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2010年12月15日 (水)

兼六園の変遷を古写真で追う!

Img_708532z ここで先週行った金沢城大学「古写真で見る兼六園の変遷」のレポートを。

時折嵐のようになった冷たい雨に、いつも開場時間よりかなり早くに集まられるご年配たちも、出足は極端に少なかったですね。けど最後はいつものように100人近くいらっしゃいました。
Img_708524z 日本三名園で有名な金沢の兼六園を、江戸期からの絵図や明治以来の古写真でその変遷を追うという講演。金沢城・兼六園管理事務所の加藤氏のお話。

兼六園は、決して最初から今ある形になってたわけじゃなく、その中身はかなり移り変わりが激しくて、僕の子供のころにしたって児童公園があったりして今とだいぶ違ってました。
Img_708530z 蓮池庭に始まり江戸期には竹沢御殿や巽御殿などもあり、明治になって期間限定の一般開放、勧業博物館や工業学校も造られました。
写真は昭和になって設置された最後の藩主前田慶寧公の銅像。わずか14年で戦時の金属回収で撤去されました。


Img_708527z 常時一般開放になる前から園内の出店が許可され、最盛期には50件を越える茶店があったって。当時、県も市も予算に乏しく園内の手入れが行き届かないので、出店者から拠出させ、そういった民間に一部負担させる元にしたそうです。

兼六園は初期のころ、旭桜や塩釜桜など、大きな桜が鮮やかに彩り、ランドマークとして大人気だったようです。
Img_708534z 大正14年の絵葉書。彩色されてますが見事な旭桜。今は老いて面影はありません。
残されてる写真に、なかなかことじ灯籠が出てこないそうで。あまりメイン扱いされてないのか、それともハガキが使われすぎて残ってないのか?だそう。


Img_708539z 雪の兼六園。リンゴ吊りの雪吊りが、今とだいぶ形が違います。
かなり低い高さから縄が束ねられて、それでも竹柱にはまだ余裕がありそうなのに。

以前は無料の市民公園でしたから、柵なども少なく、また木々も若くて視界が広かった分、今より開放的な写真が多く見られました。
Img_708538z 全国で大名庭園は1000くらいあったそうです。しかし今でもこれだけ残されてるのはわずか。日本三名園を始め主な大名庭園の地元が集まって開かれる「大名庭園サミット」があって、参加庭園はわずか6つ。第一回は金沢で開催されたって。
今年は栗林公園のある高松だった。

石川門の前、百間堀通りに市電が走ってる。架線や電柱、道幅も今とかなり違う様子。あれっ、城内に今は見ない建物が。戦前だから陸軍の施設か。
修復保存工事中の石川門櫓ですが、今日前通ったらもう天蓋が外されてましたよ。天気これからどんどん悪くなるのに、急がなくても・・。

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