« ビーフシチュー、うまうまですw。 | トップページ | 金沢城河北門、復元工事見学会1 »

2009年2月26日 (木)

「惣構堀」→「惣構」に!

Img_78330z 金沢市の公文書などに記されている「惣構堀」の表現が、「惣構」に正されることになった。
金沢城を取り囲むように築かれた内外二重の惣構は、広い堀と高い土居で敵の侵入を防ぐ構造となっており、「惣構堀」では一部分を示しているにすぎず、金沢市は市内各所に設置されている標柱や案内板の修正も検討する。
[北國新聞2月26日付記事より]
Img_78333z_2 写真は金沢市役所裏の西外惣構跡で、比較的良好な状態で遺構が残っている。江戸初期には堀の幅が約13m、土居も幅が約12m、高さは5m以上あった。
江戸初期には二代利長が高山右近に命じ、また三代利常が篠原一孝に命じてそれぞれ内・外の惣構を造成させ戦時に備えたとされるが、次第に戦のない平和が続いたことから堀は狭められ土居も削られていった。
Img_85559z 土居は多くが消滅していったが、堀は用水として残っており、一般的に「惣構堀」と呼ばれることになった。「惣構堀」の呼称では、「用水のまち金沢」を象徴する側面があるが、土居の存在が薄れ惣構の威容が正しく伝わらないこともあって、昨年金沢市がまとめた惣構発掘調査の報告書でも指摘があり、今回の呼称見直しに繋がった。
Img_87592z 昨年12月には内外の惣構が「金沢城惣構跡」の名称で金沢市史跡に指定された。
市内には東西、内外の計4箇所の「惣構堀」の標柱があり、今後の検討で「西内惣構」などと変更も考えられている。
しかし写真のように、市役所裏の西外惣構跡は土居もよく残っているが、その他はせいぜい堀が用水として昔のよすがを伝えてるだけ。
Img_87480z 惣構は同様の構造は、京都などにもその名を換えて存在しているが、たとえば京都は土居の方こそ残っているし、それがため大部分が削られ保存されているのはわずか。
一方金沢は、たとえ用水としても、その堀部分は約7割が残されている。だからこそこれを文化資産として、金沢市以上の団体に史跡に認めてもらいたいですね。




|

« ビーフシチュー、うまうまですw。 | トップページ | 金沢城河北門、復元工事見学会1 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ビーフシチュー、うまうまですw。 | トップページ | 金沢城河北門、復元工事見学会1 »