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2009年3月

2009年3月30日 (月)

歴史家「加来耕三」氏講演会「歴史に学ぶ」

Img_108546z 今日はマスコミでも有名な歴史家・作家の加来耕三氏の講演会に行ってきました。以前土曜の朝のラジオに出演されてたのをよく聴いていて、人柄や考え方が好きでしたので、いつかは講演を聴きに行きたいと思ってました。
「歴史に学ぶ」歴史家としては、単に過去をなぞるだけでなく、現在や将来にその史実の経験を生かす必要があると。日本人は歴史をドラマとして捉えて、夢とロマンを追い求めすぎであると。
実際の歴史はそんなにドラマチックじゃないのに、小説などによって美化された歴史の偉人の出来事をすべて信じ込んでしまう。篤姫は小松帯刀に逢ったことないのに・・。

僕も歴史の真実を知りたい方で、家康がなぜ天下をとりえたか、利家がなぜ生き残れたか、美談ではなく必然な真相が知りたいものです。
伝え聞く歴史の資料や伝記書物などもまず疑ってかかり、必然の積み重ねと数字を重視、客観的・合理的にそのものに対すると、正しい答えが見えてくるといいます。秀忠が関ヶ原に遅れたのは、誰もが一日で決着が付くと思わなかった戦に、家康が次善の策として中仙道に張り付かせていた、と見るのが自然だと。
現代の混乱した世相も、アメリカを見れば近い将来の日本もどうなるかわかるといいます。衰退に気づかなかったイギリスが、やっと目覚めてサッチャー政権で改革したのを日本も学べると言い、数々の官庁やシンクタンクなどで講演してきた氏の言を誰も信じなかった結果が今に来てると豪語します。バブル崩壊後1ドル100円になるって予言とかも。

いちいち納得なんですが、なぜまだ彼の考え方がスタンダードにならないんでしょうね。同じように既存の歴史観を逆説に捉える井沢元彦氏も好きで著書をたくさん持ってますが、本来の見方であるべき両者の思想が一般的にならないところが、日本人の連綿と持ってきた処世観なのかも知れませんね。そういう見方がずっと前から出来てれば、幕末の混乱や太平洋戦争なども、もっと違ったものになったと思えます。もちろん今の政争とかもね。
Img_108543z さて関係著書にサインももらって、まだ陽も高い時間に終わったんで、表通りに出て久しぶりにバス撮りを。
やっとコカコーラバスをゲットしました。毎朝通勤時に寺町通りで見かけてたんですが、運転中に撮影するワケにも行かず、ずっと指くわえて眺めてましたw。これであと撮ってないのはめいてつエムザバスだけとなりました。全部で10種類です。


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2009年3月29日 (日)

懐かしいあのころを訪ねて。

Img_108471z たびたび旅行の話ですが、先週は母親の誕生日を祝って兄弟とドライブに連れまわしました。僕が幼少のころ住んでたことのある、羽咋氷見に。
今回は僕の車でずっと運転したんで、こんな長距離ドライブ久しぶりでした。最近は一人で動くことはあっても、長距離は疲れるんで敬遠してましたが、家族と一緒だと気がまぎれて、逆にあまり疲れないことを発見しましたよ。
Img_108473z 約40年前に父親の仕事の都合で2年間だけ住んでた羽咋市の家周辺は、10年ほど前来たとき元の家は更地になってたのを覚えてたんで、新しい別の人の家になってたのを再確認。思い出の家の移り変わりを見るのは感慨深いですね。この前で姉とボール投げした写真が残ってますw。
二つ目は千里浜保育所。僕の通った保育所ですが、当時は木造でこの位置はグラウンドでした。以前はこの中を見せてもらった記憶がありますが、最近はいろいろとやかましいでしょうから、前を通り過ぎるだけにします。
Img_108478z そこからすぐ浜辺に出て、観光地でもある千里浜なぎさドライブウェイ。全国でも珍しい、8000mもある車の通れる砂浜です。
そこの公営レストハウスで、母親も勤めてたことがあります。
夏には海水浴客であふれるここも、最近は波の浸食が激しくて砂浜の幅も極端に狭まってしまいました。
Img_108495z 以前はこのもう1.5倍はあったと思います。日本海側は波の浸食というか地盤沈下?で国土が減少傾向にあり、太平洋側は逆に隆起で広がる傾向のようです。
この日は予報どおり陽も射してきていい日和になったんですが、やはりまだまだ肌寒いんで、そんな海岸に人出は少ないですね。
Img_108485z 波は穏やかじゃない日本海ですが、この辺でサーファーなんて見かけませんよ。どうしてですかね。





Img_108521z 「鉄」としては駅も押さえとかなきゃなりません。羽咋駅は住んでたころは何度となく利用してたはずですが、大人になって訪れるときはこうやって車なんで、構内に入ったことがないです。家族連れでなければ駅撮りとかもするんですが。七尾線は本数が少ないので待ち時間も掛かりますしね。
Img_108523z さてそこから1時間ほどのんびり車を走らせて、今日のお泊り、一気に和倉温泉に来ました。和倉温泉駅もパシャっと。ここまでサンダーバードの3両編成がやってきます。関西の奥座敷の風情はまだ健在だからです。どうやら北陸新幹線が金沢まで来てもそれは続けられるでしょう。
Img_108526z 宿に着く前に、母の誕生を祝って予約したたケーキを買いに。わが石川の誇る世界的パティシェ辻口博啓氏の地元七尾に、彼の美術館併設のカフェ「ル・ミュゼ・ド・アッシュ」。能登の牛乳と健康卵を使った誕生日用のセゾン・ド・ガトーは上品な甘さとしっとりとした食感で、サスガ世界の辻口、と僕らは大満足のおいしさだった。当人は普段東京に居るはずなんで、実は職人によって当りはずれがある、ってうわさだったけど、翌日の新聞でこの日ここに居て別の旅館で子供相手にケーキ教室を開いてたって。
もしかしたら食べたケーキは当人が作ったものかもw。
自由が丘や六本木、二子玉や八重洲にもお店があるのに、江戸の人たちにはあまり知らない、といわれてちょっとガッカリなんだが。
Img_108527z 宿の部屋に着いたら海側のデカイ窓から丁度夕日が見えていいアングルで撮れた。
この季節、このご時世でも加賀の温泉なら閉館もあって厳しい状況らしいけど、ここ和倉温泉はまだまだ強いブランド力があるよう。2週間前のネット予約をしたんだけど、ほとんどの旅館でどんな高いプランでもほぼ満杯。当然例の「加賀屋」でもね。
そしてここ「大観荘」だけリーズナブルなプランが空いていた。湯もビューもよかったんで、まぁ満足してもらえたみたい。
Img_108531z しかしこのあと、カメラのレンズの調子が悪くなって、とうとうシャッターも降りなくなった。先日からシャッターが切れないタイミングがあったんで気になってたけど、まさか壊れてしまうとは。それで翌日の氷見を廻った旅はお伝えできません。5年生のとき半年だけ住んでたんだけど。みんなにも懐かしがってもらえて運転手としては頑張った甲斐がありました。
幸いレンズだけだったんで、本体は20Dのときのレンズを装着して今は問題なく使えます。CanonEF-S18-200mmレンズはすぐにキヤノンSSに出して、10日ほどで帰ってくるみたいだけど、どんどん精密になってくるとちょっとのことで繊細なダメージをうけるのかな。

