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2009年1月 3日 (土)

工事が進まない?、今年の元旦の金沢城周辺

Img_104756z 金沢城、本丸南面では、宮守堀(いもりぼり)の水堀化工事が始まっています。ここは金沢城内が金沢大学だったころ、長くテニスコートになってました。大学が郊外に移転して、城内が石川県に払い下げられると、早速発掘調査の上、簡易的に公園化されてました。そして水堀時代の石垣など遺構が見つかり、水堀復元への期待が高まって、いよいよ昨年下旬から工事開始となったのです。
Img_104794z 最初の写真の反対側からの図ですが、しかし工事のプロセスがわかりにくく、ゼネコン不況とあいまって進捗具合がはかどってるか不安ですね。ここに約200mの水堀と、数mの高さの櫓台が建つ予定です。また、本来の堀はもっと長く、この後ろの道路からさらに延びてもおかしくないんですが、交通の遮断だけは避けるみたいです。ザンネン。
Img_104796z さて、前の写真のすぐ左脇から始まる、金沢城石垣めぐりの新コース、鼠多門コースのスタートです。
江戸時代通じて修復が繰り返された金沢城では、さまざまな年代のいろんな姿の石垣が見られる、石垣の博物館と称されています。宮守堀(いもりぼり)脇の石垣では、初期の粗い加工石を組んで、一部刻印なども見られます。堀底から積み上げられてますが、土手の上部に石垣を巡らす「鉢巻き石垣」という形態になっています。
Img_104802z 今回のコースは玉泉院丸の外縁をめぐる部分。鼠多門はそのうち、今は尾山神社になっている金谷出丸へ通じる門と橋の名を指します。
昨年まで、その外周道路の信号の前にある南西の石垣を積みなおす、修築工事がされてました。その解説板です。玉泉院とは二代藩主利長の正室、織田信長の娘「永」のことで、ここは彼女の屋敷のあったところです。主家の娘なので、野田山の墓地も利長より上の位置にあります。没後は玉泉院丸は庭園とされ、体育館撤去後はその庭園の復元を計画しています。
Img_104807z 修築箇所からさらに北上すると、鼠多門鼠多橋があった場所に来ました。明治17年に門は焼失してしまい、その後鉢巻き石垣が積み足され、今のようなフラットな上面となりました。土手のくぼんだところが、木橋の橋脚のあった名残です。金沢城南西面の、市内中心市街地からの入口として、やはりここも近い将来の復元が期待されています。
Img_104817z さて、せっかくここまで来たので、尾山神社にも初詣に参りましょう。例年金沢市内ではここが一番人出が多いようですが、元旦の正午というのに、そんなに順番待ちしなくても参れました。人が少なめに思えるのは、天気のせいなのかはたまた不況だからか、ちょっと不安になりますね。
Img_104821z 拝殿の中ではちょうど、加賀萬歳が奉納されてました。外からでは、その軽妙なお囃子や語り口はうかがい知れませんが、400年の伝統を誇る、能楽のエッセッンスの入った舞と謡いの掛け合い万歳、という正月ならではの古典芸能です。
元旦ではこのあと、知事公舎や市長宅へ披露に行くはずです。

そんなこんなの09年元旦の金沢城周辺めぐりでしたが、今年もこんな感じで金沢の紹介をしていきたいと思います。よろしく!

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