« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月

2008年10月31日 (金)

宮守堀(いもりぼり)水堀化工事開始!

Img_9369s 金沢城の外縁部、広坂緑地との間の宮守堀(いもりぼり)を水堀化する工事が、11月4日から開始される。さらには12月に、堀の隅になる鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)の石積み作業も始まる。
金沢城の南面、広坂の中心部と相対するこの宮守堀の復元は、金沢城の第二期復元整備事業のもう一つの核。かつてはテニスコートにもなっていたこの地が、金沢城の一部として往時を偲ぶ姿を取り戻すのは、旧県庁もあった中心地に面した金沢城の風格が甦る重要な復元となろう。
写真は仮整備の状態で、ここ2~3年はこの様子。砂利で埋まってる堀を数メートル掘り下げ、長さ230m、幅16m、水深1.8mの堀を年度内に完成させる。右の石垣が鯉喉櫓台。さらに約5mほど積み増し、見学スペースとして開放もする。
史実の宮守堀はもう少し大きく、広い部分で幅が30m以上もあった。しかし堀に取り入れる水は史実のとおり、兼六園を通った辰巳用水が使われることになる。
金沢城はこの先も、玉泉院丸の県立体育館解体・庭園復元をはじめ、第三期に亘って百万石の威風と輝きを再現する工事が準備されている。北陸新幹線開業までが一つの区切りだが、関東の観光客を引き寄せる魅力を満載した史跡として、誇れる姿が間に合うのを切に願っています。

| | コメント (0)

2008年10月26日 (日)

「麻生」にしてやられたw。

Img_101071z 九州新幹線で高架橋に剥離や脱落の恐れがあるパネルが使用されていた問題で、鉄道建設・運輸施設整備支援機構は、他4箇所の高架橋でも使われていたと発表があった。
九州新幹線の新八代-鹿児島中央間では、53工区に及ぶ地点で問題のパネルが使われ、目視や打音検査を早急に行い、安全性や耐久性に問題がないか調べるとのこと。
この九州新幹線以外の4箇所とは、東北新幹線の岩手県二戸の晴山高架橋、つくばエクスプレスの埼玉県八潮市、木曽根高架橋。それに現在工事中の北陸新幹線、石川の金沢高架橋と、写真の津幡町、倉見高架橋です。東北新幹線の高架橋では、二枚のパネルに剥離による最大5mmの隙間があったという。つくばエクスプレスの全線についてはまだ調査中。現在走行中の路線で危険な状態というのも問題だが、ここ石川の工事がとっくに完了してるはずの2本の長い高架橋の点検と、必要とあらば再工事となり、また開通が遅れてしまう可能性も。
その問題のパネル材は、麻生総理の実家の会社「麻生」が製造・販売した「ASフォームI型」。森元総理からすれば、恩を仇で返されたようなものかw。早急の対策が求められる。

| | コメント (2)

2008年10月24日 (金)

北陸鉄道石川線、部分廃止決定!

Img__5648z 今日、他の地域の人にはどうでもよいことですが、天変地異、驚天動異なニュースが石川県を覆いました。あの北陸鉄道石川線が、部分廃止を届出したのです!
金沢市内の野町から、延長15.9kmのうち、鶴来駅以南の加賀一の宮駅まで2.1kmの廃止を北陸信越運輸局に届出ました。当初予定として来年10月31日までです。
北陸鉄道は戦前の統制令で石川県内の民間鉄道がすべて合併して出来た会社で、それぞれの路線が不統一に点在し、効率運用が出来ずじまいで経営環境は当初より厳しいものでした。
Img__5651z 石川線は以前は旧吉野谷村の白山下まで路線があり、金名線と名乗り名古屋まで延長するという、壮大な計画がありました。80年代に災害で橋梁や路盤が崩れ、なし崩し的に廃止、加賀一の宮までとなったのです。
急遽、3年前の写真を引っ張り出しました。思えばこのブログの初レポートもこの石川線搭乗記でしたよ。あれ以来、2度ほどしか乗ってないので何をかいわんや、ですな。
Img__5653z 現在の利用者数は、10年前より25%ダウン、最盛期の1/5だそうです。毎年5900万円の赤字、この廃止区間の平日の乗車数は列車あたり5人、と言われれば、地元の惜しむ声があろうとも、やむをえないのかも知れません。それでも900万円だけの赤字解消で、北陸鉄道はバス事業も含めて、常に厳しい状態が続いています。
Img__5657z 加賀一の宮駅ホームから、さらに南、かつて線路が白山下まで延びていました。写真の奥の木立でレールは途切れています。
県内のあちこちに小規模の路線を抱えていた北陸鉄道は、高度経済成長のモータリゼーションの流れとともに、昭和40~50年代に相次いで廃線。現在残る石川線15.9kmと、浅野川線6.8kmが最後の砦としてその後20数年間頑張ってきました。両線をはじめ、なにしろ繁華街を通過しない、極めて接続の悪い鉄道でしたから、そのピンポイントエリアの通勤通学、居住者の利用しかおぼつかないものでした。
Img__5662z しかし鶴来-加賀一の宮間がなくなると、白山比咩神社への参拝客への便はどうなるんでしょう。初詣列車とかも賑わってましたから、再来年の正月には、不便をかけることは間違いないです。代替バスを出すらしいですが、運賃や乗換時間などて苦労します。より鉄道利用が減ってしまいますね。しかし今度の正月は、最後の初詣列車に乗ってみるか!
Img__5663z 北陸鉄道は、維持費用に膨大な経費は掛かるので、地元の理解が得られれば廃止の時期は早めたい、との意向なので来年の11月まで保たないかも知れません。
約80年間走り続けてきた旧金名線区間。石川線の存在意義のひとつでもあった加賀一の宮駅は、名駅舎100選にも選ばれるほどの、貫禄ある和風造りの古い木造駅舎。廃線になってもこの建物だけは残しておいてほしいですね。
ラスト1年、これから何度か訪れてみましようか。

| | コメント (2)

2008年10月23日 (木)

金沢のカラフルなバスを紹介!

Img_101220z 金沢城を出たら、香林坊まで来て、バスを追いかることにします。先日14日から、金沢市内の主要路線バス事業者「北陸鉄道」が、ラッピングバスを走らせているので撮りにきました。
まずは通常の路線バスを。近年の新し目のバスはこのデザイン。元々の色合いを残しつつ、金沢らしく金の曲線ラインを入れて豪華さを増しました。
Img_101207z 旧来のデザインはこの赤のライン。車両メーカーは金沢に工場のある日野車体が多いですが、あと三菱ふそうが次に多いですかね。
他に赤いフリルのラインのデザインや、高速バスとかでは和風に扇のデザインがあります。
ノンステップバスも多く採用され、入口扉は仏壇のような観音扉で広いですw。
Img_101230z 以前にも紹介した100円バスです。金沢駅から繁華街を一周します。新幹線開通を見据え、買物客や観光客の利便のために、週末日中に10分ごと交互に発着しています。