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2009年3月28日 (土)

江戸からの帰り、いつもの心象風景とは

Img_108318z さてやっと今月の江戸訪問レポートをラストにします。
二日間フルに動き回って、また日曜の夜の東京駅東北・上越新幹線ホームに来ました。いつもこの時間は、二日間の疲れと翌日早朝からの仕事への想いとで独特の気持ちになります。気重になるだけとは違って、なにがしかナチュラルハイになっているので、どんなに疲れてても帰りの列車の中では眠れません。
Img_108319z まぁそれも、乗り換えありの4時間、という移動時間のなせるわざで、北陸新幹線が金沢まで通じると座って2時間半で終点ともなれば、安心してグゥ~といけるのかも知れません。
その前に、友人M氏(顔がちょっと見えてる)を送るのにE3系に初めて中に入ってみました。「こまち」だけでなく「なすの」にも運用されてるってはじめて知りました。自由席なのにふっかりしたモケットで、当然2×2席。こんな快適な座席で乗り換えなしで東京まで来れるなんて、秋田の人はうらやましいです。
Img_108321z 僕ら上越新幹線では日中なら、オール二階建てのE1系。天井の低い3×2シートでいつも窮屈な思いをして参勤しています。
しかもE4系とともに最速は240km/hなので、二階建て車両は今後の東北新幹線高速化計画からは外れて、上越新幹線のみの運用となりそうです。
僕はわりと好きな車両ですが、北陸新幹線にもまわってくることになるんでしょうか。
Img_108325z 結局友人を送ってから、こちらの帰りの便が来るまで1時間以上あるので、夜の新幹線撮りにホームを駆けずり回りますw。
右がE4系。8両基本編成で、連結して16両のときは定員1634人で、高速車両では世界一の定員になります。今はそういう運用はしないようですが。
左は東海道新幹線の700系ですね。14番線ですが、となりの東北・上越新幹線ホームは23番線。これは複雑なホーム工事の経緯でそうなりました。
Img_108327z 山形新幹線400系つばさ ですね。92年にデビューした新在直通運転のさきがけの車両も、今年から順次引退を余儀なくされています。最高速度240km/hで、東北新幹線高速化の構想からはずれ、275km/hあるE3系にすべて譲る予定です。


Img_108331z この車両も乗ったことないですが、近いうちになくなる前に、みっちり撮っておきたかったんでよかったです。





Img_108337z E4系との連結部分。僕もこの前に撮りましたが、こうやって撮り鉄が必ず押さえておきたい箇所ですね。
しかし東北・上越新幹線ホームも、東海道新幹線同様、このようにホーム柵が順次設置されつつあります。安全のためには大事なことですが、やっぱり興ざめですよね。

Img_108345z 東京駅の夜です。







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Img_108360z N700系。







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Img_108368z 200系です。東北・上越新幹線の最古参。先ほど引退した0系に近いフェイスを持っています。開業時はどの新幹線もこの顔だけでしたがね。100系と同じ顔をしたものもいます。初登場から25年以上経っているものの、210km/hから240km/hに最高速をアップしたり、さまざまな改造をしてるので、まだまだ走れる現役車です。最近は、最終はくたかに乗り継ぐ20:12とき347号はこの車両なんですが、やはり内装は陳腐化してるのは否めませんね。
毎回乗ってる上越新幹線ホームで、見飽きてる場面ですが、ブログにはあまり載せてませんでしたから久しぶりにレポートしてみました。

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2009年3月26日 (木)

都会の喧騒に疲れてしまった??

Img_108276z ちょっと間が空いてしまいましたが、横浜線からの続き。
八王子から菊名まで来ました。快速だったこともあり以外に時間はかかりませんでしたね。これなら予定どおり表参道に着けそうです。東急東横線に乗り換え。
東京メトロ日比谷線の03系車両がここまで来ていました。ここからさらに東武鉄道の東武動物公園まで乗り入れてます。地下鉄を乗り入れて両側の私鉄の端から端まで、これもまた時間があったら乗りとおしてみたいもんです。
Img_108280z 9000系に乗って東急東横線の渋谷駅に到着。これも急行に乗ったんで、結局八王子から1時間強で着けましたよ。
ダブルフィニッシュというつや消しと、コルゲート波板がスタンダード感たっぷりのステンレス車です。
ところで今年は横浜開港150年だそうで、記念事業がたくさん待ち受けていそうです。イメージキャラクターの「たねまる」が車両を処狭しとラッピングしてますね。
Img_108284z 東急渋谷駅をいったん外に出て、なにか食べるものを探してたんですが、近くにはありません。このまま、この下の副都心線に乗りたいんであまりあちこち歩き回りたくかなったんで。
そしたら、「いちごシュー」180円を発見。外人も交えてそれなりに行列。時間がタイトになってきたんで、どうしようか考えてるうちに、どんどん列に並ぶ人が・・w。
Img_108287z 結局なにも食べずに行くことにw。
副都心線は以前にもレポートしたんでここは意外なものだけ。改札前のコンコースには乗り換え案内のサインが、色分けの大きなパネルで表現。各地下鉄や私鉄をイメージカラーで分けていると、こんなときに便利ですよね。こういうインダストリアルデザインやインテリアデザインは好きで、本当は手がけたいとも思ってたんですがね。
Img_108293z さて表参道に着きました。友人と待ち合わせて某所へ行くんですが、なにしろ相変わらず人で溢れてます。まぁここに限らないんでしょうけど、やっぱり東京の繁華街は人のパワーに気おされて息苦しいです。いつまでたっても慣れませんね。なんだか疲れも感じてきました。

Img_108297z_2 さて街を歩いてたら、なんだか変な行列に出くわしました。新しいファッションスポットなのかも知れませんが、このビルの一室に、これだけの人が一度に入れるとも思えません。こういうのを見かけるだけでも、なんだか場違いなエリアに来たような気がしますw。
おとなしく、鉄道と歴史を追っかけるだけでいいのかも。この後の集まりでもちょっと疲れを見せて元気なくしてしまいましたw。




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2009年3月23日 (月)

