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2008年11月26日 (水)

前田家墓所も国の史跡指定に

Img_102209z 雨を突いて、そのあと野田山に登り、「加賀藩主前田家墓所」にやってきました。
このたび文化庁文化審議会で、金沢市の前田家墓所と富山県高岡市の前田利長墓所をまとめて、ひとつの国史跡に指定するよう、文部科学相に答申されました。早ければ来年1月にも指定されることになります。
これを機に、家からすぐ近い野田山でしたが、まだ訪れたことのなかった前田家墓所に来てみたわけです。
Img_102221z 野田山は江戸期から墓地が営まれた土地で、歴代の加賀藩主とその正室などが葬られるだけでなく、多くの武家や町民、そして現代でも新たに造営される区域もある、一大メモリアルパークとなっています。でも、僕の一族は別のところに墓があるため、野田山は近くても縁のないところでした。前田家墓所も前田家私有地と思い、各墓地を訪れることができるようになってるとは思ってもみませんでした。
Img_102213z まず入口に一番近い、前田利長の墓です。野田山の前田家各墓地は神道様式で、正面に鳥居があり、三段方墳の姿をしたまるで古墳のようになっています。
藩主と正室・側室の墓が80基もあり、全国の近世大名の墓所でも異彩を放つ有数の規模で、深遠な森の中と相まって江戸時代最大大名の風格もただよっています。
Img_102216z 柵の中をライブビューで撮りました。先年より、国の史跡指定をにらんで、巨木の伐採・柴刈・掘割の発掘など、一部調査や整備がされ、想像よりはすっきりしてましたが、この落葉で墓や地面は一面に覆われ足元は雨にすべるほどでした。
墓石はなく墓碑が墳墓の正面に建っています。「贈正二位行権大納言兼肥前守菅原朝臣利長之墓」と読み取れます。
Img_102225z 前田家の家紋は梅鉢紋。菅原道真と同じく、その子孫を名乗ってましたから、墓碑には菅原氏の名前が刻まれいてるわけです。
芳春院、すなわち利家正室、「松」の墓です。見る人がみると、赤い落ち葉に覆われてキレイとなるんでしょうか。巨木の根が残されてますが、せめて墳墓についた木は、そこまで大きくなる前に取り除けなかったのかと思います。
Img_102229z 藩祖前田利家の墓です。この墓地だけは柵があって正面に行けませんでした。利長や他の墓よりかなり巨大で、その偉大さをつぶさに感じました。高尾の天皇家の墓所の厳かな雰囲気に負けないくらいとは言いすぎかも知れませんが、そのくらいスケールの深さを思わせる威厳があるようです。
しかし史跡として訪れる人を誘うのならば、もう少し足元を歩きやすくしてほしいですね。
Img_102237z 野田山の高い斜面に連なっている墓地群は、下の墓に下りる坂はかなり急で、今日は雨の落葉に滑りそうです。
そんな中やはり利家の墓は上の方にあるわけですが、一番最上段にあるのは、織田信長の娘で利長の正室「永」、つまり玉泉院の墓です。主君の娘を下にできないわけで、さらにその隣には、利家の長兄「利久」の墓があります。信長の命で家督を利家に譲り、後に客分として金沢に来て城代ともなった利久の、墓を最初にこの野田山に造営したのが始まりでした。
高岡にある利長の墓所と一括して国史跡指定される予定で、県境を越えてひとつの史跡となるのは全国で16例目だそうです。その利長の墓所は昨年訪れましたが、これも巨大な墓地で、大名個人の墓としては全国最大級の規模です。
米沢の上杉家墓地や、仙台の伊達家廟所など、大名の墓所は案外に史跡として訪れられるようになっていますが、金沢では整備されてませんでした。前田家の私有地の部分もあり、あまりおおっぴらには立ち入れませんが、ここも歴史を偲ぶ金沢のひとつの名所としてより広く認知されたらと思います。

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