Img_101231z 金沢商業活性化センターが主宰し、西日本JRバスが運行する、金沢ショッピングライナー「まちバス」です。
金沢駅から武蔵が辻-香林坊-片町-21世紀美術館-香林坊、そして金沢駅、と廻ります。ショッピング客を主な目的として、当初競合する北陸鉄道に協力を依頼しましたが拒否され、JRが運行に名乗りをあげました。
Img_101234z その「まちバス」はやはり大人気で、金沢駅では行列に積み残しが出るありさまです。北陸鉄道もやはり影響を受けるのが避けられず、やむなく競合車を導入しました。
「兼六園シャトル」と名づけ、金沢駅-香林坊-出羽町-兼六園下-香林坊、そして金沢駅、と観光客を主に対象にしています。
この100円バスで新幹線後の新しい交通需要に対応する実験も含まれてるようですが、しかしより交通渋滞を招いてるようで、やはりCO2排出を減らすためにも、路面電車かあるいは電気自動車バスの導入を真剣に考えてもらいたいと思います。
Img_101199z さていよいよラッピングバスです。まちなかに新しいアートを標榜する金沢で、北陸鉄道も「走るアート」をめざし、9台の広告ラッピングバスを走らせることにしました。しかしやはり和の街金沢なので、京都同様街の景観との調和を求められ、決してハデなデザインは取り入れられません。
まずは金沢駅前のファッションビル「金沢フォーラス」のバスです。ファッションビルだけど、深い青と白のシックなデザイン。胴体にはその駅前のもてなしドームとフォーラスの図が意匠されてます。
Img_101213z 次は「もりもり寿し」。金沢はおいしい魚が豊富。もりもり寿しは回転寿しのチェーンですが、どのチェーンの回転寿しも飛びぬけて美味です。回転寿しの回転台は、石川県のメーカーが全国のほとんどをカバーしています。


Img_101243z 星稜高校で有名な、「稲置学園」のバスです。幼稚園から大学まであります。あっ、小学校はないですね。以前は金沢経済大学と言いましたが、ブランド統一で金沢星稜大学と変えました。
しかし最近の星稜高校はなかなか甲子園に行けませんね。やはり全国的知名度はバツグンなので頑張ってほしいです。
Img_101250z 「金沢学院」バスです。以前は金沢女子短期大学と言いましたが、少子化のため男女共学、高校もそうしました。「金沢学院」とブランドも統一。うす水に色えんぴつの学校をイメージしたおとなしいデザイン。
9台のうち学校が3つもあるのでちょっと単調になりがち。それらは通学路線しか走らないかと思いましたが、この香林坊に3台とも来ました。
Img_101255z 3つ目の「北陸大学」。大学は医王山へ行く途中にあるので、向きは反対です。
ラッピングバスというので、どんだけ~と思ったのに、景観気にしすぎで全くおとなしいですね。まぁクリームと赤の通常の路線バスとは全然違いますが、金沢は観光地。この間にも全国各地から観光バスがたくさん通りましたが、それらと見分けがつかないくらいでしたw。
Img_101263z 「NTT docomo」バス。ラッピングバスのこの日の最後でしたが、小1時間で9台中6台にめぐり合えたのはラッキーとしか言いようがないw。
他の3台は「北國銀行」「北國新聞」「めいてつ・エムザ」です。これらの方が、今日の6台よりハデのようですw。後日挑戦しましょう。
Img_101223z さて、金沢の路線バスにはまだ違ったのがいます。「城下町かなざわ周遊」と銘打った循環バス。金沢の裏道・表道の観光地をゆっくりと走るボンネットバスです。
全国の観光地でも同様に使われている、三菱ふそうKK-BE63EG改を採用。金沢の三文豪の名を冠した色違いの3台です。
これは徳田「秋声」号。
Img_101258z「鏡花」号。
しかし運賃は通常のバス同様200円です。狭くて座席も少ないので、僕はまだ乗ったことがありません。




Img_101265z 最後は室生「犀星」号。
やはり観光客を相手にしてナンボだと思います。

ラッピングバスを撮るために、金沢の街を走るバスを一通り紹介しましたが、またの機会に残り3台も撮ってお届けします。
みなさんもぜひこのバラエティに富んだ金沢のバスを乗りに来てください!

| | コメント (2)

2008年10月22日 (水)

石川県立美術館と、イベント中の金沢城

Img_101179z やっとこの間の週末のことを書けます。日曜は街に出ました。「おしゃれメッセ2008」やら、「金沢アートプラットホーム」とか、この秋は継続してるイベントがさまざまに金沢の街を彩っています。
そんな中、9月中旬に一年がかりの改修の末リニュアルオープンした石川県立美術館へ、法隆寺の名宝と聖徳太子の文化財展を見に行きました。
目玉はなんと言っても「玉虫の厨子」。皆さんも歴史の教科書とかでみたでしょう、法隆寺を出るのはめったにないこと。あれ、どれくらいの大きさだと思いますか?
Img_101181z 実は2m以上もある巨大な物体でした。その精巧な造りと大きさに圧倒されましたね。教科書にもあった捨身飼虎図は、古代の漫画図法とも言えます。直に見られて感動ですw。4千枚あまり使ったという玉虫の羽はもうほとんど失われて見えません。しかし今年、新たに2万枚もの羽を使って作られた平成版「玉虫の厨子」が法隆寺に奉納され、それを制作したのは輪島においてだそうです。
このほか、百万塔や釈迦如来像など100点あまりの法隆寺の文化財が展示されてました。
美術館のリニュアルは、エスカレータ・エレベータなどのバリアフリー化はもちろん、エントランスに我が石川の誇る世界的パテシェ、辻口博啓プロデュースのカフェ「ル ミュゼ ド アッシュ」がオープン。しかし週末ともなると、店外にまで行列がやまないようで、最初から入るのはあきらめてました。
Img_101185z また美術館の奥に出ると、木立の中を散策できる歩道が整備され、本多の森の静かな風が楽しめます。カフェの大きなガラスごしに、緑の落ち着いた外の景色を見ながら一服できたらいいですね。
法隆寺展の今日は最後の日曜。今回地元テレビでさかんに特番されてた島崎館長自ら、エントランスの真ん中で来場者をお出迎えされてました。
Img_101190z このあと金沢城内にはいり、改めて河北門の工事現場に。この23日から、見学台をこの天幕の中まで延長し、常時天候の心配なく工事の様子を間近で見学できるようになります。これは他の城でも今までにない画期的なことです。
二の門の壁板への寄進記銘が12月に迫る中、21日には石川県美容業生活衛生同業組合がいの一番で、業界団体として記銘寄進されました。僕ら一般にはまだ払込書も届いてません。
Img_101193z 二の丸広場では、おしゃれメッセの一環で、昨日からCanCamの有名モデルを呼んで、ファッションショーが開かれてます。徳澤なんとかとかw。その割には狭いステージと客席ですね。
でも始まると撮影禁止らしく、興味ないのでさっさと出てしまいました。

Img_101196z 最後に玉泉丸外の石垣です。鼠多門周辺ですが、この現在金沢城外縁のここにも、石垣見学コースが整備される予定。右上部の石垣は春に積みなおしが完成して、下部には草が植えられましたが、結局秋にこうやって刈り取るなら、最初から植物が生える前提の土盛りなどしなきゃいいのに、とも思います。
いずれにしろ、この先の丸の内駐車場の存続問題も含め、現在外縁となってるこの金沢城西側の石垣群もきれいに整備してほしいものです。

明日はバスをたくさんアップしますw。

| | コメント (0)

2008年10月21日 (火)

倶利伽羅周辺の上と下

Img_101127z 源氏と平家の倶利伽羅峠の戦いとは、寿永2年(1183)、木曽義仲が10万の兵を率いる平維盛と激突。耳に松明を燃やした500頭の「火牛」で突撃した義仲軍に、驚いた維盛軍は夜半の奇襲に逃げ惑い、地獄谷に軍馬もろとも落ち重なって、過半数が死亡。あとは散り散りになって大敗したという有名な戦い。これで平氏の命運が決まった一戦。
Img_101109z 火牛の像もありました。しかし500頭もの牛を、気づかれずにこんな山の上まで連れてきたとは考えにくいですが、源平盛衰記にもはっきりと書かれている史実?のようです。