こちら首都圏205系情報局 joker版

Img_108161z さてやっと8日(日)のレポートです。この日も実は表参道に集まるんですが、時間までまたいくつか鉄道スポットを廻ることにします。
最初は、高架工事の延長をしている中央線。三鷹以遠の踏切解消のため立川まで全線高架工事をしているわけだけど、ここ武蔵小金井駅でも工事の真っ最中。
Img_108163z 下り線はもう高架に切り替わったけど上り線はこのようにまだまだ。まぁ路盤は上がってるみたいだけど実質この武蔵小金井以遠は進んでません。目標の2010年度完成まで最長であと2年。1996年から始まった大事業だから掛かる費用や工程もバカにならないでしょう。
Img_108165z この中央線も車両が新しくE233系が揃い、路盤もこうやって更新してるのは、小田急線とイメージが重なりますね。都心はあくなき鉄道工事の槌音が鳴り止まないんで、こうやって時々追っかけてないとガリバーになってしまいますよ。


Img_108184z 武蔵小金井駅の先の車両基地。
ここまで来てなんですが、宮本武蔵に子供が居たか知ってますか?実は伊織って養子を迎えたらしいですが、実子はいなかったようです。
以前なにかの番組で宝田明氏が、昔かの長谷川一夫氏から上記のクイズをされたと言ってました。わからないと返事すると、「むさしこがねい」と長谷川一夫が答えて噴出したそうです。しかし劇場のエレベータで、これを毎日聞かされたって閉口してましたw。
Img_108189z_2 西国分寺から武蔵野線に乗り換えて府中本町に。ここで南武線に合流するわけですが、武蔵野線はここを終点にして折り返ししてます。このまま川崎まで行ってもよさそうなのに。



Img_108198z まぁ編成両数や仕様が異なるんだろうけど。205系は山手線のように第一線からの退役グループもあるけど、東京近郊の埼京線・京葉線・武蔵野線・南武線・鶴見線・横浜線・相模線・川越線など、主要衛星線に多く採用され、総両数は1000を越える一大グループ。登場から最長20年を越えてるんで、退役廃車も進むだろうなぁと、この際幾線か撮ってみようとおもったわけで。
Img_108207z 左側は武蔵野線の終点待避線。ホームで折り返すんじゃなくて一旦あそこまで待避してから運転手が向きを換える。しかし次から次へとホームに入線してくるから、日中は必ずホームか待避線には居る勘定にはなるみたい。
右は南武線が川崎方向から進入してきた。武蔵野線ホームを囲むように、離れて南武線上下ホームがある。
Img_108219z 南武線は6両編成。ちなみに武蔵野線は8両。もちろん多数を占めるわけだが、この日撮れたのはすべてオリジナルスタイルの先頭車。改造タイプの洗練された先頭車は短時間ではなかなか見かけられない。



Img_108229z 武蔵野線の車両を管理しているのは千葉方の京葉車両センター。だからか、この府中本町には待避線以外には目立った施設がない。車両も他線からの転用組がほとんどとなってるのは「鉄道ファン」で既報。
このM15編成は転用組?


Img_108235z 貨物列車が通りすぎていった。本来の用途目的である武蔵野線の需要は減ってないのだろうか。





Img_108248z さて南武線に乗り換えて立川から中央線と、一足飛びに八王子まで来てしまいました。
ここから横浜線に乗って菊名から東横線で渋谷まで出れば、時間には間に合うだろう。
横浜線は開業100周年だって。偶然で知らなかった。これらはすべて旧山手線の車両。205系は改造車なんかももっと追っかけたいシリーズですね。
Img_108271z では今日の最後に中央本線特急E257系「かいじ」を。
JR東日本の、JR後の快適そうな特急車両に一度も乗ったことないしなぁ。甲府の史跡を巡るのも、西からじゃなく新宿からこれに乗ったほうが早いんでしょうね。中央線は八王子以西に行ってないから、それだけでもいつか経験しときたいです。
首都圏往復フリー切符で、行ける範囲の全制覇も目論み中w。

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2009年3月22日 (日)

ファッション最先端の地と都会の俯瞰

Img_108144z まだ7日(土)の話なんですが、この日の夕方には、友人と表参道を歩きました。若者には不況は関係ないのか、週末の、今や世界のファッション最先端の街の歩道は、いろんなおしゃれをした多国籍の若い子たちで溢れかえってました。
場違いを身にしみて感じたんだけど、せっかくだから少しでも関わりがあるんだよってとこを示そうと思って、取引先のショップを訪ねることにしました。裏通りの住宅地に入ったところの一角に、あったありました。大阪の封筒メーカー、ハグルマ封筒さんが運営してる、ウイングド・ウイール
素材にこだわった封筒・カード・便箋を扱う手紙用品専門店。最初アンテナショップのつもりだったのが、その卓越したファッションセンスもあって口コミから広まり、奥まって目立たない立地なのにいつもたくさんの若者でいっぱいだって。しゃれたデザインとフォーマルにもふさわしいことから、ブライダルを控えたカップルが招待状や案内状などのニーズも高まってる。この日も野郎2人で訪れたのに、わりと狭い店にはそんなカップルが10組くらいもいてギュウギュウで、お店の人も僕らを相手するヒマないくらいw。最近はファッション先進のヨーロッパの雑誌にも紹介されて、インターナショナルに社名のとおり羽ばたいてるようだよ。
近くにこられた方はぜひ寄ってみてください。わかりにくいところにあるけど。

ってOさん、しっかり紹介しといたからww。

Img_108149z 夜になって宿に着いたら、最上階の18階を案内された。エレベータホールにはでかいガラス窓があり、神田駅方向が一望できる。東北・上越新幹線や山手線なども走る姿が都会の夜景の灯りにリンクして、ずっと見ていたい衝動に駆られる。
正直、ビルの林立する景色は好きなほうではないが、はっきりと動く灯火とともにある夜は、そんなわずかなものでも旅情を感じてうれしくなってしまう。深夜にもう一度この景色を見たときは、高いビルのテッペンはすべて赤いライトが点滅してたよ。そういうルールなんでしょね。
Img_108160z 朝の同じ景色です。曇ってて映えないけど、都会のど真ん中で、高い位置から鉄道が小さく見えて走る様子を俯瞰できるなんて、まるで鉄道模型のレイアウトだよね。
最近は、鉄道がじっくり見られる部屋を、それをうたい文句にアピールして、予約をがっちりつかんでいるホテルが増えてるって。そんなの以前から立地でわかってるんだから、気づくの遅すぎだよw。
Img_108153z ホテルの部屋からはこのアングルが見えます。下を走るは総武線緩行線。左はヨドバシカメラ、と言えば、ここはどこだかわかるよね。広い140cm幅のベッドに見晴らしもいいんで、最近はよくここを利用しています。移動するにも便利な場所だしね。

