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2010年12月14日 (火)

徳川慶喜公を偲んで 2

Img_707403z 続けて訪れたのは、台東区の谷中霊園。
東京都心にある大規模な墓地ですが、著名人の墓が多くあるのでも有名。元は谷中天王寺の敷地だったものを現在は都が管理しています。
管理事務所に行ったら、墓地の配置図と主な著名人の名簿?をもらえました。そうねぇ、誰でもご存知の方というと、長谷川一夫・横山大観・鳩山一郎・伊達宗城・渋沢栄一・鏑木清方、とか。
Img_707419z えっ?知らない名前もある?
まあまあ。結構、その著名人に惹かれて、その方の墓参りに訪れる人も多くて。もちろん一般の方々のお墓もあり、土曜のよい天気に墓参の方がちらほらと。
僕は去る人の墓をと来ましたが、別の某地図の神様も、と事務所に問い合わせたところここにないって。後で調べて僕の勘違いで、浅草のお寺にあることがわかりました。
Img_707407z これは明治時代の俳優の先駆、川上音二郎の墓です。とってもデカイ! こんなふうにそれぞれユニークな形や大きさのがそこかしこにあり、鳥居とかも散見され、宗派もわやわやで関係ないみたいですよ。



Img_707408z 最初の地図にもあったように、寛永寺の敷地の墓地も入り組んでて、霊園の形はすごく複雑です。
そして寛永寺というと、そうここには、徳川慶喜公の墓があるんです。




Img_707411z 慶喜公の墓地の前です。谷中霊園の中で最大の面積を誇り、ここへ導くための看板があちこちにありましたが、実際この前に来るまではやっぱり入り組んでて迷いそうでした。




Img_707412z フェンス越しに撮ると、顕彰碑の向こうに石造りの小さい古墳のような土まんじゅうが。
そう、慶喜公は仏式じゃなくて神式で祀られています。徳川将軍で唯一。
これは朝敵扱いされた慶喜公が、尊王思想の水戸家出身なのにそれが不本意だったろうか。明治35年に明治天皇により名誉回復して公爵になり、大正まで生きたうえ皇室への感謝の証として遺言したそうです。
Img_707413z 墓地の中には他に右側に正室の美賀子さんの墓。その後ろに二人の側室、子供、使用人、そして左には写真の孫夫婦の墓が。ここに現当主の慶朝氏も入られるそうです。
実は慶朝氏は60歳を過ぎているのに未婚。徳川慶喜家は当代で絶えてしまうのでしょうか。

Img_707416z 墓地の正面には、訪れる人にボランティアでガイドされるおじいさんが。
川上珍彦さん(83)。地元にお住まいで、この墓地の謂れを親切にみなさんに話される。
僕もこのあと川上さんとしばらく会話した。松戸に寄ってきたと言ったら通だねぇと。けど前田家の地元金沢から来たと告げたらビックリされてた。前田家も神式で古墳形式で鳥居があるって説明しましたよ。
Img_707417z 慶喜公の墓地の隣には、勝海舟の子息の墓が、これも土まんじゅうで。
明治になって、ずっとなにかと慶喜公に気遣っていた勝海舟が、世を去っても子孫がひっそりと寄り添っているように思えて、明治以降ともなれば一概にアンチ徳川でもなく、とても親しみを感じられましたね。


ではやっと、友人の待ち合わせ場所に行くことにします。彼らはこんなの興味ないでしょうしww。

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