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2009年1月

2009年1月31日 (土)

09年、鉄の始まりレポート 8

Img_107288z_2  さて、帰りの最終ダイヤ、20時12分発の上越新幹線で帰路につくと、越後湯沢駅に着いたら力の抜けるアナウンスが。踏切事故で北陸本線のダイヤが乱れ、折り返しの「はくたか」が何時に着くかわからないって。いつも長距離のこの往復、どんなアクシデントでもいつも覚悟してますから、またやってくれたな、とカラ笑いw。
Img_107282z_2 まぁおかげで、いつも短い乗り換え時間でゆっくり撮れてなかった越後湯沢駅在来ホームを激写することに。
北越急行ほくほく線のローカル電車、HK100形。時折見かけてても、乗ったことはやっぱりないです。柱にある時刻表を見ると、だいたい1時間に1本。「はくたか」と同じだけの本数とは、少なすぎ?どっちが主役かわかりませんね。
Img_107294z 上越線の115系も雪をまとって停まってました。ごくたまには見かけてましたが、撮れたのは初めてです。一度は越後湯沢で在来線に乗り換えて、ゆっくりローカル線で山越えして江戸に向かうのも乙なもんだと思ってます。まぁリタイヤしてからですかね。それまで鉄道が残ってればねw。
しかし今だ来ぬ「はくたか」を待って、自由席の列に寒いホーム上でたくさんの方が並んでいます。
Img_107300z とんだ旅行になってしまった人も多いでしょう。まして最終便ですから、待つしか手はありません。
幸いにも、30分ほど待ってやっと683系の3点ライトが見えてきました。冷たい中待ってた身には、とても暖かく見える希望の明かりですw。僕はあちこち撮りまわってたので、もう来たか、て感じですがw。そしていいアングルを求めて、ホームの端の雪の上にしゃがみましたよw。
Img_107320z それがこれ。スニーカーのままこの位置から一人撮ってるのを、つかれ切った他の乗客は奇異の目で見てたでしょうかw。





Img_107318z しかし1月中旬でも、越後湯沢の雪がこれくらいの積もり具合では、少なすぎですね。ひどいときは、ホームの端にうず高く積み上げられて、列車は走り出すと、まるで雪の壁伝いを通り抜ける感覚だったのを覚えてます。
結局今日31日までも、金沢市内の積雪はたいしたことありませんでしたし。
Img_107313z いずれにしても、やっとの思いでたどりついた「はくたか」北越急行所属683系。折り返しの車内清掃後、約40分遅れで発車。金沢に着いたのは日付変わって0時45分ころでした。おつかれさん。
今年になってはや2度の江戸参勤、鉄道レポートも長くなってしまいましたが、おつきあいありがとうございましたw。


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2009年1月30日 (金)

09年、鉄の始まりレポート 7

Img_106291z 今月ももう終わるというのに、12日の江戸の様子ですw。
都内某所、と言ってもわかりますよね。中央線E233系と丸の内線の02系が交差するところ。神田川の橋の上から撮りました。さて何橋でしょうw。
このあたりもじっくりと鉄道撮影散歩できたらいいですね。
Img_106373z_2 中央線緩行線の松住町架道橋です。交差点をまたぐため、橋脚が立てられないので支間を広く取れるアーチ橋が採用された、昭和7年竣工の橋です。二重のアーチが美しい、某所を象徴するランドマーク的存在で、映画やドラマにも採用される、デザインに優れた有名な鉄道橋です。
Img_106383z 某交通博物館跡です。つまり某旧万世橋駅跡なわけで。今でも屋上の中央線にはホームと引込線が残っていて、一部構内通路も昔のままの部分があるとか。
博物館としての役割は終えても、万世橋駅というモニュメントを部分的にでも復元して、準鉄道記念物として後世に残せる保存をしてほしいと思います。
Img_107270z_2 某所で某用事を済ませたら、めずらしいバスが通ったので急いでカメラを構えました。
これは都営なんでしょうか? 路線バスには間違いないようですが、都のマークは見えません。とてもおしゃれな外観で、都内のバスには珍しいです。思わず乗ってみたくなりますね。ホントはバスも追っかけるのは好きで、金沢の北鉄ラッピングバスも、まだ撮れてない4種類、早く写したいです(3種までは見かけはしました)。

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2009年1月29日 (木)

09年、鉄の始まりレポート 6

Img_106178z JR横須賀駅から約200m、京急久里浜駅で乗り換え。2年前の3月にインフルに罹って朦朧とした身体で上野駅で並んで買ったSuica・Pasmo共通化記念カードで入札。三浦半島はJRより京急が我が物顔で長い路線を走ってますが、いつも羽田から都心に向かうとき利用してる京急も、三浦半島では初めて乗ります。ここから成田空港までも繋がってるんだからすごいですね。
Img_106185z タモリ倶楽部でも以前紹介されてた、京急ファインテック久里浜車両管理区、まぁ車両基地ですね。京急が大発展を遂げたのは、やはり羽田や都心、成田との直通が叶ったのが大きいと思います。今ではその最新鋭の新1000系など、話題の車両や浅草線や北総線など多彩な車両が行き交う路線としても注目の的です。
Img_106187z 横須賀中央駅に着きました。初めて新1000系にも乗りましたが、これは平成14年登場のアルミ車の方。ドア開閉チャイムや各種バリアフリー、エコにも配慮した現代のスマートな車両でした。
横須賀の繁華街、中心部に駅があるのは京急の方。ここから歩いて、カレー本舗や三笠へ行ってきました。
Img_106263z 米軍基地脇をひた歩き、横須賀本港とヴェルニー公園を過ぎた街外れに、ようやくJR横須賀駅があります。京急の駅よりはそりゃ数段早く開業してますが、当時は港湾の物資を積み込む貨物駅としての役割もあって、この地に出来たのも必然だったようです。今はあちらに比べたらかなりわびしい感もしますが。
Img_106265z そのJR横須賀駅前に、京急のバスターミナルがあるのもなにか皮肉っぽくていいですw。海に面した駅前上空に、こうやって有料道路の高架が通ったのはなにか景観を損ねますね。



Img_106266z 横須賀駅のホームです。久里浜まで続くのは、ここから単線のみになるこのホームだけです。貨物の時代の名残として、引込み線が数本あり、今はジョイフルトレインの停泊地になってるようです。



Img_106271z 見慣れないジョイフルトレインが停まってます。帰って調べてみたら、JR東日本千葉支社の「ニューなのはな号」だそうで。よく見ると485系改造車じゃないですか。485系はもう、なんにでも造り変えられて、外観だけでは全くわかりませんw。
デビューして10年。お座敷やボックスシートにも、団体のニーズに合わせて座席を変形できるという、ユニークな電車です。
Img_106276z なんで千葉支社の車が横須賀にあるのかわかりませんが、横須賀線と総武本線はそれほどに密接ということでしょうか。10年選手なのに、テッカテカに光る車体はうらやましくもあり、利用回数が少ないのかな?という懸念もありw。
いろんな列車を見られたなつかしの三浦半島の旅でしたが、この日はまた横須賀線を東京駅までタダで戻りました。
あとまた、翌日の分をもうちょっとお伝えします。もう二週間以上前の話なんですけどw。

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2009年1月28日 (水)

