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2010年10月

2010年10月31日 (日)

徳川将軍家と加賀藩 歴博特別展☆

Kagahan01 石川県立美術館のあとは、隣の石川県立歴史博物館へ。
まもなく終わってしまう、「徳川将軍家と加賀藩-姫君たちの輝き-」展をやっと観られました。

前述しましたが、加賀藩に嫁いだ将軍家の姫は秀忠の娘珠姫が前田家3代前田利常に、家斉の娘溶姫が13代斉泰にと言いましたが、4代光高に嫁いだ水戸光圀の姉、徳川頼房の娘大姫は、一度3代将軍家光の養女になったんですね。そういう意味では将軍の娘かも知れません。

他にも篤姫や和宮についても文物が展示されてました。
工芸展を観た後で、姫たちが嫁入り道具として持参した漆器調度品の雛道具とか見ると、現代においてもそれを仕上げる労苦は並大抵じゃないのに、はるか昔から築いてきたその技術は想像を絶するなぁ、と今更ながらに思い耽りましたね。
Img_703570z 他に13代藩主前田斉泰は長生きしたのもあって、隠居してからも絶大の影響力を幕末にゆれる加賀藩に与えたため、息子とも折り合いつかず幕末の動乱に大藩としてのイニシアチブを取れなかったとよくいわれます。
けど、幕末の混乱期、各藩だって佐幕・尊王に振り回され転換し続けたりしたとこもありましたから、将軍の娘を正室にもらった加賀藩が最後まで幕府と運命をともにしなくてよかった、とまだましに思いますね。

特別展のスペースはそんなに大きくなくて、金沢市のフリーパスで団体料金で入ったから常設展示見ずにわりとすぐ引き上げました。小学校の団体がちょっと騒がしいのもあっていたたまれなかったのもあったしw。

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2010年10月30日 (土)

日本伝統工芸展 石川展

Kougei01 昨日は、その日から開幕した、日本伝統工芸展に、石川県立美術館に行ってきました。

全国の古来より引き継がれている日本の伝統工芸の技術の保護と育成・普及を目的にって今年で57回目。陶芸・染織・漆芸・金工・木竹工・人形・諸工芸から350点が展示されました。

金沢検定にも出そうな石川を代表する人間国宝の作品もズラリ。
今年は石川から入賞が6人も出て、工芸王国石川のすごさを改めて実感しましたね。

当然検定対策も兼ねて、象嵌や木工など、普段見られない伝統の工芸作品を目の当たりにしようと出かけたんですが、九谷や輪島塗でも、いつも店頭に並んでないような斬新で美しい作品も数多くビックリで、思わず時間も忘れて見入ってしまいました。
Img_703548z そのへんはNHKのテレビでも解説してたんですが、日々のたゆまぬ努力とセンスが、地味ながらも根気のいる作業とともに結実していく、僕より若い入賞作家の姿をも見て身につまされましたよ。
九谷なんか何重にも塗り重ねて繰り返し焼いてるんですよ。象嵌は細かい破片が入るようにベースをピッタリ削ったり、沈金は目が痛くなるほどの小さい粒との戦い。みなさんすばらしいです。

さてこの日は午後に向かったのに、会場は例によって報道が集まってました。当日のNHKニュースに写ってしまったし、新聞は枠外でしたけど臨場感ある写真をすぐそばで撮られてました。
検定対策のみならず、考えさせられた展覧会でした。

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2010年10月29日 (金)

金沢歴史遺産探訪月間「辰巳用水」

Img_703493z 「金沢歴史遺産探訪月間」。24日日曜には「辰巳用水探訪会」に行ってきました。
用水の町金沢に重きを成す辰巳用水を、特に今回は長い隧道を歩くことが出来るっていう長年の夢?を実現できるんですごく楽しみにしていましたよ。
中は濡れるんでカッパと長靴、懐中電灯が必需品で準備OK。市の用意したバスで一路上辰巳町を目指します!
Img_30131c 用水に入る前にひととおりレクチャー。
今年国の史跡に指定された辰巳用水ですが、維持管理をしているのはなんと民間。380年前に掘られた用水は、今でも農業用水その他現役で利用されています。水利権を持つ「辰巳用水土地改良区」の維持管理組合が、年に何度かの清掃と修繕、水門の管理なども行ってます。
今日もただ隧道に入れるってわけでなく、3箇所ある水門を早朝に閉めていただきました。
Img_30135c 市から補助がある費用は400万。たったそれだけで1年維持していかなきゃなのはとてもタイヘンです。最初に説明いただいた前の写真の組合の畦地さんは御年81歳。とても頭が下がりますね。

全長11kmある用水の約1/3が隧道。380年前に藩命を受けた板屋兵四郎はそれをわずか9ヶ月で完成させます。
その工夫は各所で同時に掘り進めるために約30mごとの横穴を掘って工期の短縮をはかったわけです。
Img_30139c まぁ説明はおいおいで早速隧道の中に入りましょう。
今日は50名が限定参加。二班に分かれてぞろぞろと入り口まで歩きます。ここにそんな入れる場所があるなんて知りませんでした。当然普段は非公開ですよ!




Img_30142c 隧道の内部です。頭うつよ、とか水浸しになんよ、とかいろいろ脅されたんですがww、結構広いスペースじゃないですか。身長の低い僕には充分です。
この水濡れて黒くみえるところまで普段は水が流れてるようです。




Img_30143c ちょっとわかりにくいかも知れませんが、昔の掘削時にも使ってた灯りを置く溝をタンコロ穴と言います。今日もその穴に灯明皿を用意して再現していただきました。これも組合の方がボランティアで。

昔は菜種油とかいい油を使えなくて、ニオイや煙もひどかったようで、やはりそれにも頻繁にある横穴が有効だったそうです。
Img_30148c 足元です。すべるすべると言われましたがやはりそれほどでも。
かなり水も引いた後なんでそんなに深く残ってないですし、わりと平坦。壁面もデコボコはあるもののごらんのようにフラット。11kmあるうち、この周辺の勾配はなんと2%。100m進んで2mしか下らないという土木技術は、380年前とは信じられないくらいですね。
Img_30155c これが横穴のひとつです。ここは石で下が補強されてますが、なにもないところがほとんどでした。
今でも雨も吹き込むし、草木や虫とかも入れちゃいますね。これが約30mおきに空いてます。




Img_30149c この辰巳用水の水は、兼六園の池をも潤し、藩政期は逆サイフォンの原理「伏越の理」で金沢城内の防火用水にもなりました。

最近なにかとこの隧道の見学会が増え、そのつど水門を閉じてるものですから、兼六園では代わりに井戸水を供給。そしたら水温のせいかカキツバタが狂い咲きしたりするそう。兼六園管理事務所から文句言われた、と金沢市文化財保護課の田形さんが冗談まじりでw。
Img_30180c あれ、もうゴールですか。この日は150m。入る前はちょっと怖いか、と想像してたんですが、全然、とっても面白くてあっというまでした。
頭気をつけなきゃは、ここだけですねww。





Img_30185c 出口はこんな感じです。出たら一気に駆け下りろって。









Img_30190c 出口のそばに水門が。あぁ、ここなら来たことがあります。なるほど、と思いましたが、当然ここも立入禁止。電動部分はソーラーを使ってるんですね。






Img_30192c 外はここです。向こうに見える、新しい「ほたる橋」のすぐ下手ってわけですね。三段石垣はすぐ下です。








Img_30193c 引き続いて三段石垣の説明。ここは辰巳用水を保護するために、頑丈な三段もの石垣が260mにわたって築かれたところ。草木に隠れて最近まで省みられませんでしたが、ものの重要性が評価されて発掘調査されました。