Img_101111z 倶利伽羅峠は旧北国街道でもあり、参勤交代や、芭蕉の奥の細道でも当然往来され、「義仲の 寝覚めの山か 月かなし」という句碑もあります。
舗装されず、江戸時代の原状をとどめる旧街道も、付近に約3kmも残っており、このたび地元の津幡町の文化財指定を受け、将来石川県の指定へ格上げも期待される。道本体の文化財指定は特に珍しく、距離も長く、往時の面影を残す学術的価値が極めて高いと評価されています。
Img_101088z 峠から東方を望むと、遥かに富山県の砺波平野が見られました。
晴天でも、遠くが霞んでいて、立山連峰はさすがに見られません。しかし往時のひとたちは、峠越えのたびに、こういう眺めを満喫できてたんですね。

Img_101120z 拡大してみました。ユニーがはっきり見えますw。砺波といえば、散村平野と習いましたが、今でもしっかりとその様子が窺えます。以前医王山からもよく見えてました。




Img_101144z さて、峠を戻ってきました。ここまで来てここに来ないわけにはいきません。
JR倶利伽羅駅です。津幡町でも富山県境に近いこのあたりは、駅はあるものの利用客がそう居るとは思えません。昔ながらの駅舎には見えますが、造りはそう古くないと思われます。
Img_101145z 中を覗くと、無人ではあるものの切符の自販機がありました。いや、さっきゴミを出してた人がいたので、管理する人は居るようです。改札があるとは思いにくいですが、入場はともかく、出るときはどうするんでしょう。北陸本線では、車掌が切符回収しないと思いますが・・。
左の各駅停車の時刻表を見ると、デイタイム一時間に1~2本です。これでは北陸鉄道となんら変わりませんね。
Img_101148z 駅の駐車場から、本線を撮るアングルが案外にいいです。島式1面2線のホームですが、その両側に待避線がある意外に広い構内に、架線柱がそんなにジャマしません。
この日はロケハンも兼ねてるつもりなので、いずれたっぷりと撮りに来ましょう。

Img_101153z 少し金沢寄りに戻ると、道の駅「倶利伽羅 源平の郷」の立派な施設が。歴史資料館や、飲食・温浴・宿泊・研修施設もある、いたれりつくせりの建物です。真新しく、近年に国交省と津幡町とで作られました。
しかし、国道8号線は今年バイパスが完成し、この前の道は県道に格下げ。往来する車も遠方からのは極端に減ったと思われます。
Img_101159z 今となっては僕のような物好きが、ちょろっと金沢から来るだけで、だいたいが近在の方の社交場になってる感があります。売店も地元の物産よりもコンビニに並んでそうなものがほとんどで、掛かる費用を考えると、また自治体の負担になるハコ物ということなんでしょうか。

静かな源平の里を後にして、陽の落ちるのが早くなったので、急いで残りの高架を撮りに戻ります。。

| | コメント (2)

2008年10月20日 (月)

倶利伽羅不動尊

Img_101073z 13日に倶利伽羅方面に行ったのは、富山県境にある、日本三大不動という、倶利伽羅不動尊に行くのも目的でした。
倶利伽羅駅付近から旧国道を右に曲がって山道に。エンジン吹かしながら、かなり急な3kmの坂道を登り続け、いつのまにか一気に200mも標高を稼いでいました。
不動尊付近からの眺め。
Img_101074z 200mm望遠で、眼下の国道を捉えます。前の写真の中央部です。あそこからわずか10分程度でここまできました。





Img_101080z 駐車場から階段を登りつめると、いきなり本堂です。以前から超有名なこの不動尊も、どれだけのモノかと一度来てみたかったわけですが、案外に伽藍はコンパクトです。
この時期は奥の院の御開帳で、なにか条件がそろうのが30年ぶりとかで、たくさんの方々が本堂の中で講話を聴いてました。
Img_101081z_2 僕は別にお不動さんを信奉してるわけでないので、護摩を焚くとか、御開帳を見るのに札を納めるとかしませんでしたが、いろいろ見学?はさせてもらいました。
千葉の成田不動尊、神奈川の大山不動尊と並んで、日本三不動といわれます。「倶利伽羅」とは、インドのサンスクリット語で福徳円満の黒い龍を意味するそうで、約1300年前の養老2年に、元正天皇(聖武天皇の前の女帝、だから奈良時代ですね)の国家安穏の祈願にて創建されました。
Img_101082z








Img_101083z 倶利伽羅といえば、源平の合戦でも超有名な舞台ですね。この旧北国街道ぞいに、古戦場があります。不動尊のあとに見に行きましょう。





Img_101086z














Img_101091z 倶利伽羅不動尊の前には、「倶利伽羅そば」という蕎麦でおもてなしがあります。
お茶の入った緑の麺が特徴で、これを食べるのも目的のひとつでした。




Img_101092z しかし味はいまいち深くなかったですね。
ちょっと茹で上がりすぎ?しかし人気の茶そばは、15時くらいなのにもう売り切れで、どうやら僕のが今日の最後だったみたいw。

さて、古戦場へ向かいます。


| | コメント (0)

2008年10月19日 (日)

北陸新幹線 高架橋めぐり

Img_101046z また先週の話ですいませんが、鉄道記念日の14日の前の月曜祝日、秋の休日の好天がもったいないので、やはり表に出ました。
津幡・倶利伽羅方面に、まず鉄道がらみで、北陸新幹線の構造物を確認。既にこのあたりの富山県境の間のトンネルや高架橋は完成から5年ほど経過しています。使用する前に早くも汚れが目立つところも・・w。
Img_101048z 最初の写真と繋がってますが、トンネルに囲われてる地域の中では一番長い高架橋、杉瀬(すぎのせ)高架橋です(トンネルは名前・長さは公開されてますが、高架橋は不明、仮に命名しました)。
富山県境の新倶利伽羅トンネルと、石川県内で一番長い明神トンネルとの間には4本の高架橋があります。今からそれらを探してみましょう。
Img_101051z 春まで国道8号線のバイパスの分岐点(工事中)だった刈安北から県道219号をさらに北に向かうと、田屋の集落に突如巨大な構造物が現われます。田屋高架橋としますが、このように高架への上り口がありました。「保守用設備を作っています」とJRの看板がありましたが、長いトンネルに挟まれて、あとはこういった高架がところどころ、という線形では、高架への保守点検設備が短い距離間に必要なようです。
Img_101058z 高架橋をくぐって反対側です。こういう、何気ない集落の中に、突然ズカン!とコンクリのカタマリがあると、田舎ののどかな風景も現代の時間に引き寄せられている感がします。しかしすぐ1km南にも、国道8号線の新しいバイパス高架が長く続いている処です。
Img_101064z 岩崎高架橋でしょうか。県道218号を西へ、倉見から山間部を回り込みました。
位置関係はわかりにくいと思うので、まず富山県側からトンネルを。新倶利伽羅トンネル3362m、岩崎トンネル260m、宮谷トンネル450m、杉瀬トンネル378m、明神トンネル2880m、花園八幡トンネル720m、第一月影トンネル280m、第二月影トンネル249m、です。田屋高架橋が富山県側より、新倶利伽羅トンネルを抜けて石川県側最初の高架橋、次がこの岩崎高架橋です。
Img_101071z 宮谷トンネルを挟んで西側の、倉見高架橋ですかね。
新幹線が通ると、この高台の道からがいい撮影ロケーションになると思われます。今は全く静かな山間ですが、開通後は新幹線の騒音とともに、いろいろ騒がしくなることでしょうw。
さらに杉瀬トンネルを抜けると、最初の写真、杉瀬高架橋になります。その次は、長い明神トンネル。一気に金沢市に入ります。
Img_101170z 他に二つ高架橋がありますが、行く道が見つからないので、山間部最後の第一・第二月影トンネルに挟まれた、月影高架橋。スノーシェードか防音壁に囲われた、一番短い高架橋でもあります。くぐる道の上には、「つらら注意」の看板もあり、開通はまだ6年先なのに、既に地元の生活は高架橋とともにあるようです。
Img_101173z 最後の第二月影トンネルを抜けると、あとは金沢駅までずっと高架です。
長野-金沢間は、山を抜けるのでトンネルが多いと思われがちですが、高架が全体の55%あります。データによると、最高設計速度が260km/h、最急勾配28‰(パーミル)。東北新幹線も高速化が予定されてるので、一番速度が遅い区間といえるでしょうか。
Img_101177z 夕方は陽が落ちるのが早くなった、さすがは北陸の秋です。この調子でずっと金沢まで高架が続きます。
あまり早くに高架が出来てしまって、地震で開通前に崩れないか心配してしまうほどですw。ただ、レールを敷くのに1年半、運行訓練に半年以上掛かるのを考えると、工事の槌音がやんだこの区間も、そわそわと騒がしくなるのにそう遠い時間はかかりませんね。