09年、鉄の始まりレポート 5

Img_106132z 新横浜から横浜線に乗って横浜駅へ。って横浜ばかりですねw。
横須賀線を待つ9番線には、成田エクスプレス253系も入線してきました。海外旅行したことないので、成田空港に行ったことなくて、つまりはこの253系に乗ったことないです。それなのにもう、次世代車両に置き換えが計画されてるって。1991年デビューからまだそんなに経ってないのに、これはやはり、日暮里駅改装後の京成電鉄の新しいスカイライナー対策でしょうかね。
Img_106140z 戸塚駅に着いたら、おやめずらしい、東海道仕様のE217系が。以前東京駅でも撮りましたが、なかなか遭遇できない編成に逢えてラッキーです。




Img_106143z と思ったら、なんと次の大船駅では、さっきの編成を含めて、上り下りの両側に2編成ともE217系をツーショット。
こんなシーンはとてもめずらしいんでしょうか? それとも、僕が知らないだけで、もっとたくさんの編成が東海道色してるんですかね。
Img_106153z さて、すんごく久しぶりに横須賀線に進入しました。それも鎌倉から南に進むのは子供のとき以来?
横須賀線に毎日乗ってる人には当たり前でも、ちょっとめずらしい仕様があるので紹介すると、鎌倉の次の逗子で15両編成から4両を切り離して11両で先は進みます。それも後ろじゃなくて前を切り離すんです。僕は最後尾の15号車に居て、すいてるクロスシートでのんびり待ってましたw。
Img_106164z 東逗子の次の田浦はトンネルの間の駅。11両では収まりきらず、一部はトンネルの中に停まって乗降できません。それも前部が。つまり下りは久里浜方が、上りは東京方がです。帰りの上りは先頭にいたんですが、かなりトンネルに食い込んで停まったんで、そうとうの両数が乗り降りできないはずです。
Img_106168z 横須賀から先は単線なんで、横須賀駅の2線のホームのうちひとつは頭端式でした。横須賀止まりの列車はそこで停まるようです。終点の久里浜では、一つ前の写真とともに、ダイヤ上2線のホームの両方に停泊することも多そうです。
おや、よく見ると左右の編成のE217系、先頭車の顔のデザインが微妙に違います。製造会社の違いか、あるいは明らかな番台区別があるんでしょうか?みなさんは気づかれましたか?
Img_106175z 横須賀線の終着、久里浜駅です。あぁ、そういやここから、海まで2キロ歩いて(浜、というくせに海までまだ遠いんですよw)、東京湾横断フェリーで対岸の千葉県金谷まで行ったことあったんでした。たしか高校時代? 館山まで行ってのテニス合宿でしたよ。
当時の風景は全く覚えてませんね。ここらをぶらつくつもりでしたが、なにもないので時間がもったいなく、じゃ京急久里浜から横須賀へ戻ろうと、フリー切符の効果ない私鉄に乗り換えしました。
まだ続きますよw。

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2009年1月27日 (火)

09年、鉄の始まりレポート 4

Img_106051z さてやっと、レポートも東京駅に着きました。いろいろ考えた結果、富士を見ようとみどりの窓口で時刻表をめくって、こだまで約一時間でいけるとわかって早速乗り込みます。
こだまだと約半分の車両が自由席。指定に乗らなくてもこの早い時間なら大丈夫だよね。なにせ東海道新幹線でプライベートで関東方面から乗るのは何十年ぶりか。
Img_106057z 冬の7時前は日の出前後でまだ暗いですね。この時間から撮ってる人間はいませんでしたw。
最近の東海道新幹線は詳しくないので、ひかりやこだまはほとんど300系なんですね。700系やN700系に乗る機会はやっぱりありません。ムリすれば乗れますけどw。以前試乗のつもりで新横浜までは乗りましたよ。
Img_106059z 東京駅は一日中居ても飽きないでしょうね。10時ころの寝台列車の入線まで待てば、新在両方でたくさんの車種を撮る事ができます。でも今日はそんな気分ではありません。  ・・とか言いながら、結構撮ってますけどw。


Img_106061z 300系の車内です。車内風景は「鉄道ファン」なんかでもいろいろ掲載されて、旅情豊かに感じられるんで僕もホントは乗るたびに撮りたいんですが、やっぱり乗客が多いと遠慮してしまいますね。
今はほぼ車両にお客さんがいないのでチャンスとばかりに撮りましたが、この300系もいつまで現役でいられるんでしょうか。これも数回しか乗ってないんですけど。
Img_106121z 富士の風景は先日掲載したんで、もう新富士駅からの帰りです。
ホームの様子をあちこち撮ってたら、音もなく?突然N700系が猛スピードで通過。気がつくのが遅くて通り過ぎかけた写真になっちゃいました。通過列車の予告ってしないんですね。

Img_106122z 新富士駅へ行った証拠写真ですw。まだ戻りでも10時半なんですが、朝早くから行動してなにも食べてなかったんで駅弁を買いました。悩みましたが富士市富陽軒の「駿河ちらし」。630円でお手ごろ価格です。12月からの何回かの江戸参勤で、今まで平気に捨ててた駅弁のパッケージや包み紙を、取って置くようにしてます。東京駅の牛肉弁当なんか、冷たくてもすごくおいしくて、よく帰りの新幹線で食べたりしてます。包みは今度まとめてご紹介しましょう。
Img_106127z さぁ、戻りのこだまが着きました。やはり300系です。
新横浜で横浜線に乗り換えて、横須賀線から久里浜へ向かうことにします。




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2009年1月26日 (月)

09年、鉄の始まりレポート 3

Img_106043z 「北陸」14系寝台車の内部です。
B寝台の2段ベッドがズラッと並んでいます。狭そうですがこれでもまだましで、以前は3段ベッドでしたし、14系はベッド幅が70cmもあります。












Img_106044z 上段ベッドは上に跳ね上げられますが、時間の短い「北陸」では、最初からベッド仕様で供され、下の座席で知らぬ同士がくつろぐ、といった昔見かけられた旅情はありませんね。
転落防止のヒモがノスタルジックですw。
上段は窓はありませんが、廊下の屋根部に物が置けるようになっていて、その分下段より広い感じがします。








Img_106045z 洗面所です。ここも古い感じがしていいでしょ。
しかし変なところが最先端で、水量節約のため手をかざして自動で水が出る蛇口です。すると顔を洗うのに、いちいちセンサーの反応を待って水を出すので、間が持てませんよね。やはり洗顔は水出しっぱなしがいいですw。









Img_106046z Bソロの室内です。この日は2階の部屋が取れました。1階の方がまだ天井が少し高いので、通常1階優先のようですが、僕は2階が好きです。高いところ、という子供が好む?理由だけでなく、入口が通路側にあり、ムダに明り取りの窓がやはり通路側にあって、人通りが気になる1階より、密室感があって落ち着くからです。
Img_106047z いちおう、背もたれと肘掛のある椅子?があるんですが、22時18分発、6時19分着では、座ってる間もなく、すぐベッドに横になりますね。
それに申し訳程度の読書灯だけでは、いまいち暗くて本も読みにくいので、部屋の明かりはだいたいつけたままです。
Img_106049z 2階はこのように、枕木平行のベッドと部屋に、垂直向きの入口があります。隣の部屋がちょっとだけ見えますかね。
外の窓がカーブしててかっこいいでしょ。まぁだいたいブラインドしてるんですけどね。
物入れのヘコミがその横にあって、その下にバッグを置いたんですが、実はそこに暖房の噴出し口があって燃えるほど熱くなりかけました。ここは気をつけなきゃいけませんよ。
Img_106050z Bソロのスハネ14の廊下です。入口が見えるのは1階の部屋です。ホテルの部屋のように、中の向きが互い違いになっていて、2部屋ごとに小さい階段があります。
それを登りきると、両側に2階の部屋があるという仕組みです。
シャワー室のある2号車は14室で、他は20室あります。