ここは昔は、この後ろを流れる犀川が蛇行してたところ。石垣まで流れがあったらしく用水をこれで保護。
Img_30200c 見えるところからさらに5列の石垣があって、ある程度川の土砂で埋められたらしい。石の大きさも城外の石垣の中では最大級のもののようです。よほど辰巳用水が重要視されていたのがわかります。
辰巳用水はあの上段の上を流れています。



Img_30202c さてバスは、ここを下って辰巳用水ぞいにある「土清水塩硝蔵跡」にきました。
越中五箇山などで生産された黒色火薬の原料の塩硝などを、ここで集積し、辰巳用水の水流を使って加工・製造していた、加賀藩のいわば秘密基地です。
ここも近年発掘調査が進み、この果樹園とかの農地・住宅地一帯、兼六園より広い約11万㎡が敷地でした。
Img_30204c 調合所という重要な施設は今マンションの下らしいんで、その全貌を明らかにするのは難しいようですが、数年前から土蔵跡や搗蔵(原料を水車で搗いていた)を発掘。少しずつその痕跡を確認することが出来ています。
来月11月中旬にも、今年の発掘が始まるようですが、今回は時間的余裕がなくて、現地説明会は予定がないそうです。ザンネン。
Img_30206c しかしここで雨が本格的に降ってきて、この後予定してた辰巳用水遊歩道を一時間歩くってのはキャンセルされて、これで今日はオシマイ。バスで仲良く金沢市役所へ戻りました。
搗島のあった梅林です。この上手はリンゴ畑とか、今はのどかな場所なんですがね。

ん~なんとも楽しい週末でした。ブログに挙げるのはタイヘンでしたがww。

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2010年10月28日 (木)

金沢歴史遺産探訪月間「如来寺本堂」

Img_703420z 今年で3年目になりますが、「金沢歴史遺産探訪月間」として、この10月11月は金沢各地で多彩な歴史探訪のイベントが開かれてます。ふだん入れない墓所や寺院・用水隧道や伝統芸能とか、講演・解説や体験などすべて無料で参加できるんですが、制限のあるところは事前申込。人気のところは早々と締切になるんで、綿密なチェックが必要です。
Img_703423z 日曜はその事前申込のところに行ったんですが、その前日、伊能忠敬のあと友人とフリーでOKな「如来寺本堂」に行ってきました。
小立野にある如来寺は、有名な天徳院の隣。敷地が新しい道路でかなり削られて、その道はよく通ってたんですが寺の中に入るのは初めてです。
Img_703431z 前田家に縁があるとは聞いていましたが、その由来は5代藩主前田綱紀の母が徳川光圀の姉で、彼女の位牌所としたことから以後、徳川家の家系に属する前田家の位牌所として確立したそうです。
浄土宗で、前田家から広大な寺領を賜って加越能三国の触頭として威勢を振るったとのこと。徳川家の菩提寺のひとつ増上寺は浄土宗の総本山ですしね。
Img_703439z なるほど豪華な本堂内部に須弥壇には大きな葵の御紋が。
一度全焼したものの文化10年(1813)前田斉広によって再建された建物が現在にも伝わり、ちょうど去年金沢市の指定文化財にもなりました。
天井も高く柱間も広くとってあり、浄土宗本堂の典型な姿をしているようです。Img_703464z
ご本尊の後ろには、前田家の御霊屋が。ゆかりの位牌が並べられているようです。
前田家に嫁いだ徳川家関係の女性は7人。うち将軍の娘は、秀忠の子である珠姫(天徳院)が3代利常に、家斉の娘溶姫(景徳院)が12代斉泰にの二人です。溶姫は有名な東大の赤門の当事者です。

Img_703463z_3 下から撮ってみましたがみえるでしょうか。葵の御紋と剣梅鉢紋がそれぞれわかりますかね。





Img_703468z 御本尊の阿弥陀如来像です。
ホントはもっと明るいんですが、撮影を工夫して暗くしてみました。雰囲気でてますか?
なんだか森喜朗氏に似てませんか?!




Img_703482z 外では石仏公園がありました。
改修工事で不要になった敷石の石の再利用で、毎年数十体の石仏を祈願する当人に彫らせて、今は700体もが安置供養されています。
7月12日が万燈会で、夜には素朴な顔をした石仏が一面の灯りに灯された厳かな空間になるんでしょうね。

近くにあってあまり知らなかった如来寺の良さを、お蔭で少しかいつまむことができました。

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2010年10月27日 (水)

伊能忠敬に逢ってきた!

Img_703273z 地図マニアの崇拝対象、伊能忠敬の測量210年を記念しての「完全復元伊能図全国巡回フロア展」に行ってきました。
去年から全国を順次廻ってるのは知ってましたが、ここ金沢では今回、金沢工業大学の学園祭にあわせて、23・24日に同校第二体育館で開かれたのを、矢も立てもたまらず一番で乗り込みましたよ。
Img_703274z 地図ネタも久しぶりですが、このビッグイベントを取り逃がすともう二度とお目にかかれないでしょうし、伊能忠敬研究会名誉代表渡辺一郎氏の講演とあわせてみっちり2時間堪能しました。

開館時間ちょうどに乗り込んだのに、関係者や研究者、報道など含めもう会場はたくさんの人。早速ながら加賀能登周辺も人だかり。
Img_703277z 一口に伊能図と言ってもピンとこないでしょうが、伊能忠敬がメインとなって10次17年にもわたる測量の成果としての地図は、正式には「大日本沿海輿地全図」。
大図1/36,000・214枚 中図1/216,000・8枚 小図1/432,000・3枚 というもの。
大図を正しくすべて広げるには、50m四方も必要となる膨大なものです。
Img_703280z さらには何をそんなに興奮するべきことなのかというと、伊能図は幕府提出の正本以外に、その製作意図や模写の程度によって、副本・写本・稿本・模写本などさまざまなバージョがある。
しかし正本は維新時に明治政府に引き継がれた後焼失してしまい現存せず、そのほかの図も関東大震災などで失われたりバラバラに散逸して、半分以上は不明のままでした。
Img_703292z しかし2001年になんとアメリカの議会図書館に大図の模写図が207図も発見され、俄然その全貌に近づきました。
そしてまだ未発見だった6図も全く近年になって、国立歴史民俗博物館や海上保安庁で見つかり、とうとうほぼそのすべての図貌が明らかになったってわけです。
そしてそれらを一望できるチャンスは、ごらんのようにこんな体育館とかを使わなきゃならんということで、その希少さをわかっていただけたでしょうか?
Img_703295z 伊能忠敬の事績は、もう語る必要もないくらいでしょうけど、50歳で隠居して天文学の道に進んだこと、10次の測量のうち最初の2次は自費で発ったこと、足掛け17年、35,000km5,000万歩にも及んだこと、そしてなにより、日本の国土の姿を明らかにして、国家百年の計を地でいったことなど、他に比するものがありません。
Img_703301z ではその一部を早速見て行きましょう。

まず当地金沢です。沿海ってからには、基本は海岸線を測量し、必要に応じて内陸の街道や山の方角も測りましたが、金沢の場合宮腰(金石)から金沢城下に入ったものの、近在の村の名もないところ、加賀藩では最低限の協力しかしなかったのではないかという説があります。
Img_703302z もっと言うと非協力的って。けど金沢以外、こうやって能登とかは詳細になっていますから、決してそうではなかっのでは。
畳3畳ほどの能登半島は豪快ですね。




Img_703306z 七尾湾の海岸線も複雑なのがよくわかります。
写真を拡大したら、村の名前とかも読めますか?




