« 江戸の鉄道は常に進化 1 | トップページ | 「金沢市歴史のまちしるべ」11 »

2008年6月 2日 (月)

江戸の鉄道は常に進化 2

Img_85872z 空いた時間に鉄道に乗る、と言っても、その線にも到達時間が掛かるし、案外にあちこち行けるわけではありません。
今回は大田区、世田谷区の東急未踏破線をいくつか乗るだけです。まず京浜東北線で蒲田へ。多摩川線はタモリ倶楽部でもやってた古墳へ行くのに以前乗りましたから「池上線」へ。昨年12月デビューの新7000系に出くわしました。
Img_85875z 車両軽量化で二酸化炭素排出量を減らすとか、バリアフリーにより対応するとか、現代のやさしさに配慮した新型車です。
池上線は線形が短いので18m車です。早々にラッキーな出会いでした。



Img_85882z 駅間も短く、次の駅が前の駅からも見えてしまいます。このあたりは、街の発展より、鉄道が先に形成されたのかなぁと思いますね。都内にいても、ローカル色の匂いただよう沿線です。
向こうからVVVF改造の7600系が走ってきました。


Img_85884z 一部地下区間はあるとはいえ、前面開放扉にハシゴ付きの、緊急避難仕様になっています。運転台の横ですが、日光をさえぎるスライド幕も用意されてます。至れり尽くせりですね。












Img_85887z 終点、五反田駅に着きました。JR山手線をオーバークロスする頭端ホーム上で、7000系と山手線線路の画はかっこいいですね。
ここは昭和3年に、初めて山手線を跨ぐ高架として完成。当時は池上電気鉄道で、この先白金まで路線延長の計画がありました。
Img_85911z 五反田駅へ降り立ったのは、この図を撮るのも目的のひとつ。「鉄道ファン」3月号にも掲載されてた、池上電気鉄道の門形ラーメン高架橋です。80年の長きにわたって活躍中。清水組から独立した、「東京鐵骨橋梁製作所」の記念すべき第一号でした。
橋桁の荷重を支える支承部分は、わずかなピンのみというからオドロキです。
Img_85916z 五反田駅ではもうひとつ、湾曲しているホームから、全編成が見える列車の撮影です。このほかここでは待ってる間、251系スーパービュー踊り子しか撮れませんでしたが、もう少し時間的余裕があったらじっくりチャレンジしたい場所ですね。


Img_85941z さて、渋谷へ出て田園都市線で二子玉川へ来ました。ホントならここで降りて、わが石川の誇る世界的パテシェ辻口博啓氏の店、高島屋にある和楽紅屋へ行きたかったのですが、まだ10時前、開店は待てないので、泣く泣くホームから降りず、大井町線へ乗り換えます。写真は多摩川を渡る半蔵門線経由の東武30000系。今となってはもう珍しい部類?
Img_85961z そして大井町線に乗り換えて大井町へ。この線形も短く、20m車を導入しているものの駅間は短いし駅のホームも短いです。このため、九品仏とあともう一つ(忘れました)ではドアが開かない車両があります。都内のど真ん中でそんなローカルチックな対応に驚きました。
そのくせ列車本数は多く、最後部で視てたら次の列車が一つ前の駅に着くのも見えました。これで急行も走らせてるから二度ビックリです。(残念ながら急行新型6000系は視られませんでした。)
Img_85988z 大井町駅では高架上から、JR線をながめていいシャッターチャンスを狙いましたが、なかなか思う車両に行き着きません。東海道線はこの「踊り子」がやっと。京浜東北線は日中ともなるとE233系には逢えずじまい。
結局今回の撮り鉄行脚はここでおしまい。最近日中の自由時間は充分には与えられませんのでww。
それでは、また次月頑張ります。

|

« 江戸の鉄道は常に進化 1 | トップページ | 「金沢市歴史のまちしるべ」11 »

コメント

1*さん、レス遅くなりました。
僕は小田急の藤沢-新宿メインでしたから、東横線も含めた東急はあまり乗ってなくよくわかりませんでした。でも新玉川線開通記念の入場券?を手にした覚えがあります。今はどこか行って見つかりませんがw。
南武線も最近、こんなことしだしてからの乗車ですが、先頭車窓で見ると、いまでもかすかにのどかな風景が感じられてなごみますねw。
小田急は今複々線工事で近代化してて隔世の感があります。成城学園前は、昔普通の駅だったはずが、今巨大な地下駅で驚きましたww。

今から百万石祭り行って来ますww。

投稿: joker | 2008年6月 7日 (土) 12時51分

どうも、ほんとにどこに行っても通勤電車と縁があるのかもしれません…。
当時住んでた川崎北部では本数もなく割と郊外を通るJR線よりも東急や小田急が市民にとってメインの鉄道という感じでした。
あとは5分毎にくるバスが生活の足でした。隣の横浜市とは偉い違いです。
JR線は…比較的のどかな場所通ったり首都圏で使い古した車両を塗装直して再利用するあたり何となく北陸線に似てる感じです。
おぼろげな記憶ですが、確か当時(1998年頃)は二子玉川を境界にして、まだ区分けされてたような気がします。
渋谷駅の案内板には新玉川線・田園都市線、二子玉川では渋谷方面ホームは新玉川線、溝ノ口方面は田園都市線という感じで。
へぇ、当時は渋谷行きだったんですねー。自分が通学で使ってた頃は半蔵門線水天宮前駅行きとかでした。
最近同窓会で行った時、田都は遙か東武線まで路線延長したのを目の当たりにして驚きました。

投稿: 1* | 2008年6月 4日 (水) 21時50分

1*さん、ありがとうございます。
僕も藤沢時代がありましたから、首都圏の鉄道事情は20~30年前も承知しています。「にこたま」は聞いたことありますが、昔は新玉川線って言ってましたね。渋谷行きが地下化で開通した頃です。乗ったことはありませんでしたがw。

東急は正直、あまり利用する縁はありませんでした。だから今でも通ずるローカルっぽい短路線の風景はちょっとあこがれてました。

北陸であっても、毎日ラッシュ通勤お疲れ様です。僕は学生の頃藤沢の小田急線でちょろっと程度ですw。

投稿: joker | 2008年6月 4日 (水) 01時02分

おひさしぶりです。
大学時代、田園都市線の二子玉川駅近くに住んでましたものでつい懐かしくなり一言二言(笑)
当時、学校へは田園都市線で通ってました。
地元じゃ二子玉川(当時は二子玉川園)をにこたま、田園都市線をでんと、ついでに溝ノ口はのくちって略してます。
一見本数多くて便利に見えますが、実はこれでも全然足りないんです…。ぼーっとしてると混んでて乗れない事が…。
多分現在もでしょうが首都圏で混雑度上位に名を連ねる激混み路線です。本当にスシ詰めで息詰まり感はすごいです。電車乗るのに結構覚悟がいるという…。
だから急行も乗客を分散させるために必然的に生まれたのかもしれません。あの路線に急行がなく普通のみだったら、それはもう地獄絵巻…。
そう考えると本数こそ少ないですが北陸圏の電車って通勤にしろ通学にしろすごく贅沢だなって感じます。
朝夕多少混んでも専有面積がある程度確保され「苦しい…」って事がまずないので。
あとは例の古い寝台列車を改良した奴さえやめてくれれば…。もっとも最近はラッシュ時には来なくなり多少改善されましたけど。

投稿: 1* | 2008年6月 2日 (月) 22時12分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 江戸の鉄道は常に進化 1 | トップページ | 「金沢市歴史のまちしるべ」11 »