いかがでしたか。寝台車に乗る機会はあまりないでしょう。僕みたいな物好き以外ではw。

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2009年1月25日 (日)

09年、鉄の始まりレポート 2

Img_105997z 10日夜10時の金沢駅では、やはり最近「撮り鉄」さんたちが増えてきました。ちゃんとした人はホーム上が暗いので三脚持参です。僕はこれから列車に乗るので持ち合わせてませんが、いつか江戸へ行く際にも、三脚担いでいきたいと思ってますw。


Img_106008z 彼らのお目当てはこれ!
今や貴重な財産となった、国鉄色ボンネットの夜行急行「能登」489系と、この世から消えてなくなる危険にさらされてる、ブルートレイン寝台特急「北陸」EF81と14系客車です。
この希少な2車が揃ってランデブーするのは、約20分間も並んで撮れるここ金沢駅だけです。上野駅は一瞬でしかもホームは2本先だし、先日の眠れぬ「能登」で、長岡駅では能登出走の後「北陸」入線を確認しましたw。
しかも同方向へ向かうくせに、「北陸」の入線は小松方からEF81を先頭に、ですが(乙丸の金沢車両所に停泊中は小松方にEF81は連結。一度西金沢方面へ走りぬけ、機関車を付け替えてから入線してることになる。いつか確認してみたい)、「能登」は富山方の金沢車両所から入線。そのときはこの先頭車は後方確認灯の赤いランプ。このように両車ともヘッドランプが並ぶのはほんの数分のことです。
Img_106024z さて入線時におもしろい動作を発見。実は列車を入線させるのは、JRの外郭会社ジェイアール西日本メンテックの社員(必ずしもそうではないですが)。この「能登」に乗務する車掌は金沢駅のホームから乗り込みます。普通の電車なら、乗務員扉から入れ替わりで乗ればいいですが、誰も乗っていない客車なら?
偶然見ていると、5号車の写真中央下部のフタになっているところを開けて、そこにある扉開閉レバーをひねって扉を開けてました。今更に見かけた新発見ですが、だからといってイタズラしたらいけませんよw。
Img_106027z スハネ14 755は、Bソロ寝台車です。普通のB寝台は白線ですが、A寝台同様の金線が車体を流れています。屋根近くまで2階の窓があってカッコイイですw。
「北陸」は14系寝台車が8両。AシングルDXのオロネ14が1両。最近人気の高いBソロ スハネ14が3両。なぜなら首都圏往復フリー切符でBソロまで乗れるからです。週末のキップは発売開始である一ヶ月前に速攻で売り切れます。
あとB二段寝台がスハネフ14が3両とオハネ14が1両です。
Img_106028z 「北陸」用には、この日上野から出る別編成の、毎日2編成と、予備車の1両、計3両しかない14系A寝台シングルDXです。富士・はやぶさが廃止されると、もうこれしか残らないです。
この日は14系8両すべてをじっくり撮っておきました。

Img_106035z 7番ホームには富山行き「しらさぎ」が入線。新旧の車両が揃い踏みです。2番線には485系3000番台の「北越」も居ます。普通列車もいて夜の10時台の金沢駅はとても賑やかですよ。

日付が変わったら、「北陸」14系寝台車の内部を公開ですw。


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2009年1月24日 (土)

09年、鉄の始まりレポート 1

Img_104862z また寒くなってきましたね。外は久しぶりに雪が積もりだしました。今週末はおとなしくしてますんで、今年に入って2回出かけた関東への、鉄道レポートをやっとたっぷりアップしたいと思います。
最初は10年ぶりに乗った「能登」。自由席だったんで489系トップナンバーの先頭車に座りました。金沢駅のホームはなにしろ暗いんで、写真写りも悪いんですが、さすが上野駅に着いたら明るいホームで色温度も正確に撮れました。
Img_104863z 出発のときは5分ほどしかタイムラグのない「北陸」と、上野に到着すると20分も早く着いてしまうんですね。そのため「北陸」が6時19分に着くころには、折り返しの準備の出来た「能登」はさっさと尾久へ向けてホームをするするっと滑り出してしまいます。両車を一緒に撮るチャンスはほんの一瞬です。だから明るい上野駅で「能登」をじっくり撮るためには、それこそ「能登」に乗るしかないんですw。
Img_104872z 上野駅地平ホームには、東北地方からの出稼ぎや集団就職などで賑わった往時をしのぶ、石川啄木の歌碑が今も健在です。
「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聴きにゆく」

これだけ足繁く通ってるんだから、僕も一句ひねってみたくなりましたよ。

「ふるさとと 鉄路がつなぐ 江戸の朝」
Img_104877z そろそろ「北陸」が到着してきました。直流路線を長岡から走ってきたEF64 1053は、最近の希少となったブルトレを慈しむ時流に乗って、大宮から出場してきたばかりなのか、ものごっつピッカピッカです。この早い時間に上野で見られるブルトレは「北陸」のみ。どうも連日、たくさんのカメラマンが待ち構えるようになりました。
Img_104882z ほら、これ、見てください。この角度だけでこんなに居るんですが、列車正面や別角度をあわせると、60~70人くらい居ます。朝の6時20分です。大げさではありませんw。僕自身はもう何年もこうやって江戸へ通って?るんですが、年々増えてきましたね。撮り「鉄」だけじゃなく、一般の人たちもノスタルジーと希少性を感じて駆けつけてるんじゃないでしょうか。まだ廃止なんて全然決まってないのにw。まだ当分「北陸」は需要があるので大丈夫ですよ。
Img_104887z この日は三郷へ行くのに武蔵野線に乗りました。沿線は放射状の路線を横断する郊外路線なので、都市部と拓けたところとが繰り返される感じでめまぐるしかったですね。こうやって路盤に立ち枯れた雑草もはげしく茂ってますし。
山手線から駆逐された205系のこれは5000番台?関東近郊は、地方者からするとどこも似たり寄ったりなんですが、やはりちゃんとそこここの"色"というか"空気"が違う感じがするのが、ようやくわかってきましたよw。

では次は11日~のレポートです。

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2009年1月23日 (金)

金沢、「小京都」を脱退!!

Img_85601z 金沢は城下町であることから、公家文化のにおいのする地方都市を「小京都」と呼ぶのに、相応しくないと常々思い、それに喩えられるのに反感を持っていましたが、すいません、金沢はどうやら「小京都」だったようです。
「小京都」と呼ぶに相応しい(と思われる)全国50都市が、京都を中心に「全国京都会議」なるものに参加していて、金沢も発足の1985年から3年後に入会していました。
京都市の観光協会のHPにある「小京都MAP」には、堂々と金沢の観光名所などが紹介されています。
Img_87668z しかしとうとう、金沢市当局が、今年度末をもって、この「全国京都会議」からの脱会を決めました。
やはり各方面からは、武家文化の金沢が小京都を名乗るのは不自然、という指摘も多々あったようです。そして今回「歴史都市」に認定されたこともあり、その5都市の連携による協議会設置も検討され、「小京都」と袂を分かつ決意に至りましたw。
Img_85665z 元々ここ近年、金沢市は全国京都会議の総会に出席せず、共同事業の物産展などにも参加しておらず、年間数万円の会費を納めるだけの疎遠な関係になっていたようです。観光交流課は、さほど効果はなかった、と小京都の意味が実効性がなく、「歴史都市」認定による「城下町」としての歴史遺産を生かした街づくりを明確にすることからも、今回の脱会届の提出となりました。

