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2010年12月

2010年12月25日 (土)

忠臣蔵の聖地「泉岳寺」へ、やっときた☆

Mg_708614z 今年もクリスマスは、明石家さんまと八木亜希子の顔を見てますww。

ところで23日は、行ってきました泉岳寺。

久しぶりの一番列車で、友人との集合時間までちょっとだけ時間あったんでなんとか駆け足で。

東京は前日17度で小春日和もほどほどにってくらいあったかかったようで。この日も陽射しはおんなじでしたね。

金沢はどんより重たい灰色の空でしたけど、越後湯沢同様、雪はまだ。やっぱ異常です。
Mg_708612z 山門の脇には、大石内蔵助の銅像が迎えてくれました。














Mg_708579z 本堂への参拝もそこそこに、伽藍の左脇にある、赤穂義士墓地へ早速お参りに。

思ったほど広くなくこじんまりしてて、右側にある主君浅野内匠頭と正室瑤泉院の墓と寄り添うように四十七士の墓が並んでいました。

Mg_708580z 義士たちの墓地は15坪ほどのところに仲良く?密集しています。







Mg_708583z まずは一番奥に屋根つきであった大石内蔵助の墓に。深々とお参りさせてもらいました。

こういうとこへ来ると、曹洞宗だとか、赤穂への縁が特にはないとか、そんなこと関係なく同じ日本人としてなんだか心が凛としてきますね。









Mg_708586z そして義士たちの墓ひとつひとつに。

どうやら今でも連日、花や線香が墓前に絶えないようです。

後ろに、誰でもよくわかるように義士の名と享年が書かれた木札があって助かりますね。

義士たちの戒名には必ず"刃"と"劔"の文字があります。
Mg_708585z けど墓地の周りは現代のビルや建物が間近にあって、時代の波を感じてしまいますね。







Mg_708573z 区画の右へ出ると、主君浅野内匠頭長矩公の墓と、








Mg_708599z 正室、瑤泉院の墓にも、もちろん花や線香が捧げられて。







Mg_708601z その線香は墓地の入口で一把100円で買えます。50本以上あって当然火も入れてくれるので、これで100円はむしろ市販よりお得?

線香の香りがあたりにまでただよわせ、ここで買った絵葉書なんかにも、帰ってからもずっと残り香がついてましたよ。
Mg_708608z 墓地入口の門は浅野家の鉄砲洲上屋敷の裏門が、明治時代に移築されたものです。

近年作られたと思える石の垣には、奉納者のお名前がひとつずつ彫られていて、"片岡・・"など御子孫と思えるお名前などが数々ありました。

あっ、大石内蔵助の御子孫のお名前も。あれから11代になるようです。

こうやって、今日もたくさんの人が参られてましたよ。
Mg_708603z その隣には赤穂義士記念館が。映画「最後の忠臣蔵」には17回忌法要やってましたが、これは討ち入り300年を記念して2001年にできたもの。

浅野長矩公の陣笠や、大石内蔵助直筆の連名状などホンモノや、後年描かれた四十七士の掛軸や絵巻なとが展示され、館内にいたおじさんはすすり泣きしながら見られてましたね。


久しぶりに江戸で歴史の一端に触れる機会でした。やっぱ大江戸、見られるとこはいっぱいですわ。忠臣蔵の思いに僕も馳せることができて、ちょっと心が落ち着いたところで、

さぁ、友人たちのところに向かいますか・・。

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2010年12月24日 (金)

「最後の忠臣蔵」ってもたぶん最後じゃない☆

101222_172029 今年も忠臣蔵の季節が過ぎましたね。

歴史好きとしては、虚実ないまぜってわかってても「忠臣蔵」は日本人の心に響くもんで入り込んでしまいますわ。

前回「ヤマト」観たときの予告を見て、どうしても観たくなって。行ってきました。

この手の「忠臣蔵」アウトサイドストーリーも語りつくされた気がしますが、まぁこれもデキスギの感ありますけど、やっぱ思わずグッとくるとこ多し。

無言で堪えて、何かのために(この場合主君か)身を捨てて尽くしきる、ってのは男子本懐の美学のように思いますね。日本人にしかわからない感覚でしょう。いや、今の日本人でも結構忘れ去られてるでしょうけど。

