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2008年7月

2008年7月29日 (火)

浅野川の氾濫

Img_85288s またちょっと週末江戸へ行った更新が遅れてますが、週明けからいろいろあって相変わらずバタバタしております。
今日は母親の手術に結局丸一日付き添いました。弱冷房で暑がりには堪え、かなり疲れてしまいました。それにしても、点滴刺したままとは言え、足腰弱くなっててベッドから用足しに介添えしてあげる必要あるほど衰えてたとは・・。普段見てあげてない分、今日は一日親孝行でした。
さて、月曜は全国ニュースで各所にご心配お掛けしたとおり、金沢市内の浅野川で洪水・氾濫騒ぎでした。ダム適地がない浅野川上流で集中降雨があり、今までの対策水量を大幅に上まってしまいました。浅野川増水時には、田上から犀川大桑まで水を逃がすルートを作ってあるのですが、しかし犀川を洪水させるわけにもいかず、自ずと限界があったようです。
写真は浅野川大橋から梅の橋・天神橋と、上流を撮影、右岸は並木町で、この両岸一帯が氾濫に見舞われました。普段はこのように、わずかなせせらぎがある程度。ここを一気にドロの濁流がオーバーハングしたのですから、水の威力はおそろしいです。
被害に逢われた方々の復旧はこれからで、夏休みの書き入れ時なのに大変です。お見舞い申し上げます。
この日は全国でもいろいろな被害が出てたようですね。

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2008年7月27日 (日)

「金沢市歴史のまちしるべ」番外編

Img_89929z 河北潟へ行った帰りに、北部で一つだけ残ってた石碑を撮りに行きました。
[七ツ屋町(ななつやまち)]No146 もと石川郡下安江村の地内で、民家七軒があったので堀川七ツ屋と呼ばれていた。のち、七ツ屋と称され、明治の中ごろ町名になった。
麩屋さんの敷地内にありますが、もはや木に隠れて接近しないと何と書いてあるか判りません。わりと新しいはずなんで、石碑の色は標準と違ってますが、木に隠れるように建てるのはどうも・・・。

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2008年7月26日 (土)

ひまわり村。オープン!

Img_89884z 金沢(正確には津幡町)にも、ひまわり畑があるよ!

35万本のひまわり村が昨日オープン。早速撮りに行ってきました。

今日も暑い日中、車飛ばして河北潟干拓地へ。暑すぎてか、そんなに人も多くなかったよ。さぁ撮ろうと思ったら、中は迷路になっていて、この展望台までなかなかたどり着けない始末w。結局汗かいてしまった。
Img_89895z しかしひとたび展望台に登ると、一面の黄色い絨毯爆撃w。今がちょうど盛りだね。よく見るとどの花も花粉が盛り上がってあふれるほどになって、みつ蜂が何匹も群がってたよ。



Img_89902z この間NHK教育の「サイエンスゼロ」で太陽特集してたけど、ひまわりはホントまるで太陽のように見えるね。

ひまわりは、太陽を追いながら花の向きを変える、というのはウソのようだけど、いっせいに東の方を向いていたよ。不思議だね。
Img_89919z よく見ると、盛り上がった花粉が、ハート型に見えるね。みつ蜂の足がテレビのサイエンス番組で見るように、ホントに花粉だらけになってたよ。




Img_89927z さてところで、河北潟へ行く途中の小川に、変な名前が付いてたので、帰りに激写しました。名づけて「血の川」。なんじゃらホイ?
しかも英語表記が「Chino River」。
どうやら冗談ではなく、一向一揆のときの戦いで血に染まったかららしいです。何気に怖い看板が、当たり前のようにのどかな田園風景にさりげなく建っているから、なんだかシュールですw。

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2008年7月23日 (水)