また、14年度の北陸新幹線開業や、昨年全通した東海北陸自動車道の効果を生かすためにもと、長野市や松本市、高山市や岡崎市・豊田市、高崎市や東京都板橋区と相次いで結んだ交流協定が重視されています。
これでなんだかすっきりして、へんなしがらみから開放されたみたいw。改めて、魅力あるわが国最大の"城下町"をアピールしていきたいですね。

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2009年1月22日 (木)

惣構、国史跡に一歩前進☆

Img_78330z 金沢市は、市内の歴史遺産の文化財指定推進の一環として、金沢城の惣構の国史跡指定の申請を、2012年度にも目指す方針が示されました。2014年度の北陸新幹線開業を見据え、また先日認定された「歴史都市」の国財政支援を活用することで、少しでも予定を早めようとの動きからです。
Img_78333z 惣構とは堀と土居で敵の侵入を防ぐ防御施設で、金沢城は内、外の二重の惣構に囲まれていました。現在でも幅を狭められながらも、堀部分は全体の七割がた残されており、土居の内側の内道とあわせて、昨年12月には金沢市史跡に指定もされています。
写真の右側が城下の内側で高い石垣が積まれていますが、土居の跡と言われ、高いところで5mほどの高低差があったようです。
Img_78328z 昨年度策定した金沢魅力発信行動計画を今回見直し、鈴木大拙記念館など7事業を追加して、ひがし茶屋街資料館を、取得を予定してた町屋が民間に転売されたのを機に削除しました。
北陸新幹線開業を前にして、金沢をいかに魅力的な街にするかという事業が、急ピッチで進められています。


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2009年1月20日 (火)

金沢が「歴史都市」第一号

Img_72899z このたび国土交通・農林水産・文化の三省庁からなる、「歴史まちづくり法」においての「歴史都市」に、金沢市など5都市が第一号の認定を受けました。
歴史まちづくり法では、認定した歴史都市の「歴史風致維持向上計画」に基づき、文化財保全や文化財周辺の景観向上に国が支援していくことになります。
金沢市のほか、岐阜県高山、滋賀県彦根、山口県萩、三重県亀山の各市が第一号の認定都市となりました。
Img_78349z 金沢市の歴史的風致維持向上計画には、今年度から10年間で実施する60事業が盛り込まれ、そのうち3事業の今年度採択を即日国交省に申請しました。
西外惣構の升形復元事業、西内惣構の緑水苑復元事業、にし茶屋街と寺町寺院群を結ぶ連絡路修景整備事業で、採択されれば補助率の高い支援を活用できます。
Img_85416z そのうち「升形」とは、城下を堀と土塁で囲った惣構の交通要所に設置された防御施設で、四方を土居で囲って升のような空間を作り敵の侵入を防ぐためのものでした。現在の金石街道である宮腰往還の入口に設置された升形跡地の敷地の一部を取得していた金沢市は、これを機に本格復元を目指してさらなる用地取得を目指します。
Img_89845z 金沢の歴史的風致維持向上計画では他に、主要な歴史景観道路の無電柱化や、坂道、用水沿いの修景整備など。また、2013年度までに本多町に金沢出身の世界的仏教哲学者、鈴木大拙の記念館を建設し、2012年度以降に土清水塩硝蔵跡の復元を目指しています。
特に費用のかかる無電柱化には大きな助けとなり、今年度末から来年度にかけてかなりの距離の無電柱化が進む予定です。そして無くなる予定の電柱には、いつまでに無くなるという予告シールも貼られることになりました。
電柱のないすっきりとした空の見える、400年以上戦災に逢ってないいにしえの情緒たっぷりな金沢の歴史的景観を守るための、またひとつ強力な援護ができましたね。

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2009年1月19日 (月)

まだ先週末の江戸のはなし。

Img_106298z 先週の連休は結局12日の成人の日も江戸にいました。昼間ちょっとまわったところを。
神田明神へ行く前にその隣の湯島聖堂へ。江戸時代に幕府の学問所だったここは孔子を祀っているわけで、初詣時期ではここでもお参りする人がいるようです。僕はあまり参るという意識はなかったですがね。
Img_106352z 湯島聖堂一帯の敷地となりにある、「昌平坂」。「昌平坂学問所」とも言った幕府の儒学の本山。そのわりには貧弱な坂だなと思ったら、文京区の説明板によると、学問所周辺の3つの坂どれも昌平坂と言ったようです。地図ではここが唯一表記があったんだけど。とすると神田明神との間の太い道も昌平坂なのかな?
Img_106305z その「昌平坂」とおぼしき道から神田明神の鳥居を。正式には神田神社というようです。
2年ほど前にも来たけれど、御札を買ってなかったのでまた寄ることにしました。
神社めぐりも趣味のひとつで、行った先の神社の御札を集めて神棚に束ねています。ホントは限定してしかも毎年換えなきゃならないんでしょうけどw。
Img_106310z 神田明神は言わずと知れた平将門を祀ってて、江戸総鎮守となっています。帝都物語に詳しいですねw。勝負の神様、大黒・恵比寿もいて商売の神様ともなり、12日というのにまだ初詣客でかなりの賑わい。参るのに数十メートルの行列に着きました。金沢の元旦の昼より多いですw。
Img_106315z 猿回しも演じてて、まるで縁日の賑やかさです。ここだけは、不況の神頼みが現実のものでした。金沢では猿回しとか見られないのでじっくり撮りましたよ。




Img_106317z 拝殿で並んでる間にいろいろ撮りましたが、鳳凰の幕も意匠が見事です。拝殿そのものも近年修理されたようで塗装も新しくキレイです。




Img_106319z それでも文化庁から、犀川大橋同様、登録有形文化財に指定されてるんで、建物自体は古いんでしょう。
境内ではこの拝殿の裏の周囲に、9つの末社があり、近くの神田にあった青物市場や日本橋の魚河岸にちなんだ神社がひしめいて並んでいます。千貫神輿という神田祭の花形の巨大神輿もありました。
Img_106384z 成人式でより賑わう神田神社を離れて、某所に向かう途中、千代田区の町名由来板がありました。「神田旅籠町」のことが書かれてあり、このへんは中山道の始まりの旅籠が軒を連ねてたらしく、大火で移転したことなど、古地図つきで謂れが詳しく記載されてます。
金沢は石碑ですが、各地でこういう旧町名の説明が街頭にあると、訪れるのが楽しみになりますね。
Img_106385z 万世橋の東京国道事務所には、中山道の日本橋から戸田橋まで(国道17号)の道のりが、いにしえを訪ねながらの解説板で掲示されてました。よくよく今の江戸中も、探してみればそんな街の案内板も多いのかもしれませんね。

Img_106389z その万世橋では、旧交通博物館の旧万世橋駅がそのレンガの外観は健在です。
新鋭の中央快速線E233系が走っても、あのホーム跡がずっと残されてるのがうれしいですね。交通博物館は移転しても、逆に万世橋駅を復元してみたらどうでしょうか。まだ遺構は結構残ってるようですし。

んじゃまぁ、この後はいろいろ巡った関東の鉄道をゆるりとお伝えするとします。

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2009年1月18日 (日)

海軍の街 よこすか☆

Img_106239z 本港まで2キロほど歩く、メインストリートより海側の高台一角は、旧帝国海軍施設でしたが今は、第七艦隊も所属する米軍横須賀ベースとなっています。
基地入口には大きな碇のモニュメント。ここでカメラを右に振ると、検問ゲートにいかつい黒人のおにいさんが立っていますw。
この先の歩道橋を渡ると別のゲートもあり、米国人でも厳重なパーソナルチェックをしていました。キケンなので撮影はあきらめました。へんにイチャモン付けられて、ボッシュートされてもつまらんですしw。
Img_106243z 本港のショッパーズプラザの中を通り抜けると、ようやく港と艦船が見えてきました。
イージス艦と潜水艦2隻です。日章旗が見えますが、ここは米軍基地内。日本の潜水艦がここに停泊するようです。米軍にはヒミツがあっても、自衛隊は隠し事できないんじゃないですかね。子分のようなものですね(>_<)
Img_106248z_2 港の全体です。左奥に見える艦船も米軍のもののようです。原子力空母もとうとう配備され、いろいろ問題もあるようですが、地域の者じゃないので細かい論調はさけますね。



