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2008年5月19日 (月)

「金沢市歴史のまちしるべ」9

Img_85542z 6日のパート2です。[旧淵上町(ふちのえまち)]No144 浅野川の淵の上にできた町で、藩政期には堀川川除町、堀川淵上町と呼ばれていたが、明治の初めにこの名に改められた。
右が中島大橋です。この時間になるとかなり暑くなって、スーパーでアイスを求めました。さらにアイスで物足りなくて、500mmペットのジュースもお供に。長時間の歩きは久しぶりなので、今回のような探索はとても健康的ですw。
Img_85545z [堀川町(ほりかわまち)]No145 路地に入りました。元和期に浅野川のこのあたりを掘り開いて、粟ヶ崎・大野などの港から舟で物資を運び込み、大いに賑わったそうです。
金沢駅東部の現町名で、石碑がまだないのは此花町だけです。なぜだかわかりません。
Img_85558z 堀川町から「ふらっとバス」此花町ルート彦三緑地まで来ました。藩士遠田氏の屋敷跡で、園内にあふれるさまざまなツツジのちょうど見頃でした。
江戸時代からの古木もあるらしく、蔵づくりのツツジ資料館もあったのですが、目的は石碑。ちょっとの中休みだったので先を急ぎますw。
Img_85559z ほど近くに[旧西内惣構堀(にしうちそうがまえぼり)]No413 二代利長の時代に高山右近に命じて掘らせた1,600mにおよぶ内堀。城側に土居を盛り、竹薮を配してたけれど今はその面影なし。
どころか、多少の側溝はあるけれど、堀というにはあまりになにもない。内側のこの石垣が往時を思わせるのか?それともこれほど遺構はなくなったということでしょうか。
Img_85562z [旧新町(しんちょう)]No108 次に行く尾張町に町屋が増え、新しくこの一帯を町立てしたため。
今の尾張町通りの北裏一帯を今廻っています。


Img_85564z [尾張町(おわりちょう)]No106 表通りに出ました。前田利家は尾張の人。そこから連れてきた商人たちを住まわせたから。大手門から北国街道に続くいわゆる藩政期の金沢正面。経済の中心地はここでした。
この黒い建物は明治40年建築の旧金沢貯蓄銀行金沢町民文化館として開放されています。
Img_85566z 大手門に向かってちょっと歩いてみました。[旧中町(なかまち)]No104 大手門からの本通りに位置していたので中町という名がつくほど重要視されていました。今はNHK金沢放送局がありますね。


Img_85567z 少し東に入ります。[旧殿町(とのまち)]No97 元は十間町の地内だったが、その中の武家地を昔は殿町と呼んだことから。
今ここは大手町の一角です。後ろの建物も風格がある塀ですね。


Img_85570z 橋場町の交差点まで来ました。ここは北国街道、金沢の基点です。以前にも書きましたが石川県の里程元標の碑があり、ここが金沢の表玄関でした。江戸へ行く場合も北回りが基本で、それは今でもそうですが、市内の中心部は広坂や香林坊に移り、県庁は郊外に出てしまいました。
賑やかだった江戸時代の頃を想像すると、そんなCGでも誰か作ってくれませんかね。
Img_85572z 浅野川大橋のたもと、橋場町緑地に来ました[懸作(かけづくり)]No506 ここで掛作の仮屋を設けて商売するものがいたことから。
29日に訪れた橋場町の石碑のところです。この石碑を撮るのを忘れてました。同じところに2つ以上石碑が建ってるのがたまにあります。また、こういう町名でないのが字名(あざめい)として区別され、番号も500番台です。
Img_85573z 29日の夕暮れの写真を反対から見ると、この日のこんな感じ。この緑地に橋場町懸作二つ見えますか。
金沢市では、橋のたもとを主に、こういった緑地整備するのが増えてきました。規模の大小あれ、わが上菊橋・下菊橋にもあります。

さて続きはまた次回。

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