Img_703311z 大図の中でいちばん美しいと言われる富士山です。
アメリカで見つかった大図は旧陸軍が模写したものでほぼモノクロでした。それに彩色を施してみたわけですが、山肌の緑が美しいこの国会図書館蔵の図を参考にしたそうです。

Img_703312z 江戸周辺です。ここも精緻でサスガ大都会を当時からも思わせますね。

右側に二つある丸いカラフルなマークはコンパスローズと言って、実はあそこで隣の図と分かれています。図の端に半分ずつ描いて、つなぎ合わせる目印になる接合記号というわけです。
それぞれが微妙に違って、そのマークの緻密な美しさにも見とれてしまいます。
Img_703317z_2 こちらは名古屋周辺です。名古屋の読者も多いものでw。
尾州居城とあるのが名古屋城。1803年当時なのに名護屋と書いてありますね。熱田神宮まで海のそばだったのは古地図で知ってましたが、名古屋の方たちも御存知でした?

Img_703346z_2 10次に亘る伊能忠敬の測量の中でも、あまりに海岸線が複雑なため、10数人の測量隊を二手に分けて進んだところもかなりあります。
奥能登においては七尾周辺は忠敬が、輪島一帯は平山郡蔵が廻っています。


Img_703353z_2 この大図の他に中図・小図があって、それは極端に小さくて中図で8枚で済みます。
しかしこれも数奇な運命のもとで発見されました。

それはフランスの片田舎の粗末な別荘の屋根裏から偶然見つかったというもの。

Img_703354z_2 1970年ころに家の持ち主のペイレ博士が屋根裏を整理していたら発見。珍しいものということでとっておかれたのを、渡辺氏が本物の中図の副本であることを確認。しかしそのまま所蔵されていて数年たったら、保存状態が悪く急激に劣化。


Img_703355z_3 急いで日本国内で買い取ってもらえる会社を探して、今は日本写真印刷㈱が所有されることに。そしてなんとか修復してこうやって皆さんの目に入るようになりました。

元の地図はたくさんの種類が複写含めて存在したものの、多くが焼失や散逸するなど不遇な運命の下だったようですが、その再発見も度重なる偶然の産物。そんな数奇な運命には、なにか忠敬の想いも深く込められているような気がしてなりません。
Img_703332z_3 最後に、伊能忠敬がいかにすごい人だったかの究極を。

この伊能図の複写を元に、明治17年以降になって輯製二十万分の一図が陸軍参謀局によって作られました。内陸は明治になって調査したものの、沿岸と街道は伊能図に依存。
そしてその後三角測量の上新しい帝国図として順次置き換えていったわけですが、それは明治後期から大正期にかけて、そして最後まで残ったのは昭和4年。なんと伊能図は108年も残ったということなのです。

他に地図に使用した紙は3層に漉いた特殊な和紙だったとか一度ぬらして完全に乾かしてから描いたとか、語りつくすにはまだまだ誌面が足りません。

けど渡辺氏の話の中で一番印象に残ったのは、伊能忠敬は戦前の修身の教科書に載ったとおりの、なにも特別な天才とか能力のあった人ではない。物覚えも良いほうではなかったようだし、言われるような特殊な商才で巨万の富を残したわけでもない。
ただ、50歳を越えての新しいことにチャレンジした勇気、長年かかって日本全土を測った根気と執念、精度を高めるために払った工夫と努力の跡を思って、混迷の現代を生き抜く元気をもらって欲しい、ということ。まさにそのとおりと思いました。

この度外れた彼の業績を靴下の下に踏みしめながらww、身近に逢えて教えをいただいたような気がして、少しばかりの勇気が出てきた想いです。

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2010年10月26日 (火)

金沢市立の博物館リレー 4

Img_703246z やっと9箇所目へ。長町へ来ました。ここは武家屋敷とかの観光地。裏通りの狭い道だから一般車両の通行が去年から制限されました。写真のふらっとバスと地元の方しか車は通れません。ゴミ収集車もわざわざバックしてましたね。
写真左の建物、「前田土佐守家資料館」へ入ります。
Img_703248z 前田土佐守家とは、利家の次男利政が祖で、まつの息子になります。宗家3代以降は利家側室寿福院の血筋になるんで、まつの血はこちらが継いでいるわけです。
後に加賀藩の八家ある人持組頭のひとつとなり、他藩でいう家老職の一員として藩を長年にわたって支えてきました。
その土佐守家が残されていた資料を季節ごとに展示を替えて公開しています。
Img_703262z 今回は「前田土佐守家の子女たち」と題して、江戸時代の武家にとって、家の存続に重要な意味を持つ嫡子ほか子女の存在をクローズアップしてました。
それでも土佐守家はわりと最後まで直系が継がれてますが、当然長男や正室の子ばかりが継いでるわけではありません。嫡孫が継いだり、一度宗家からの養子を庶子より優先したりってこともありました。このへん、じっくり追っかけると面白いですが、なにせたくさんのジャンルがあるんで忙しいですね。
Img_703252z では次は、その向かいにある「金沢市老舗記念館」。藩政時代の面影を残す薬種舗の中屋の建物を移築保存したものです。
旧南町にあった現役時代から知ってますが、移転した中に入るのは初めてです。伝統的な商家の典型のような造りで、ここの落ち着いたたたずまいにもピッタリですね。

Img_703251z 2階では伝統的町民文化を紹介する展示場ということで、加賀水引の豪華な結納一式とか、工芸菓子のでっかく華やかな花御輿が飾ってありました。
金沢はまた100年以上の老舗が多く、120社以上あって、先日より勤めてた会社もそうでした。特に有志55社が集まって「金澤老舗百年會」ってのを作って交流してる、その展示もあります。金沢ではやはり、伝統工芸や和菓子、料亭とかが多いですね。一部旧同業の紙や印刷も数件ありました。吉田初三郎の金沢鳥瞰図に、某同業社の名が載ってたのには驚きました。
Img_703254z さてやっと本日の最後、11件目です。犀川を渡って千日町の彼の生家跡「室生犀星記念館」です。
抒情詩や感性豊かな小説で知られる彼は、僕の小学校の校歌も作詞。同じ犀川を愛する者としてファンになってもよいものですが、やはりまだ一作もまともに読んだことがありません。
Img_703261z それと今回のテーマは「軽井沢の日々」。軽井沢に疎開してたのは知ってましたが、それどころか長年にわたって住んでたのは初めてわかりました。その前には芥川龍之介とよくここで逢い、別荘を建ててからは夏の仕事場として滞在も長期だったとか。むしろ金沢より長い時間を生きてたんでしょうか。

ん~、金沢は奥が深い。長年住んでても知らないことだらけです。これらもまだこれから読み込まなきゃならないし、この週末まだほかにも行ったとこアップするのが順番に待っています。
忙しい日々ですよww。

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2010年10月25日 (月)

金沢市立の博物館リレー 3

Img_703214z 大手町から広坂方面に行くのに、白鳥路を通りました。ここは金沢城の内堀のひとつでしたが埋め立てられて今はジャリの遊歩道。しかし僕の子供のころはただの舗装道路で夜は暗い裸電球の街灯しかないさびしい道でした。姉が大手町駐車場でバイトしてて、付いていった帰り道がとても怖かったのを覚えています。
けど今やこの三文豪の銅像が迎えてくれます。左から室生犀星、泉鏡花・徳田秋声。それぞれ何持ってるか、初期の金沢検定ではよく問題になったとか。
Img_703229z んで「金沢能楽美術館」へ。ここは全国でも珍しい能楽だけの美術館。金沢は江戸時代の武士のたしなみだった能楽の、特に盛んだった土地。大名がよく保護した支援したと言いますが、前田家はハンパじゃなく、宝生流を特に愛好したことから「加賀宝生」が確立。庶民にまで広まり「金沢は空から謡が降って来る」と例えられました。
Img_703264z しかし廃藩置県になって、おびただしい前田家の能コレクションも維持継続がかなわず、各地に売り立てられました。しかし、前田家に負けず劣らずの能愛好家、彦根の井伊家が特に明治期の直忠氏がコレクションに勤しみ、多くの前田家旧蔵品を所有。そこで現在彦根城博物館が所蔵してる前田家旧蔵品の一部が今回里帰りってわけです。
能そのものは、実は公演見たことないですが、今は一番難解な伝統芸能ってとこですかね。狂言は何度も見てるんだけども。
Img_703241z さて中央公園の旧四高、石川近代文学館に来ましたよ。ここは現在の金沢大学の前身ってことで、数々の偉人が歴代OBとして名を連ねています。要チェックですよ。
鈴木大拙・西田幾多郎・藤岡作太郎は金沢の三太郎。とか。