Img_106252z 米軍基地対岸のここは海上自衛隊の泊地のようです。これだけズラッと並んでると壮観です。
でも右奥の山は米軍の島です。渾然一体、どっちが上かは言わずもがな。ここは日本なのでしょうかw。


Img_106253z 米軍のイージス艦ラッセン、です。82番で識別できますね。空母は出歩いてるのか、はたまた港外の面にいるのか、ここからは見られませんでした。




Img_106258z 港ぞいのヴェルニー公園を歩くオフの米軍の家族たちです。幸せそうなほほえましい姿に、軍港であることを一瞬忘れさせてくれます。しかし当然ながら、外人が多いですね。それと米軍って、駐屯基地に家族を呼びますよね。自衛隊なら考えられないです。
彼らにとってもこの穏やかな日々がずっと
続くといいですね。

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2009年1月17日 (土)

記念艦「三笠」を激写!

Img_106196z カレー屋を出てから、日露戦争の記念艦「三笠」を見に行きました。
ここに来るのは藤沢時代以来の約30年ぶり。クラスの友人と艦の中をみっちり見学した覚えがあります。かすかな記憶だけど、周辺は当時なかった高層マンションが建ち並んでて、都会の湾岸と変わりない風景に思えます。

Img_106197z 日本海海戦を勝利に導いた東郷平八郎元帥の像です。海戦勝利後に詠んだ「日の本乃 海にとどろく かちどきは 御稜威かしこむ 聲とこそしれ」も台座で光っています。「皇国興廃在此一戦」は後方にはためく「Z旗」の意味なすところ。










Img_106199z この日は戻りのことを考えたら艦内に入ることはやめて、外観を撮りまくることに専念しました。 日露戦争の戦勝を記念して、母の生まれた同年の大正15年に記念艦として保存されてましたが、太平洋戦争の敗戦で米軍に接収され、一時米軍のダンスホールとして使われたときもありました。

Img_106202z その後艤装も撤去され、荒れるにまかされてたのを、関係各所の努力で昭和36年に復元されました。

実は海に浮かんでいるのではなく、陸地にコンクリートでかためられてるんですが、永続的に保存するのなら、それが適してるようにも思います。
艦船の独特な曲線美は、鉄道のそれとはまた違い、えもいえぬ風格が漂っているように感じますね。






Img_106205z 中に入るのはやめにしたんですが、記念品ショップでいろいろ買い込んでしまいました。キーホルダーなどかさ張らないものをw。
ここにも、横須賀海軍カレーのレトルトパックを売ってますよ。


Img_106223z ちょうど今NHKでは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を撮影中ですね。モッくんが秋山真之で。江川達也の「日露戦争物語」も途中まで読んでましたが、やはりあれは読者を疲れさせ、日露戦争に行かずに打ち切られてしまいましたw。


Img_106229z ではしばらく、「天気晴朗ナレドモ浪高シ」映像をごらんください。













Img_106231z







Img_106233z 艦内ではちょうど今日のこの時間から放映開始の、「みたまを継ぐもの」が上映されてました。靖國神社企画・制作の映画です。すでにDVDにもなってるようなので、興味のある方はぜひどうぞ。


このあとは、米軍基地の脇を通り、横須賀本港まで歩きました。

つづく。

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2009年1月16日 (金)

超久しぶりの「横須賀」☆

Img_106189z いつも上京してるときは、JRの「首都圏往復フリー切符」を購入しています。金沢から東京まで、乗り継ぎの特急・新幹線の指定席付で22,300円。そして滞在中、東京近郊のJR乗り放題のオマケつきです。三浦半島先端の久里浜、多摩川渓谷の奥多摩、埼玉の大宮、茨城の取手、千葉の成田や蘇我までと、かなり広い地域のJR、東京モノレール、臨海高速鉄道がただで乗れます。
そこでまだ時間があったので久里浜まで足を伸ばしました。
Img_106190z ただ、久里浜駅周辺は何もないので、横須賀へ戻ることに。久里浜からは京急で横須賀中央駅へ。
まずは横須賀といえば最近は、「海軍カレー」で町おこし成功!との様子。「横須賀海軍カレー本舗」でオーソドックスなビーフカレーを。味はまぁ可もなく不可もなくと言った、ホントにオーソドックス。カレーが日本で今のようなカレーライスになったのは、海軍がイギリス海軍のカレーシチューから取り入れ改良したことがルーツなのは間違いないようです。
Img_106191z 一階ではおみやげコーナーも。各店舗が独自のレトロな味を再現し、さまざまなレトルトパックが出ています。詰め合わせもあって送れるようだけど、さてそんなに毎日カレーを食べられるだろうか。荷物もリュックがパンパンなので、カレー好きの友人にも持っていくのを躊躇してしまいました。ゴメンw。

さて腹ごしらえしたら、30年ぶりに三笠に逢いに行きましょう。

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2009年1月15日 (木)

09年の始まり、せつない想いと富士山

090104_090909_ed さて今年は、実は年頭からいろいろあって、精神的にもかなりキツイ年になりそうです。そこでこの場でも少しお話しとこうと思います。
実は正月早々の4日と、先週末の11日12日と、また江戸というか関東へ行っていました。しかし今までとは違い、当初別の目的がありました。それは元カノの見舞いです。
5年前にやむなく別れた彼女の、姉から年末に連絡があり、不治の病に罹ったので経営してる会社をたたむと。
ジストニアという神経がマヒする病気で日常生活に支障をきたすということでしたが、とにもかくにもぜひ見舞いに行って元気づけてあげたいと、病院を訊いて埼玉県の三郷へ駆けつけることにしました。しかし黙って行った4日には、外出して不在で会えなかったので、見舞いの品とメモを置いて帰りました。一週間後に出直すと。
急遽日程を組んだので、4日は関東へ帰るUターンラッシュとぶつかり、久しぶりに夜行急行「能登」の自由席で眠れませんでした。11日は前日の寝台特急「北陸」のBソロが取れ、準備万端のつもりでしたが、しかし出発前日の名古屋出張の折り彼女から携帯に連絡があり、症状が重くなったので会えないと。首から上がマヒして目と口が自由が利かず、叔母との用事で外出した4日のムリが祟ってひどくなったといいます。電話口でつらそうな声を聞いて、僕も心を痛めましたが、そんなときに無闇に面会などいけないでしようし、しかしだからこそ会ってあげたいとも思います。
Img_106081z 切ない想いを引きずり回復を祈って今回はあきらめましたが、他に友人と会う約束もしてたので、予定どおり関東へ向かいました。
しかし早朝の上野駅でこのあとどうしよう。思い立ったのが、先月から何度も上京してる中で、冬の澄んだ関東平野に燦然とそびえる富士の峰を垣間見ていて、なんとか間近で見てみたい、という想いも募っていったので、それを実現することにしました。
Img_106093z 心がもやもやした中で、富士の偉大な姿を見れば、なんとか気持ちも落ち着くだろうと。また逆に、富士を観にいった理由が立たないので、それで前述の経緯を正直に書くことにしました。
早朝の新幹線「こだま」に飛び乗り新富士まで。新横浜を過ぎるころから徐々にその山影が大きくなり、小田原の手前で車窓からでも山すそまで見えるいいアングルがありました。
Img_106101z  1時間ほどで新富士駅につくと、北側に広大に富士山がその姿を見せるものの、街並や工場がじゃまして全面撮れません。
特に富士市は業界の、日本製紙と王子製紙があるなど製紙の町、なんとか煙突から煙がでてるから、操業はしてるんだなぁとちょっと安心。しかし障害物のない開けた場所まで、と気がついたら2キロほど歩き進めていました。
Img_106112z そしてようやく、富士市の中央公園で雄大な富士をほぼ全面見ることができ、じっくり撮影開始。
早朝からの行動だったのでまだ午前9時ごろです。公園ではボランティアの清掃隊が一斉清掃。富士を見ながらの奉仕活動は心が晴れ晴れするでしょう。自分にもそういう気持ちを起こさせてくれるようです。
Img_106106z_2 この日も関東は抜けるような青空でしたが、頂上に少し風と雲がかかってもやってたのがザンネンです。しかし思った以上にクリアに撮れたので、デジタル一眼で富士を撮るという、以前からの目標は達せられてうれしいです。
おかげで少し、心の苦しみも晴れかかって気持ちの整理もついてきました。
この後は横須賀へ向かいました。

