事は予定でも3月10日まで続くらしい。毎朝7時くらいからうるさいけど、17時になったらきっかり引き上げてったよ。

ここから数百メートル上流の、鞍月用水堰を解体して川の流れを段々にして流水容量を増やす整備の一環らしく、御影大橋周辺の下流域でも浚渫は順次行われてるらしい。
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洪水被害を防ぐためにもぜひやってほしかったが、水鳥たちの安息の場はどんどんなくなるってことか?この上菊橋上手の藪にもたくさん鴨やアオサギが住んでるんだけども。

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