| | コメント (2)

2008年10月15日 (水)

誕生日に、金沢総合車両所見聞録2

Img_100876z 金沢総合車両所の中心を横断する、県道204号、主要地方道八田金沢線、乙丸陸橋の上に来ました。
ここはやはり車で来るには駐車スペースが心配で、いつか早暁にチャリで来てやろうと思ってましたが、昼間でもかなり車両が留置されていて安心しました。
485系雷鳥運用車です。このA2編成クハ481-801は中央貫通タイプでクチバシ?は平板貼り付けなので好きませんw。
Img_100889z 乙丸陸橋から西方、金沢駅方面を望みます。中央が車内整備を含めた始業準備線、右の上屋と枠外の建物が運用検修センター、 左の高架が北陸新幹線です。
日常北陸本線の運行に就いてる主な車種が一堂に並んでいます。

Img_100892z 左から681系、683系、475系、485系です。どうやら日中の方が、この折り返し用始業線は忙しいようです。




Img_100904z 乙丸陸橋の銘板です。昭和45年完成、一等橋とあります。橋に等級というものがあるんですねぇ。

ところで乙丸陸橋の歩道にいた約1時間の間、他に歩道を通る人はついぞありませんでした。かなり交通量の多い主要幹線ですが、歩きで利用するには危険?と思ってるんでしょうか。おかげで思う存分撮れましたがw。
Img_100914z 今度は東方、富山側を見ます。寝台特急「北陸」が一編成まるごと休んでいます。当然ながら、通常2編成が交互に東京尾久車両センターと、その眠る場所を入れ替えてます。しかしこの14系客車の配属はすべて尾久車両センターで、金沢総合車両所は間借りというわけです。
Img_100920z その脇の本線を、サンダーバードが駆け抜けていきました。左側は金沢貨物駅。なんと丁度、冬に向けて貨物駅の配線のポイント部に、融雪のためのスプリンクラー可動テストが始まりました。濡れているのがわかるでしょうか。


Img_100925z さらに東奥のほうに、まとまった留置線があります。ここの一番奥が前回の記事の写真の場所です。右から2列目に489系ボンネットが見えるでしょうか?
オイスターホワイトにコバルトブルーのラインの車両たちは北陸本線カラーの475系や413系415系など。3両編成固定、多客時間帯は連結6両で普通列車として、長期にわたってこの日本海側を席巻しています。
右端のブルーのは七尾線用の415系。
Img_100934z さて真上から撮ってみましょう。ここにも489系がいますが、金沢総合車両所所属は9両編成が3本、7両編成(通常は団臨)が1本です。そしてどうやらこれが7両のH04編成のようです。
少なくとも9両の1本が今朝上野に着いて、今頃尾久で休みながら、夕方の北関東のサラリーマンを自宅まで送り届ける「ホームライナー」の準備でもしてるでしょうか。








Img_100993z 本線上を金沢へ向けて走る681系です。確かに上から見たらカバにも見えますね。他線区の新型車両のように、ヘッドマークを付けられないのが寂しいです。「はくたか」か「サンダーバード」か正面からじゃ見分けがつきませんw。











Img_101021z_2 最後はJR東日本、新潟車両センター所属の485系3000番台の「北越」です。一時「はくたか」運用にも就いてましたが、683系増備によってすべて160km/h対応ダイヤにするべく、運用を外れました。しかし今でもダイヤ混乱で車両のやりくりがつかないとき、先ほどの489系が「はくたか」として走ります。今年の冬に489系「はくたか」に乗りましたが、それでも当初ダイヤが681系同様160km/hのままだったのが納得いきませんでした。当然というかそれ以上にダイヤは乱れ、どのみち1時間以上遅れましたがw。

それでは、金沢総合車両所、楽しんでいただけましたでしょうか? 誕生日のこの日はこのあと、金沢駅まで歩いて、バスで真っ直ぐ帰って銭湯行って、結局一日しゃべりませんでしたww。

| | コメント (2)

2008年10月14日 (火)

誕生日に、金沢総合車両所見聞録1

Img_100827z_2
今日は14日、鉄道の日ですね。鉄に染まった週末のレポートの続きです。
12日の本当の目的は「鉄」撮りにあり。金沢総合車両所に行くのに東金沢駅へ降り立ちました。金沢には珍しいすがすがしい青空の秋の休日に、列車も鮮やかに写るでしょう。
Img_100831z 東金沢駅と金沢駅の約3kmの間には、広大な金沢総合車両所の車両基地と金沢貨物駅のコンテナヤードがあります。
北陸本線の本線は現在、その車両基地と貨物駅との間を仕切って縫うように通っていますが。

Img_100843z 以前は別のルートを走っていました。そこは・・写真の右に見えるように今は北陸新幹線の高架が通っています。そう、新幹線のために、一番素直に通れる道を譲ったわけです。
そのためこの東金沢駅も、元の場所から海側に100mほどずれたこの位置に新しく造られたのです。
Img_100840z しかしおかげで、しゃれた新しい橋上駅舎になり、線路の南北も自由通路で交流でき、元の駅のあたりは広場や駐車場になって付近は明るい雰囲気に様変わりしました。
階段がかなり広い幅になっているのは、近くの学校へ通学する学生の利用も多いからで、新幹線効果はもうこういったところに顕れています。
Img_100851z コンテナヤードをバックに本線を走りぬけるサンダーバード。厳密にはコンテナヤードとはもう言いませんが、うちに入荷する前の留置きコンテナがこの中のどこかにあるはずですw。
コンテナはかつて荷票といものを貼ってましたが、当該コンテナを探すのに時間と労力が掛かっていたので、現在はICタグを取り付け、GPSで現在位置をリアルタイムに把握、データ管理で目的地によってどの車両に積み込むかも判断できるIT-FRENS&TRACEというシステムが運用されています。
Img_100861z 車両基地の外側の道路まで来ました。
金沢総合車両所の車両留置線は、大きく分けて3箇所に分散されています。それぞれがどういう意味を持つかはイマイチうかがい知れません。
どうもしかしこの場所は、よく撮り鉄がムリしてフェンスでも登ろうとするのか、「監視カメラ作動中」の表示があちこちに貼られていました。
Img_100864z 昼間ここに2編成眠っている489系ボンネットは、ヘッドマークがわざわざ外されていました。もしかして以前に、進入して盗んでしまう輩がいたのかもしれません。味気ないというか、せちがらい仕儀になってしまいましたw。