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2009年1月11日 (日)

金沢城河北門 復元記念記名会2

Img_105952z 1時間も前に入ったんで、受付と机では、係りの方が準備真っ最中で忙しそう。受付が始まるまでおとなしく待つことにします。
ここで午前の第一部に参加した友人のS氏と連絡。この机で平瓦に参加者全員で号令一下一斉に記名。なんだか表面がデコボコして書きにくかった、ということでした。報道の取材も来てて、かなり賑やかだったようですよ。
Img_105958z 13時が近くなったんで、来場者がちらほら。なし崩し的に受付が始まりました。僕も参加証を渡して指定された番号の席に着きます。平瓦壁板のスペースには、それぞれ番号が振られてて、どれも裏側になるので表から自分の書いたものが見えなくなるんですが、その番号で自分の位置がわかるようにしてくれるんです。完成した河北門の、そこが自分の領分みたいでうれしいですね。
席に着くと個別に説明してくれます。まず、瓦は手の脂に弱いので、決して触らず手袋をはめるようにと。ペンは二種類あって好きなのを選べるんですが、マッキーとデザインペンでした。せっかく筆ペンで練習してきたってのにw。しかし両側が筆先のデザインペンの片側がちょっと筆に似てたのでそれを選択。そしてなんと瓦の裏というのは、凸のストライプのスジが入ってて、これじゃまともに書けないじゃないですか、って表面でした。デコボコってレベルじゃないですw。
Img_105961z それでもなんとか写真のように書き上げました。「寄進之証」ももらってなんだか満足。ホッとしました。あっ、自分の名前の部分は消してあります。ヒミツですからw。
しかし第一部と違って、着いた先から三々五々、それぞれ皆さん書いてくださいってあっさり終わりました。まだほとんど来られてません。僕はこの後壁板にも書きますからって、奥へ通されましたが。静かで全然盛り上がってませんねw。
Img_105970z 奥の部屋では今度は壁板に記名するコーナー。瓦と書けるスペースは同じようなものなんですが、縦に長い板に、正方形に近いスペースを分割して書くので、斜めからの記名でかなり書きづらいです。でもまだ来場者が少なくて、周りを気にせず書けたのはよかったです。手で触っても大丈夫でしたしね。
あっ、午前のS氏の記名が見えてましたよ。親子2人で書かれてますね。仲のおよろしいことで。彼のブログを紹介しましょう。
裏・城郭さんぽ&うさぎと一緒な毎日
最近うさぎは全然出てきませんがねw。
ここでは僕は何を書いたか、ナイショですのでお見せしませんww。
Img_105978z さて、記名会も済んで明日も予定があるのでさっさと帰ります。途中、体育館解体工事で拓けた玉泉院丸の石垣を見に立ち寄り。
ここは以前から遊歩道ができてましたが、体育館がなくなってかなり明るくていい雰囲気です。この何重にも織り成す石垣の意匠は、なぜにこんなにしたのかフシギにも見えますね。この上にあったはずの構造物とも関連するのでしょう。右側の縦に長い石垣を色紙短冊積み石垣といいます。ちょっと暗いですがその右上に、V字形の石樋もあります。この下の玉泉院丸が池のあった庭園であったことからすると、そのころはこのように明るくて、複雑なデザインの石垣も映えてた華やかな空間だったでしょうね。
Img_105984z この下では、土曜というのに解体後のガレキの撤去でショベルカーが忙しく動き回ってました。お疲れ様です。
一日も早く、遺構発掘調査と、庭園の復元を期待したいですね。北陸新幹線に間に合うようにね。


Img_105985z 金沢城の外縁まで降りてくると、ここでも土曜なのに宮守堀(いもりぼり)の水堀化工事が進んでました。
この太いコンクリの管は、排水管だそうで、そうか上手からでなく下手から造ってく必要がありますよね。まだまだ先は長そうですが、冷たい雪の中、ご苦労様です!

今日は記名会を済まして、やっとひとつ肩の荷が下りた気がしました。

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2009年1月10日 (土)

金沢城河北門 復元記念記名会1

Img_105926z 今日はいよいよ河北門復元寄進記名会の日です。復元を記念して寄付によって平瓦や壁板に名前を書ける日が、やっとやってきました。
この日は「初春金沢城祭2009」と題して、河北門の上棟式を行い、みんなで河北門復元を祝って盛り上がろう! というわけなんだけど、とうとう寒波がやってくるということで元旦より寒くて人出ももちろん少ない。
Img_105928z それこそ元旦に様子を見に行ったけど、あれから10日経って上棟式ではどれくらい出来てるんだろう。と華やかな式典?の後を覗いてみる。そういえば上棟式を取材できるのかわからないけど忘れて出かけるのが遅くなってしまったw。着いたのは11時半過ぎ。
Img_105930z 式典は終わって後片付けしてるところ。小屋組みが済んだところで上棟式とは、先日とあまり変わらなかったですね。屋根葺きが少しあるのかと思いました。
でも内部で式をしてたようで、仮設階段が設えてます。一般はこの見学台まで見にこられたんでしょうか?
Img_105936z いずれにしろ、これからさらに本格的工事が進みます。全体の形が見えてきて、進み具合がはっきりするから、毎月のようにチェックしていきたいですね。
枡形の土塀の土台の石垣もほぼ完成のようです。元旦には少し雪が積もってたのでわかりにくかったですが、栗石もしっかり詰められてます。この二段の下の部分が土に埋もれてしまうようです。
Img_105940z 僕の記名会は13時からの第2部で、少し余裕持ちすぎました。着いたらちょうど外で、近江町市場協力の「ぜんざい」が振舞われてました。僕でも寒い今日の気候で、あたたかいものを戴いてちょっとホッとしました。時折小雪が舞う今日の昼の天気ですが、予報ならもっと荒れるってことでした。やっぱり金沢の街中は積もらないのかww。
Img_105941z 「金沢城祭」では、五十間長屋内部で記名会と、金沢城の手作り工作。外で太鼓演奏と、ささやかなお祭りイベントってとこなんですが、にしても人出が少なくてさみしい始末になってしまいました。元から告知が少ないって言ってましたし、なにしろ今日は寒いw。こりゃ人来ませんって。
Img_105946z んでも太鼓演奏が始まると、なんと小さい女の子たちが腕むき出しで頑張ってます。諸江町の「もろえ夢太鼓」の面々。えらいですねw。
観客はというと、この子達が始める前に上着を脱ぎだすと、見ていた奥様たちが一斉に走って取りに来ました。なんだ、みなさん身内じゃないですか。
Img_105949z しかしもう寒くてたまりませんから、まだ始まりまで1時間あるけれど、五十間長屋の中に入りました。まだ係りの方たちが午前の後始末をしている最中だったので、とりあえず工作のところへ。河北門のペーパークラフトを作れるんですが、作ってしまうとかさばるので、紙だけもらって帰ることにしますw。
Img_105951z しかし事前にチラシでも見たんですが、ペーパークラフトといってもバカにならず、かなり精密なデザインに作られてます。部品も結構細かく、こんなのこの場でそう簡単に出来ないですよ。
ここで一式もらって、記名会の受付でももらったので、後で自宅でじっくり作ってみましょう。すごく楽しみですね。