ではこのあとは、二日目のレポートです。

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2009年3月21日 (土)

お久しのつくばEXPから、小田急車両を満喫まで

Img_107869z 結局バスで八潮駅まで来たんですが、このつくばEXPの新しい駅は、開業以前までこの周辺が何もなかったことを考えると、東京最近郊でもまだまだ開発の余地があるんだなぁとしみじみ。駅周辺はキレイなショッピングビルも出来てますが、まだ開発途上という様子。もっと発展するんでしょうね。ここだけで石川では野々市くらいの規模も越えてるでしょう。
Img_107877z ここから一気に秋葉原駅へ戻り、JRで川崎までいくつもりです。
久しぶりにつくばEXPの車両を撮りました。あれからもう2年半も経つんですな。某社のO氏は名古屋勤務からこの4月で東京へ転勤になり、地元茨城近くに居を構えるようですけど、このつくばEXP沿線も調べたら、もう各駅周辺はかなり高騰してたようです。守谷駅周辺とかの発展にびっくりしたって。
Img_107879z 川崎から、鶴見線にチャレンジしようと思ったんですが、京浜東北線にてこずったり(乗ったのが蒲田行きだった)、六町でムダに歩いた時間がだいぶロスだったんで今回はあきらめました。代々木周辺に行かなきゃいけないんで、南武線で登戸へ行って小田急線に乗ることにします。
登戸駅は2年前に来たときより、様相が全く変わってたので驚きましたよ!
Img_107881z JRから小田急に乗り換えるエントランスも広々ときれいになって、土曜午前の今、列車が着くたびに大勢の人の波がここを行ったり来たり流れてました。
ところで花粉症で目がかゆくなってるんですが、ここの薬局でやっとそれ対応の目薬を買って、早速射してみました。江戸へ来るとアレルギーなら石川と違って少しは楽になるのかと思ったら、ダメでしたw。
Img_107886z 登戸駅のホームに登るとw、さらにびっくり!複々線に対応した、超近代的駅に様変わりしてます。僕が藤沢にいた頃の、狭い対向2面2線のホームに人がひしめいてたのと比べ物になりませんw。
これならゆったりと広いホームの端で、駅撮りに思う存分いそしめます。
Img_107882z 去年制定された新しいブランドマークを貼り付け、クリーム色を当初より濃くした(僕の印象では)8000形です。もう二十年選手ですが、僕はこいつに乗った覚えはありません。



Img_107885z_2 多摩川を挟んで、和泉多摩川方面、つまり新宿方面を見ます。小田急の複々線化工事は、かなり大規模で長期にわたり、沿線住民の反対や裁判にも遭い、えらい難儀していると聞いてます。けどここまでよくぞ進み、この先梅が丘までの広くて新しい高架の路盤は、今までの密集住宅地の脇を地平複線で走り沿線に溶け込んでた様子からは、180度赴きを変えてしまいました。
Img_107888z この2000形ももう登場して10年以上。しかしこの新しいスタイルは、小田急も車両によって特に各停か急行かって分けてないから、遠目でみて区別つきません。まだまだ新旧の車両が混在してる鉄道です。



Img_107897z 30000形ロマンスカーEXE。
それまでの赤を基調としたロマンスカーの車体から斬新にデザイン変更したEXEは、登場当初驚きをもって迎えられました。しかしこれもすでに10年以上。最近の相次ぐ新型の出現で、立場がかすんで見えたりします。

Img_107902z おっと今度は7000形LSEが入ってきました。短い時間にバライティ豊かな車両を続けざまに撮れてラッキーです。小田急はロマンスカーの運行頻度も高くて車種も多いから撮り甲斐があります。箱根周辺で撮れるともっといいでしょうw。


Img_107918z 今世紀になって登場した3000形はJRのE231系の流れを汲む小田急には異色の車両。いろんな仕様が今までの小田急カラーからはかけ離れてるんで、すごく違和感がある人も多いとか。
けどこの車両も乗ったことないなぁ。そういやさっきから写してる列車、どれも乗ったことないぞww。
Img_107923z やっぱり小田急といえばこのフェイスでしょう。これは5000形だけど、僕がいたころは何種類もの形式が基本この顔をしてましたよ。
正面ドア下の行先表示が未だにあるのが泣かせますが、英語で[SHINJUKU]と加えられてるのが新鮮ですw。ブランドマークも付いて外観は少しずつ変わってるかもしれませんが、これでも「急行」。じゃぁこのなつかしい車両に乗って代々木上原へGOです。

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2009年3月20日 (金)

千代田線、北綾瀬支線乗りつぶし

Img_107843z 東武伊勢崎線を北千住まで行って東京メトロ千代田線に乗り換えて綾瀬に来ました。
綾瀬車両基地までのルートを旅客化した北綾瀬駅までの盲腸線を乗り潰しにです。ここも2両編成の5000系専用車両が運行を担ってますが、やはり土曜の午前なのに混雑しています。僕はこの先の車両基地を見に行くわけだけど、このたくさんの人たちは主にどこへ行くつもりなんでしょう。
Img_107845z 右側はこのままの直進で常磐線ってわけですが、ポイントの先左にカーブを切って車両基地へ入っていくんです。





Img_107847z 2.1kmの支線でわずか一駅ですが、通しでわりとゆっくりで、車両基地までの引込み線という意味もありますから、線形にも赴きがあってじっくり楽しめました。
北綾瀬駅も単線一面ホームの折り返しなんで、しかもすれ違いもありませんでしたから、少なくとも日中はこの1編成だけでこなしてるのかも知れません。
Img_107849z 北綾瀬に着いてその先の車両基地側を撮りました。よく公開もされてるようですが、この日はロケハンのつもりで中に入るでもなく、留置車両のあてがいもないのにブラっと来てしまって、車両がひとつも見られなかったらどうしましょう、ですわw。


Img_107853z 駅を降りて、とりあえず基地に向かって歩いていたら、なんと偶然小田急のロマンスカー60000系MSEの入線に出くわしました。
地下鉄を初めて走る青いロマンスカーの根城はここ綾瀬車両基地でもあります。まぁ、こいつに出会えたらなぁ、と淡い期待を持って来たんで、とてもラッキーでした。
Img_107854z 都心で青空の下こいつを拝めるのはここだけですからね。そういや、去年の颯爽たるデビューは丁度1年前ということになります。あのときは北千住駅構内で地下で撮ったんで、こういう野外で離れて撮ると、ちゃんと列車を撮ったって気になってうれしいです。
Img_107863z_2 しかもちょっとはしたないですが、公園のブロック上に登ってこうやって撮ると、フェンスなどなんの障害物もなくキレイにキャッチできました。
ロマンスカーは藤沢時代にも、ついに乗れなかった代物ですから、いつかはこの青いやつに乗って箱根まで行ってみたいですね。あこがれますw。
Img_107864z さて、基地から出場する千代田線6000系とすれ違いますが、ここで敢えてこれを撮ったのには理由があります。今まで自分だけ知らなかったのかも知れませんが、車両基地から出場する編成は、その正面のヘッドランプと赤色灯、両方灯すんでしょうか?
写真の6000系はそうなってますね。
Img_107866z やり過ごしてみた後部は、ほら両方とも点いていません。そういうルールでしたっけ?
それともこの列車だけミスってるのかも。
ちょっとだけミステリーの発見でした。