この役所広司のストイックなまでの律儀な振る舞いは、彼だからこそできると思える迫真の演技でした。画面いっぱい大写しになった彫りの深い彼の顔は、人生を語る重みがありましたね。

後半になぞが解けて、佐藤浩市と涙をため無言で頷きあうシーンは、あぁ、やっぱ男って言葉はいらないなぁ、と久しぶりに"男"について考えさせられました。

けど僕だったら安田成美の誘惑に負けちゃうなぁ。つか誘惑してほしいww。安田成美は朝ドラでもステキなおかあさん演じてて、昔より今のほうがすっごく美しくなったと思うのは僕だけじゃないでしょう。

しかし当時はやっぱ「大石内蔵助」って、とっても崇められた人だったんですね。討ち入りの事実だけじゃなく、赤穂藩の他の浪士たちにも身の立つようにいろいろ手を尽くしてたようで。そういったとこも、「忠臣蔵」が美談として完成するひとつの根拠になった気がします。

23日は日帰り江戸で、時間があったら「泉岳寺」に参ってみたいと思ってますよ。

ぜひ、男の美学「最後の忠臣蔵」を観にいってみてください。

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2010年12月18日 (土)

「雷鳥」11年3月11日ラストラン!

Img_111288z とうとう「雷鳥」のラストディが決まってしまいました。

規定路線だったとはいえ、やはりさびしいものがあります。

長いこと慣れ親しんだ、この国鉄色485系。9両編成からこの春6両に短縮され、10往復から早朝の1往復に縮小されて、もはや風前の灯火でした。

北陸本線は希少な国鉄色特急のまだ走るところとして全国で人気があったけど、とうとうそのメインどころも去ってしまうんですね。

ここんとこ、わが身にずっと激動が降りかかり、何かと忙しかったところに、ブログもがんばって上げてたけど、鉄道だけはなんだかおろそかになってました。

6両になった「雷鳥」も追いかるヒマなく、気がついたら廃止確定してしまった。
101218_220616 先日金沢駅に行ったら、"さよならありがとう"シリーズで「雷鳥」グッズが売ってたんで買っておきましたが、気が早い、と思ってたのにもう現実発表されちゃったとは。

しかし金沢駅で国鉄色485系は、とりあえずまだ「北越」の一部と週末の「能登」で見ることが出来ます。

金沢-関西の特急は、すべてサンダーバード681・683系になるわけだけど、どうもあの白だけののっぺりした連結対応先頭車だけは好きになれませんw。

ひるがえって金沢以西の普通車には、521系を大量投入して旧型車を置き換えるみたいだけど、なぜに金沢以東は置き去りにされるのか?

北陸新幹線開業後の第3セクター線になるんで投資できないってか!?

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2010年12月17日 (金)

岡田(前)監督!3年ぶり☆

101217_150413 今日は3年ぶりの講演会に行きました。

サッカー日本代表、岡田前監督のです。

3年前と同じ地元ベンダーのフェアで呼ばれて、そのときはオシムに代わって突然のご指名の直後で、いちばんヒマな人から日本で一番忙しい監督になられたのに、キャンセルせずに来てくれました。

そのときに岡田監督の哲学を聴いて、この人に任せとけば安心!と思えたので、W杯直前の非難にも僕は何の心配もしてませんでしたww。

今回はそのW杯に臨む直前までの代表チームや、決してブレなかった指導指針など、裏?話たっぷりに聴かせてくれて、感動と涙につつまれたすばらしい講演でしたよ。


今年になって、かなりの主力選手たちが不調になったでしょう。かなりの重圧もあったからだそうですが、当然早くから変更オプションを考えていたそうです。

ずっと前からテストしてたがそれをいつ切り出すか。日韓戦に負けたので、思い切って変えた。中盤の配置を一人増やす。するとトップは一人になるから、それができるのは本田だけだった。
さらに直前にさらに新たなポジションを思いついた!それが上手くいった。
だから直前のジンバブエとの練習試合で試したかった。それに手ごたえを得た!
などその全てに当然ながら緻密な判断のもと戦術を切り替えていったわけです。

代表キャンプになったら4時間しか寝ないそうです。ずっと戦術とか研究するために。
世界中の誰よりも、この日本代表が強くなるにはどうしたらいいか!を考えてる自信がある。
ごもっとも、と思いましたね。

