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2008年6月 5日 (木)

「金沢市歴史のまちしるべ」13

Img_85740z 一本松周辺の小立野台の崖下には、細くくねった生活道路で行き止まりが多く、ようやく崖にへばりつくように建っている菅原神社まで登ってきました。
[旧欠原町(かけはらまち)]No32 崖縁の通りであるため、藩政時代は笠舞がけ原、がけ片原町などと呼ばれていたが、のち、略してこの名がついた。
細くて車が通れるのか?ってくらいです。
Img_85744z 崖をつたって北西に向かい、崖を横切る坂を下りてきました。
[新坂(しんさか)]No310 加賀藩前期、嫁坂のあとにできたのでこの名がついた。昔は、小立野新坂、笠舞新坂ともよばれた。
ここも左枠外はゴミステーションです。道は広いですが、後ろの坂上から狭い道になっています。ここいらは自宅からそう遠くない場所ですが、用がないので一度も来たことがありません。
Img_85748z その嫁坂です。小立野台の崖は街からもよく見えるので、崖から見る街の眺めは素晴らしいと思ってました。この方角はどうしても住宅しか見えませんが、坂上の公園からは、新緑がジャマしなければこの角度右外側の、街の繁華街を一望できるはずです。









Img_85750z_2 そうそう、石碑が必要でしたね。特に坂になると、石碑が建っている位置でその坂の特徴を撮るのが難しい箇所もあります。
[嫁坂(よめざか)]No311 加賀藩初期、坂の上に住んでいた藩の重臣、篠原出羽守が、娘を本庄主馬へ嫁がせる時つけた坂なのでこの名がついた。
Img_85753z 小立野台に登り返しましたが、この石碑も地図の位置と違ってました。結局幼稚園の敷地内です。
[旧鷹匠町(たかじょうまち)]No36 寛文の初めころから、藩の鷹匠の邸地や鷹部屋がここにあったので、この名がついた。

Img_85756z 小立野台の先端、石川県立歴史博物館のところまで来ました。
[出羽町(でわまち)]No49 藩政初期、藩の重臣、篠原出羽守一孝とその一族、家臣などが住んでいたので、この名がついたといわれる。昔は出羽殿町とも呼ばれていた。
県立歴博は、陸軍兵器庫から、戦後金沢美術工芸大学に使われていた赤煉瓦造りの明治後期の建物。横浜の赤煉瓦倉庫にも負けない90mもある左右対称の三棟もの建造物は、国の重要文化財にも指定されています。
Img_85761z 歴博から坂を下りてきました。右が兼六園、左が石浦神社です。正面の通りの名にもなってるこの坂が
[広坂(ひろさか)]No318 坂道の幅が広いのでこの名で呼ばれているが、加賀藩時代から明治中期頃までは安房殿坂、作事坂ともいわれていた。
今となっては、決して広いとは言えません。ちょっと急で、観光客が多く通るのに危ない気がします。
Img_85762z 広坂通りを、旧石川県庁前まで来ました。大正時代のこの石造りの県庁も、今保存作業中です。
[堂形前(どうがたまえ)]No503 加賀藩初期、京都の三十三間堂の「通し矢」を模した練習場があり、これを堂形と呼んだ。のち、そこに米倉が建てられた。
ここは金沢城本丸の正面。いもり堀も段階的に復元工事が進められる予定です。
Img_85765z その隣、かつて金沢中警察署があったところです。今は広く広坂緑地として、町名同様の石碑が建ちました。
正面の森が本丸。右端が辰巳櫓跡です。ここに同面に破風が複数の種類ある全国的にも珍しい辰巳櫓を復元しようと計画中です。街から一番目立つ位置になり、市民が大いに期待しています。
Img_85768z さて、広坂から本多町を桜橋に向かって鱗町交差点に来ました。
[鱗町(うろこまち)]No39 藩政初期からの町名、新立町末うろこ町、犀川うろこ町、いろこ町などとも呼ばれた。当地に魚商が多く、鱗がよく見受けられたことによるとの伝承がある。
この名も現役です。ここから片町に向かって古い町名がいくつも、現役で活躍?していますよ。
Img_85771z 桜橋から犀川上流を望みます。この左岸に僕の自宅があります。おだやかでいい街だと思うんですが、いつもいると当たり前でありがたみが薄れますがね。




Img_85773z 対岸の清川町を下菊橋に向かって走ります。途中、お百度参りをする祠がありました。写真ではよく見えませんが、大木の両側の階段を上り下りしてお参りするようです。昔はそういった方が多くいたでしょうね。僕はもう、すぐにヒザが痛くなってムリですね。

Img_85778z まもなく下菊橋の犀川沿い[旧仙人町(せんにんまち)]No5 明治3年の町立て、町名の由来は不詳だが「こんな荒れたところに住むのは仙人しか居ないから仙人町としたらいい」と命名されたという。
すぐ近所なのに寂しい話ですw。たしかに右枠外は、すぐに寺町台の崖がせり出してます。
Img_85780z さて、いよいよこの日の最後、下菊橋の寺町側たもと[長良坂(ながらざか)]No303 旧長良町へ上がるのでこの名がついた。犀川のがけふちにあり、川風が吹き上げてくるので、吹上とも呼ばれていた。
昔は正面のこの坂、ちゃんとした車道で下りる一方通行でした。今はこの左側に立派な片側2車線の坂道が出来たので、階段を道幅半分使った生活道路にしてしまいました。
ここまでちょうど、目標どおりチャリで3時間、20箇所巡りました。
6月1日には、またS氏と"まちめぐり"しましたが、半日で新規36箇所。S氏の新規分混ぜると約50箇所も巡って日焼けとヒザ痛がひどかったです。でも残り約60箇所となり、俄然早期の全箇所制覇の意欲が涌いてきました。そのレポートはまたこの後お伝えします。

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