「金沢市歴史のまちしるべ」22

Img_89822z 鳴和の先、大樋町まで来て、159号線の大樋口交差点です。旧北国街道はここから旧道になり歴史街道として整備されています。
[旧北国街道(ほっこくかいどう)]No601 古代には北陸道(ほくろくどう)と呼ばれ、日本海側の主要道路であった。加賀藩主の参勤・交代では、ほとんどこの道を通行した。
参勤交代は加賀からは北周りで13~15日かかりました。
Img_89829z 北国街道を市内に戻りながら、[大樋町(おおひまち)]No165 昔大きな樋(とい)で水を引いていたことから大樋の名がついたという。この地はもと大樋村の村地であったが、藩政後期に町奉行支配地となり町地となった。明治の初め、この名が町名になった。

Img_89832z 旧北国街道の石碑は、この通りに3箇所、袋町に一箇所あります。春日町にあるこの石碑には、教育委員会の解説板があります。アスファルトも石畳に換えられ、歴史を偲ぶ通りになっているんですが、この暑い日に、近所の人以外そりゃ見かけませんよね。

Img_89836z [春日町(かすがまち)]No164 古くからあった山上春日社(小坂神社)の付近にできたまちなので、春日社門前、六町春日町とも呼ばれていたが、藩政後期この名に改められた。
石碑の「春」の字がまるで「寿」にも見えるようです。わざとでしょうか。
北国街道はまだまだ続きます。
Img_89841z_2  この北部の北国街道の出口(159号線との合流地点)は山の上町です。いまだ現役の火の見櫓には半鐘が乗ってますね。うちの近所の菊川消防団にも、数年前の建替え前までは、ここよりは高くないですが火の見櫓と半鐘がありました。最近はかなり減ってしまいましたね。







Img_89845z さて、車を元町まで飛ばして、親水公園となっている脇に石碑があります。
[小橋用水(こばしようすい)]No416 元禄年間、城下町の防衛などの目的で築造された用水で、旧水車町では、精米、製油などの水車をまわしていた。かつては、小橋上流付近に、竹製の蛇籠に石を詰めて造られた瀬木が設けられていた。
先日、浅野川の小橋で見た取水口からこの用水が引かれています。浅野川の用水のわりには、かなり水量が豊富で流れが速いですね。流域も広く、JRの金沢総合車両所の下も通っています。
Img_89851z さらに昌永橋の脇まで来て、[中島用水(なかじまようすい)]No415 元禄11年、藩命により完成されたといわれる用水で、かつては旧中島町の浅野川岸から取水していたのでこの名がついた。
この用水も北部の農地を潤しますが、浅野本町の城北水質管理センターの脇を通るのに、浅野川に面しているそこには用はないのでしょうか?
これで用水の石碑はコンプリートですw。
Img_89855z その昌永橋です。浅野川七つ橋めぐりのひとつです。なんだかずっと黙って巡らなければならないらしいですが、浅野川のことはよくわかりませんw。
昭和28年に木造橋が流出してから、鉄道でよく使われるワーレントラス鉄橋が翌29年に架けられました。しかし当時の交通事情にあわせたので、かなり幅は狭いです。
Img_89857z 浅野川ではじめて見たアオサギです。梅雨も明けてしまって、金沢は空梅雨でしたね。犀川もそうですが、流量はかなり少ないです。犀川などは、あまりに少ないので、犀川ダムの貯水湖のドロ水を流して、何週間も濁った流れとなり、鮎釣りがストップしてしまいました。