脳の新皮質で考えながら身体を動かすのでなく、旧皮質で無心で反応する、これがカンペキになるのがイン・ザ・ゾーンといって、勝つべくして勝つ人はそれが出来るそうです。勝った瞬間一体になったり覚えていない、ってのがそう。南アフリカではチームがそうなったって。

そして楢崎や俊輔などスタメンから外したベテランたちに、もちろん監督として全責任を負うという覚悟あるからこそできることですが、彼らに通告した後も、くさらずチームに貢献してくれる。そして中沢をキャプテンから外した。彼の心やさしさからのためにも。けど変わらず率先して引っ張ってくれた。そんなチームががんばれないわけないでしょう。って。

帰りの関空でヨン様のときより大勢の若者が出迎えてくれて、その目の輝きにジーンっとして、負けたくやしさからとっても癒された。今まで選手・スタッフに喜びを与えたくて、ってやってきたけど、初めてサポーターを喜ばせるっていいものだなぁと思えた。

ベスト4という目標は根拠ないものじゃないって。それで選手・スタッフみんな一丸で本気でベスト4を目指せるチームになったからこそあそこまでできたと。
そしてやっぱり具体的な目標をしっかり立てられる人ほど成功する、と教えてくれました。


フィロソフィー(哲学)についてもいくつか。

エンジョイ  リスクをともなうからこそ楽しめる。言われたままじゃなくて、必要なときに自分の判断でリスクを犯してプレーする。だから成長できる。
指導、エデュケーションの語源は、教え与えるんじゃなくて、"引き出す"ってことだ。緊張感とともに誉めることで選手に判断力を養う。

コンセントレーション  集中、は、今できることを確実にベストをつくしてやる。無駄な考え、いまやってもしょうがないことはやらない、。

とか。


けっこうがんばってメモったんで、羅列みたいになったけど、ちゃんと伝わったでしょうか?
細かい事例や楽しい選手の裏話まじえて話してくれたから笑いもいっぱいさそったけど、
これでも、まだまだ言えないことをたくさん教えてくれました。

スランプになっても、人みんなそれぞれ波がある。次のステップ飛び上がるために、今しゃがんでるだけだ!
いつか神様がごほうびくれるまで、がんばればいい。
また少し、生きる勇気というかがんばりを、与えていただけたと思います。
101217_163536 帰りに、岡田監督のサイン本と、限定非売品だったエグザイルのマスコットボールにサインしたのをディスカウント価格で買えました。限定数でもみくちゃになりながらww。









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2010年12月16日 (木)

下御隠殿橋で威力発揮の7D☆

Img_707421z 先々週末にもういちど戻りますが、鉄道ネタが最近特に少ないもんで、ベタですがあえてレポートします。

江戸での12月4日。友人との待ち合わせ時間の前に松戸と谷中霊園へ行って、まだ時間があったんでその足で日暮里の下御隠殿橋へ。
Img_707425z ここはあまりにベタすぎて、撮り鉄よりは親子連れが多く訪れる鉄道パノラマビューイング。

JRだけで12線。京成もまぜると14線も一度に見られる有名なスポット。



Img_707439z けどひねくれてた僕はここより南口の紅葉坂人道橋でしか撮ったことがなく、せっかくなんで初撮りしました。






Img_707443z 左から京浜東北線下り-山手線-京浜東北線上り、東北・上越新幹線、東北本線複々線、常磐線。そして京成本線上りが地平で下りが高架。





Img_707446z ビュースポットを自認してか、JRの施設に列車の絵も描かれててたのしい。奥の建物もユニークだ。






Img_707453z けどさっきから列車はひっきりなしに来るものの、一度に何編成もずらっと並ばない。土曜の昼間ではそんなもんか。






Img_707462z そしたら、やっ、来ましたよ新型スカイライナー。

初めて逢えた!

