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2009年3月 3日 (火)

金沢城復元工事見学会 石川門の今

Img_107592z 河北門の次は、数年にわたって櫓・土塀の修復工事が進んでいる石川門の様子を見学。石川門右方の土塀は、去年の見学会のときよりかなり作業が進捗しているようです。
垂直の控柱が堂々と据えつけられ、土塀には竹小舞がみっちり括られ、屋根の角には銅板が貼られていつでも土壁塗り準備OKのようです。
Img_107597z と思ったら、土曜なのに土壁塗りの作業をされてました。河北門のところで触れませんでしたが、この荒壁土はワラ屑も練りこんで1年発酵させ熟成するので、近寄るととてもクサイです。しかし適度に水分を含み、乾ききらないうちに上塗りを重ねます。この職人たちは、手でこねながら直に塗りたくってます。
Img_107601z 荒壁塗りが終わったところ。屋根の部分までゆるやかにカーブを描いています。
このあと乾くとどうしても割れ目が発生するので、それを埋める斑直しと、中塗り、漆喰塗りという工程を経て、白く美しく輝く壁面となるのです。

Img_107602z 土を塗っている職人に、見学者のおじさんが、「右から塗ってるんじゃ、左官じゃなくて右官やがいね。」「右から作業が進むんやから、しょうがないげんわ。」
右利きには左から塗るほうが塗りやすいことから、土壁職人を"左官"というのはホントのようです。知りませんでしたww。

Img_107609z 養生がはずれてて、全貌を現した控柱と控貫です。修理前は、陸軍が施工したとされる大正時代に、コンクリート製の控柱が地面から斜めに壁を支えてましたが、藩政期の資料の調査から、地面から垂直の控柱であったことを忠実に復元することにされました。しかも材木製です。
しかし腐食を避けるため、地面に触れる部分は石材にされ、木材保存処理剤「エコアコール」を含浸する処理が施されました。
このように木材の多くは取り替えられましたが、腐食してなかった部材や、今見える範囲では狭間など、前回修復の昭和33年の部材がそのまま使われている部分もあります。その年の刻印の入った焼印があったのでわかりました。

Img_107611z 工事現場に、見慣れない石碑が建ってました。平成6年に、金沢大学がこの金沢城内から、郊外の角間に移転するのを記念した石碑のようです。荀子の「学は以って已むべからず」(学問は永遠に続けていかねばならない)という言葉とともに。
こういうのがあるとは知りませんでした。工事が終わったら、多くの方がわかるように目立ててほしいですね。
Img_107617z 石川門の、工事のまだ始まってない土塀、附属左方太鼓塀です。控柱が斜めなのがわかるでしょうか。
一口に石川門と言いますが、門本体だけでなく、附属する櫓や櫓門、左右の土塀なども総称して石川門、と呼称されます。石垣の上に、このように左右に長く白漆喰の土塀が残るのは、全国でも姫路城に次ぐ長さと言われます。他の城では明治維新後、城内を秘匿するもの、と真っ先に破壊され、代りに松や桜などが植えられました。石垣の上に松などがズラッと並ぶ姿は、明治に入ってからのものがほとんどなのです。
この石川門全体が順次修復工事に入っており、最後にこの附属左方太鼓塀の修理が終わるのは平成25年度の予定です。北陸新幹線には間に合いますねww。

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