Img_89858z さて気を取り直して、袋町の[北国街道]です。去年建てられたので、解説書や金沢市のHPにも記載されてませんでした。それで、先月S氏と2人でこの前を通ったのに、全く気づかなかったという曰く付きのものです。こうやって商店がしっかり懸垂幕でアピールしてるのにw。
これで現在の[北国街道]4箇所制覇しましたが、まだ南部にも旧道があるので、そこにもいずれ石碑が建てられるでしょう。
また、この付近にさらに二ヶ所、旧町名復活の動きがあります。[下新町(しもしんちょう)][上堤町(かみつつみちょう)]ですが、[新町]は石碑があるので、[上堤町]はいずれ新たに石碑が建てられるだろうということです。まだまだ旧町名や坂があるので、これからも増えるでしょうね。
Img_89863z さて本日のラストなのですが、S氏からもらった地図によると最初の旭用水の位置から登る人道の坂にも石碑があるようで、郊外の石碑を逃したままだと気分が悪いので、また車で最初の場所まで戻ってきました。これが迂闊だった見落とし、のことです。
[鶴間坂(つるまざか)]No312 坂の上からの眺望がよく、加賀藩時代から詩歌を好む人が訪れ、ここを鶴舞谷と称していたのでこの名がついた。
ところが、かなり長い坂でこの暑さからヒーヒー言って登ったのに、現在では森に挟まれ全く眺望がありませんw。下にエンジンかけたまま残した車も気になりますし、やっと見つけた石碑をさっと撮って、駆け足で降りました。
短時間でしたが10箇所(北国街道加えると13箇所)。これで計182箇所となり、あと36箇所です。中心部も残しているので、また近いうちに暑くてもゆっくりと廻りましょうか。

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2008年7月22日 (火)

「金沢市歴史のまちしるべ」21

Img_89788z 梅雨も明けて熱波がやってきたので、さすがに連休でも、部屋の整理とかで中でごろごろしようかと思ったのに、もう同好のS氏がほぼ制覇したというので、最終日の午後、郊外の用水とかを車で廻ることにしましたw。
しかし車の中にいても暑かった。汗かきなんでエアコンがんがんにかけても汗拭くとはどうなんでしょうw。
旭町の[旭用水(あさひようすい)]No405 浅野川左岸から取水している唯一の用水で、旭町に通じているのでこの名がついた。かつては一帯が牛坂村だったことから牛坂用水の別名もあった。連休とは言え通行の少ない住宅地なので、路肩に停めながらの撮影です。しかしここで重要な見落としをしてしまいました。明日の最後に報告します。
Img_89789z そこから田上まで登って、ここを通過したのに石碑に気がつかず、ぐるっと一周してしまいました。
[金浦用水(かねうらようすい)]No414 藩政期からある用水で浅野川から取水し、旧金浦郷と呼ばれた地域一帯を潤していたことからこの名がついた。
旧金沢でもここははずれもはずれ。しかし外側環状道路が出来てから、付近も交通の便がよくなり、まだまだ発展しそうです。
Img_89793z 土清水の永安町まで来ました。ここは永安寺。境内はかなり広くて、地蔵菩薩の旗が階段の左右にひしめく、由緒あるお寺のようです。その脇を縫うように流れるのは[寺津用水(てらつようすい)]No404 寛文5年、藩命により完成されたといわれる用水で、犀川最上流に位置し、末町・土清水辺りの台地を灌漑していた。今は水力発電や、上水道としても利用されている。
犀川ダムの下流に上寺津ダムがあり、そこで全国でも珍しい、市営の発電所があります。またそこの取水口から流れる寺津用水は、金沢市民の喉を潤す末浄水場に水を供給する、大切な水源です。浄水場を通過後、ここを流れてからいくつもの畑作地を潤し、ついには浅野川へ流れ着きます。
Img_89804z 山側環状を西に飛ばして長坂小学校の裏へ来ました。
[長坂用水(ながさかようすい)]No401 寛文11年、藩命により完成されたといわれる用水で、犀川支流の内川から取水し、旧泉野村など寺町台地一帯を灌漑していた。この用水の完成により、旧泉野村での米作が可能になったといわれる。
小学校は、今新築工事中のようです。祭日でも、工事の槌音がやかましいくらいで大変ですね。しかし用水脇は、草ボウボウでザンネンです。隣の公園に長坂を開いた来歴を、供養碑として顕彰してるのですが、こちらも半ば草に埋もれて手入れされてませんね。
Img_89810z さて、用水脇の道を南に走ると、花畑が見えました。この辺は用水より上にも農地が広がる、のどかな山すその風景です。ちょっと一服して花でも撮るとします。




Img_89817z ヒガンバナを畑で見るのは初めてです。鮮やかな赤が見事ですよね。金沢市内は新盆なので7月に済みましたが、縁辺の地域は旧盆のところも多いです。まだまだ活躍の出番を待ってる、っと言ったところでしょうか?