Img_100871z 新幹線高架がすぐ脇を走っています。元はここが本線の位置でした。だから時折通る在来列車や踏切の音が今はしないので、ここはいたって静か。少し離れた車両のモーター音がかすかにするだけです。



Img_100872z 車では駐車も気にしなければならず、歩いてきたならこそ見つけたスポットですね。
このあと金沢総合車両所の全体像を観るために、乙丸陸橋に向かいます。

つづく。

| | コメント (4)

2008年10月13日 (月)

誕生日に孤独なひとりあるき

Img_100825z ちょっとこの記事は時系列が飛ぶんだけど、3連休なんで50Dをリュックにいろいろ行ってみました。んでも土曜は時折雨模様。夕方やっと思い立ってチャリで街中へ。
辰巳櫓のデッサンを観に石川国際交流館に。石亭の隣にある古い民家を改造したこの家の間にあるんだけど、入場無料でだれでも入れるのに、この日は失敗。だって、館の名のとおり国際交流の真っ只中でした。平気で奥まで廊下を通って、デッサンが床の間?に掛かってるのを見つけたものの(意外に小さかった)、その部屋にはロシアの留学生?らしき人たちがテーブルに着いてなにやら談義。一瞬できびすを返してきましたw。
この日はこのあと大和へ寄るつもりが、自転車のカギは忘れるわ(それでも駐輪場に停めた)、肝心の大和のカードを忘れるわで、全く意味なしのお出かけになったので、あきらめてすぐに自宅に帰っちゃいました。
Img_101026z 改めて日曜。この日はん十ん回目の誕生日です。昼から「鉄」を撮ろうと駅へ向かうけど、連休中金沢市内はさまざまにイベント。車だと渋滞や駐車に時間と費用がかかると思い、バスで金沢駅まで。
東金沢まで電車に乗って、金沢総合車両所を撮りまくり(後日レポート)。その流れで金沢駅まで歩いて戻りました。
駅では100円バスの「まちバス」「兼六園シャトル」が鉢合わせ。本来10分交互のダイヤなので、乗り場に連なることはないはずだけど、今日は街中がイベントの人出で大渋滞。バスのダイヤは乱れっぱなし。帰りの東部車庫行も10分遅れでした。
100円のこれらはお客さんも大行列で、積み残し続出。ちょっとしたこんなイベントの日でこの状態だから、新幹線開通後にはやはりバスだけでは市内交通の定時性は守れません。高岡の路面電車はやっぱりあこがれるなぁ。
Img_101030z 金沢駅のもてなしドームで。垂れ幕にあるように、なんと現在4つものまちなかイベントプロジェクトが。しばらく週末はにぎやか通しですよ。来週にはその広坂近辺に行ってみたいですね。



Img_101032z 一旦戻って、こんどは車で山の方へ。野田山を一周してみると、墓地地域の横、実践倫理記念館の手前で広~い駐車場が整備されてました。ここいらは昔から夜景がすごくきれいに見えるところ。駐車場は今までなかったんですが、だったら今度夜に来てみようw。
Img_101033z 街の中心部の主要な建物が凝縮して見えるアングル、は以前にもお見せしましたっけね。
この日は誕生日のくせに孤独な僕は、ついに一言も声を出しませんでした。まぁあえてですがね。

さて日中の金沢総合車両所レポートはこの後お伝えします。


| | コメント (2)

2008年10月12日 (日)

高岡の今の鉄道事情

Img_100770z まだ先週の高岡ですけどw。
高岡市内は万葉線という路面電車が走っています。元々高岡エリアの民鉄、加越能鉄道のものでしたが、赤字路線から廃止の申請をしていました。しかし市民などから反対の声が上がり、今は高岡市を主体に2001年から第三セクターとして運営されています。
写真は2004年に導入された新型車両「アイトラム」
Img_100796z 新型路面電車としては流行の2車体連接超低床車。休日の今日は地元出身の立川志の輔の車内放送が流れてました。そういった工夫も金沢は参考にしてほしいです。
しかし市民の声で残った万葉線も、普通の週末の日中では車内もこのありさま。高岡駅前の末広町商店街も、日曜なのにシャッターがたくさん下りています。
Img_100803z さて、高岡駅に戻りました。高岡駅は今、橋上駅舎化の工事中。北陸新幹線がこの高岡駅を通らないので、代りに橋上駅化の予算が下りたわけです。
平成24年度末に、南北自由通路とともに完成予定(ステーションデパートは26年度)。すでに改札正面には白い鉄板で目隠しされ、ホームへ向かう階段も仮設のものに。
Img_100805z その跨線橋から。ホームの屋根が取り外され、この位置に橋上駅舎が建造される工事の真っ最中。北陸の主要駅はこうやって次々と変わっていきますね。金沢駅の新幹線ホーム上屋工事はいつから始まるでしょうか。


Img_100822z この高岡駅から南北に二つの枝線が通っています。氷見線城端線。非電化の2路線のためにある、高岡鉄道部全景ですが、駅構内に何本も線路の走る広いヤードが現役である光景は、昔は珍しくなかったのに今は「鉄」にはたいへん貴重な場面です。
Img_100815z 681系「はくたか」、北越急行所有のスノーラビットです。日中の閑客時にはこのように6両単独編成で走るときもあります。
久しぶりになった高岡でしたが、次に来る時には、橋上駅舎の形が少しでもあらわになってるでしょうか。






| | コメント (4)

高岡古城公園散策

Img_100743z 記事が遅くなってしまいましたが、このレポートは先週の出来事ですw。
松任工場からその足で、一気に高岡まで来ました。JRで840円、思ったより高かったですね。
高岡ではまず、高岡市美術館。人から券をもらってた「日本近代洋画のあけぼの」展を。高岡市開町400年記念プレイベントの一環で、先日は金沢での外国の洋画展ではいまひとつピンとこなかったけど、今回は日本の洋画で名前も知ってる画家のも多いんで、すごく面白かった。
古くは江戸中期の平賀源内司馬江漢の作品も生で見られて嬉しかったし、写真にある美術館の外の幟の高橋由一「鮭」など有名な作品もいくつかあって興味深かった。有名な画家では黒田清輝や青木繁、藤島武二のもあり、写実的な洋画の技法を取り入れた黎明期の作品に、なぜか疲れてた心もピンッとさせてくれた感じがする。そうそう、徳川慶喜の小作もありましたよ。
Img_100744z その次は隣の高岡古城公園へ。高岡は父親の関係で子供のころ毎月のように来てた時期があったのに、ゆっくり城内に入るのは初めて。普段なら何気ないただの公園と化してる古城(加賀藩なので元和元年1615年の一国一城令時に廃城)なのに、来年の高岡開町400年に向けてさまざまなイベント中。
Img_100747z 大伴家持が赴任したこともある越中国府のある高岡は万葉の里とも呼ばれ、「万葉集」全20巻を朗誦するイベントが。堀に船を浮かべ当時の衣装にコスプレした老若男女(見た限りお年寄りがほとんど)が代わる代わる数日にわたり熱誦。4024番、とか言ってたから、夜通しかどうか判らないけど、ものすごい熱意ですね。観客?が少なかったのがザンネンですが。。
Img_100750z さて、本丸広場にはこの高岡を開いた前田家二代目前田利長の銅像が。隠居領として入った富山城が焼けた後、慶長14年1609年に当時の関野に、高山右近の縄張りで城を築き高岡と改名。開祖として今でも市民に慕われています。








