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2008年6月10日 (火)

「金沢市歴史のまちしるべ」15

Img_87473z 兼六園下へ繋がる大通りの主要?交差点
[賢坂辻(けんさかつじ)]No505 久保市乙剣宮と椿原神社の氏子の地境であり、また丘陵地の先端でもあることから昔は剱先が辻と呼んだが、明治4年、賢坂辻と改めた。
昔は氏子の境とか、そういう土着なのものってはっきりしてたでしょうね。石碑は見にくいですが、対面の電柱脇にあります。
Img_87470z 次の御小人町を探していたら、また地図どおりではありませんでした。すると成瀬町の近く、東外惣構堀沿いの石垣がまだ健在でした。小路との角、小さな祠もずっと守られているようです。上の家は以前はお寺であったろうか、というほどです。
橋の名前は賢坂橋

Img_87465z しかしこの辺の東外惣構堀の水はあまりにも少ない。この溝をわずかにチョロチョロと流れています。
コンクリートで升形に仕切られ、以前は洗い場として利用されてたでしょうか。








Img_87477z ようやく見つけました。[旧御小人町(おこびとまち)]No71 藩政時代、藩主の行列の際にその身のまわり品の茶弁当、矢箱、提灯などを運ぶ御小人の組地であったので、この名がついた。
地図の印は小路の側についてましたが、大通りに面しています。移動でもあったでしょうか。不可解ですw。
Img_87480z もうしばらく兼六園側に進んで、小将町中学校あたりまで来ました。[旧東内惣構堀(ひがしうちそうがまえぼり)]No410 金沢城防備のため、二代藩主利長が慶長4年に高山右近に命じて掘らせた東側の内堀である。旧小尻谷町から始まり橋場町を経て浅野川まで長さ約1,300メートル、城側に土居を盛り竹藪を配していたが、今はその面影は殆どない。 とあります。
内はまだ水の流れは用水のようです。概して東側は、西の水量の豊富さに比べたら(犀川の水が元になっている)、少々おとなしいですね。



Img_87482z 小将町中学校の前まで来ましたが、石碑の前にお地蔵さんを。
金沢市内で三十三観音めぐりというのがあるようですが、地蔵もあるでしょうか。第二十九番札所と書かれてます。
子供の病気など、祈れば治していた地蔵も、江戸初期には橋の下に埋もれていて、地上に引き上げ安置しようとした藩老の夢枕に立ち、「自分は橋の下にて踏まれて通る人を済度する」とお告げがあって、更に多くの信仰を集めたそうです。
Img_87484z そのすぐ隣、小将町中学校で[小将町(こしょうまち)]No73 藩政時代、藩主の身辺を護衛する小姓頭や小姓組の侍がここに置かれたので、御小姓町、小姓衆町、小姓町などと呼ばれた。加賀藩では小姓を小将とも書いたので、明治になって小将町となった。
Img_87486z このあたりは由緒ある寺も多く、古い静かな住宅地が続きます。こんな和洋折衷のモダンな雰囲気のある家も珍しくありません。



Img_87487z かと言えば、このしゃれた建物はこれでお寺です。真宗大谷派 法旬寺とあります。
加賀は言わずと知れた一向一揆の百姓の持ちたる国でした。そこに織田信長の勢力が入り、前田利家が入城したわけですが、そのため金沢を防備する目的も併せ持った「寺町」には、日蓮宗の寺が多く、真宗の寺は分散されたのです。
それでも後年、本願寺別院が東西あるように、真宗の信者は根強く金沢中に広まり、今でも僕らを始め、石を投げたら真宗信徒に当るくらいでしょうww。
Img_87491z 藩士の屋敷地の土塀がありました。今では逆に珍しくなった、トタンで覆われた土塀です。
長町武家屋敷の通りでは、観光地化整備が進み、景観保護のため土塀も修理復元され、冬は塀面保護のため「こも」と言って藁を編んで吊るしたもので覆っています。しかし実は以前はこのようなトタンで覆って年中保護していました(僕の記憶では)。
Img_87494z さて東兼六町、国立金沢医療センター下の坂まできました。
[八坂(はっさか)]No317 昔、付近に木こりが通う八つの坂があったのでこの名がついた。のち、一つが残り、宝憧寺坂、伊予殿坂とも呼ばれた。
かなり長く急で、息があがってしまいます。自動車もいちおう通れるようになってますね。
Img_87499z 上から見た図です。急に見えるでしょう。右は奥村家上屋敷を利用した国立医療センターです。
左枠外は今では兼六坂といって、兼六園の脇を通る金沢で一番長い坂です。昔はあまりに長いので尻垂坂と言いましたが、現在石碑は置かれていません。

先はまだ長いので、今日はここまでw。

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