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2008年8月13日 (水)

「金沢市歴史のまちしるべ」26

Img_90188k さて、長かった「まちしるべ」のレポートもあと2回ほどです。今年の夏は毎日暑いですが、なんとか午前中、しかもチャリで廻るぶんには前回より楽です。ホントは秋にじっくりと思いましたが、S氏も制覇されたので急いで達成することにしました。
長町武家屋敷の端のほうに来ました。
[旧穴水町(あなみずまち)]No94 加賀藩老臣、長氏の上級家臣らが住み、上家中町と呼ばれたが、長氏の祖先が能登の穴水城に居たことにちなみ、明治になって、この名がつけられた。
Img_90189k 穴水公園の中に石碑があったんですが、ここは昔の女学校があったところ。ばぁちゃんもここを出たようですが、それを記念した石碑が建ってます。平成になってから、こういう記念碑が多くなったような気がします。昭和は遠くなってるんですね。

Img_90192k 玉川公園の北側、金沢玉川図書館の脇です。
[旧宗叔町(そうしゅくちょう)]No99 元禄のころ堀宗叔という医師が住んでいたのでこの名がついた。堀家は代々藩医をつとめていた。
以前は専売公社の工場だったんですが、敷地のほとんどを市に開放し、その後残ったJTの事務所も今、玉川こども図書館として工事中です。西金沢に移ったたばこの工場も先日閉鎖が決まり、たばこ離れの勢いは激しいですね。能登にはたばこの有名な産地もあるんですが、時代の趨勢です。僕は吸わないのでいいんですけど。
Img_90195k 金沢文化ホールの裏です。
[高岡町(たかおかまち)]No82 越中高岡に隠居していた二代藩主前田利長が、家臣を高岡からかえし、この地に住まわせたため、この名がついた。
ここにあった高岡町中学校は、郊外の神田に移転したけれど、校名は約そのままの高岡中学校ですw。
Img_90199k 尾山神社の前へ来ました。この前を流れる辰巳用水は暗渠にされていましたが、先日から開渠化する工事が始まり、今月中には完成です。
様子はかねがね気になってましたが、だいたい想像どおり。しかしもう少し幅広く開けてほしかったですかね。初詣のときに落ちないように気をつけてくださいw。






Img_90205k 江戸時代から続く老舗料亭大友楼の敷地にあります。
[旧松原町(まつばらちょう)]No87 もと松原口門の前にあったことからこの名がついたという。藩政期には権現堂御門前町ともいい、のち御門前松原町といった。
大友楼は金沢駅の駅弁を作った最初の店でもあり、4月の金沢駅開業110周年イベントでも、特製駅弁を売ってました。江戸時代の弁当箱など、古い伝統ある道具なども多く所有され、よくテレビで紹介されたりしてます。
Img_90206k 金沢城の丸の内駐車場の脇です。
[旧西町(にしちょう)]No86 金沢御坊の西にできたのでこの名がついたといわれ、のち尾山城(金沢城)になってからできたという説もある。佐久間盛政が金沢御坊を攻め取って西町口を城の大手とした。
写真の建物は金沢商工会議所です。市からの説明会を聞きに何度か訪れています。
Img_90209k 50mほど北へ行くと目的の坂ですが、ガイド本の地図だと坂の途中にあるはずの石碑を覗こうとしたら、写真のガードマンに一般立入禁止といわれました。たしか県の施設があったはずです。「石碑を探してるんで・・」と言って坂の下にあるのをすぐに見つけました。
[甚右衛門坂(じんえもんざか)]No321 天正八年佐久間盛政の攻撃をうけたとき、本願寺方の浪士、平野甚右衛門が奮戦、討死した坂なのでこの名がついた。

さてここから、一気に東山まで走ります!

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