Img_703237z
特にこの外にあるブロンズ像群も押さえとかなきゃいけません。
これは四高記念碑って言って金沢出身の日本芸術院会員吉田三郎氏の作で、明治大正昭和の四高生の姿だそう。



Img_703263z ここは単なる四高OB館じゃなくて、石川の近代文学館。だから東山とも重複しますが、文学は苦手なジャンル。こうやって資料を押さえてあとで熟読です。
あっ、そうそうここは県立だから、朝買った年間パスポートは効きません。けど団体割引にはなりました。

Img_703256z そしてなにより、今日はちょうど金沢在住の女流マンガ家、波津彬子氏の原画展をやってました。ここでね。
彼女は特に、旧朝日ソノラマの「眠れぬ夜の奇妙な話」、今の朝日新聞社「ネムキ」に連載してる「雨柳堂夢咄」で有名。画業30年とこの作品20年を祝う今回の原画展。色彩と描線の魔術師、と言われる独特の世界が女性たちから絶大の人気を得てるらしい・・。
らしいというのは、「ネムキ」は諸星大二郎の「栞と紙魚子」シリーズで知ってるけど、この人はアウトオブ眼中だったしなぁ。金沢在住のマンガ家は何人か居るのは知ってたけど、この人は知らなかった・・。泉鏡花の作品とかマンガ化してるようだし、幻想的な世界や歴史的なものに造詣もあるようなんで、サイン本をまだ売ってたからそれ買って、途中の巻だけど読んでみてハマったら注目してみよう。

ちょっと寄り道というか、本道からそれちゃったんで、今日はこのへんで。
土日にたくさんイベント行ったんで、それらがつまってんだけどね。

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2010年10月24日 (日)

金沢市立の博物館リレー 2

Img_703202z 次は道路を渡って昨年旧町名復活した下新町の「泉鏡花記念館」へ。鏡花の生家跡というからうらやましい。そういうのが残ってるなんてね。
三文豪のうち、鏡花の作品がいちばん、劇になったり映画になったり、メディアに露出してると思う。単行本の表紙や挿絵にもロマンただよう女性の姿が映し出されていて、
Img_703265z その挿画の作者が小村雪岱という。泉鏡花の専属画家みたいに、新聞連載の挿画などあらゆる場面で描かれてます。
この人、銀座資生堂のデザイン部の社員にもなってて、例の伝統のあるマークの作成にも加わってるようです。これもチェックですね。

Img_703196z 泉鏡花記念館の向かいにある、久保市乙剣宮。ここで鏡花は子供のころよく遊んだそうで、裏には「暗がり坂」と「明かり坂」もあります。




Img_703195z 表通りに出て、今度は「金沢蓄音器館」に。
今はなき老舗レコード店「山蓄」のオーナー八日市屋氏のコレクションだった蓄音器540台をはじめ、SP盤2万枚など、数々の古い音楽にまつわる資料館。エジソンが発明したころの蓄音器、初期のおっきなラッパとスピーカーと、音楽好きにはたまらないんでしょうね。
Img_703266z ビクター犬の名前がニッパーっていうのは知りませんでした。






Img_703203z 続いて「寺島蔵人邸」。これは、加賀藩の中級武士の武家屋敷。12代前田斉広に仕え改作奉行など藩の農政・財政方面の実務で活躍した。
画家としても実績があり二階に「白雲深処」という画室があり、浦上玉堂が琴を弾いた4畳の部屋や「乾泉」という水のない池があるという庭もポイント。
しかし元々の大きさから1/3ほどに削られ、隣に和菓子舗「森八」のビルが建設中で、ちょっとその趣きも削減ですわね。
Img_703258z ここまで、東山界隈の6箇所の文化施設では、安江金箔工芸館オープン記念キャンペーンをやってて、今月いっぱい、各割引パスポートで来館すると写真のポストカードがプレゼント。僕のような年間フリーのでなくても、500円でワンディパスポートもあるよ。
まだ来週末まで間に合うから、ぜひいらしてみてはどうだろう。

さて今度は、広坂周辺へチャリを飛ばそう。まだ昼で疲れちゃいないよ。

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2010年10月23日 (土)

金沢市立の博物館リレー 1

Img_703171z 金曜日に、金沢検定対策も兼ねて、金沢市立の博物館めぐりをしました。
結果6時間で11箇所も。ハードながら過ごしやすくなった気候のせいか、そんなにはしんどくならなかったよ。

オープン間際をめがけて9時30分に着くようにチャリで、まずは今月新築移転したばかりの「安江金箔工芸館」へ。
全国の金箔の生産ほぼ100%の金沢で、誇れる立派な新しい建物になりました。
それもあってか、開館時間に入ったはずなのに、すでに小学校の団体が展示室にわらわらと陣取ってましたよ。解説板の上で書き物とかしてるんで一般の僕らにはちょっとオジャマ。通路でも床にノート広げて通りにくいのにそんなに避けず、先生に指摘されても「さっきの人ちゃんと通った」と悪びれる様子もなく、今の教育の難しさの一端を見たなぁ。

金箔は子供のころ、近所の友達のおばあさんが内職してたのを見たことがあるんで親近感ありますね。大きい建物のわりには短い説明ブースだったんでちょっと拍子抜け。
Img_703257z でもここから、怒涛の博物館めぐりがスタート。今月は金沢の文化施設めぐり月間。偶然カルチャーポイントや文学館スタンプラリーがあって、かなりをこなすことに。
2,000円で「年間パスポート」を買って金沢市立の15館がこれでフリーに。内10館を今日のうちに廻りましたよ。最後の室生犀星記念館でビックリされた。
区切りまでポイント貯めるとグッズがもらえるってやつで、1年あるからたくさんいったろうと思う。
Img_703175z 続いて同じ東山界隈、浅野川ぞいにある「徳田秋声記念館」
金沢三文豪のひとり。重点項目です。文学が好きな人なら、その作品世界に魅せられていろいろと詳しいんでしょうが、そういや三文豪の作品はひとつとしてまともに読んだことがありません。いままで興味の範囲外ですからね。
Img_703267z ここでは、検定対策もあり、館内クイズラリーがありました。展示をくまなく観れば答えられる内容で、なんとか粘って満点でクリアファイルもらいましたが、本番でもこうなれれば。
作品タイトルと人間関係と文学碑や由緒ある土地とかですね、キーポイントは。
どこもそうなんですが、基本的に館内撮影は禁止。だからこうやって外観ともらったパンフとかを撮影します。
Img_703174z 「徳田秋声記念館」の前にある人道橋は「梅の橋」。これも試験に出る可能性のある重点項目です。犀川に住んでると浅野川についても弱いんで。今日は弱点補強の旅ですから。