Img_100752z 本丸の中心には射水神社がありました。奈良時代以前から二上山の麓にあったものを、明治になってから高岡城址本丸に遷座したものです。さっそくお参り、と思ったら婚礼の真っ最中。ここから先も近寄りがたい雰囲気だったのであきらめましたw。けっこう神前挙式のメッカのようで(神道にメッカとはどうかw)、HPには挙式履歴がずらりww。

さて、古城公園を後にして、次は高岡の鉄道事情を確認しましょう。

| | コメント (0)

2008年10月11日 (土)

4年ぶりの金沢総合車両所公開! 3

Img_100708z またも平日がすごく忙しくなってしまったので中断してましたが、松任本所レポート再開です。
工場内を一通り廻ったあと資料館に来ました。懐かしい写真パネルや模型、特急のヘッドマークなど展示してあります。明治時代からあった国鉄の工場なので、戦後の上空からの航空写真でも、周囲は田圃ばかりなり、でした。地域の方々の誇りや期待が当時なら特に深かったろうと想像できます。
Img_100710z 昔の優等列車のパネルです。寝台特急「日本海」「トワイライトエクスプレス」、夜行急行「きたぐに」は今でもありますね。
昭和40年代までは急行が隆盛、「立山」「加賀」は覚えがありませんが(そんな昔から遠出してないし)、「くずりゅう」は記憶がある、最後まで残ってた北陸本線の昼行急行です。パネルにはいませんが。
Img_100711z 夜行急行「能登」と特急「白山」のヘッドマークです。大型なのでボンネット型専用ですね。「能登」は今でも現役で、毎晩金沢駅で489系の鼻先で光っています。
「白山」は、そのルートを踏襲する北陸新幹線の金沢行列車の名前としてぜひ復活してほしいですね。よほどのことがない限りこれに決まるでしょうが。
Img_100713z 列車にはめられていた行先サボです。
上段の白いのは車両の乗車口脇上部の枠に、横スライドして取り付けるタイプで、裏返すと別の行先が書いてあります。
中段のは、昔の客車の中央窓下に、吊り下げるタイプで今はほとんど見かけませんね。
昔金沢駅が地平ホームだった頃、改札入って右すぐの七尾線ホーム脇に、このサボがまとめて立てかけてある棚があって、いろんな行先の表示を見てとてもわくわくしてた覚えがあります。今鉄道グッズショップでも置いてますが、ホンモノは1万以上しますしね。いつかは気に入った行先のをゲットしたいです。
Img_100714z 国鉄時代の松任工場で改造や修理の終わった車両に取り付けられるプレートです。
ちゃんと年号も入り場所もわかるので、どこの駅で見かけても、車籍はどこかわかるものです。まぁ車両に直接「金サワ」とかペンキされますがね。
「日本国有鉄道」のプレートは、以前国鉄共済の施設で購入しました。今でも京都の梅小路機関車館とかで買えるのかな。ずっしりと重い鋳鉄製です。
Img_100715z いまはなきw、輝く「JNR」マークプレートです。これが485系の先頭に燦然と光ってた車両を見ると、旅への期待感となにか誇らしげな気分になったものです。祖父が国鉄マンだったこともあったでしょうか。僕もそのうち、と思ったらなくなってしまいましたw。
Img_100716z 松任工場に入場してきた蒸気機関車をはじめ往時の車両たちの写真です。北陸本線の様子もあります。
国鉄OBでしょうか、お年寄りたちが当時のことを話されながら、写真を見て盛り上がっています。車両所公開は、こういった方々にとっても貴重な機会なんですね。4年ぶりに開かれて、喜んでる人たちは大勢います。JRも心してほしいですね。
Img_100824z グッズ売り場にて、思わずいろいろ買ってしまいましたが、複製のものはそりゃ安いですが、ホンモノでも欲張らなければ手ごろな価格で買えます。
中央の鉄製の号車札と、右の運転士が持つ運転時刻表はモノホンです。ある日のその列車運行のスケジュール表で、着発の秒数、駅間の制限速度までしっかり記載されてます。

久しぶりに「鉄」に染まった日でしたが、まだ午前中。そうだ、高岡へ行こう!
つづく。

| | コメント (2)

2008年10月 7日 (火)

4年ぶりの金沢総合車両所公開! 2

Img_100661z 電車の心臓、モーターです。これはMT54形主電動機といって、昭和40年代の主力モーターでした。当時165系や113系に採用され、出力アップと高い安定性能がありました。しかしこの直流直巻電動機は、かなりデカイ! 誘導モーターと違い、整流子とプラシのスペースも必要だからだが。

Img_100663z ひるがえってこれは、681・683系用のWMT103・105形主電動機。現在主流のVVVFインバータ制御の交流モーター。これで在来線最速の出力220kw、160km/h走行に対応した性能を誇ります。MT54に比べて二回りほども小さい!


Img_100683z 次の上屋では車体クレーン移動実演中でした。683系しらさぎが、大型クレーンで吊り上げられています。
車両が工場内に入場すると、まず筐体と台車が切り離され、筐体はこのように吊り上げられて、移動用の仮台車に設置されます。台車は分解され、前述のようにバネや連結器、車輪やモーターと、細かく検修されますし、筐体は電気系のチェック、全検のときは座席モケットの張替えまでもします。
Img_100688z 仮台車に鎮座した683系。外板の塗装もされますし、この車両はあとは台車と組み合わされるのを待つだけのようですね。30トン以上ある大きな車両が目の前の空中を静かに通り過ぎたときは、迫力あってたくさんのギャラリーも喜んでました。


Img_100690z 「やった作業にヌカリはないか!」
どこの工場にも安全第一!は大切ですね。よく見るとこの工場はJR西日本子会社、「ジェイアール西日本テクノス」が運営してるようです。JRは車両所での点検や回送運転、はては駅の改札や清掃なども、子会社や外郭団体に業務を分社委託するようになってきています。
Img_100672z 工場上屋の外ではラッセル車を配し、開閉実演もしています。
DE15は最近、石川県内での活躍は極端に少なくなっていることでしょう。38豪雪のころは、蒸機が雪に埋もれて動かなくなったと聴きますが、今ではおよそ考えられませんw。

Img_100692z さてこの大きな覆いのマシンは、トラバーサーです。車両をこの中にすっぽり載せて、横移動させるための機械です。何ヶ月か前、タモリ倶楽部で京急工場見学のときに実演してたでしょう。
藤沢時代、小学校の鉄道クラブで国鉄大船工場へ見学に行ったときも見ましたが、解説の人が「おトラばぁさん」と言ってたのを覚えていますw。
Img_100701z 外に出たら、富山の高岡鉄道部から、地元の藤子不二雄列車が遊びに来てました。忍者ハットリ君と記念撮影のサービスも。
そうそう、富山は藤子不二雄なら、石川は永井豪だ。七尾線の電車に、デビルマン列車なぞどうだろう?ハレンチ学園電車でもいいぞw。 石川は富山と違って遊び心が少ないなぁ。
Img_100703z さらには利長くんもやってきた。高岡は来年、開町400年の記念。町を開いた前田家二代目、前田利長がイベントの顔になって今年からアピール。そういや百万石まつりにも来てたし、高岡コロッケも全国に発信。そういうところは大いに学ぶべきだ。
そうだ、午後はこのあと、高岡へ行こう!

