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2009年9月27日 (日)

水戸城跡は学校の中?

Img_119413z では水戸観光を駆け足で。
まずは水戸駅前から正面の小高い丘の上、水戸城敷地内三の丸にある、藩校「弘道館」
幕末近く天保12年(1841)に徳川斉昭によって創建。光圀から始まる流れを汲む水戸学の精神を教える総本山です。
この正門と正庁、至善堂が国の重要文化財として残っています。
Img_119416z 正庁の中に入って諸役会所の間。いきなり「尊攘」の掛軸で圧倒されましたw。
天皇(神)を尊び日本古来の倫理道を基本とし、儒教をあがめた水戸学の真髄が早くも篤く伝わってきました。



Img_119419z 正席の間では、大きな拓本の掛軸が。弘道館では藩の精神を謳う各種の石碑を拓本にした掛軸が多く掛かっていました。その石碑の一部は偕楽園でも見かけることが出来ました。
これは弘道館記という弘道館建学の精神と教育方針を記したもので斉昭の筆によるもの。
Img_119423z 奥に入って至善堂御座の間。絵が掛かっているように、大政奉還して江戸城から引き上げた慶喜が恭順謹慎していた部屋です。
決して暗くないですが、質素な空間は当時の状況を想像させて凛とした気持ちにさせてくれました。
Img_119428z 徳川慶喜の写真です。右は光圀の肖像。
水戸家は慶喜の兄弟が跡を継ぎ、現在も15代目斉正氏がご存命ですが、慶喜は宗家別家として明治になってから徳川慶喜家を創立。今は4代目に写真家の徳川慶朝氏がいます。慶喜も晩年、写真を趣味としていました。
Img_119432z 弘道館を出て、本丸に向かいます。元の空堀?をまたいで大手橋。女学生が歩いてました。





Img_119435z 渡りきると徳川斉昭公の銅像が。







Img_119436z 土塁の跡があって、水戸城の案内看板がありました。
水戸城はそのほとんどの史跡は存在せず、空襲その他で焼けてしまったようです。この本丸・二の丸・三の丸も現在公立学校になっています。さっきの弘道館も一部は旧県庁・県立図書館と、三の丸小学校になっていました。
Img_119439z 戦前までは、二の丸に三階櫓が残ってて、これが天守の代わりをしていました。今は櫓台もはっきりとはしていません。





Img_119442z こういった全くの文教地区。水戸二中に水戸三高が両側にあるここが二の丸。この通りが水戸城跡通りと呼ばれてます。





Img_119443z 本丸に向かう橋の下には水郡線が通ってました。ここも空堀だったようです。列車が走ってる瞬間が撮りたかったですが、1時間に一本では待ちきれませんね。




Img_119446z しかしこの橋を平気で渡れたわけではありません。
橋の向こうは水戸一高。学校に用がある人だけが通れるってわけですが、そこは水戸城本丸。城跡見学の人も通ってヨシ、だそうで。校門?前には城を案内する看板が。


Img_119455z 水戸一高の入り口には、移設された水戸城の薬医門が。この門を見学に来た人だけが唯一校内に立ち入りを許可されます。
旧領主佐竹氏時代のものらしいですが、明治維新後あちこちに移され、最終的にここに移設されたようです。
薬医門というと本来寺院にあるものと思ってましたが、城にもあるんですね。
近代的な校舎とはうらはらで、とても異質に感じましたし、門をくぐるとすぐに、コレより奥は立入禁止の看板が。隣のテニスコートで学生たちが汗を流してるし、観光客はいずれにしても来にくい場所ですね。
Img_119459z 水郡線沿いに坂を下りて水戸駅に戻ってきました。なかなか鉄撮りにいいロケーションなんですが、いかんせん本数が少ないので走ってるところが撮れません。時間がないのでこれから偕楽園に向かおうと思うんですが、これもちょっと難儀するとは。

続きは次回で。。。

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