けどここ下御隠殿橋じゃ、いろいろジャマしてよく見えないなぁ。


Img_707467z まぁ来たもん順で載せてますが、やっぱEOS 7Dはいいなぁ。7Dでやっと本格的に連写の使いでがありましたよ。

速い連写スピードは、シャッターチャンスを逃さない。加えて止めピンで枚数もわずかで済む。


Img_707471z そうこうしてるうちに、、やっと希少車両に逢えた。185系湘南色。







Img_707479z 回送で、尾久へ戻っていくんだろうけど、1編成7両だけの塗色変更のようで、連結してるもう数両の編成は通常塗色だった。






Img_707505z 211系は、東北・上越線にはまだよく走ってるみたいだ。僕が東海道線をよく利用してた30年近く前にはまだ登場してなかったのに、今ではもうあちらからは撤退してる。





Img_707496z ここ下御隠殿橋は、やっぱさまざまな車両が今でも見られて、短い時間だったけど天気もよくて、すごく楽しかった。






Img_707517z けど、ひとつ問題があって、その確認をするまで粘ることにしてた。それは・・。

12月4日といえば、本日開通した東北新幹線、新青森開業。

ところが北陸・東北地区での強風から、軒並み東北地区の幹線が運休・遅延。
Img_707521z せっかくの開業初日もダイヤが乱れて、この時間まだ止まってるみたいで。

さっきから新幹線は上りが続々通過していても、下り列車が全く通っていない。かなり心配になってきた。



Img_707526z もうそろそろ行かないと、待ち合わせに間に合わない・・。

と思った矢先、や、来た来た、下りE4系が。どこ行きか知らないけど(新青森じゃ、間違いなくないww)

無事下りも動いてるのが確認できた。

初日から波乱でタイヘンだったろうけど、何とか今後も乗客を捕まえてってほしいですね。新幹線肯定の勢いは、我が北陸までも続けて欲しいですし。もちろんそれ以降も。

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2010年12月15日 (水)

兼六園の変遷を古写真で追う!

Img_708532z ここで先週行った金沢城大学「古写真で見る兼六園の変遷」のレポートを。

時折嵐のようになった冷たい雨に、いつも開場時間よりかなり早くに集まられるご年配たちも、出足は極端に少なかったですね。けど最後はいつものように100人近くいらっしゃいました。
Img_708524z 日本三名園で有名な金沢の兼六園を、江戸期からの絵図や明治以来の古写真でその変遷を追うという講演。金沢城・兼六園管理事務所の加藤氏のお話。

兼六園は、決して最初から今ある形になってたわけじゃなく、その中身はかなり移り変わりが激しくて、僕の子供のころにしたって児童公園があったりして今とだいぶ違ってました。
Img_708530z 蓮池庭に始まり江戸期には竹沢御殿や巽御殿などもあり、明治になって期間限定の一般開放、勧業博物館や工業学校も造られました。
写真は昭和になって設置された最後の藩主前田慶寧公の銅像。わずか14年で戦時の金属回収で撤去されました。


Img_708527z 常時一般開放になる前から園内の出店が許可され、最盛期には50件を越える茶店があったって。当時、県も市も予算に乏しく園内の手入れが行き届かないので、出店者から拠出させ、そういった民間に一部負担させる元にしたそうです。

兼六園は初期のころ、旭桜や塩釜桜など、大きな桜が鮮やかに彩り、ランドマークとして大人気だったようです。
Img_708534z 大正14年の絵葉書。彩色されてますが見事な旭桜。今は老いて面影はありません。
残されてる写真に、なかなかことじ灯籠が出てこないそうで。あまりメイン扱いされてないのか、それともハガキが使われすぎて残ってないのか?だそう。


Img_708539z 雪の兼六園。リンゴ吊りの雪吊りが、今とだいぶ形が違います。
かなり低い高さから縄が束ねられて、それでも竹柱にはまだ余裕がありそうなのに。

以前は無料の市民公園でしたから、柵なども少なく、また木々も若くて視界が広かった分、今より開放的な写真が多く見られました。
Img_708538z 全国で大名庭園は1000くらいあったそうです。しかし今でもこれだけ残されてるのはわずか。日本三名園を始め主な大名庭園の地元が集まって開かれる「大名庭園サミット」があって、参加庭園はわずか6つ。第一回は金沢で開催されたって。
今年は栗林公園のある高松だった。

石川門の前、百間堀通りに市電が走ってる。架線や電柱、道幅も今とかなり違う様子。あれっ、城内に今は見ない建物が。戦前だから陸軍の施設か。
修復保存工事中の石川門櫓ですが、今日前通ったらもう天蓋が外されてましたよ。天気これからどんどん悪くなるのに、急がなくても・・。