まだまだ松任本所レポートは続きます。

| | コメント (2)

2008年10月 6日 (月)

4年ぶりの金沢総合車両所公開! 1

Img_100736z 日曜はJRの松任工場の一般公開に行きましたよ。毎年夏休み最後の日曜に開かれてたけど、JR西日本の尼崎脱線事故以来自粛してて、4年ぶりの公開でした。
ここは現在正式には、「JR金沢総合車両所松任本所」といいます。JR西日本は総合車両所、JR東日本は総合車両センターって呼ぶね。
Img_100608z JR松任駅の北口から歩いてすぐ、10時開場直後に着いた普通列車から大勢が降りてきて、たくさんの人がこの日を待ってた様子が感じられます。
斯く言う僕もこの歳までいて初めての来場なのでとても楽しみでした。


Img_100611z 入ってすぐには、屋外展示で珍しい車両が。マルチプルタイタンパー(略称マルタイ)は、微妙なバラストの崩れなどでレールに歪みができたときに、自動的にジャッキアップして隙間にバラストを埋めていく工事車両。わずかの歪みでも縦揺れから乗り心地に影響するので、大切な仕事です。
Img_100723z 昭和30年代まではすべて手作業でツルハシで突き固めてたそうで(ビータつき作業)、導入後飛躍的に効率アップしました。このマルタイは良く見ると、メイドインオーストリアだって。やっぱりヨーロッパは鉄道先進圏なんですな。

Img_100617z 蒸気機関車もあったけど、あまりに古い型で馴染みがない。[2272]は旧[B6]形でイギリス製。1890年から1906年にかけて533両が製造されたって。戦後まで活躍してたらしい。
蒸気機関車はどこでも子供たちに大人気
だね。
Img_100621z これはアームで土木工をする「軌陸車」。道路と線路をを走ることが出来る工事車両。
今キャタピラが持ち上がって車輪でレールの上に乗っかってるよ。
軌陸車は他にトラックベースの作業車や、DMV(デュアルモードビークル)といって北海道で営業実験してるバス&列車があります。
Img_100622z 列車の中に体験乗車ができるとあって、早い時間なのに既に長蛇の列。これは683系「しらさぎ」。確かに運転席に入れる、と前触れはあったけど、一般席に入るのにもこうやって列に付いてる。短時間で廻りたいので、今日のところはパスしたいw。

Img_100639z それでは工場内に入りましょう。松任本所は車両の検査、改造をするところ。
主な部品を取り外して細部まで調べる「重要部検査」(電車で4年または60万キロごと)や、すべての機器を取り外して詳細に調べる「全般検査」(電車で8年ごと)などが行われます。車輪やモーター、座席まで外し、外板は塗装のし直しもします。
Img_100626z 各種車両の軸バネが展示してました。ホッパー車の板バネからディーゼル機関車のマクラバネ、最新の683系の小型になった軸バネまで。筐体と台車を繋ぎ、振動を吸収する重要な部品です。


Img_100644z 台車から取り外された車輪です。フランジ(脱線しないよう尖った部分)やレールと接する面を磨き、この後さらに車軸とも分解して、微細なキズがないか探傷試験をします。車軸を電磁石にして磁粉でキズを見つける磁粉探傷試験や、超音波の反射でキズを探す試験があります。

続きは次の記事で。

| | コメント (2)

2008年10月 5日 (日)

今年は50Dで「月見光路」を撮る

Img_100525z 今日は年に一度の、金沢工業大学生などが手がける光のオブジェのイベント「月見光路」の最終日。もう4回目くらいかな。
完全に暗くなるまでスタバで時間を潰して、いざ外へ出たら、この石川四高記念文化交流館の前でギターライブのステージがあった。オブジェの点灯前だったけど、ステージを撮ってたら撮影禁止と注意された。まぎらわしい。だったら注意書きしとけばいいのにw。
Img_100536z 隣の旧石川県庁もライトアップを撮った。正面のケヤキも名物だが、先日枝が折れたとニュースしてた。この大正期の建造物の保存利用方法はまだ論議してて、せっかくの街中の由緒ある建物なのに、決定的な集客効果のあるものを提示できてないのは寂しい。この裏面の改築形態が難儀なわけだが、いっそ道路を越えて宮守堀(いもりぼり)を藩政期の規模で復元すれば、県庁の裏まで到達する一体化した金沢城公園と化すのに。。
Img_100540z さて広坂緑地まできて、やっと点灯した「月見光路」のオブジェに囲まれました。
ここから見える辰巳櫓下石垣のライトアップが好きです。本来はこんな四段じゃなく、下からスラッと延びる二段ほどの高石垣だけど、明治時代に陸軍に壊されてしまったよう。だもんで片面に千鳥破風と唐破風のある全国でも珍しい辰巳櫓の復元が望まれるのに、藩政期と違う石垣最上段に難問が多い。
Img_100549z そういえばこの辰巳櫓の精巧な復元図が、12日まで石川国際交流サロンで展示されてるんだけど、そこがいったいどこかわからないんだな。広坂1丁目だからこのあたりのはず。金沢美大の講師末松智氏の精密なえんぴつデッサンは、1759年(宝暦9年)に焼失した辰巳櫓の往時を彷彿とさせる素晴らしい仕上がり。(この後場所はネットで見つけました)
Img_100551z 夜景を撮ってるのにその話題はここまで書きませんでしたねw。液晶が3inchで92万画素なので、暗くてもはっきりと確認できる。おかげで露出の調整もバッチリいけるので失敗コマが少なくてすむ。それは自然、心の余裕にも繋がっていいシャシンも撮れていくだろう。
しかしその割には、オブジェは去年より配置がつまらなく思えた。
Img_100563z バルブ撮影もテストしてみましたよ。いままで必要もなかったんで撮ったことなかったけど、車のヘッドライトの流れる画像。露出をうんと抑えてシャッター10秒開放ですわ。
来月出張で山口の宇部に泊まる予定で、歩いてすぐに工場の夜景が撮れる場所があると想定できるんだけど、三脚はさすがに持っていけないし、セメント工場は夜美しくないかww。
Img_100575z 氏子をしてる石浦神社にも今年はオブジェが。夕方奉納金を納めに来ましたよ。毎回祭りのとき(5月1・2・3日、10月1・2・3日)に納めるんだけど、平日だったらしょうがない。一日遅れの4日になりました。厄払いもここでしたしね。子供のころは祭りの屋台でいろいろ買い食いしたもんだけど、今の屋台は少なくて寂しいね。
Img_100584z またも夜景と関係ない話ばかりになっちゃったけどw。感度をオートにしておくと、明るさやレンズの拡大率に合わせて適したISOに設定してくれるので楽といえば楽。あとは、リュックにも入れられる軽い三脚しか使ってないから、むしろそれがネックになってきたw。でもドッシリとした重たい三脚はぶれないけどそれだけ機動力が制限されるからね。
Img_100587z 最後は21世紀美術館前。ここはいつもこの☆のオブジェ。こういう美しい画は、全国ニュースにしてもいいのになぁ、と思うよ。
右枠外だけど、美術館のラウンジでは、結婚披露宴をしてたよ。ちょうど新郎新婦が入ってきて、外から中の明かりで目だって見えたから、外でも人だかりから注目の的。撮ろうか迷ったけど、そりゃ一般の人なんで遠慮しました。

そんなこんなで、今年も月見光路は終わり。明日はJR松任工場へ!

| | コメント (4)

2008年10月 4日 (土)

50Dで写す金沢城、河北門の工事現場

Img_100478z 今日は午前の仕事が終わった後、50Dで初の夜景テストを兼ねて夕方、街に出かけた。
まずは金沢城、二の門の石垣が組み終わった河北門工事の現状を見にやってきた。すると修復工事がいよいよ門本体に移ってきた石川門の二の門が足場とシートで覆われてしまってた。一年以上はかかる修復工事で、当分はシートの掛かった石川門との付き合いになろう。
Img_100479z 振り返って河北門をと見たらビックリ!巨大な鉄骨の覆いが完成していたよ。二の門の大きな石垣の上に、いよいよ木工が始まるわけだけど、雨が降っても大丈夫なように、こんなに大きな覆いが必要なわけだ。戦艦大和の建造を秘匿するために、呉の海軍工廠のドックに特別な覆いが作られたけど、あれを彷彿させたかなw。
Img_100488z そういえば、数年前に復元された、菱櫓と五十間長屋の工事のDVDを以前二の丸の休憩所で見たけど、そのときもこんな大きな鉄骨の覆いを建設してたみたい。当時はまだ一般は中に入れなかったんじゃないかな。今は見学通路もあり、こんな間近で見ることが出来る。
この時間はもう16時30分過ぎ。夕方で反対側の見学スロープの立入は制限されて見られなかったし、工事の作業もほとんど終わって、現在の手順は確認できなかった。それでも二の門の石垣には、太い柱や梁が順次配されてたし、そのうちこの空間にも上屋の骨組みが埋まっていくのがそう遅くないだろう。12月に迫った平瓦や板塀の記名会の時には、どこまで仕上がってるかすごく楽しみだ。同時に見学会も開いてくれたらなお盛り上がるだろう!