あっ、記名会が始まる前に、かなり誌面を使ってしまいました。記事を2部に分けますんで今日のところは。。
どうせ0時に続きをアップしますけどねw。

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2009年1月 4日 (日)

「金沢は"城下町"じゃ」小京都にあらず

Img_70176s  地元の「北國新聞」に2年に亘って連載してた、北陸新幹線開業後の問題提起をした「ふるさと探査2014年」が年末に終わりました。そこで今年からはその北國新聞が出版してる雑誌「アクタス」で大西巷一が連載中の漫画、「おてんば珠姫さま!」主人公の珠姫が活躍?する、「金沢は"城下町"じゃ」が今日から始まりましたよ。
戦災に逢わずに、藩政期の遺構が街並の各所に反映している城下町金沢の魅力をあますところなく伝えてくれる、新聞一面にデッカク載ってる連載コラム。第一回は金沢の街に二重に張り巡らせていた惣構堀という金沢城の外堀機構。今でもその七割方が残ってますよ。

珠姫とは、前田家三代利常に幼少から嫁いだ、二代将軍秀忠とお江与の娘のこと。漫画ではまだまだ子供でおてんば振りを発揮する元気なお姫様を演じてて、コラムでもその調子で読者に金沢の歴史を教えてくれるみたい。
珠姫が言うには、城を中心として、堀と土居で防御された遺構の残る金沢の街は、京都とは全く違う武家の街じゃ!ということ。小京都と言われる面々もいらっしゃるがお門違い。
写真の「加賀国金沢之絵図」でもその構造ははっきりお分かりいただけるでしょうか。

これから珠姫がどんな金沢の魅力を伝えてくれるのか、連載が楽しみになってきましたよ。

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2009年1月 3日 (土)

工事が進まない?、今年の元旦の金沢城周辺

Img_104756z 金沢城、本丸南面では、宮守堀(いもりぼり)の水堀化工事が始まっています。ここは金沢城内が金沢大学だったころ、長くテニスコートになってました。大学が郊外に移転して、城内が石川県に払い下げられると、早速発掘調査の上、簡易的に公園化されてました。そして水堀時代の石垣など遺構が見つかり、水堀復元への期待が高まって、いよいよ昨年下旬から工事開始となったのです。
Img_104794z 最初の写真の反対側からの図ですが、しかし工事のプロセスがわかりにくく、ゼネコン不況とあいまって進捗具合がはかどってるか不安ですね。ここに約200mの水堀と、数mの高さの櫓台が建つ予定です。また、本来の堀はもっと長く、この後ろの道路からさらに延びてもおかしくないんですが、交通の遮断だけは避けるみたいです。ザンネン。
Img_104796z さて、前の写真のすぐ左脇から始まる、金沢城石垣めぐりの新コース、鼠多門コースのスタートです。
江戸時代通じて修復が繰り返された金沢城では、さまざまな年代のいろんな姿の石垣が見られる、石垣の博物館と称されています。宮守堀(いもりぼり)脇の石垣では、初期の粗い加工石を組んで、一部刻印なども見られます。堀底から積み上げられてますが、土手の上部に石垣を巡らす「鉢巻き石垣」という形態になっています。
Img_104802z 今回のコースは玉泉院丸の外縁をめぐる部分。鼠多門はそのうち、今は尾山神社になっている金谷出丸へ通じる門と橋の名を指します。
昨年まで、その外周道路の信号の前にある南西の石垣を積みなおす、修築工事がされてました。その解説板です。玉泉院とは二代藩主利長の正室、織田信長の娘「永」のことで、ここは彼女の屋敷のあったところです。主家の娘なので、野田山の墓地も利長より上の位置にあります。没後は玉泉院丸は庭園とされ、体育館撤去後はその庭園の復元を計画しています。
Img_104807z 修築箇所からさらに北上すると、鼠多門鼠多橋があった場所に来ました。明治17年に門は焼失してしまい、その後鉢巻き石垣が積み足され、今のようなフラットな上面となりました。土手のくぼんだところが、木橋の橋脚のあった名残です。金沢城南西面の、市内中心市街地からの入口として、やはりここも近い将来の復元が期待されています。
Img_104817z さて、せっかくここまで来たので、尾山神社にも初詣に参りましょう。例年金沢市内ではここが一番人出が多いようですが、元旦の正午というのに、そんなに順番待ちしなくても参れました。人が少なめに思えるのは、天気のせいなのかはたまた不況だからか、ちょっと不安になりますね。
Img_104821z 拝殿の中ではちょうど、加賀萬歳が奉納されてました。外からでは、その軽妙なお囃子や語り口はうかがい知れませんが、400年の伝統を誇る、能楽のエッセッンスの入った舞と謡いの掛け合い万歳、という正月ならではの古典芸能です。
元旦ではこのあと、知事公舎や市長宅へ披露に行くはずです。

そんなこんなの09年元旦の金沢城周辺めぐりでしたが、今年もこんな感じで金沢の紹介をしていきたいと思います。よろしく!

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2009年1月 2日 (金)

着々と工事の進む、今年の元旦の金沢城周辺は。

Img_104751z 元旦は昼から、市内の初詣に行きましたよ。例年のことですが、隣の兄一家と母親を連れて、氏子である石川県社の石浦神社へ。石浦町は今で言う香林坊とか南町周辺にあった、主要な町である本町のひとつでした。石浦神社自体が明治になって旧本多家下屋敷地のこの位置に移転してきたわけです。社殿の控室へ行くと、複製ですが金沢市史資料編にもあった、石浦神社氏子地の絵図を見ることが出来ます。
Img_104757z それから兄一家は高校受験の甥のために、菅原道真の子孫を名乗る前田家ゆかりの、天神様である金沢神社へ[広坂]を登っていきます。
僕はといえば河北門工事の様子を見に金沢城へ。
年末の珍しい晴天だった29日の方が観光客が既に多かったですが、この日はあいにくのミゾレ。北陸らしい天気でいつものどんよりとした空に、実はお似合いの石川門の観光写真をどうぞw。
Img_104761z 河北門の工事現場に久しぶりに寄りました。河北門の枡形の一角となる土居には、発掘の史実どおり、補強の石垣が組まれています。見るからに頑丈で立派な三段石垣が積まれてますが、これらは土で埋められてしまいます。見えなくなるところにも史実にあわせて確実に復元するあたり、どこかの急造の模造櫓とはわけが違うのです(具体的にどこかを指すわけでは・・w)。世界遺産を目指す所以ですね。実際の現場を見て得心しました。
Img_104766z 河北門二の門の覆いの中に入ると、木工事がかなり進捗してるので感動しました。10日後には棟上式が待ってるからでもありますが、ここまで着実に進むと、完成もあっという間だろうとすごく楽しみになります。
見学者にも進み具合がわかりやすいように、[今週の主要工事内容]と、工事部分の図が掲示されてました。
Img_104769z 上部の木枠部分が、梁と屋根の間の小屋組みと言って、桟引・小屋束・小屋貫・二重梁・母屋・棟木、と細かく図示されています。基本的にホゾとかだけで、特別な金属補強はされないはずです。そのかわり複雑ですけどね。


