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2010年11月12日 (金)

金沢城玉泉院丸の遺構確認調査説明会☆

Img_704003z 駆け足で金沢に戻って、急な発表のあった金沢城玉泉院丸遺構確認調査現地説明会になんとか間に合いました。

ここは金沢城でも大規模な庭園があった場所で、近年まで石川県の体育館が建ってました。金沢城の発掘復元の一環で、北陸新幹線開通対策など金沢の観光の魅力を高めるため、この庭園地も復元の計画が立ち上がってます。
Img_704006z おととしから発掘調査を部分的に進め、昨年も調査説明会があったんですが都合付かず行けなくて、今日の会は心待ちにしてました。
特に今回、城の二の丸からの庭園泉水導入部と想定される箇所の発掘が進められ、大掛かりな滝があったであろう跡が発見されました。

Img_704011z_2 池の底面は現在の平面より約4mも低く、体育館が建ってた割にはそれもあってかなり良好な状態で残っていました。
ところどころ見える円柱は体育館の基礎として打ち込まれたものです。




Img_704055z いや、説明が始まる前に誰も居ない発掘現場を撮ってたんですけどね。
この日も地元歴史ファンが約200人も。土曜ですがお年寄りがやっぱり多くて若者の興味の外なんですよね。先日の画家末松智氏も見えてました。
報道も来てましたがNHKじゃなかったみたい。

Img_704067z 人数が多いんで2班に分かれて、僕らは最初玉泉院丸を囲うように築かれてる、特徴ある石垣の説明を。

僕らには既知ですが改めて言うと、金沢城は長い藩政期に数次にわたって石垣が建設修築され、その当時のトレンドや技術の特徴が色濃く残ってます。右側の縦長に見える石を短冊、四角いのを色紙と見立てて、色紙短冊石垣、と築いた者たちは呼んでたようです。
庭園の同じ面を角度を変え複雑に織り成す石垣の段々は、他の城には見られないここ固有の景色。まさに"魅せる"ために造られたんではないかと。
Img_704079z さて滝の部分の説明です。ちょっと聞き取りにくくすべては把握できませんでしたが、高い位置からも段差をつけて段落ちの滝になっていたこと、数次にわたって庭園は改造され、末期には廃止されたり明治の軍隊に触られたりした。けど削られたより盛り土されたようで、遺構はよく残ってるほう。
しかし自然石による立体的な石組みはかなり抜き取られ、そのうち約140個は兼六園の明治紀念之標の石台に使われてる。
Img_704087z 池の底面では、庭園の改修時に池の範囲を狭めて護岸石組を整備した跡もわかると。

女性の説明員もいらっしゃいましたが、彼女も金沢城調査研究所の職員なんでしょうか。うらやましいです。最近市役所よく行ってるんですが(この人は県の人)、公務員も選んどけばよかったなぁと、己の運命をちょっと嘆きましたww。
Img_704101z 説明が一通り終わってガケの上へ登れることに。すると下では第3班の説明が。いつのまにか人が増えてたんですね。
みなさんでこちらを注目されるのを上から見ると、ちょっとシュールな画面になりましたww。


Img_704118z 広大な玉泉院丸の一部づつを掘って発掘しているこのペースでは、とても新幹線には間に合いません。それで4年後までには暫定整備と称してお得意の無味乾燥な芝生地にでもする予定です。
まぁそれはそれでヤムないんですが、市街中心部からのエントランス部分の位置になるから大切な場所だ、と県が言ってるんですから、本格整備にはちゃんと大規模な泉水のあるすばらしい庭園に復元してほしいものです。僕が生きてる間にww。





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