この後、基地に入れるわけでもないんで、歩いてわりと近くのつくばEXP六町駅へ行こうと思ったらさぁ大変。首都高6号線をくぐれず、北に向かってつらつら歩き続けるハメに。予定が狂ってムダに時間を潰すわけにも行かず、結局バスに乗ってつくばEXP八潮駅に向かうことに。  つづく

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2009年3月19日 (木)

東武線沿線探訪3 旧本線の亀戸線

Img_107811z 東武鉄道の中でも、都心の盲腸線、亀戸線を乗り潰すことにした。業平橋からまた一駅の曳舟駅で下車、亀戸線専用ホームへ渡ると、単線一面ホームにちょうど着いたばかりの2両編成の8000系からたくさんの乗客が降りてきた。
中間駅3駅、わずか3.4kmの支線に、存続危機もありうるかと思ってたのに、休日と言えど学生を含めラッシュ顔負けに乗り込む電車に逆に驚いたw。
Img_107814z 休日日中10分間隔、終点までわずか12分の行程、対向一度のすれ違いなのに、全線複線のしっかりした路線。駅間隔も長短あってかなり不自然に思えるんで、後日Wikiとかで調べてみるとなるほど、と感心した。
東武鉄道の都心起点駅は紆余曲折してて、ホントは曳舟から湾岸の越中島まで延伸したかったらしい。
Img_107815z そこで曳舟から亀戸まで路線を延ばし、当時総武鉄道だった現JR総武線に亀戸から両国まで乗り入れた時期もあった。それでこの亀戸線が一時期本線扱いだったよう。
しかし越中島延伸は夢と消え、改めて現業平橋の当時浅草駅を開業し、亀戸線は支線となって総武鉄道との乗り入れも解消。
Img_107813z 戦災でいくつかの中間駅も焼け、現在の3駅に移設したわけです。しかし中間駅のひとつ「東あずま駅」とは秀逸ですね。"ひがしひがし"って言ってるわけだからw。
終点亀戸駅です。2両編成の都心ローカル線は、それでも運行密度は充分濃いので、平日に限らず3両、4両と編成を増やしたらいいのにと思いますね。
Img_107821z さて曳舟駅にもどって、しばらく駅撮りにいそしみます。
30000系は本線の標準車両。一部半蔵門線にも乗り入れる。




Img_107824z 10000系はさらにオーソドックスな伊勢崎線用。コルゲートの波板が側面上下にびっちりと波うってます。





Img_107828z 100系特急スペーシアです。JR新宿駅乗り入れで最近注目されましたが、もう登場から20年近く経ってるんですね。
鬼怒川温泉とか、行ったことないなぁ。関東には何度も行ってても、私鉄特急でのんびりってしたことないです。


Img_107834z 東急の5000系です。半蔵門線を介して、東急田園都市線まで直通するので、ここも東京メトロと3社の車両が競演する場所なわけですね。




Img_107837z さてそろそろ、今度は北千住駅へ行くのに車両に乗ります。先頭車の窓越しに、フォギーのかかったような図柄を撮って、なんだか雰囲気が出てていいです。




Img_107838z 途中、鐘ヶ淵駅では急行をやり過ごします。この駅の配線は複雑で、駅構内で上り下りとも複線化するものの、急行線は本線上よりポイントでカーブする方に割り当てられてます。それで正面に見える急行は、一度ホームをかすめた後、目の前を左にカーブを切って追い越していきました。それで各停の最後尾は、ホームのこんな途中になって非効率です。

そんなこんなの東武線でしたが、次は綾瀬から千代田線の盲腸線?北綾瀬までのレポートです。

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2009年3月18日 (水)

東武線沿線探訪2 東京スカイツリー工事現場

Img_107796z さて浅草駅を出てすぐ隅田川を渡るために90度カーブして鉄橋を走ります。急カーブを超低速度で進み2番線から下り線に渡るためシーサスクロッシングをゆっくりクロスします。
業平橋駅まで1kmに満たないくらいなのに、だからこそ距離があるように充分感じました。
Img_107797z この日の朝は雲も低く垂れ込めて肌寒かったですが、実は昼になったら晴れ間が出て暖かくなりました。晴れ男はメッタなことで雨を降らせません。隅田川も穏やかな流れですが、増水すると下町の0m地帯が危険にさらされるため、頑丈な水門が幾つも設置されてて、タモリ倶楽部でやってたように、僕も巡ってみたいですね。カラフルな言問橋が見えます。
Img_107800z 東武鉄道のベーシック、8000系とすれ違い。東武沿線には普段縁がなかったんで、最近になってやっといろんな車両に乗れてます。学生時代の関東在住中には、西武沿線に親戚もあったんでよく乗ってましたから、今は逆に乗らないようにしてますがw。

Img_107802z さて業平橋駅に着きました。曳舟駅方向には大規模な留置線があり、半蔵門線直通で押上駅乗り入れまでは、都心側の重要地点であったことが窺えます。
業平橋駅は開業当時、吾妻橋駅という名で(業平橋は吾妻橋の別名)、一時廃止、後終着駅として浅草駅を名乗るなど、流転の駅生を過ごしてきました。
Img_107807z 都心側の起点である重要性は長く、東武鉄道の本社も隣接していることでわかります。
貨物営業時代には広い貨物ヤードもあり、後に頭端式終着ホームになりましたが、その跡地に今回東京スカイツリーが建設されることになったのです。
Img_107806z それがここです。右側の鉄骨がツリーです。4階部くらいまで積みあがってますね。東京タワーより反り部が小さく、やはりそれを支える足場?になる部分のスペースは小さそうです。まだこの程度であと2年半でちゃんとできると思いますか?
東武鉄道の土地なんで、「東武タワースカイツリー株式会社」というのが事業主体です。
Img_107809z 下町の静かな朝です。そういや、まだ7時くらいなんでした。道路を跨ぐ跨道橋の上までもホームが続いてるわけです。
15分も待てば次の電車で、隣の曳舟駅へ行って、今度は盲腸線の東武亀戸線に乗り込みます。

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2009年3月16日 (月)