さて、次は一気に市内を走りぬけて、旧北国街道を通って見ましょう。


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2008年7月21日 (月)

三洋のリコールで奇跡の再会!

Sanyourenji 例の三洋電機のオーブンレンジのリコール修理、やっと依頼して来てもらいました。
最初、お問い合わせセンターへ電話すると、宅急便が取りに来て、修理返却に一週間待ってもらうか、訪問修理なら1ヶ月待ってもらうかの選択だ、ということでした。さすがに一週間も使えないのは不便なので、別にオーブン機能使ってなかったから修理はいつでもいいや、と思い訪問に来てもらうことにしました。
すると数日後電話があって、すぐにも訪問できるとのこと。じゃあ週末しか居ないから、20日日曜に来てもらうことに。
異常部分は電源からのコイル部。異常発熱で直上の樹脂製ファンが燃える危険があるとか。無事コイルと難燃性ファンに交換してもらいました。

しかし実は、そんなことどうでもよく、このとき奇跡が起こったのです。なんと修理に来た三洋の外注スタッフは、前の仕事時代よく付き合ってた友人だったのです!実に7年ぶりくらいでしょうか。
元々電気修理屋だった彼の実家によく遊びに行っていて、僕が仕事を変えてから忙しくて時間が合わないのと、ゲームなど以前の趣味を全くしなくなったので、そのうち連絡とれなくなってました。彼も結婚や引越し、シャープの工場勤務から現在の修理下請けに仕事を変えてたので、全く音信不通でした。
訪問依頼を受けて、僕の住所名前を訊いて、よもやと思い訪れたそうです。三洋電機がリコールなかったら引き合わされない出来事だったですね。
1時間も引き止めて、積もった話もしましたが、他の友人の連絡先も聞いたし、こりゃ久しぶりに騒がしくなるんでしょうか?なんともうれしいことでしたが、みなさんもそういったことありませんか?

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2008年7月20日 (日)

「鉄道旅行地図帳」

久しぶりに本のネタを。
新潮社の旅ムック「日本鉄道旅行地図帳」全線・全駅・全廃線シリーズ。

鉄道地図というと、時刻表にもあるように、全駅を表記するためにかなりデフォルメされた図が今までよく使われてましたが、地図好きも待望してた、初の正縮尺の鉄道地図が刊行されました。
もちろん全駅表記され、うれしいことに単線・複線の違いも緻密に表示されています。○○本線、という立派な幹線でも、単複線細かく入り乱れてる箇所もあって興味深いです。
さらに、渓谷や田園風景など、車窓からみえる絶景のポイント、急勾配区間や日本百○○など、まさに鉄道の旅を誌上からでも楽しく想像を掻き立てられる地図に仕上がっています。
また、別仕立てで、廃線・未成線なども書き込まれ、今は見る影もない日本の鉄道の全盛期の壮大さと懐かしさに、なにか迫ってくるものも感じましたね。
車両基地の位置と現在の配置車両、また廃線含めた全駅の履歴表など資料も緻密で豊富です。マニアはもちろん、旅行好きにも第一級のバイブルとして一家に一冊必要ですね。
先日朝のラジオで、詩人の荒川洋治さんも絶賛してた「日本鉄道旅行地図帳」。
毎月発刊の全12巻分冊で、5月に北海道、6月に東北、そして7月に関東1が出ました。各680円と、内容の濃さにしてはかなりお得です。ぜひみなさんもお手元に!