Img_703182z その梅の橋にはきれいな青い朝顔が。こういったところも見逃さない余裕は持ち続けたいですね。
けど撮影技術の練習をするヒマはありませんでしたが。












Img_703186z 続いては、浅野川大橋を渡った対岸、橋場町交差点にある「金沢文芸館」。
ここは古いモダンな銀行だった建物を改築して金沢ゆかりの文芸活動の拠点にしたもの。特に金沢に縁が深い五木寛之氏の作品もまとめられワンフロアを占める。
彼の若かりしころの写真とかもあったけど、男惚れするくらいダンディでかっこよかったんですね。
Img_703188z さらには、地方都市主催の全国規模の文学賞としては初めてという「泉鏡花文学賞」の歴代も展示されてて、これらもしっかり押さえなきゃいかんですね。最近の審査員は、五木寛之・村田喜代子・村松友視・金井美恵子・嵐山光三郎、各氏です。今年の受賞は篠田三郎監督の「河原者ノススメ」で、この26日が授賞式で岩下志麻さんも来るらしい。









Img_703190z 文芸館のすぐ脇には、「石川縣里程元標」があります。北國街道の重点ポイント。かつて江戸時代はここから越中越後方面へ東進したのが江戸への路程。金沢城でも大手門があるこの北面が金沢の正面というか中心でした。

こういったのも追っかけながらの市内のチャリ旅では、とても一回じゃ書ききれません。まだ3箇所目じゃいね。

つづく・・。

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2010年10月22日 (金)

「金沢城大学」入学しました!?

Img_703135z 今日は久しぶりに金沢関係のセミナーに参加。

でもこれは「いしかわ県民大学校」教養講座。いわゆる平日のリタイヤー向けの教養セミナー。つまり参加者はお年寄りばかりなんですが。
けどフリーランスや平日休みの人も当然来ていいはずで、でも半年に亘る教養講座で参加希望者も多く、定員制の歴史・文化コースは3倍の倍率に抽選負けしてしまった。
Img_703139z 城と庭の探求講座「金沢城大学」ってのがそうで、けどそのうち、公開講座オンリーの城と庭の魅力コースは参加自由。今日の第一回は重複する公開講座で「加賀藩の伝統文化」と題して石川県立美術館館長の島崎丞氏の講演。
これから不定期木曜にある公開講座、全8回のうち6回参加すれば修了証がもらえるみたいだから、2月まで職が決まらなきゃねww。
Img_703136z そして初回の今日はなんと今年復元したばかりの河北門二階櫓の中で夕方の開催。主催の金沢城・兼六園管理事務所ではこの河北門内部の時間貸し一般利用も勧めていて、今回はその栄えある第一回!

ざぶとん敷かれて、100人くらい入ったでしょうか、やっぱりたぶん、僕が一番若そうで。
Img_703142z 最初に管理事務所所長からのご挨拶。そして初回ということでお祝いに横笛奏者の藤舎眞衣さんの演奏。透き通ったしかし時に激しい音曲で迫力満点だったけど、丁度金沢城は閉場の時間。城内アナウンスと重なって魅力半減。藤舎さんに申し訳ないくらい。これは主催側のミスだなぁ。

Img_703145z この後ようやく本日のメインエベント。島崎館長の2時間にわたる独演会。

なんと申しましょうか、前置きが結構長いし抑揚無くとめどなく流れて話されるんで、最初の既知な話は単調であっちの世界に行きそうだったんですが、中盤から話も深くなって俄然面白くなって聞き入ってしまいしまた。
県立歴史博物館では「徳川将軍家と加賀藩」特別展をやってるんですが、それに展示されている文物の紹介もあり、明日にも行って見たくなりましたよ。
島崎氏の話はときおりユニークに、徳川と反目する矜持を持ち続けるべき加賀人の本音も見え隠れし、とても興味深かったですよ。
ちょうど今、来月中旬に迫った金沢検定のいい予習になりました。
Img_703148z あっという間の2時間で、外はすっかり暗くなってしまいました。特別な日じゃないのに、閉場時間過ぎても中に居られるのは珍しいので思わずパチリ。

明日は検定対策で、文学館を初め金沢市立のミュージアムをハシゴしようと思います。

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2010年10月21日 (木)

東京ステーションフェスタ2010

Img_703081z 鉄道といいながら最近車両は撮ってませんが。

帰りに東京駅に着いたら、ちょうど「東京ステーションフェスタ」がやってました。
鉄道の日の10月14日をはさんで毎年開催で、限定グッズや駅弁大会、復刻スイーツとかもやってましたが、時間がないのでそれらはパス。
Img_703083z 今年のテーマは「復刻」ということで、2012年に復原完成する東京駅丸の内駅舎についての歴史展スペースを訪れることに。
現在は丸の内レンガ駅舎周辺は全面覆いに隠され工事も本格化。
戦災で2階建てに仮復興した駅舎を、ドーム屋根など創建時の3階建て外観に復原。
Img_703084z 1914年開業時の設計を手がけたのは超有名な建築家辰野金吾。日銀本店や大阪市中央公会堂とかでも知れてますね。
金沢との縁は金沢出身の片岡安と共同建築事務所を開いたってとこですね。旧日銀金沢支店も設計したそうです。

Img_703087z 約100年前に開業した東京駅舎は荘厳なレンガ造り。
東京内の鉄道駅舎の中では遅い方でしたが、それより前にあった同じく辰野金吾設計で少し小ぶりの万世橋駅もぜひ復原してほしいと思います。



Img_703092z 復原される3階部分は、復原前からも2階はそうでしたがギャラリーやホテルになります。一度ギャラリーは入ったことあるんですが、なかなかに上品で落ち着いた空間でした。高いでしょうが完成したらぜひステーションホテルに泊まりたいものです。
すでに重要文化財に指定されてますが免震化工事も施され、創建当時の威厳とともに最新の設備の整った新しい東京の顔となるでしょう。
東京駅は新幹線開業以来、どこかしこで工事のしていない日はないくらいと言われ、新しいショップや広い通路など、今までも日々進化してました。ここ5年毎月のように僕は通ってたんで、関東の人間より詳しくなった東京駅。極め付きはあと2年後ですね。待ち遠しいです☆

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2010年10月20日 (水)

せっかくの江戸なんでお守りを・・。

Img_702894z 先週末は、こんなときだけども、東京の友人に誘われてまた江戸へ行ってました。

待ち合わせ?の上野近くで時間つぶし。あっそうだ、湯島天神にまた行ってこよう。

アバラ痛で歩幅を稼げないのに、痛みこらえてやっとの思いで階段登って着きました。
ここは学問の神様。資格の勉強に合格守りを買おうと思ったら、就職祈願のお守りもあったぜよ。
Img_702887z ここは天神ってくらいだから当然菅原道真。剣梅鉢紋も鮮やかに、あちこちに意匠されてます。加賀藩の建物かと、金沢に居る錯覚を覚えるくらい。
そう、金沢検定中級合格も祈願しなきゃですわ。


Img_702888z
陽気のいい秋の土曜。結婚式もこの日4組もあるらしく、拝殿に厳かにお参りする白無垢の姿が。周りの雰囲気も華やいで、なぜだかホッとした気分になりますね。やはり日本人だから、神社での結婚式もいいもんです。個人情報保護の観点から、撮影画像は載せませんがww。

Img_702906z 他にも、少し気の早い七五三に来てた親子連れも多かったですよ。ドレスや着物で着飾ったかわいい女の子もチラホラだったけど、それこそカメラは向けられませんでしたww。
けどカメラの勉強にはすごくいい被写体になるんだけど、なかなか気難しい世ですよね。
Img_702886z この日は被写体探しに都内を廻るかとも思いましたが、なにせアバラが痛くてそれどころじゃなかったんで、わずかな駅撮りと、最低限の義務だけ果たしてきました。そう、まるで義務でしたよww。



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2010年10月19日 (火)

この秋もムリして行ったよ「あぶりもち神事」

Img_703097z この秋も春に続いて行ってきました。金沢神明宮の「あぶりもち神事」。

まだアバラが痛いのに、東京でもムリしてましたがこの日も期間中唯一金沢に居られた日なんでがんばってチャリを飛ばしました。


Img_703105z 最終日の日曜もかさなって、午前から今まで一番の行列にでくわしました!