Img_104770z 10日は新春金沢城祭2009として、城内でさまざまなイベントが予定されてますが、肝心なのは待ちに待った河北門寄進記銘会です。外壁の平瓦と、二の門屋内の板塀の裏に、思いの丈を揮毫できるのです。練習はまだこれからで、早速明日にでもしなければいけませんねw。
見学台はこの寒空で、人っ子一人居ませんでしたが、僕が出にかかると集団が入ってきました。なぜか一安心ですw。
Img_104779z 今日はやはり観光客も少なめですね。しかしたまに見かけると日本語を話していませんw。橋爪門をくぐるとインド人とおぼしき黒い二人連れが。会社に関係ある人じゃないでしょうねw。



Img_104783z 橋爪門一の門には、正月の注連飾りが。去年も同様に紹介しましたが、藩政時代の記録を元に描かれた絵図を参考に復元されたものです。
数の子飾りといい、5.4mもあります。これを復元した現代のワラ工芸師は御年91歳。こういうのも再現不可能になっていくんでしょうか?
Img_104787z さてせっかくなんで、このかすかに積もった雪景色を、いつものトップ画像のアングルから一枚激写。今年は寒波が来ても、金沢市内の積雪量はいかばかりか。もちろん生活するにはあまり積もってほしくはありませんが、観光とかの見栄えや、温暖化の心配も実は気になります。まぁ暖かい太平洋側の方は、あまり寒いとこ行きたくはないんでしょうけどw。
Img_104790z 本日の記事の最後に、体育館が解体された玉泉院丸の現在の様子を。ここに古くて大きな体育館があって、暗い場所でしたが、なくなってみるとこんな開放感ある場所だったとは。内縁の石垣などは木々の伐採もあって初めて露出し、またいろいろな発見がありそうです。一度整地が完了したら、発掘調査に入る前に石垣の見学会でも設定してほしいですね。
ここに庭園の復元が予定されています。

明日はいもり堀など、本丸外縁をお伝えします。

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2009年1月 1日 (木)

あけましての、石川線レポート2

Img_104724z さて、そんなに待たずに頂上到達。ここで上の駐車場からの参拝者と合流するのだけれど、全く混乱なく自然と流れました。石川県民の奥ゆかしさもあるんでしょうかw。去年の浅草寺のことを思えばとてもおとなしくて静かな行列w。


Img_104729z 警察が出てて参拝制限と交通整理してるけど、ほとんど必要ないくらい。いつも2年参りはこんなもんなんだろうか。MRO北陸放送のテレビクルーが撮影してたけど、例年のことなんでしょう、特段のニュース性のものを追っかけてるという雰囲気は感じられません。
そぼ降るミゾレにみなさん寒そうにしてたのもあってか、ホントは不景気のときには初詣客多くなるはずなのに、金沢市内の神社より少ない気がしますね。





Img_104734z 拝殿にはいっていよいよお参り。このときも場内放送で二礼二拍手一拝を誘導され、御祓いを全員にするなど余裕の体。
なんだかギュウギュウの押しあいへしあいを期待?してたのに拍子抜けです。やっば石川県は人口が少ないんでしょうか。。
Img_104739z お守りを買う列は長く待たされるほどでしたが、左隣の別の棟では待たずに買えました。この辺も要領ですが、あまり居残っても風情が感じられず、早々に帰りの電車に乗り込むことにします。
病気平癒2個と心願成就2個と交通安全とお札で6,800円也。いい商売ですねw。自分の分は交通安全とお札だけです。
Img_104749z 加賀一の宮駅では、普段は無人化されてしまったのに、今日は3人以上出張っています。無人化前のようにキップも手売りしてました。これだけの活気がせめて平日通勤時や休日にでもあれば、廃止の心配もないでしょうに。今北陸鉄道では国土交通省への申請で11月の廃止時期を少しでも前倒ししようとしています。逆に地元民は廃止撤回を上申するなど、実際はどうなるのかまだ混沌としています。
まぁ廃止自体は避けられないでしょうけど、僕らみたいな「鉄」にしてもこんなときしか来ないんじゃぁ(こんなときでも少ない!)、廃止しないで、という声も大きくは言えませんね。
帰りも野町駅から歩いてしまって、却ってハイになって結局4時まで眠れませんでした。
昼間は例年どおり金沢市内の初詣と金沢城へ出向きましたよ。

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あけましての、石川線レポート1

Img_104735z みなさん、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年はいろんな意味で厳しい年となるでしょうけど、こういった趣味の広場では楽しく前向きな話題でいきましょう!
さて、宣言どおり北陸鉄道の初詣列車に乗って、加賀一の宮である白山比咩神社にお参りに行ってきました。なかなかハイで眠れないので今のうちにレポートしますw。
Img_104678z 野町駅まで歩いて30分。えぇこの小雪降る寒空に犀川沿いを歩いてきましたよ。
加賀一の宮駅に新年変わる30分前に着く22時58分発のダイヤは一番混むと思ったんですが、駅に着いてみると電車は入線していたものの10数人しか居ません。周りも暗く、かろうじて改札に赤い横断幕を掛けてあるだけ。やはり電車は金沢では利用する人はわずかなのか・・。
Img_104682z モーターが始動する前に、係員が屋根に登ってパンタ周辺を点検しだしました。加賀一の宮駅に着いても同様の行動があったので、なにか異常な点があるのかもしれません。結局運行には問題なかったんですが、貴重なシーンを撮れた気がします。
連絡バスが着いてから、案外に乗客が増えて、ほぼ座席満杯の80名くらいの乗車で出発です。
Img_104687z 今日はワンマンではなく車掌が乗務。途中無人駅から乗り込んだ乗客に、キップを販売しています。昔路面電車などでよく見た光景ですが、最近ではとても珍しいですね。石川線でも今日から3が日だけのことでしょうから、来年以降はどうなるかわかりません。
乗車地点と収受料金にパンチするんですよ。
Img_104688z なんやかやで、途中駅からかなり人も乗り込み、通勤列車並みに満員になって加賀一の宮に着きました。やれやれですが、「鉄」とおぼしき人は、僕を含めて2~3人くらい。もう少し「鉄」業界?でも話題になってもいいと思うんですがw。
このダイヤは石川線で1編成のみの旧京王井の頭線3000系の7700系。裾がすぼまってるんで、ホームとの間がかなり空いていて結構危険です。子供など怖がってだっこしてもらってました。
この光景は多分、僕はもう見ないことでしょうか。
Img_104699z 加賀一の宮駅前です。テントが張られてていつもと雰囲気が変わってましたが、まだ日付が変わる前だし、人は幾人かいるものの静かな周囲でした。
「テロ警戒中」の看板がかなり目を引くので、意趣半減ですw。


Img_104715z 加賀一の宮駅前には、こんなふうに長く続く白山比咩神社への参道があるんですが、もっと坂の上に、境内からすぐの広い駐車場があります。そこからの参詣者も居るでしょうから、わざわざこの暗い坂の参道を登る人の方が少ないんでしょう。
しかし行き着いたところ50mほどの列があって、そこで新年を迎えることになりました。はっぴはニューがいいや。





つづく?



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