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2008年6月12日 (木)

「金沢市歴史のまちしるべ」17

Img_87582z 遅々として進まないので、石碑に集中しますね。
[旧九人橋下通(くにんばししたどおり)]No88 九人橋は東内惣構堀に架けられた橋で、橋番が置かれていた。十人並んで渡ると九人の影しか映らないという伝説から、橋の名がついたという。
兼六元町の光誓寺前の通りです。今は橋の面影もありません。
Img_87592z 天神橋前の通りです。
[旧東外惣構堀(ひがしそとそうがまえぼり)]No412 慶長15年、三代藩主利常が篠原出羽守一孝に命じて掘らせた金沢城の外堀で、城の東側にある。八坂から始まり材木町を経て浅野川まで、長さ約1,400メートル、城側に土居を盛り、竹藪を配していた。
水量は現在極限まで少ないです。
Img_87593z 材木町小学校のそばまできました。
[材木町(ざいもくちょう)]No83 元和2年、紺屋坂付近にいた町民が城郭修築用木材を宮腰港から運搬した功で材木を与えられ、この地に移転したためこの名がついたといわれる。
ずっと現役の町名です。市内中心部は、旧町名のついた小学校は多いですが、ここはいまでも現役。
Img_87600z その材木町小学校の北側。
[旧又五郎町(またごろうちょう)]No84 加賀藩士、横山又五郎の邸地があったので、明治の初め、この名がついた。
例によって、ゴミステです。ここのは折りたたみ式ですね。こういうスチール製は、10万クラスするそうで、町会で出費するかしないかで、導入が決められるみたいです。うちの町会はネットだけですw。
Img_87603z すこし南へ向かい、横山町児童公園へ。
[横山町(よこやまちょう)]No77 加賀藩の老臣横山氏が、下屋敷のあったこの地に元禄から藩末まで代々家臣とともに住んでいたので、この名がついた。
加賀八家のひとりです。そういや奥村町ってのだけ聞いたことありません。
公園ではお年寄りが、似つかわしくないPCの話をさかんにされてました。XPの保証期間がどうのこうのとw。
Img_87606z もう一度材木町に戻って、やはり地図と位置が違うここを探します。近所の方に尋ねましたが、やっぱり石碑など知らない方も多いようです。
[旧備中町(びっちゅうまち)]No85 加賀藩士、岡島備中の下屋敷があったところで、元禄ころは備中上地町といいい、のち、この名となった。
Img_87609z ここでちょっとだけ寄り道。材木町、裏が浅野川という静明寺に、徳田秋声の墓碑がありました。わが犀川沿いは、圧倒的に室生犀星にまつわるものが多いので、徳田秋声や泉鏡花は埒外です。文学の点も勉強しないと、金沢検定中級はなかなか合格させてもらえないでしょう。
Img_87612z_2 天神橋の前近くです。
[旧玄蕃町(げんばまち)]No93 加賀藩重臣、津田玄蕃の下屋敷があったところで、明治の初め、この名がつけられた。



Img_87615z これが天神橋です。浅野川にかかる鉄橋でちょっと有名ですね。
卯辰山に登る玄関口。昭和28年に洪水で、鉄道橋以外の浅野川の橋はすべて流され、昭和30年に今の鉄橋が架けられました。以降、この橋の下に測水所が設けられ、昭和50年にはここから上流の田上地区に浅野川放水路が造られ、洪水時に犀川へ河水を分流して被害を防ぐ方法がとられました。
Img_87618z おとこ川と言われる犀川に対して、おんな川という浅野川のおだやかな流れです。
6月6日の百万石まつりでは、ここから下流の浅野川大橋に向けて、灯籠流しが行われました。金曜の夕方なので、なかなか見ることができません。

Img_87620z 天神橋を渡りました。
[旧豊国町(とよくにまち)]No147 観音山下町が改称されたもの。豊国神社社殿の麓にあったことから、明治元年、この名がついた。

今日はここまで、明日はこの日の最後、東山界隈を歩いたのをレポートします。



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