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2008年6月 3日 (火)

「金沢市歴史のまちしるべ」11

Img_85636z この週末も、S氏と"まちあるき"してきました。しかしその前に5月17日18日のレポートがまだなので、それを3日間に分けてお伝えします。
土曜午前まで仕事のあと、中村町のアピタ金沢に車を停めて、白菊町周辺から廻りました。
瑞泉寺の前で[旧五十人町(ごじゅうにんまち)]No16 足軽五十人組が住んだので。近くには室生犀星記念館があります。
Img_85639z [泉用水(いづみようすい)]No402 藩政初期からある、犀川から取水する農業用水で、旧石川郡米丸村増泉、三馬村泉・西泉の田畑を潤していました。
本支流とも細かく枝分かれしていて、今でも街中を流れています。

Img_85643z [旧助九郎町(すけくろまち)]No15 本間助九郎または葛巻助九郎の邸があったから。この石碑が地図の印と違う位置にあって探すのに苦労(九郎)しましたw。なんのことはない、西インター大通(野田専光寺線)に面してました。

Img_85644z [白菊町(しらぎくちょう)]No18 藩士前田平太夫の下屋敷があり、その定紋[菊一文字]にちなんで。
今でも白菊町ですが、以前石川線の北陸鉄道は、この白菊町まで線路が延びていました。この日は探しませんでしたが、近年まで線路や駅の跡が想像できる遺構がありました。
Img_85647z [中村高畠用水(なかむらたかばたけようすい)]No403 泉用水同様、犀川から取水する農業用水で、石川郡米丸村中・高畠を灌漑していたが、大正7年に二つの水路が合併されました。
敬栄寺の敷地内に建っています。橋も裁断橋と名が付いてます。左の木も謂われがありそうですが、先を急ぐのであまり読みませんでした。興味のある方は調べてくださいw。
Img_85655z 新橋を渡って中央通に来ました。[旧塩川町(しおがわちょう)]No70 藩士塩川安佐衛門の屋敷があった。
植え込みのある歩道前の住宅の人は、どうしてなんでも私物の鉢植えとか平気で置くんでしょうねw。

Img_85657z 大野庄用水沿いに、長町武家屋敷に向かいます。右の建物は「前田土佐守家資料館」。利家とまつの次男、利政を祖とする加賀八家の前田土佐守家に伝わる貴重な資料を主に展示しています。僕も古地図を観に、何度か訪れました。

Img_85660z その向かいは老舗記念館。南町にあった老舗薬舗「中屋」の建物を移築しました。中屋は20年ほど前まで、今はオフィス街となった南町のビル群に囲まれていましたが、取り壊すのは惜しまれここに保存されることに。"な・か・や~の混元丹!"と、今もCMソングがTVに流れています。

Img_85662z [長町(ながまち)]No72 この一帯は全て藩士の邸地で、長い町筋だったことからや、加賀八家(ちょう)氏や山崎長門の名にも由来するといいます。
このあたりは観光地化するためかなり再整備され、武家屋敷の土塀や用水の開渠化など、古(いにしえ)の姿に美しく復元されました。用水の水を屋敷の庭に取り入れるための開口部もあります。
Img_85665z さらに先に進むと[大野庄用水(おおのしょうようすい)]No409 藩政期からある用水で、犀川から取水し、旧石川郡大野庄の灌漑、物資運搬、市街地の防火防ぎょ、融雪などのための多目的用水で、御荷川、鬼川、オホノヒ川の別名があり、下流は木曳川といいます。前回は鞍月用水との合流地点を紹介しましたね。
右の武家屋敷、野村家は内部を公開しています。
Img_85666z 一本わき道に入ると、「長町やすらぎ緑地」と出くわしました。近年、街中で住宅など空地ができると、市が買い取って突然そこを緑地化・整備して市民に開放することが増えてきました。意外なところにポツポツと緑地ができるので、戸惑うこともしばしばです。そしてまちしるべ石碑を真似して色の違う碑なども建っています。
Img_85669z もういちど中央通に出て[旧宝船路町(ほうせんじまち)]No74 寛永の大火のあと、犀川大橋詰にあった法船寺がこの地に再建されて、門前町をつくり法船寺町と呼ばれ、明治4年、宝船路町に改められた。


Img_85672z 元車交差点まで来ました。[旧富本町(とみもとちょう)]No76 文政6年に法船寺町から分立し、町内には鍔屋小路も含まれていました。明治4年、広小路と等雲寺門前を合併してこの名に。ところが町名の由来は不詳。
バス停でここは昔から富本町と心得てましたが、今は町名がありません。この緑地はずっと北國銀行で、駅からバスで正面に見えたビルが印象的でした。
Img_85674z 今の北國銀行は、奥のレンガ造りの建物。旧酒蔵で、地ビールブームのとき金沢第一号のビールを造ってレストランも営業していました。
[旧元車町(もとぐるままち)]No79 藩政初期、大豆田用水に水車を設け灯油を製造したところから、犀川油車、油車町とも呼ばれていたが、のち、この名がついた。
Img_85675z 道を挟んですぐ向かい[旧高儀町(こうぎまち)]No81 藩政前期に藩用地とし藩士の屋敷などを置いたので公儀町と呼ばれ、のち、公儀の文字をはばかりこの名に改められたという。
向かいの歩道に元車町の石碑が見えますか?
今日の石碑はここまで。
Img_85679z この12箇所を1時間で廻りました。だいぶ要領を得てきましたね。
アピタまで戻りしな、2年前架け替えられた御影大橋を撮りました。アーチが橋の片側にだけある、珍しい姿をしています。犀川の橋は架け替えが進み、自宅のそばの上菊橋も替わりましたが、一番古いのは一番交通量の多い犀川大橋ですね。登録文化財です。


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