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2008年5月18日 (日)

「金沢市歴史のまちしるべ」8

Img_85512z 5月6日、GW最終日に、よせばいいのに天気に誘われまた出てしまいました。24日の江戸の切符も買わねばならなかったので、金沢駅周辺から西に向かって3時間、早く来た暑い陽気の中、じっくり廻ることにしました。
[旧田丸町(たまるまち)]No129 加賀藩士田丸兵庫が住んでいたので。日航ホテルの裏です。
後ろに見えるは白髭神社。市内をこうやって廻るついでに、神社もなるべく全て踏破したいと思っています。
Img_85517z 発心寺の横[旧弓ノ町(ゆみのまち)]No126 弓組の侍が住んでいたから。市内に数箇所、同様に弓ノ町があり、地名を冠していました。ここは後弓ノ町あるいは枡形弓ノ町とも謂われてました。
いかし地図の印と位置が違ったり、向こう側から通ったのでなかなか見つけられませんでした。
Img_85520z 笠市の商店街の通りにやってきて、[旧象眼町(ぞうがねまち)]No135 地子町のひとつで、象嵌師が住んでいたから。地子町(じしまち)とは、町人居住地の区分のひとつで、土地に対する税である地子銀を払っていた町で、金沢は22町ありました。
象嵌(ぞうがん)とは、たとえば木製の花器の表面を彫って金属をはめ込む伝統工芸で、今では京都・熊本、そして金沢でしか造られていません。
Img_85523z [旧荒町(あらまち)]No138 此花町の光専寺の前まで来ました。駅前の木ノ新保の新しい町という意味で[あらまち]・・荒町となった。



Img_85527z [旧鍛冶町(かじまち)]No143 もうひとつ隣の路地、乗善寺の前です。三代利常から刀鍛冶で宅地を給わった者が住んだことから。
石碑は道路や公園という公共の土地より、寺社地や宅地など私有地に建てられることも多そうです。そういったとき、どういう依頼や費用の話が出るんでしょう?ちょっと気になりますね。
Img_85530z [旧巴町(ともえまち)]No133 加賀藩士伴八矢の下屋敷があり、その家紋「左三つ巴」にちなんで。これは道路の広見にありましたね。
下屋敷のある藩士の家紋にちなむ町名も多いです。下屋敷と言ってもそれは[家中町]といい、その藩士の家臣の住居が連なっているのをイメージしてもらうといいです。
Img_85531z [瓢箪町(ひょうたんまち)]No136 29日に寄った塩屋町の南側です。塩屋町の一部でしたが名のとおり瓢箪を作る者が住んでいたから。
ここは以前は瓢箪町小学校。3校が合併して明成小学校となりました。新しい校舎で新しい歴史が始まるのでしょう。明成とは味気ないですが、ここは今でも瓢箪町です。
Img_85538z 浅野川まで出ました。[堀川揚場(ほりかわあげば)]No510 藩政期から大正初期まで、浅野川を川舟で運んできた物資を荷揚げした場所だったから。
向こうに見える鉄橋は中島大橋です。浅野川は犀川と違って川原があまりありません。

Img_85539z [旧五宝町(ごぼうまち)]No141 真宗本願寺金沢西別院の前です。西御坊町とも呼ばれていたことから。
カメラを構えていると、近所のお年寄りから、「御坊の中入って撮りゃいいがいね」と謂われましたが、「いや、この石碑が目的なんで」と応えたら、はぁ、とちょっとあっけにとられてしまいましたww。

つづく・・。

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