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2008年7月22日 (火)

「金沢市歴史のまちしるべ」21

Img_89788z 梅雨も明けて熱波がやってきたので、さすがに連休でも、部屋の整理とかで中でごろごろしようかと思ったのに、もう同好のS氏がほぼ制覇したというので、最終日の午後、郊外の用水とかを車で廻ることにしましたw。
しかし車の中にいても暑かった。汗かきなんでエアコンがんがんにかけても汗拭くとはどうなんでしょうw。
旭町の[旭用水(あさひようすい)]No405 浅野川左岸から取水している唯一の用水で、旭町に通じているのでこの名がついた。かつては一帯が牛坂村だったことから牛坂用水の別名もあった。連休とは言え通行の少ない住宅地なので、路肩に停めながらの撮影です。しかしここで重要な見落としをしてしまいました。明日の最後に報告します。
Img_89789z そこから田上まで登って、ここを通過したのに石碑に気がつかず、ぐるっと一周してしまいました。
[金浦用水(かねうらようすい)]No414 藩政期からある用水で浅野川から取水し、旧金浦郷と呼ばれた地域一帯を潤していたことからこの名がついた。
旧金沢でもここははずれもはずれ。しかし外側環状道路が出来てから、付近も交通の便がよくなり、まだまだ発展しそうです。
Img_89793z 土清水の永安町まで来ました。ここは永安寺。境内はかなり広くて、地蔵菩薩の旗が階段の左右にひしめく、由緒あるお寺のようです。その脇を縫うように流れるのは[寺津用水(てらつようすい)]No404 寛文5年、藩命により完成されたといわれる用水で、犀川最上流に位置し、末町・土清水辺りの台地を灌漑していた。今は水力発電や、上水道としても利用されている。
犀川ダムの下流に上寺津ダムがあり、そこで全国でも珍しい、市営の発電所があります。またそこの取水口から流れる寺津用水は、金沢市民の喉を潤す末浄水場に水を供給する、大切な水源です。浄水場を通過後、ここを流れてからいくつもの畑作地を潤し、ついには浅野川へ流れ着きます。
Img_89804z 山側環状を西に飛ばして長坂小学校の裏へ来ました。
[長坂用水(ながさかようすい)]No401 寛文11年、藩命により完成されたといわれる用水で、犀川支流の内川から取水し、旧泉野村など寺町台地一帯を灌漑していた。この用水の完成により、旧泉野村での米作が可能になったといわれる。
小学校は、今新築工事中のようです。祭日でも、工事の槌音がやかましいくらいで大変ですね。しかし用水脇は、草ボウボウでザンネンです。隣の公園に長坂を開いた来歴を、供養碑として顕彰してるのですが、こちらも半ば草に埋もれて手入れされてませんね。
Img_89810z さて、用水脇の道を南に走ると、花畑が見えました。この辺は用水より上にも農地が広がる、のどかな山すその風景です。ちょっと一服して花でも撮るとします。




Img_89817z ヒガンバナを畑で見るのは初めてです。鮮やかな赤が見事ですよね。金沢市内は新盆なので7月に済みましたが、縁辺の地域は旧盆のところも多いです。まだまだ活躍の出番を待ってる、っと言ったところでしょうか?

さて、次は一気に市内を走りぬけて、旧北国街道を通って見ましょう。


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