加賀藩二代前田利長が奨励したという300年以上続く全国でも珍しい風習です。

悪事災難厄除けとして、幣形に小さく切ったお餅を串に刺して、玄関先につるして家のお守りにしたり、あぶって食べて身体の災難よけにしたりします。

Img_703107z 家のお守りとして半年飾っても、ずっと白いままで全くカビた様子もなく保ちましたね。春のものと取り替えて納めます。

食べるほうはショウガたれにつけて甘辛くてとてもおいしいです。

半年の厄除けにと毎回大勢の参拝客で行列ついて買わなきゃいけないので大変です。菊川まで離れるとあまり身近じゃないですが、この近辺の方々だと一般家庭はもちろん、企業さんまで、みなこぞってお参り・お求めされる習慣があるようです。

今日も澄み渡った青空の中、お年寄りから子供連れまでいてにぎわってました。
Img_703095z 毎年4月と10月の15・16・17日に、曜日に関係なく開かれてます。週末にかからないこともありますが、今はまぁフリーなんでww。

中原中也の「サーカス」に出てくる舞台ともなった、金沢神明宮での金沢の風物詩のひとつ。「あぶりもち神事」

いちど日をあわせてぜひいらしてください。





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2010年10月15日 (金)

野々市駅の現況!

Img_700717z 鉄道ネタが久しくなくってすいません。
あまりにも追いかけるものが多くて・・。

そうこうしているうちに、北陸新幹線、金沢-白山車両基地間の工事も着々と進んでいます。ここ野々市駅前では、以前からの駅舎(南口)がとうとう解体され、プレハブの仮駅舎になってました。駅前にはかつて右手は床屋の入ってたビル、左手には簡易郵便局のあった平屋の雑居ビルなど、雑然とした昔ながらの駅前、って風情だったんですが、今や駐輪場しかないサラッとした場所になってしまいました。
右側の道は付け替えられ、すでに高架の橋脚だけでなく橋部も一部できています。
この進行具合は、金沢方向から順に、というわけでは決してなく、まだ道路の付け替え最中とか、もう橋部が完成?とか、ところどころまばらに差がついています。これは工事の工区が複数分かれているし、しかも地権の移転の時期の違いとかによるものでしょうか。
以前踏切撮りしてたところはもはや安全?とは言えない場所もあります。西金沢駅などせめて各駅周辺などを、近々にレポートしたいところですね。

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2010年10月14日 (木)

金沢まちしるべ標柱、改めて完全制覇?

Img_700713z 今日は鉄道の日でしたが勉強で、どこも出歩きませんでした。当日に目立ったイベントを金沢でやってないのもミソで。

さて先日来のトピックを少し。
金沢まちしるべの標柱で、壊されて数年建ってなかった「同心町」が、復活してるのを発見しました。某ハローワークへの道スジにあったんでちょうどよかったわけですww。
「No163[同心町]藩政期に同心(加賀藩では足軽の一種)が住んでいたために名づけられたといわれている。」
Img_700714z 次いで昨日、郵便局に寄ったついでに竪町で撮りました。チャリや歩いていける距離ですが、昨年3月に建ったという情報もなかったんで、S氏に教えてもらうまで知りませんでした。ちなみに今でも金沢市のHPにも載ってません。「あかり坂」も載ってないし、かなりいい加減ですな。
犀川大通りに面した公園の中にあります。
「[竪町]古くは犀川の川原であったが、元和二年町地となり、川に並行して道路を作ったため竪河原町と呼んだ。のち省略されて竪町となった。」だからNoはありません。
これで現行221種224基、わかってる範囲で改めてすべて制覇しました(旧北国街道は4箇所にあります)。

金沢のまちしるべ標柱、旧来の町名と由緒ある坂と用水、字地に建てられています。金沢へお越しの際にはぜひ見つけてみてください。

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2010年10月10日 (日)

撮影も勉強のひとつ☆でバラ園へ。

Img_700631z 今年も、金沢南総合運動公園のバラ園に撮りにいってきました。

8日も午前までは青空が見えてたので、今日を逃すといつ撮れるか、と午後の某所の予定前に車を飛ばしました。


Img_700689z バラ園の盛りは春と秋2回。5月中旬と10月中旬。この日はまだ園全体が満開とはいかず。けど咲いたやつはすでに盛りが過ぎたのも。一輪一輪撮るにはこれでいいかもね。



Img_700637z 7Dに50mmマクロをつけたのは初めて。昼前の太陽が時折陰るけどちょうどいいくらい。シャッタースピードを固定して手持ちと三脚併用しました。




Img_700641z バラはよく見ると、花びらに傷がいってたりくすんでたり。その場の勢いだとなかなか気づかず、あとでシャシンを見て発見、ということもよくあります。
今日はその点、現場でしっかりと確認しながら撮りましたんで、そういった失敗は防げたかな。

Img_700655z けど相変わらず、花の品種はなかなか覚えられず、いちいちメモも取りませんから、この花はなんて名前、とかいちいち知りませんww。キレイならいいじゃありませんか。




Img_700661z 花を撮る、という機会も今まであまりありませんでしたが、これからもっとチャレンジしなきゃですね。
その点バラは格好の題材にはなります。
けどそんなら、100mmマクロがほしいところですがw。


Img_700664z 花もただアップだけ撮りゃいい、んじゃないのもわかっています。
けど、アップすらまともに撮れないのも。この日は時間が押してて、じっくり角度を選んで撮るヒマがありませんでした。
いつもそんな気ぜわしさを言い訳にしてますね。だから上達しないんですけどね。

Img_700698z おしべめしべも際立てて撮りたかったんですが、やはり形のいいのを探す余裕はなくって。
そこまで陽があたってるのも少ないですし。




Img_700708z 8日すなわち金曜の昼ですから、来場者は少なかったですが、僕以外にひとり三脚持ったおばさんが。フイルムカメラを使われてましたね。

晴れた日にはこれからも出かけていろいろ撮らなきゃですけど、なにかと忙しいのも事実。決まんなくてもねw。
勉強することも多くて、正直現在大変なんですよww。
んでは。

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2010年10月 9日 (土)

金沢の小山にチャレンジ失敗☆

Img_700511z 7日になるんだけど天気があまりによかったんで、ちょっと山歩き、と思ったんですが、結論から言うと断念しました。というかちょっとナサケナイことにw。
金沢郊外の高尾山の上に見晴台が整備されたってんで、その上からの景色を見たくなって角度のいい午前から。それにふもとまでチャリで行けばGOODかと。
けどそのふもと、林道のとりつきまでもチャリでは大汗、天気がいい分気温も暑くて、やっぱもっと早い時間に出るべきだったか。

やっとの思いで未舗装の林道の手前まで登ったけど、したらそこには、「クマに注意!」の看板が・・。
そう、金沢では今、あちこちにクマが出没中で、うちの近所にも出てるのがまだ見つかってないぐらい。このあたりは大丈夫だろうと思ってクマ鈴すら持ってこなかった。
ん~、考えた末に、今日は断念。ここから一旦戻ることに。
Img_700526z けどもここ高尾の山側環状道路からの市街の眺めもよかったのを思い出して、ちょっと足を延ばして。
青空にスカッと晴れて見通しが利く高台に道路が通って、一度じっくり見たいと思ってました。けど、日本海はギリギリ見えるかな?そうか、窪ならもっと見れるはず。

Img_700607z ちょっと戻って窪の住宅のある山。満願寺山に登ろうと。山側環状ができて、いつも下からこの住宅地をみると、さぞや眺望がいいだろうな~と思ってたんで、いつか上まで行ってみたかった山です。
チャリで急坂を登ると・・・。って言うけど、とても漕げるもんじゃなかった。降りて曳いて歩いても、ここまで疲れた身体には、それでもヒーヒー言うくらい。こんな坂によく宅地開発したもんですよ。
Img_700560z 山の中腹あたりまで登って、ようやく見晴らしのいいとこまで来ましたよ。スゴイ!視界がひらけていい眺めですわ。疲れも飛ぶかな~。
これはぜひ夜景を見てみたいでんな。ここに住んでる人たちは、普段の不便をこの眺望で帳消しにしてるんでしょうか?