日本鉄道旅行地図帳 1号―全線・全駅・全廃線 (1) (新潮「旅」ムック)

日本鉄道旅行地図帳 1号―全線・全駅・全廃線 (1) (新潮「旅」ムック)

日本鉄道旅行地図帳 1号―全線・全駅・全廃線 (1) (新潮「旅」ムック)

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2008年7月14日 (月)

小雨の金沢、ひとやすみ

Img_89770z 昼からは金沢城に寄って、説明会後の河北門の石垣工事の様子を見に来ました。あいにく雨が降ってきたけど、とうとう鉄骨の基礎の上部部分まで積み上げられてました。7段でしょうか。あとは8段目の、上面が綺麗に削られフラットになったのを積むだけですね。
この面でなく右側なのですが、明治時代の古写真が残っているので、その面の石垣それぞれの大きさが忠実に再現されたそうです。先週の説明会の資料を、行ってきたS氏からいただきました。
Img_89773z その後いろいろ廻ってひがし茶屋街をまた寄ってみました。夕方雨に濡れて、暗い壁がより引き立つ光加減もいいですね。




Img_89775z 中を公開している、「懐華楼」です。金沢市指定保存建造物に登録されてます。昔の雰囲気を残したままの造りです。朱塗りの壁が鮮やかで、こういうところを金沢らしいと観光客が押し寄せるのでしょうか。
ふすまの絵とかが、なんだか現代風で意外でした。誰に描いてもらったものか??

Img_89778z 10帖の客間は群青色の壁だ。数年前まで住んでた大正時代の家の2階にも、こんな部屋があったなぁ。もう壊してしまったけど。最後は物置になったしねw。


Img_89779z 通りに面した縁側で。
ところで以前、この懐華楼の入場券は、うちの会社でカード型CDとして受注してたけど、この日もらったのは単なるレザック66の説明書としおり。まぁ費用も嵩んだろうしね。
茶屋街は、古いといっても文政3年(1820)くらいからで、もう幕末も近いころだし、この店は「越濱」の名で昭和初期まで続いてたそう。約100年間ほどのことだ。
Img_89784z この部屋は茶室。にじり口、というほどでないが、入口は狭かった。ずっと暗くしてあるのは、この下の畳が金箔で出来ているからか。お手を触れないで下さい、の注意書きも暗くて読めなかったから、しっかり触れてしまったw。金箔畳にしたのは最近だろうか。
まぁこんな感じの一日でした。


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2008年7月13日 (日)

金沢市消防団、連合検閲!

Img_89746z もう先週になりますが、たまたま気がついたら、家の前で消防放水の準備が・・。そういや、この日は正月の消防出初式からちょうど半年。この時期行われる消防団連合検閲の日でした。
金沢城の新丸広場に3年前遷るまで、正月の出初式もここで行われてましたが、日ごろの訓練の成果を披露する連合検閲に、金沢市内3消防団の、49分団勢ぞろいして丁度今から一斉放水です!
Img_89750z 犀川の河川敷から、犀川の水をポンプ車で勢いよく吸い込んで、サイレンの音とともに纏を振りながら、空高く水が舞い上がりました!
風があればこの上菊橋の上も水びたしになるところ、運良く無風。この距離で全く水が掛からないのは奇跡というか、真上に水を上げている技術の高さというか。なにせ勇壮です。
Img_89761z このように、下帯一枚で水の中、勇敢です。暑いこの日にはよかったでしょうが、正月もこの姿、きついですね。消防団員は、その地域の自営業の人が多いです。子供のころには、近所の本屋のおじさんやガス屋さんが団員でした。今はなり手が居るのでしょうか?僕も昔夢見た作家とかしてたら、団員になってたかも知れませんw。
地元菊川消防団のブログを見つけました。キクガモ隊のこの日の勇尻が載っていますw。

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2008年7月12日 (土)