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2010年12月14日 (火)

徳川慶喜公を偲んで 2

Img_707403z 続けて訪れたのは、台東区の谷中霊園。
東京都心にある大規模な墓地ですが、著名人の墓が多くあるのでも有名。元は谷中天王寺の敷地だったものを現在は都が管理しています。
管理事務所に行ったら、墓地の配置図と主な著名人の名簿?をもらえました。そうねぇ、誰でもご存知の方というと、長谷川一夫・横山大観・鳩山一郎・伊達宗城・渋沢栄一・鏑木清方、とか。
Img_707419z えっ?知らない名前もある?
まあまあ。結構、その著名人に惹かれて、その方の墓参りに訪れる人も多くて。もちろん一般の方々のお墓もあり、土曜のよい天気に墓参の方がちらほらと。
僕は去る人の墓をと来ましたが、別の某地図の神様も、と事務所に問い合わせたところここにないって。後で調べて僕の勘違いで、浅草のお寺にあることがわかりました。
Img_707407z これは明治時代の俳優の先駆、川上音二郎の墓です。とってもデカイ! こんなふうにそれぞれユニークな形や大きさのがそこかしこにあり、鳥居とかも散見され、宗派もわやわやで関係ないみたいですよ。



Img_707408z 最初の地図にもあったように、寛永寺の敷地の墓地も入り組んでて、霊園の形はすごく複雑です。
そして寛永寺というと、そうここには、徳川慶喜公の墓があるんです。




Img_707411z 慶喜公の墓地の前です。谷中霊園の中で最大の面積を誇り、ここへ導くための看板があちこちにありましたが、実際この前に来るまではやっぱり入り組んでて迷いそうでした。




Img_707412z フェンス越しに撮ると、顕彰碑の向こうに石造りの小さい古墳のような土まんじゅうが。
そう、慶喜公は仏式じゃなくて神式で祀られています。徳川将軍で唯一。
これは朝敵扱いされた慶喜公が、尊王思想の水戸家出身なのにそれが不本意だったろうか。明治35年に明治天皇により名誉回復して公爵になり、大正まで生きたうえ皇室への感謝の証として遺言したそうです。
Img_707413z 墓地の中には他に右側に正室の美賀子さんの墓。その後ろに二人の側室、子供、使用人、そして左には写真の孫夫婦の墓が。ここに現当主の慶朝氏も入られるそうです。
実は慶朝氏は60歳を過ぎているのに未婚。徳川慶喜家は当代で絶えてしまうのでしょうか。

Img_707416z 墓地の正面には、訪れる人にボランティアでガイドされるおじいさんが。
川上珍彦さん(83)。地元にお住まいで、この墓地の謂れを親切にみなさんに話される。
僕もこのあと川上さんとしばらく会話した。松戸に寄ってきたと言ったら通だねぇと。けど前田家の地元金沢から来たと告げたらビックリされてた。前田家も神式で古墳形式で鳥居があるって説明しましたよ。
Img_707417z 慶喜公の墓地の隣には、勝海舟の子息の墓が、これも土まんじゅうで。
明治になって、ずっとなにかと慶喜公に気遣っていた勝海舟が、世を去っても子孫がひっそりと寄り添っているように思えて、明治以降ともなれば一概にアンチ徳川でもなく、とても親しみを感じられましたね。


ではやっと、友人の待ち合わせ場所に行くことにします。彼らはこんなの興味ないでしょうしww。

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2010年12月13日 (月)

徳川慶喜公を偲んで 1

Img_707323z 土曜は集まりが夕方だったんで、それまでちょっと歴史探訪を。

千葉県の松戸まで足を延ばして。




Img_707328z 松戸にある戸定が丘公園は、旧水戸藩最後の藩主徳川昭武の別邸地。その中にある戸定邸は重要文化財になっています。

秋深い週末に、午前のうちから観光客もそぞろ来てましたが、やっぱご年配ばかりww。

Img_707331z まず用があったのは、その中の松戸市戸定歴史館。

実はここに来たのは、最後の将軍徳川慶喜の子孫で現徳川慶喜家ご当主、徳川慶朝氏の本を読んだから。
写真家でもある慶朝氏は、当家に残っていたおびただしい慶喜公ゆかりの写真や資料を、慶喜公の弟である昭武が暮らした戸定の地にある歴史館に託しました。
Karei この戸定邸は明治17年にできて、昭武はもとより慶喜公もよく訪れていたようで、その縁もあって慶喜公関連の研究も歴史館ではされていて。
慶喜公が多趣味で写真をたくさん撮っていたというのも、慶朝氏所蔵の写真が大量に見つかってこそわかったこと。日本の写真黎明期の困難な技術を極めた慶喜公の情熱が生々しく伝わってきました。