Img_700566z かすかに日本海もはっきり見えますね。
街の見慣れたビルなんかも、たとえ望遠でもひとつの視点でよく見れます。距離感が圧縮されてるのがよくわかりますよ。




Img_700574z もうひと登りして、やっと山頂部にとりつく神社まできました。
満願寺山ってんだからお寺があると思いましたが、「九万坊大権現」という鳥居が。




Img_700577z けど地蔵堂もあって、こりゃ神仏混交の名残だな。






Img_700582z 九万坊尊と掲げてある拝殿に参ってると、鈴の音がまだ奥から聞こえて、左脇から人が降りてきた。軽く挨拶を交わして、そうかまだ奥があるんだ。
道とも言えぬ狭い通路を歩いて、あったあった。拝殿の裏に、さらに鳥居もある立派な本殿が。天狗の面も架けてある由緒ありそうな神社?
後で調べると、九万坊権現とは天狗のことらしい。この隣に昔は満願寺があったようだけど。九万坊大権現はこことは別の三小牛山にある薬王寺のこととか、この山頂に古墳群があるって(この山の鳥居に大権現って書いてあったけど・・)。
こりゃぜひ山頂まで・・。
Img_700585z って思ったら、なんと石段には立入禁止の柵が。途中で段が壊れてるらしい。
ん~、ザンネンだけどブログに載せる目的もあるから不法はいけませんもんでここも断念。「富樫大明神」ってある石碑も興味そそられるんだけどなぁ。


Img_700593z ここでオマケをひとつ。やむなく神社を下りてきたら、昨日までの雨で苔むした石階段が濡れてて、途中で滑ってすってんころりん!と尻から落ちてしまった!!

しこたま腰を打って、カメラのレンズフードやメガネまで傷つけてしまった。

とんでもないミソがついてしまって、やっぱり下調べや充分な準備をしなかったのがいけなかったか。
クマも上から見てるかもよww。
Img_700619z 戻りしなに、山科の伏見川で羽根を休めてる鴨たちを激写。昼どきで彼らも憩ってるよう。時折羽根をバタつかせて水浴びしてるみたいだった。

この秋、今時間のあるうちに、また撮影にちょこちょこ出かけたいと思ってますわ。





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2010年10月 8日 (金)

今度は福井の、歴史探訪2

Img_700419z 次は、県庁の本丸を離れて、街中心をまたいで柴田神社へ来ました。当然柴田勝家を祀った神社ですが、ここに城跡の遺構が発掘調査の上露出され、一大歴史スポットになっています。
それというのも福井城とは越前松平家が入ってからの名称ですが、それ以前柴田時代は北の庄城と称してたわけで、それらは福井城時代と混在され不明な点も多いとされてきました。
Img_700432z しかしこの地に当時のものであろう石垣や土居の跡が発見され、ここが北の庄城跡、としてクローズアップされることに。
展示館の二階から俯瞰するとよくわかるでしょうか。けど、福井城も今残ってる本丸以外にこのあたりも城域であり、北の庄城の本丸も福井城の本丸と同じとも言われています。観光客に、あっちが福井城、こっちが北の庄城・・、というように誤解されないでしょうか。
Img_700423z あくまでここは柴田神社、柴田勝家の像が・・。






Img_700409z お市の像もあります。夫婦であった期間はわずか1年。夫に殉じたお市と勝家の像は互いにあさっての方を向いて・・。
以前はお互いを見つめてたようですが、発掘が進んでスペースを組みなおした結果のようです。
傍らに三姉妹神社があって、来年の大河「江」にはひそかな注目を浴びるかも知れませんよ。
Img_700444z さて郷土歴史博物館に戻ってきました。
2名2時間のみっちりした講演会に、60席の会場は御老体で満席。福井の城下と城の移築建造物について建築史専門の講師の話は、福井自体に興味がないとちょっとついていけませんでしたね。最初半分居眠りしてしまい恐縮ですw。
展示はしかし、江戸末期から明治初期に描かれた、福井城下の俯瞰と各要地の絵図が豊富にあって面白く、まるで当時にタイムスリップしたみたいで頭にその景色が思い浮かぶようでした。
水堀が幾重にも張り巡らされた城下は結構広く、明治から昭和にかけてそのほとんどが埋め立てられ市街地化されたのは、歴史好きには惜しかったと思います。けど、戦火や震災に遭った福井市民からすれば、早期の復興のため広い道路を必要としたのは当然のことでしょう。そういった一連の福井史がここで観ることができます。
Img_700447z その後博物館に隣接する「養浩館庭園」に入りました。
ここは御泉水屋敷と言った松平家の別邸で、明治になって城が政府に明け渡された後も、松平家が長く所有し、戦災で焼けた後、平成になって市の手で復元されたということです。

Img_700457z 夕闇迫る時間帯に入ったんで、ちょうど雰囲気ただよういい絵になりましたよ。
敷地は決して広いとは言えませんが、外国人旅行者が選ぶ日本庭園で常に第三位に入るくらいの評価を得てるようです。時折外のマンションが見える画角がザンネンですが、なるほどこの建物と池がひっそりした日本庭園の静けさに合って風情が出てますよ。
Img_700492z EOS7Dの威力を最大限使っての撮影に勤しみましたが、こんな暗くなるんだったらやっぱ三脚を持ってくればよかったですね。
これで紅葉の時期はかなりいいロケーションになったでしょうね。



Img_700487z ここはちょっと軽く考えてましたが、ばかにならないくらいいいところですよ。建物も広く部屋数も多いし、湯殿とかもあってユニークです。
夕闇迫る中でも開いてて(19時まで)人が少なかったんで撮り放題でしたが、もう少し明るい景色も撮りたかったですがね。
撮影技術を、やっぱり真剣に勉強しようと思いなおしましたww。
Img_700498z 外に出て博物館側に戻ると、水路沿いの夜景のライトアップもきれいでした。

福井城の舎人門遺構も復元され、夕闇に浮かび上がる姿は、福井県人もあまり知らないんじないかと思うくらい、隠れたビュースポットですよ。

Img_700502z ぜひみなさん、来られてみたらいいんじゃないでしょうか??




