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2008年6月17日 (火)

「金沢市歴史のまちしるべ」19

Img_87974z 百万石行列の翌日、金沢旧市内南部をチャリで廻りました。
上菊橋から寺町台を登ってきた坂[不老坂(ふろうさか)]No302 細く急な坂道であったが、明治の中ごろ上菊橋とつながり、のち拡張整備され縁起の良いこの名がつけられたという。近くに風呂屋があり、不老長寿によいというので、この名で呼ばれたともいう。
そういえば昔、坂の下に「法島湯」という銭湯がありました。
Img_87977z 坂を上がり切った道路を挟んで、祇陀寺というお寺がありました。およそ寺とは思えない民家のような建物に、「三十三観音の寺めぐり」の幟と「第十一番札所」の札が。
三十三観音めぐりは知らなかったので、後で調べてまた廻ってみようかな?金沢には、まだまだ奥深いヒミツがあるようです。

Img_87980z さて、石碑を探しに泉が丘まできました。地黄八幡神社には、長い参道がありますが、神社本殿のすぐ手前で新道にスパッと切られています。参道の始まりは、鶴来街道の旧道にありました。ちょっとした石垣もあり、由緒ありそうですが、鳥居の内側の大木の跡が、ちょっとさみしそうです。
Img_87981z その鶴来街道に石碑があります。
[旧地黄煎町(じおうせんまち)]No2 藩政初期、泉野新村から発達した町で、地黄という薬草を採取して地黄煎という飴薬を売り出したことから、この名がついたという。
今の旧道はまったく住宅地の普通の道。後でその発端の場所へ行きます。
Img_88007z 現在も交通の大交差点、有松へ着きました。国道157号線が屈折するところ。石碑の1番です。
[有松町(ありまつまち)]No1 もと石川郡有松村の地内で、享保のころから次々と家が建ち、文政4年その一部が有松町と称され、金沢町奉行の支配となった。明治12年、金沢に編入された。
石碑は特有の茶色です。
Img_88009z 有松交差点から、片町へ向かう国道157号線です。
[旧芦中町(あしなかまち)]No3 藩政時代からの町名「足半町といふは並び短く、尻切れたる町なり」と伝えられ、はじめは足中町とも書く。のち芦中町と書いた。
この付近に昔、自衛隊機が落ちました。僕は記憶がありません。
ここから路地に入ったところにある石碑は、この日は見つけられませんでしたよ。
Img_88013z 国道から西に外れて、旧北國街道に
[泉町(いずみまち)]No7 もと泉野の地で、このあたりが北国街道筋であったため藩政の初めころから次第に家が増加し、この名で呼ばれた。明治22年泉町と泉新町に分けられ町名となった。
泉八幡神社は1502年創建。付近の末社を従えた大きな神社で、今日たまたま総代会とかやってますね。
Img_88020z 157号線に戻って、
[野町(のまち)]No14 藩政の初め、松林や雑木林などの地であったが、城下町の拡大に伴い町地となったので、はじめ泉野町といわれ、のち、略されてこの名で呼ばれるようになった。
北陸鉄道の現在の起点「野町駅」があり、野町広小路は主要な交差点、犀川大橋で街中心部と繋ぐ重要な町名ですが、「泉野町」の略とは知りませんでしたw。
Img_88021z さて、そこから路地に入ると、落雁で有名な諸江屋の本店があります。看板に「菓子」と「らくがんや」。小さい表札のようなものに「諸江屋」と記されてます。
嘉永2年(1849)創業の落雁にこだわった老舗です。金沢駅や百貨店にもお店があるのでぜひ立ち寄ってみてください。

さてこのあと、六斗の広見へ向かいます。


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