今回の特別展は、その慶喜家に長く仕えた家令(執事長ともいうべきか)の古澤秀弥氏の旧蔵資料が。皇室からの銀杯や慶喜公の墓誌拓本など、数多くの重要な品が慶喜家より下賜されていたことからも、古澤氏がきわめて篤い信頼を受けていたことがわかります。
Karei2 特に目をひいたのが、いろいろ伝わっている慶喜公の肖像写真の、オリジナルプリントが多く見つかったこと。当時の湿板にしてはきわめて鮮明で、バックの幕や衣服、調度など、今までのプリントより多くの情報量が伝わり、その意義はとてつもなく大きいとか。

大政奉還前後の慶喜公には多くの肖像写真があり、写されるのがとても好きだったらしく、為政者としては異例のドアップ写真もあり、現代にも通じるイケメンぶりが男から見てもカッコよく映ってました。



Img_707337z ひとしきり感心して資料を買い込み、歴史館を出たら次は隣接する戸定邸に。













Img_707345z 最近はよく、福井の養浩館など名勝庭園の屋敷を見て廻っていますが、ここもかなり広く格式がありますね。明治17年とは思えない風格もあります。





Img_707346z 小高い丘の上から庭園越しの眺めは、水戸の偕楽園を思わせる景色で、やはり水戸藩づいてると思います。






Img_707355z 部屋の数は数え切れないほどで、でも一部屋あたりの畳数はそんなに多くなく、廊下の幅も狭かったりする。
観光客の皆さんも狭い、を連発してましたが、当時の大人は誰もが小さかったからこれで充分だったと思いますよww。



Img_707360z 庭ごしのガラス戸ですが、昔のガラスは平滑度がなかったって知ってますか?ものすごく波打ってるんですがよく見えるでしょうか。
いまやそんなガラスの方が価値があることになってますけど。


Img_707363z 風呂場です。
ご来賓も多かった戸定邸で、当主と賓客向けの風呂場だったようですが、流し場のわりに狭い浴槽。今からしてもわびしいですね。空間が広いからすぐ冷えたんじゃないでしょうか。
珍しいんでみなさん長い時間立ち止まって見てました。
Img_707374z 中庭。外観が撮れなかったんでそれを偲ぶ写真というとこんな感じです。







Img_707375z 土蔵も付属され、中には葵の御紋の長持もありました。







Img_707336z 慶喜公もよく遊びにww訪れてた戸定邸。紅葉も庭園や公園内に、やっと鮮やかさを感じるのも多くあっていくつか撮ってきました。

慶朝氏の本から、慶喜公の後半生や慶朝氏の性格なんか、よく自分にも通じる生き方(願望ですけど)だなぁと、すごく身近に感じさせてもらいました。
Img_707389z 写真なんか特にね。まだまだ自分は彼らみたいにプロ級とは足元にも及びませんけど。

慶喜公は今でも世間一般から言われてるような卑怯な人では決してありませんでしたから、今回の本と探訪で、より好きで尊敬できる方に思えたんで、まだ集合時間に間があったんで、江戸に取って返して去る場所に行ってきました。

そこは・・・。





Img_707392z 後半に続く。。








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2010年12月12日 (日)

久しぶりに「鉄」の話題とアムラックスへ

Img_707275z 先週末になりますが、また呼び出しがかかったんで江戸へ行ってました。いつもとはちょっと違うところへですがね。

昼ごろの列車での出発になったけど、「はくたか」まわりはいつもどおりで絵にならない。珍しく485系3000番台の「北越」に会えたんでパシャリ。

Img_707277z この新潟車にも、いつまで遭遇できるかわからない。最近の悪天候の強風で、まっさきにこの「北越」は運休になる。今日も9号10号は止まってしまった。