東京駅、新幹線ホームから

Img_88237z ここ最近心身ともに疲れて、更新がかなり空いてしまいました。行動はそれなりにしていたので、撮影した記録は順にアップしたいと思います。
さて江戸では、昼近くなって東京駅へ乗り込みました。久しぶりに東海道新幹線ホームへ。まだ一時間に一本のN700系を撮るのに間に合いました。ホントは都心を走っている姿を写したいのですが、そのためには新橋・浜松町あたりのビル上からロケハンしなければならず、さすがにその余裕は取れません。
Podcastのスーパーベルズの「鉄音アワー」で、先日EF5861の最終ランを大崎の陸橋から同録していたので、在来各線や新幹線が集結して見られるその陸橋に、今度時間があったら行ってみたいと思います。
Img_88433z 東北・上越新幹線のホームにも来ました。いつもは早くに着いてすぐ出かけたり、夜疲れてホームに立つので、こんなにゆっくり日中撮り鉄するのも久しぶりです。
このE2系は1000番台で、東北新幹線専用の50Hz10両編成車。長野行新幹線はE2系0番台8両編成だけど、金沢延伸のときはいったいどんな車両があてがわれるのか?
Img_88401z ところで新幹線用の入場券は、東海道新幹線のJR東海のものと共用できるって知ってました?今回初めて確認しましたが、在来線の入場券とは別になりますが、東海道新幹線の入場券で、東北・上越新幹線に連絡改札を通って入場できます。購入してから2時間のタイムリミットがありますが。
しかし東北・上越新幹線だけに直接入場するには、日本橋口しかないので気をつけてくださいw。
Img_88502z E4系Maxです。8両編成で2本連結することによる16両編成は、オール二階建てのこの定員は世界最大です。その運用で東北新幹線がメインでしたが、最近は12両編成のE1系に代って8両編成で上越新幹線でも多く走ります。北陸乗り継ぎ最終の、20:12発とき347号は、以前E1系、その後E4系でしたが、3月のダイヤ改正で、1階建ての旧式200系に代わり、定員がだんだん減ってしまいました。つまりこれはなにを指しているのか??
Img_89140z 夕方アキバのホテル、「レム秋葉原」にチェックインしましたが、ここからの鉄撮りはいいロケーションです。
エレベーターホールから神田駅が遠望でき、山手線や京浜東北、中央線のE231やE233がよく見え、東北・上越新幹線が神田駅を避けるようにくねって、狭いスペースを苦心して路盤を通したのがよくわかります。
あと数年すると、さらにその上を東北本線の東京駅延伸の路盤が通ることになります。
やっぱり江戸へ行くと、鉄道探訪への興味が尽きません。

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2008年7月 8日 (火)

東横線forever

Img_88213z 副都心線から2階に上がって、4年後乗り入れ予定でこのコンコースから地下へ移る、東急東横線渋谷駅へ来ました。東横線に乗るのは学生のとき以来で、あまり思いいれはありませんが、まぁもうここから乗れなくなるでしょうから、ついでに貴重となるショットを撮りに来ました。
Img_88214z 東横線渋谷駅ホームは、開業当初は斬新なデザインの半円の壁の表通り側とか、狭い幅に4線の線路と、かなり特徴のある駅で、地下化による廃止に惜しまれる声が多いと聞きます。
しかし土曜午前、すでに多くの利用客で溢れています。東横線は主要民鉄の中でも最重要路線です。
Img_88218z ホームの端にいくと、よりその狭さがわかります。ラッシュのときなど、落下事故などないのでしょうか?




Img_88229z 列に付くための白線も書かれてますが、とてもその中に並びきらないと思いますね。まぁ安全面からも、新地下駅になるのはいいことなのでしょう。



Img_88234z 5000系の運転台です。2002年登場の新しい車両のわりには、マスコンハンドルがすごく大きめです。
なんと10日後に、これにもう一度めぐり合うとは思いませんでしたが・・。


080708_142917 8日に、地元ベンダーのフェアに来て見たら、トレインシュミレーターが展示してました。富士通のSaaSのソリューションの一環で、電鉄会社の出先の訓練所のデータを一元管理できるとか。そして東急電鉄に納めたそのシステムの展示ということで、実際に東急で訓練に使われている本物のシュミレーターが置いてありました。5000系の大きなマスコンもあり、東横線を走らせることが出来ます。
僕は大人なので衆目の前では触りませんでしたがw。

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2008年7月 6日 (日)

副都心線初乗りレポート!