東武線沿線探訪1 浅草駅のハミ電

Img_107770z これは先週の話ですが、江戸にはいつもの友人たちに会うためにやってきました。今や大変貴重になったブルトレ「北陸」では、この日の早朝も上野駅でたくさんの写メラマンに囲まれてしまいましたw。
今日は昼近くまで時間が空いてしまったので、ゆるりと鉄撮りの旅をしますか。最初は東武浅草駅で。先日のタモリ倶楽部でやってた「ハミ電」を見に。
Img_107771z そうそう、この後は一つとなりの業平橋へ行って「東京スカイツリー」の工事現場を確認しに行くのです。本当に2011年の地デジだけになるときまでに完成するのでしょうか?
図で見る限り、東京タワーよりも足場が狭いのに、倍近い高さになるって信じられないくらいですね。
Img_107775z さて何を見に来たかというと、先日のタモリ倶楽部では、駅のホームが短すぎて、電車の車両がホームよりはみ出して停まるときがある、といういわゆる「ハミ電」っていうのをやってました。意外にそんな駅は多く、首都圏でも10箇所近くあります。先日東急大井川線に乗ったときも2箇所の駅ではみ出してましたし、横須賀線では田浦でトンネルの中で停まりました。
Img_107777z そしてここ東武浅草駅も採り上げられてました。厳密に言うとハミ出してませんが、6両編成を8両に増やしたとき、ビルの中に造られた駅はそのビルをはみ出してホームを延長。さらに隅田川を渡るため90度にカーブするシビアな線形の途中まで伸びたため、針のように細い先端になってしまいました。
Img_107780z そこで以前にも行ったことがあってもあまり撮らなかったので、今回じっくりレポートしようと来てしまいました。
先ほどからの写真の1番ホームは、あれでも白い斜線のところまではりっぱな人が通れるホームです。柱がジャマになる部分は幅30cmもあるでしょうか。大変キケンです。それでも列車の走行時に、つねに駅員が監視してるわけでもありません。僕が撮ってても誰も注視するそぶりはありませんでした。
そしてこの2番ホーム。カーブ途中で電車が停まってるから、ホームと車両との隙間がこんなに開いています。子供だったら間違いなくスッポリ落ちてしまいそうです。「足元にご注意」っていくら書いてあっても一緒で、そりゃ注意しちゃいますよw。

Img_107784z ホーム先端はこんな様子です。狭いホームの真ん中に柵がしてあって、1番ホーム側は進入禁止になってますが、2番ホームとしては先端まで行けるようになってます。
他の鉄道の駅でハミ電、つまりドアが閉まって降りられない車両を設定してるのに、ここ東武浅草ではムリをしてでも降りられるようになっています。ラッシュで中から押し出されるようなことがあったらすごくキケンですよね。
Img_107785z その先端に立って内側を。左の1番ホームは入れません。しかし白斜線の2番ホームはここまで来ていいんですw。やはり車両との隙間もあってキケンですね。しかし都会のど真ん中でまだこんな許容がされていて、逆に感動しました。


Img_107786z 最近は安全優先の名の下に、ホームドアとかいう情緒全くなしの世知辛い設備が増えてきて、単なる人を運ぶハコと化してきた鉄道も多い中で、こんなに特殊な風情のある駅がまだ健在なのはとてもうれしいですね。
国道6号江戸通りも駅から丸見えです。おもしろい。
Img_107788z その先端部です。あの先端に立って、左の車両とかも撮りましたが、運転手も珍しくないのか、僕を全く注意するでもなく平然としてました。僕もだからといって落ちそうでこわいということもなかったですよ。実はあの先に階段があって路盤に降りられ、左右の線路を渡る板が見えると思いますが、駅員や保線DJはしょっちゅう行き来してるんでしょうね。
Img_107793z さて、特急「りょうもう」の200系が入線してきました。
そろそろ東京スカイツリーの工事状況を見に行きましょう。




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2009年3月15日 (日)

野々市駅周辺でレポートの続き

Img_107705z さて、長いことご無沙汰してしまいました。先週末はまた江戸へ行ってましたが、平日の仕事では切羽詰った作業があり、毎日夜の12時前後までかかっていました。昨日の土曜も仕事だったんで、今やっと東京のデータを整理したとこです。結局鉄道ネタになるんですが、前回の北陸新幹線工事記事にも続きがあるんで、それから先にお伝えします。
Img_107706z 野々市駅前にも、更地が広がってきました。もういつでも準備OKですね。最初の写真は駅のホームにもかかる線路脇まで道路が湾曲してて、僕もよく利用する道ですが、あの線路脇に新幹線高架が建てられるので、右側の民家用地を取得して道路工事が進められています。その背中側が野々市駅前です。
Img_107708z 長池道踏切を渡って海側から野々市駅を写します。JR野々市駅は野々市町中心部から離れた位置にあり、開業当初は何もないところでした。北陸の主要駅はそういうところが多く、金沢をはじめ津幡などもそうです。蒸気煙や騒音を嫌ったようです。
しかし今は住宅地が迫り、付近の学校などへ通学にもよく使われる町民に親しまれている駅です。この線路反対側、山側に高架が続くことになります。
Img_107709z 長池道踏切山側より小松方面を臨む。この真上を高架が通ります。
ここ白山・横江高架橋地域はすでに工事が開始されてますが、金沢-白山車両基地間は、もう3月中旬だけど今年度中には、用地取得が9割に達するようです。当初計画は8割だったので順調に進んでいることになります。
Img_107711z 全11工区のうち多くはまだ入札したばかりです。石川県内の報道では既報ですがここで言うと、最近の7工区での入札では受注した共同企業体に県内業者も参加し、大手の下請けを担っています。しかしこの不況下で、かなり低い価格で請け負っているという現状があるようです。
7工区の予定価格に対する落札率は平均87%。
Img_107716z 既に着工している3工区では一次下請け31社のうち県内事業者は8割にのぼり、負担のしわ寄せがないよう、県議会でも保護を県に働きかけています。
北陸新幹線の新しい列車の名称については、知事はJRに北陸のイメージにふさわしいものをと、強く要請すると言っています。とするともう、「はくさん」しか選択肢はないと思うんですが、どうでしょうw。
Img_107722z ところで、変な話を小耳にはさみました。長野県の商工会議所が、北陸新幹線の名称を「長野北陸新幹線」にするよう国に働きかけてるようです。とんでもない話ですw。オリンピックに間に合わすために、急遽高崎から長野まで先行開業した北陸新幹線を、東京駅の表示も苦肉の策として「長野行新幹線」としていたのをいつのまにか「行」を外したのにもあきたらず、ですねw。
Img_107733z 永年沿線各県が「北陸新幹線」という名称で要望や広報に取り組み「北陸新幹線建設促進同盟会」にも長野県が参加している、という点で知事は常識的に考えてそれはない、と安心しきってますが、のんきに構えてるとどうなるかわかりません。


