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2008年8月 6日 (水)

「金沢市歴史のまちしるべ」23

Img_90004k 先週の浅野川の被害は思いのほか甚大だったけど、ここ犀川も中州の森が壊滅状態。大木も林立してたこの島も、根こそぎ倒されてる。28日(月)は早朝通った時はそれほどでもなかった。午前のうちに一気に水かさが増してここ下菊橋も一瞬警戒水位に達したそうだ。ダムが出来てから洪水はないけど、何度も氾濫した犀川、これからも気をつけていきたい。
Img_90022k さて日曜は、暑いのをわかってて12時から石碑めぐりに出かけた。同好のS氏がほぼ制覇してて、なんとか夏のうちに達成したいと思い、中途半端に残ってる自宅から南のエリアや片町周辺をチャリで短時間に廻ることにした。
犀川対岸の法島から寺町台地に登る坂。別の地蔵堂のある坂を登っていきなり間違えてムダな汗をかいてしまったw。
[御参詣坂(ごさんけいざか)]No301 藩政時代、法島村から祇陀寺の向こうへ至る坂と、今一つ崖の下から桃雲寺手前の野田往来へ至る坂をこう呼んだ。野田山墓地に参詣することからこの名がついた。
かなり急な坂を自転車曳いて登る。上部は車両通行止めの人道だ。金沢の小さい急な坂は、この御参詣坂のように半分以下のスペースが階段になってるのが多い。街の見晴らしもいいよね。
Img_90030k 登りついた平和町から、寺町通りを下る。3丁目あたりで、地図の位置から移されて公園に建てられた石碑をようやく発見!
[旧桜畠(さくらばたけ)]No11 もと泉野村の地で、城からの眺めをよくするため、桜の木が多く植えられたので、この名で呼ばれたという。
実際は元の地図どおり、寺町台地の崖沿いでないと城から桜なぞ見られなかったはず。石碑はたびたび移設を余儀なくされたり車がぶつかって破損したりするようだ。
Img_90035k 野町小学校の裏道を抜けてやっと見つけた。これも元の公園から100m近く離れた広場入口に設置しなおされたもの。S氏に教えてもらわなきゃ、見つけられないよなぁ。
[旧桃畠町(ももばたけまち)]No8 もと泉野村の地で藩政期に桃の木が多く植えられたので桃畠と呼ばれたという。また、古くからこの地に桃畠があったからともいわれる。のち、民家が建ち、明治4年、町名になった。
Img_90036k では六斗の広見から広小路方面へ次を目指すと、忍者寺で有名な妙立寺の前を通った。中に入ったのは30年ほど前か?
寺の中にさまざまなカラクリの仕掛けがある部屋があり、まるで忍者の住処という。金沢城からここまでの抜け道が仕込まれている、とまことしやかに謂われて観光地になってるが、僕は3畳(4畳?)の切腹の部屋が思い出に残ってるかな。
Img_90037k 広小路から蛤坂を下る。犀川を台地の上から望める位置で一枚。手前の変な鉄塔はとりあえずムシして、川の水はまた普段より少なくなったようだ。鮎釣りはいつ復活できるのかな。


Img_90040k [蛤坂(はまぐりざか)]No306 加賀藩前期に妙慶寺坂といったが、享保18年の火災後、蛤が口を開いたようになったのでこの名がついた。
奥が犀川大橋。


Img_90041k とうとう塗装色変更の工事が開始された犀川大橋。15年ぶりにカラーリングを替えます。1924年架橋の国の登録有形文化財に指定されたワーレントラス橋。
もっと深い青になるんだったっけ?秋にお色直しが完成したら、またレポートします。

Img_90047k さて、やっと片町へ出ました。なんせ暑くて、この手前でコンビニで氷水を買って冷やしながら走りました。ここは旧大和百貨店の、やはり金沢一番の繁華街。
[片町(かたまち)]No56 藩政初期、この地は犀川が分流し河原になっていたが、片側に掛作りしてすまいをしたためこの名がついた。はじめこのあたり一帯を河原町と呼んだ。
河原町の石碑はまた別にあります。それ含めて明日は一気に10箇所紹介です。

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