Img_88157z 先週の上京のデータをようやく整理中です。寝台「北陸」で早朝着いたので、先月開通したばかりの地下鉄副都心線を体感しに行きました。
ちょうどタモリ倶楽部で開通直前レポートをしていたのを後追いです。山手線で池袋駅に着いたら、副都心線へのルートは直接もあるでしょうが、タモリ倶楽部でも紹介していた丸の内線ホームから廻ることにします。
Img_88169z 丸の内線ホームの端から、迷路のようにさらに深く降りると、やっとたどりつきました。早朝ということもあり、人影はまばら。しかし開通当初の混乱もあって、利用客は少ないとも聞きます。山手線は既にラッシュ状態でしたからね。
ホームドアの開通ポスターや路線図が新鮮です。
Img_88162z 東京メトロ10000系が入線してきました。副都心線専用の最新車両です。東京の地下鉄は、基本的にこれで打ち止め。4年後の東急東横線の直通で、私鉄直通工事も終わりでしょうか。もう充分便利ですよね。
西武や東武沿線から、渋谷へ直接いけるというこの路線は、どこまでの存在意義があるでしょう。今後の利用動向が気になりますね。
Img_88171z 今度は7000系が入ってきました。小竹向原から先共通の有楽町線でも使われている同系の、副都心線カラーです。副都心線は地下鉄には珍しく急行運転をしますが、その車両は10両編成。各駅停車は8両のようです。正面にそれを現すシールが貼ってありますが、7000系だけそうかと思いました。
Img_88180z しかし10000系でもありました。8両編成の各駅停車が。
急行は池袋-渋谷間で、なんと新宿三丁目しか止まりません。各停16分が11分で渋谷まで着きます。それはそれで早いですが、この地下深くまで降りることを考えると、あまり変わらないのかも・・。
Img_88160z 地下線のシールド空間は、意外に広いようですし、最近は筑波EXでもそうですが、蛍光灯がやたら明るくトンネルを照らして、万一の事故のときでもなんだか安心感がありますね。
渋谷まであっという間で、途中駅をつぶさに見る余裕がありませんでした。
Img_88187z_2 西武の車両も乗り入れます。この青い6000系には乗ったことなかったので、これで渋谷へ来ました。
渋谷駅は斬新で、タモリ倶楽部で詳しく解説していましたね。冷たい空気の出るベンチもしっかり稼動中でした。だれも座ってないのに・・。
Img_88194z この先東横線と繋がる予定の壁です。タモリ倶楽部は金沢で1週遅れ。後編はまだ見てなかったので、自分なりにいろいろ発見しました。



Img_88204z 最初、これはいったい何だろうかと思いましたが、模型からこの渋谷駅のイメージのようで、繭かなんかに入ってるコンセプトのようです。そういえば変な曲線の壁がそこかしこに見えます。あとで辿っていきましょう。

Img_88202z 駅の中心に大きな吹き抜けがあります。ここが繭の中心でもあるようです。渋谷の地下でこんな広い空間が掘られていたんですね。工事も長くなるわけです。タモリ倶楽部によると、今東横線用に明治通り下も、地下7階相当の大きな空間を掘り込んでいました。地震のときでも大丈夫なんでしょうかね。
この空間で換気をよくして、CO2排出の削減にも工夫してるようです。







Img_88205z その乗り入れホームはまだ未使用ということで渡り通路が設置され、線路は隠れてしまってました。
この構造はたしかに面白く、利用者もいっぱいになれば、デザイン賞も取れそうですね。そういえば、建築家の安藤忠雄氏のデザインだそうです。

Img_88211z しかし朝早いとはいえ、あまりに乗客が少ないです。そのくせ警備員がその乗客以上、20人以上ホームやコンコースに林立。
あとでわかりましたが、もう洞爺湖サミットの厳戒態勢をとってるらしく、東京駅をはじめどの駅でも、警官などでビッチリでした。
改札を出た通路で、より繭の壁がわかるでしょうか。これも後で調べたら、宇宙船をイメージしてるようですね。
しかしJRとの乗り換え距離も長いようで、便利感はイマイチらしく、この先ホント大丈夫でしょうか?

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