Img_107725z けどまぁ、開通後の沿線各県の交流も計画され密になることから、あまりお互い目くじらはたてないでおきましょう。
また来月、すこし暖かくなったころには、白山車両基地建設予定地へ行って485系国鉄色「雷鳥」全編成を確認などしたいですね。




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2009年3月 4日 (水)

北陸新幹線、白山車両基地までの着工区間を見る

Img_107642z 遅ればせながら、日曜にはまた北陸新幹線の工事現場へ。金沢駅から西へ、白山総合車両基地までの11.8km、10工区すべてが新年度早期に着工されます。既に着工されている部分を含め、おいおいまたオッカケご報告します。
この日は野々市駅からさらに西の、田中道踏切へ来ました。ここは白山横江高架橋区間。新工区の入札はまだこれからだったりしますが、ここは東急建設や小田急建設系の企業が落札。
Img_107638z やっぱり地元ゼネコンより、中央の、しかも鉄道系の建設会社が受注できるようですね。北陸はゼネコンが不況下と大手の倒産で大打撃を受けてる真っ只中。こういう安定した公共工事は是が非でも関わりたいでしょうけどね。
この一帯は既に高架橋の地盤整備が済んでるようで、線路からこの道路までの間が高架橋下の幅になりそうです。
Img_107640z このあたりは路盤工事がところどころ、といった状態で、逆に視界は広がってるけど、たぶん新年度早々には槌音で一気に騒がしくなるのだろう。まだ使用されてないさっきの道路の路肩に停めて、撮ろうと思ったら今なら一日じっくり撮れそうです。


Img_107644z あと6年で北陸新幹線が開通するとして、この在来線の車両は第三セクターに移管されるかもしれない。ただ金沢以東がそうなっても、以西の福井方面はJRのまま。車両の所管や運行形態はどうなるんだろう。



Img_107656z しらさぎやサンダーバードも廃止にはならない。すべて金沢始発になるだけだと思う。そういうことからも、この681系や683系はまだ当分北陸本線を賑わすんだろうけど。




Img_107685z その代わりこの485系国鉄色は、ヘタすると今年から順次減らされて、2年後くらいには683系新番台から玉突きになった681系などの車両で「雷鳥」から退役させられそう。北陸スジから京都に戻っても、もうこのままの形態の定期運用は難しいかも知れない。
Img_107697z この「雷鳥」運用の485系は10編成が現存。とても貴重な存在で、全国からの注目度も高いけど、サンダーバードより多く停車して、大阪まで約3時間半。やっぱり乗り通すには疲れるようで、先日会社で社長のためにキップをプランしてみたら、あとで不興を買いましたw。僕も去年乗ったときは、全然平気だったけどもww。


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2009年3月 3日 (火)

金沢城復元工事見学会 石川門の今

Img_107592z 河北門の次は、数年にわたって櫓・土塀の修復工事が進んでいる石川門の様子を見学。石川門右方の土塀は、去年の見学会のときよりかなり作業が進捗しているようです。
垂直の控柱が堂々と据えつけられ、土塀には竹小舞がみっちり括られ、屋根の角には銅板が貼られていつでも土壁塗り準備OKのようです。
Img_107597z と思ったら、土曜なのに土壁塗りの作業をされてました。河北門のところで触れませんでしたが、この荒壁土はワラ屑も練りこんで1年発酵させ熟成するので、近寄るととてもクサイです。しかし適度に水分を含み、乾ききらないうちに上塗りを重ねます。この職人たちは、手でこねながら直に塗りたくってます。
Img_107601z 荒壁塗りが終わったところ。屋根の部分までゆるやかにカーブを描いています。
このあと乾くとどうしても割れ目が発生するので、それを埋める斑直しと、中塗り、漆喰塗りという工程を経て、白く美しく輝く壁面となるのです。

Img_107602z 土を塗っている職人に、見学者のおじさんが、「右から塗ってるんじゃ、左官じゃなくて右官やがいね。」「右から作業が進むんやから、しょうがないげんわ。」
右利きには左から塗るほうが塗りやすいことから、土壁職人を"左官"というのはホントのようです。知りませんでしたww。

Img_107609z 養生がはずれてて、全貌を現した控柱と控貫です。修理前は、陸軍が施工したとされる大正時代に、コンクリート製の控柱が地面から斜めに壁を支えてましたが、藩政期の資料の調査から、地面から垂直の控柱であったことを忠実に復元することにされました。しかも材木製です。
しかし腐食を避けるため、地面に触れる部分は石材にされ、木材保存処理剤「エコアコール」を含浸する処理が施されました。
このように木材の多くは取り替えられましたが、腐食してなかった部材や、今見える範囲では狭間など、前回修復の昭和33年の部材がそのまま使われている部分もあります。その年の刻印の入った焼印があったのでわかりました。

Img_107611z 工事現場に、見慣れない石碑が建ってました。平成6年に、金沢大学がこの金沢城内から、郊外の角間に移転するのを記念した石碑のようです。荀子の「学は以って已むべからず」(学問は永遠に続けていかねばならない)という言葉とともに。
こういうのがあるとは知りませんでした。工事が終わったら、多くの方がわかるように目立ててほしいですね。
Img_107617z 石川門の、工事のまだ始まってない土塀、附属左方太鼓塀です。控柱が斜めなのがわかるでしょうか。
一口に石川門と言いますが、門本体だけでなく、附属する櫓や櫓門、左右の土塀なども総称して石川門、と呼称されます。石垣の上に、このように左右に長く白漆喰の土塀が残るのは、全国でも姫路城に次ぐ長さと言われます。他の城では明治維新後、城内を秘匿するもの、と真っ先に破壊され、代りに松や桜などが植えられました。石垣の上に松などがズラッと並ぶ姿は、明治に入ってからのものがほとんどなのです。
この石川門全体が順次修復工事に入っており、最後にこの附属左方太鼓塀の修理が終わるのは平成25年度の予定です。北陸新幹線には間に合いますねww。

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2009年3月 2日 (月)