金沢駅での485系は、早朝の「雷鳥」と週末の「能登」、そして「北越」運行の一部にも国鉄色が。いずれも6両編成と短くなった。
最近すっかり鉄道ネタが封印されてしまって、天気が持つうちに一日かけて廻りたかったのに、もう雪のシーズンとなって苦しいなw。
Img_707285z 北陸本線の普通列車は古い車両の寄せ集め。写真の413系とかは、元は急行クラスだったからまだいいほうだけど、583系から改造の419系とかはタモリ倶楽部で以前なんかのランキングで1位だった。けど乗ってるほうからしたらもっといい車両にしてほしいよね。JR西日本の節約のため、一色に塗ってしまうのもどうかと。
Img_707290z ひとしきりグチったあとはww、江戸に着くと池袋に行ったもんで、待ち合わせの時間までトヨタのアムラックスに寄ってみた。

久しぶりのアムラックス(13年ぶりくらい)は、単なるショールームになってて、金曜夕方だけど修学旅行生数人くらいが目だっただけ。
Img_707291z レース関係もこれだけ。現行のカテゴリーだけの陳列で、栄光のF1マシンやパネルは皆無だった。






Img_707302z エコカーと言えど買いなおす余裕など全くないし、日産派としてはトヨタのラインアップもよく知らないww。プリウスくらいしか。

でもショールームを見るとラクティスってのがイチオシみたいだね。こども店長もちゃんといたよ。

Img_707303z でも確かにトヨタは、さまざまなクラスの車が充実してて、このコンパクトカーってのも魅力がある。
日産は好きでも、改めてどの車種を買えばいいかなんてよくわからんしね。



Img_707316z やっぱりクラウンはかっこいいけど、「いつかは・・」って言われても全く欲しくはないね。それよりはGTRだww。

けど、近いうちにいずれ車の撮影を頼まれてて、今日はその練習も兼ねて?


Img_707321z もう外は暗い室内での、ストロボを焚かない撮影は、思ってるシチュエーションと全く違うけど、車の輝き方からどうアングルとるかなどちょっとは研究になる。
クラウンとかなら、高級感をかもし出さないといけないとか。


Img_707301z マークXもかっこいいと思う車だな。トヨタ車でってなら、僕はこれがいい。買えたらの話だけどww。






Img_707322z やっぱ今の流行はプリウスだろうか。

初代のプリウスは、13年ほど前、当時の会社の部長のにそれこそ東京まで同乗した。
音も静かで快適で、未来を感じられたスゴイ車だと思ったなぁ。でもあれから新世紀になってもまだ電気自動車が当たり前になってないとか、基本進化してないわけだし、エコへの道のりは長いよね。
高校の大先輩の根岸ノーベル賞がおっしゃるように、CO2を利用促進するのが本来の道なんでしょうな。

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2010年12月11日 (土)

金沢城の紅葉と武士の家計簿と松平氏

Img_707209z 12月1日その後は、金沢城の紅葉をしばらくご覧頂きながら、玉泉院丸の発掘現場を通って、元NHKアナウンサー松平定知氏の講演を聞きにいったのをレポートします。