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2010年10月 7日 (木)

今度は福井の、歴史探訪1

Img_700368z 日曜には歴史好きの友人S氏に連れられて、福井へ行ってきました。遊んでばかりですねw。
福井市立郷土歴史博物館での講演会と展示会に。
金沢では、石川県立歴史博物館の低迷からリニュアルを検討されてるって言うのに、金沢市立の歴史展示館もなく、福井のように福井市をターゲットにした歴史館があるのはいいですね。
Img_700371z さてその展示を観るのは後にして、先に福井城その他を見て廻ります。
福井は前の仕事で、市内の何箇所もある店舗を何度も訪れてたし、まぁそれは10年以上前ですけど、福井城は一度も立ち寄ってませんでした。
福井城は本丸だけが残って、それを内堀が今もぐるっと囲んでいます。
Img_700378z 本丸内部は福井県庁がほとんどを占め、最近建てなおされた近代的な巨大なビルとなっていにしえの地盤の上に建ってます。
手前は2年前に復元された御廊下橋。




Img_700384z 藩主の住む御座所を、本丸でなく西三の丸に置くことが多かった歴代藩主のために、本丸西の内堀に架ける橋に屋根をつけました。こういう橋はとても珍しいようで、明治期まで残ってたものを、福井築城400年を機に再建したそうです。


Img_700388z 城の中に入っていくと、ところどころの石垣がかなり老朽化して崩れたところが目立ちました。
城内で古い建造物や復元した建物もなく、史跡としてはこれでいいんでしょうけど、すこしさびしい気がしました。けど、何箇所がその石垣の上に登れるところがあるのでそれはうらやましいですね。
Img_700396z そのうちのひとつ、天守台跡です。りっばな広い天守台があり、登りはきつい階段でしたが、見晴らしはサイコーでした。
福井城の天守も早々と1669年に焼失し、以来再建されませんでしたが、内堀に囲まれた本丸の他の隅櫓は明治まで残ったようです。

Img_700393z その天守台にある、福の井という井戸です。福をもたらすという意味で当然「福井」の語源になったようで、今も満々と水を湛えていました。この高い位置にあるのにフシギっちゃぁフシギですけどね。






続きます。。

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2010年10月 6日 (水)

久しぶりに金沢城の中に入ったら・・。2

Img_700306z 日中めっきり涼しくなってきましたね。まだ木々の葉は色づいていませんが、こんなピーカンでも汗はほとんどかかず、いい季節になってきました。





Img_700308z 河北門です。4月の公開以来、じっくり入るのは久しぶりになります。すっかり金沢城の顔として定着したでしょうか。すこし黄味がかった白漆喰と鉛瓦が青空に輝いて美しい日本の伝統美をかもし出してます。



Img_700310z 二の門の中から高麗門の一の門を見ます。石川門に比べてこの枡形は防御の面としてはどうだかですが、機能美といった日本の城独特の美しさが際立ってすごく好きですね。



Img_700315z 黒鉄で覆った部分と木肌とのコントラストも美しい二の門です。
しかしこの木の地肌がくすんでしまうのに、どれだけ時間の猶予があるのでしょう。この美しい状態を見てもらうには、早く金沢に来てもらうしかありませんね。


Img_700319z 二の門の二階内部に入る、木段の上です。ここから一の門越しに菱櫓と五十間長屋を望むこの図は、僕のブログトップに据えたように、新しい金沢城を表すフォトビューイングになってるようですよ。今後さまざまなメディアやパブリッシティに出てくること間違いないです。

Img_700324z 久しぶりに内部に入りました。オープン時とそんなに代わり映えしないんですが、説明板がいくつか新しくなってましたかね。ガイドムービーも最初のときは見なかったんで新鮮でした。見学会の模様の写真には、友人が写ってるかも。
しかし土曜の昼なのに来場者は少ないですね~。
Img_700330z 河北門の一角をなす、ニラミ櫓台です。宝暦の大火で失った櫓本体までさすがに復元されませんでしたが、この櫓台の上までぜひ侵入可にしてほしいものなんですが。




Img_700331z 15mmの広角で、菱櫓-五十間長屋-橋爪門続櫓の全体を撮りましたが。やっぱここはカッコエエですね。石川櫓が修復中なんで、今後の金沢城のシンボルといえばやはりこの図でしょうな。



Img_700357z 玉泉院丸に来ました。庭園遺構の発掘調査中のここは、新幹線開通の4年後までに、なんらかの暫定整備をする予定。しかし全体像発掘のまだ緒についたばかりなのに、遅れがでないのか心配です。いもり堀緑地のように、中途半端な暫定整備の期間が長く続かないようにと思いますが、さてどうでしょう。広大な庭園が完全復元されると、街中心部からのエントランスゾーンとして期待されてるこの場所が、また金沢の名所のひとつとして浮かび上がるでしょうけどね。

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2010年10月 5日 (火)

久しぶりに金沢城の中に入ったら・・。1

Img_700251z 10月に入りましたね。僕はあいかわらずなんですがどうもまだ落ち着きませんね。
10月の頭は氏子になってる石浦神社の秋祭り。金沢市内の神社は毎年5月と10月に例祭が行われます。僕も2日に祭祀料を納めに行きました。
拝殿の中では巫女さんたちが気ぜわしく働いてましたが、僕は遠慮して中ではお参りしませんでした。外の境内じゃ土曜の本祭日だというのに、露店がひとつだけ、しかも端にひっそりとしか建ってなくて、時代の流れを感じて寂しかったですね。
Img_700271z さてそのあと、やっと久しぶりに金沢城に向かえました。
夏の間、見られなかったいもり堀に、鴨が住み着くようになったみたいです。




Img_700274z 旧県庁のしいのき迎賓館とともに、回遊性もいい市内中心部に面した格好の復元施設なんですが、土曜の天気のいい昼間に人っ子ひとりいませんねww。




Img_700273z 辰巳櫓下石垣も街中から目立つ位置で、夜になるとライトアップもキレイですが、昼間はやっぱり地味ですね。
辰巳櫓の復元には、さらなる検討と時間がかかるでしょうから、まずは明治期の階段を公開して、この複数段の石垣に登れるようにしてくれるといいと思います。

Img_700280z この日は県の委託業者が、石垣の草刈作業をしてました。ライトアップしてからは、この石垣の見栄えに気をつけるようになったと思いますが、ぜひ段面だけでなく、地面も歩けるようにしてほしいです。



Img_700294z 橋爪門の二の門復元工事に向けた発掘調査が始まってからやっと初めて中に入りました。
以前からブログトップ画像にしてた場所からの眺望が、今は手前の植物園が浚われて全くの発掘現場になっています。
右奥の方では石川門の石川櫓も修復工事で全体が覆われて、ここからの眺めは工事で何度も変わってることになります。
Img_700296z ちょっとわかりにくいかも知れないけど、手前の看板のとおり、この橋爪門続櫓の手前に、櫓門となる二の門が建つことになります。




Img_700298z そしてこの一角が枡形になって金沢城の三御門の枡形がすべて完成、ということになるわけで。





Img_700299z この日は土曜日でもあって工事はお休み。シートがかけられたままで地面の様子はわかりませんが、近いうちに発掘報告見学会があることでしょう。とても楽しみです。




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Img_700303z 石川門では、櫓や土塀のすべてを保存修理。数年前から始められ、右方土塀と二の門の櫓門は先年完成。今年夏から金沢のシンボル石川櫓と左方土塀の修復に入っています。



Img_700305z 右方土塀の工事見学会のときに見ましたが、左方もこのように白漆喰を全部はがしてますね。そのうち瓦も葺き替えて全くの解体みたいにするはずです。今斜めになってる控柱も、明治の陸軍がコンクリ製でしたもので、これを木製のコの字型に造りかえるでしょう。かなり大掛かりです。

Img_700304z 工事中だけど、石川櫓の中は見学OKでした。今年になってから内部公開日を増やして、土日はじめ年間70日以上。いままでほとんど公開てこなかったことを思えば、ありがたみが薄れて逆にザンネン??
いつでも見られる、という安心感から、この日は三十間長屋だけ見てきました。

さて、長くなったんで、久しぶりの河北門は次回に。。

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