金沢城河北門、復元工事見学会2

Img_107524z 二の門内部から、一の門の工事の様子を見ることが出来ました。かなりもう進捗してるようです。天蓋の幕が張られてるので外部から見えないので貴重ですね。
もう屋根葺きをしています。屋根板の上に薄い板材を葺くのですが、奈良の国宝とかだったら、ヒノキの皮、つまり檜皮(ひわだ)が定番です。しかし檜皮は超貴重。国宝の修復にも足りないそうです。
Img_107526z それでか、ここでは能登ひば(アテ)を薄く手で割って、3分の厚さにするそうです。
それを焙煎して硬くなった竹釘を口に10個ほど含んで、次から次へと手早く打ち込んでいきます。竹釘は触らせてもらいましたが、かなり硬いです。これなら鉄釘に負けず、薄い板何枚も貫通できますね。
今日は土曜なのに工期が押してるからかそれとも僕らに見せてくれるためか、かなりいいポジションで仕事されてる方が多かったですw。
Img_107558z 櫓内部を離れ、屋根の様子がわかる場所まで登りました。逆光に映えて屋根材の白木が美しいですよ。
長さ27m、幅約10mの広い屋根にしては、軒反りがゆるいかなとの指摘がありましたが、寺社に比べて城とはそういうものだそうです。この位置まで登れるのは今しかないので、いろんな角度から撮影しまくりましたよ。
Img_107568z 今度は1階まで降りました。枡形の内部では、土塀に囲まれるわけですが、既報どおり石垣で積まれたこの上部に土壁が塗られ、石垣が隠れてしまいます。それでもこのようにキレイに積まれた職人というか石川県当局の意気込みを感じますねw。この辺が鉄筋コンクリの熊本城各復元櫓と違う、と声を大にして言っていいようですw。
Img_107572z 二の門の"門"の部分です。ぶっとい鏡柱がブルーシートに囲われ大事そうにされてます。このあたりは銅板などで装飾されるので、木肌のままなのは今しか見られないかも知れません。
頭上部を渡す970mmもある太い冠木(かぶき)は、足場などに隠れて見えません。このあたりの重厚な木組みが、金沢城の重要な表門の"門"たる貫禄を示してますね。

さてこの後は、河北門より長期に修復工事にかかってる石川門の土塀塗りをオプションで見学に参ります。

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2009年3月 1日 (日)

金沢城河北門、復元工事見学会1

Img_107451z 土曜は仕事が終わった後、急いで金沢城へ駆けつけて、河北門復元工事の第二回見学会に参加しました。
この日は素晴らしく晴れ、金沢城の白漆喰に青空がとても映えています。ホントにこの冬も結局満足に雪が積もりませんでした。

Img_107453z 河北門全体を保護する巨大な覆いです。二階建ての櫓門である大きな二の門と、高麗門である一の門、枡形を囲う土塀と、河北門を構成するそのすべてが覆われ、さながら戦艦大和を秘匿した呉のドックのようですw。

Img_107456z 現在の兼六園側からの入口になっている石川門と、構成はほぼ同じながら、石川門よりひと回り大きくなる二の門はやはりデッカイです(2階床面積、石川門180㎡、河北門220㎡)。2階外側の見学台からは何度か見られても、中に入るのは初めてです。とてもワクワクしますね。Img_107459z
今日は事前申込の案内では定員50名でしたが、多くの希望者が応募したので全員受け付けたそうです。総勢110名ほどとなりました。そんなに中に入りきるのかと思いましたが、このあと皆さん入れてしまいました。
やはり年代的にはお年寄りが多かったですが、若い人たちもチラホラ。城マニアの友人S氏と合流して(僕らも若いほう?)、これから2時間、みっちり見学です。
Img_107470z 工事現場の真っ只中なんで、ヘルメットは必須です。よく人数分足りましたね。二の門の2階部分に集合ですが、110人しっかり入れました。それだけのキャパはあるんですが、思ったほど広くは感じませんでした。
数々の太い梁が縦横に天空を覆ってて、内部にいるとやはり迫力がありますね。
Img_107476z 櫓の周囲はすでに竹小舞が仕込まれていて、壁塗直前の状態。先月に見学したときはまだ全然だったはずなので、この日にあわせて頑張ったでしょうか。今日までに進捗率は55%、某社の影響か予定より1ヶ月近く遅れてるような気はしますが。
使われてる木材は、なるべく県内産をと、能登ひば(アテ)、杉で約61%。県外産は松と欅(ケヤキ)だけど、門下部の主要な部分と太い梁群のほとんどがそう。
Img_107481z しかし職人はほとんど、石川県内の人材で賄おうと。県が誇る文化財を県内の者で創られるようにと、先年菱櫓など復元のときも、若い県内職人を集め体験させ、そして今回は彼らが主要なメンバーになったそうです。「石川の伝統的建造技術を伝える会」がそのとき設立され、大工の石川県建築組合連合会を始め9つの団体が参加。彼らが入れ替わり立ち代り毎日平均80人が工事に携わっています。
Img_107488z さて、今から詳細な解説が始まります。この日はマスコミもいくつか取材に来ています。右下のカメラは北國新聞ですね。この場面が写真載ってました。僕は後ろにいたわけですが。そして、まさにこの対面で、NHKのテレビカメラが僕を捉えていたようです。真剣なまなざしで資料をにらんで正面を見据えた顔が、地方ニュースでドアップで映し出されましたw。今年もメディア露出は頻繁にありそうです。
Img_107493z ここで2班に別れて、先に左官工程の解説を。土壁塗りは二の門ではまだ始まってないので、竹小舞の説明と、あとはパネルで。そして後で石川門の修復工事の土塀で土壁塗りがされているので、実践はそちらをレポートします。
竹小舞に荒縄を巻きつけて、土の付きをよくするわけです。縄は外側にも、あまりを巻きつけて残してあって、土を塗ったあとで補強として埋め込むのです。下部は木材に穴を開けてはめ込む現代建築様式を避け、竹を斜めに切り落として空に浮かせ、水の溜まるのを防ぐ工夫が今回されています。
よく見ると所々の竹材が、樹脂のチューブになってます。コンセント用の電源ケーブルが仕込まれてるようですよw。
Img_107505z 木工事の説明では、ほとんどの木組みでは釘を使わず複雑な継ぎやホゾで組立、伝統工法が引き継がれているということ。
丸太を使った梁でも、柱の先では角材に仕上げて通してあるなど、重厚でも細かい職人の腕が培われているのがよくわかります。
安土城の模型でも参考になることがあるんじゃないでしょうか?
Img_107519z 複雑な小屋組みのひとつひとつに、梁や柱の名前が付けてあります。資料にも細かく図説されてるんですが、よくもまぁ昔の人はここまで作りましたよね。
この小屋組みは、完成した後でも天板が張られないので、このまま中から見ることが出来るはずです。ぜひ興味もってご覧下さい。
Img_107520z 全長27mの櫓に、そこを通す牛梁は当然継がれてるんですが、その一部に、実はこの場所の石垣に先年まで植わってた松材が使われました。それが他の部材と明らかに色が違ってるこれです。上を横に渡る二重梁の一本にも使用されましたが、リサイクルというか、所縁のものを使うという配慮だそうです。
さて、レポートも長くなったんで一旦切ります。

つづく。

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