Img_707217z 今年の紅葉はやっぱりキレイとまではいかなかったですね。現実はもう雪直前で、これも12月1日の景色とも思えません。






Img_707234z 三十間長屋をバックに。金沢城は古い建造物はそこかしこにありますが、紅葉とうまくマッチするようなロケーションはあまりありません。






Img_707249z せいぜいこんな、極楽橋とのコラボでしょうかね。















Img_707242z_2 玉泉院丸の発掘現場です。報告会のときと違ってあけすけになってましたが、そろそろ雪が降る季節、もう今年の発掘は終わりでしょう。












Img_707257z 数人が残って記録を取っているようです。これ以降、冬のあいだ単にシートを被せるだけか、それとも土を盛ってしまうのか、ちょっと気になります。





Img_707265z 発掘現場と紅葉、他では得がたい珍しい光景ですね。金沢城では、まだ数年こんな景色が続くことになります。













Img_707267z さて、北國新聞の赤羽ホールへ、松平定知氏の講演に。
併設の今月から始まった映画「武士の家計簿」展を先に観て、友人と食事を摂ってから出直してきましたが、開場1時間前というのにすでに長い行列が出来てました。平日夕方ですからそのほとんどを占める、お年寄りパワーはこんなところで発揮されて恐れ入りますね。
Img_707268z 「武士の家計簿」は加賀藩の会計担当が長年記録してた家計簿。いみじくも幕末当時の武士の生活がにじみ出た資料からの映画化ですが、その丹念な記録が今に残ったのもすごいけど、なぜそれが流出したのか、そして神田古書店街で見つけた原作者磯田氏の執念もすごいとは思います。
話題の家計簿の実物が見られて感動!細かい書き込みにビックリです。
Img_707269z 映画は果たして全国的にはヒットしてくれるものでしょうか、心配だし期待したいんですが、僕は理由あってまだ観てません。けどご当地金沢では、平日でもまだ、やっぱりお年寄りとかでいっぱいらしいですよ。

あっと肝心な松平氏の講演ですけど、「現代に生きる戦国武将の知恵」と題しながら、金沢を意識して「お松さま」のえらいとこばかりお話されて、地元には既知のことばかりだったんでちょっと期待はずれでした。
もっと「その時歴史は動いた!」の裏話しとかしてくれるとうれしかったんですが、主催の銀河テレビに遠慮されたでしょうか。CSはまだ観る気がしないなぁ。

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2010年12月10日 (金)

12月1日の郊外と金沢城。冬目前!

Img_707174z 種々事情があって、なかなか記事アップできませんでした。12月1日にさかのぼってこれから書いてきますね。

12月1日、この日は講演会があったんで、友人と一緒に市内を廻ってから行くことに。

まず、この年の瀬目前になって今年度の発掘調査が始まった「塩硝蔵」へ。
Img_707164z この果樹園一帯と住宅地をまたいで、兼六園以上の広さのエリアにあった塩硝蔵は、数年前から細々と発掘調査がされてますが、こういった梅林の間とかまだ私有地のところを掘らなきゃならないのもあって、遅々として進みません。
それに今年度は報告会もないと言うことで、何が見つかるものか遠巻きにしか見られないと全くわかりませんね。
Img_707176z あまり得るものがなかったんで、次は街中の方へ。
観光写真でおなじみの、金沢城石川門は、ただ今保存修理工事中。シンボルの櫓は覆いにかこわれてます。
観光客の皆様にはザンネンですが、白漆喰もかなり汚れてたから、きれいによみがえるのが楽しみです。
Img_707181z 櫓の覆いが取れるのは来年4月ころ。附属左方太鼓塀はまだそれから2年かかります。
昭和34年以来、約50年ぶりの全面修理工事。





Img_707187z 石川門櫓門をくぐると、つい先日設置された、「金沢大学誕生の地」の石碑が。戦前は陸軍が、戦後になって金沢大学が置かれた金沢城内は、今やっと旧に復してるところです。大学時代にはたとえ市民でも通常立入禁止だったんで、遠い存在でした。けど大学が角間に移転してはや10年以上。大学が城内にあったのは50年ほどなんで、もうそんなに経ったかなという感慨がありますね。
Img_707193z 本格的な冬を前にして、平日の城内はちょっとさびしい。内堀の水も清掃の前なのか少なくて汚いw。






Img_707195z 雪吊りの準備もそこかしこで。









Img_707227z その後改めて復元工事の始まった橋爪門二の門の工事現場へ。

中央に見えるのは橋爪門続櫓。その右に橋爪門の一の門。その手前の人々がいる四角い空間に枡形と櫓門の二の門が復元されます。


Img_707205z 二の門の石垣も掘り出され、発掘調査も本格的に進んでるようだ。
これだけ大人数か城内を発掘してるシーンは、これまで長年通ってても初めて見た。やはり平日に見にいけるのの醍醐味は違う!



Img_707200z 櫓の石垣にも、数多くの刻印が刻まれてるようでチョークでなぞられてる。卍とか見えるでしょうか。
これは調査報告会が楽しみだけど、いつ開かれるだろう。冬が終わらんとムリかな。




Img_707228z 今はまだ発掘調査の段階で、建築工事はまだまだこれから。北陸新幹線開通までには間に合わせるつもりのようだけど、さてどうなるか。




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