Img_100486z カメラを右に振ると、一の門とニラミ櫓台だ。ここの石垣積みはまだ途中。二の門の石垣と比べたら、打ち込みハギもあってラフな仕上がりになっている。ニラミ櫓台には江戸末期の状態のまま、櫓は組まれない予定。ちょっと物足りないけど、土居で囲まれる枡形は石川門とほぼ同規模。構造物が次第に見えてくると、かなり広い空間だってことがよくわかる。(奥は菱櫓)
Img_100490z 一の門の石垣。これは江戸期?のままのもの。工事前までこの上に松が植わってて、その根でか石垣はかなりずれてしまってた。木を掘り起こし、石垣を組みなおしてズレを修復すると、なんと切り込みハギがここまでピッタリ!先人の技術も素晴らしいが、百年以上経っても風化しない石にも敬服だ。
Img_100501z そうこうしているうちに、一旦閉場の17時になってしまった。このあと19時からライトアップの夜間開放になる。けど今日は街中の「月見光路」の方を見るため城内はこれでおしまい。
50Dで太陽を撮るテスト。工事の鉄骨と五十間長屋に沈む夕日と雲とのコントラスト。20Dより表現できる幅は広がってるだろうか。
このあと夜景にチャレンジ。。

| | コメント (0)

2008年10月 3日 (金)

「和同開珎」千三百年記念平成二十年銘プルーフ貨幣セット

Img_100078z 今年は日本最初の製造貨幣「和同開珎」(わどうかいちん)が発行されて、1300年だそう。それを記念して、独立行政法人「造幣局」がプルーフ貨幣セットを限定発売したので、思わず予約購入してしまいました。
数ある趣味の中でもコイン集めは、また費用のかかる趣味をやっちゃってるな~ってとこだけど、現行の現金は少ないけど、僕が逝ったら価値のある資産はいろいろ残ってるぞ、てことw。
プルーフ貨幣というのは、一般に流通させる貨幣と違って、特殊な技術で表面にピッカピカに光沢をもたせ、模様を鮮明に浮き出させたもの。だもんで額面どおりの666円じゃなくて、このセットの販売価は1万円也。毎年造幣局は、何かの記念テーマをつけた「ミントセット」(通常の貨幣500円・100円・50円・10円・5円・1円をケースに入れたセット)や、このような「プルーフセット」を発売します。当然「ミントセット」のほうが安いです。
中央には「和同開珎」を復元したメダルを配し、台紙には鋳造当時の藤原京の復元図が。でも写真の面は実は裏で(日本のコインって数字の額面のあるのが裏って知ってました?)、メダル表面は立派な「和同開珎」の字体が。
先日は金貨も手に入れましたから、僕の書斎はコインに限らずちょっとした博物館? また今度見にいらっしまw。

| | コメント (0)

2008年10月 1日 (水)

50Dで撮った「北陸鉄道」

Img_100451z JRをひとしきり撮ったら、また北陸鉄道で戻ることにしよう。北鉄の「新西金沢」駅の現在はこんな感じ。平屋の小さい待合スペースの駅舎に、踏切を介して島式2面のホームへ。単線の石川線で入換可能な設備だが、終点野町まで二駅、すぐ折り返しが来るので今は入換が必要なダイヤはない。
Img_100453z JRの駅と住宅地の中にある駅だが、都会からすると充分、うら寂れた田舎の駅の風情だろう。多くの利用者で賑わっていた時代には、駅員もいて切符や定期なども窓口で売り、改札もしてたろうが、今やワンマン電車に整理券発行機があるので、切符の自動販売機すらない。
牛山隆信氏なら駅寝もできるくらいの木のベンチや飲料自販機はあるが、まがりなりにも街中、防犯のためカギは閉められるだろう。
Img_100261z 日中1時間2本体制のダイヤ。2年前まで準急運転もあった。
元東急の7000系、北鉄の呼称も同じ。1500Vから600Vに降圧されている。二両編成固定。このタイプが3編成在籍している。1990年導入。


Img_100435z こちらは同じ7000系だが、中間車改造タイプ。のっぺりしてるが、一昔前の国鉄101系を思わせる。制御車の台車に101系のものが使われているのも何かの縁?
このタイプが2編成ある。7700系1編成とあわせて、石川線で通常運用に就いてるのが計6編成というわけだ。
Img_100454z 新西金沢駅から野町方面を望む。
レールがひしゃげて見えるのもご愛嬌?メンテナンスもなかなか行き届かないだろうから、走行してて横揺れもかなり感じる。鉄道事業の売上はここ十数年でも2/3になった。あわせてバス事業でも赤字や運行上の不祥事が続きいいところなし。加えてドル箱の金沢市内線も金沢駅から繁華街で他社と100円バス競争で収益を圧迫してしまっている。そんな満身創痍の北鉄だが、鉄道事業を廃止しないでほしい、っていうのは「鉄」のわがままかw。
Img_100457z 露出を落として、夕日?に翳る架線柱と光るレールを撮った。もう少し落としてもよかったかな?
RAWにすれば、データ現像にまだいろいろと手心を加えられるけど、まだ面倒くさいが先立って、普段はJPGの一発勝負。トリミングもしていない。けどこの50Dは記録画素解像度3タイプ(1510万・800万・370万)いずれにもRAW記録できるので、慣れてきたらRAWで保存していってみよう。20Dでも少しは使ってみてたしね。






Img_100470z 野町駅に着いたよ。新幹線開通後、金沢都心部のアクセスの交通システムがまだいろいろと課題検討されてるけど、ここから地下鉄延伸って夢もまだ捨てきれない。北鉄もこの野町という中途半端な位置に起点があるので利用者が伸びない要因だ。浅野川線と繋がらなくても、ここから片町-香林坊-武蔵が辻-JR金沢駅-石川県庁と一本になれば、多くの利用が見込めるのに。
Img_100472z 夕方に到着した野町駅では、ほんのひと時乗降客で賑わってた。
チャリも一緒に載せて、鶴来などに行けるので、遠出のときには今度利用してみたい。



Img_100473z ここからは、各方面にバスが発着している。北陸鉄道の今の主力はこういった路線バスだ。しかしこのバス事業も収益改善のため、数年前に石川県全体を一社でカバーしてたのを地域で分社化した。金沢市内も「北鉄金沢中央バス」と「ほくてつバス」とに分けたくらいだ。しかし能登はさらなる体力低下を補うため、4社を2社に統合しなおした。
いずれにしても、石川県内の公共交通事業者は「のと鉄道」も同様、赤貧にあえいでいる。「鉄」としては少しでも役にたってみたい。

| | コメント (2)

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »