« 「金沢市歴史のまちしるべ」1 | トップページ | 母の日の葬儀 »

2008年5月10日 (土)

「金沢市歴史のまちしるべ」2

Img_84998z 香林坊から、広坂と片町の間の裏道に入ると、[柿木畠(かきのきばたけ)]No53 
江戸初期の火災の教訓から、ここ一帯を火除地にするため空地とし、柿の木を植えたことから。金沢検定に理由が問題になりました。ここも復活町名として平成15年10月にこの名に戻りました。石碑の上の部分、「旧」の字が消されているのがわかりますか?
向かいには老舗の書店があって、鞍月用水や広い歩道など、一帯は街中にあって明るい広場のようになっています。
Img_85016z 四高記念館に寄ったあと、香林坊大和との間に[旧仙石町(せんごくまち)]No67 千石町とも書いたようですが、藩政初期から、どうしてこの名になったか由来はわからないそうです。そういうこともあるみたいですね。

Img_85018z 尾山神社の前まで来て[旧南町(みなみちょう)]No80 前田利家以前、佐久間盛政が城主のころ、ここが城の南だったことから。
町名は消えましたがバス停でずっと名前が残ってました。ここも町名復活の予定があります。次に訪れたときには「旧」の文字は消えてるかな?
Img_85024z せっかくなんで、尾山神社の境内に入りました。前田利家を祀る尾山神社は、嘗ては金沢城内。初詣は行列で賑やかになりますが、そんなときのたまにしか寄ってないので、出店もなにもないこういう空間は初めてですw。
利家の金鯰尾兜の像です。フランス人(勝手にそう思ったw)の親子もカメラに収めています。
Img_85051z 金沢城をひと回りして、兼六園脇から石引通りまで登りました。僕も入院したことのある出羽町の国立病院(今は医療センターって言うんだっけ)は、加賀八家の奥村宗家の屋敷跡。病院を囲むように板塀が続いています。こういうのも珍しいですよね。
板塀の外側は辰巳用水が流れています。

Img_85054z 石引通り、奥村家の屋敷地の隣には、[飛梅町(とびうめちょう)]No50 加賀八家前田家長種系の下屋敷があったところで、同家の家紋「角の内梅輪」にちなんで。
ここも平成12年4月に、隣の下石引町とともに町名復活しています。

Img_85057z [石引町(いしびきまち)]No44 (下)石引町として町名復活しています。
金沢城築城の際、石垣に適した郊外の戸室山から戸室石を切り出し、引いて運んだ道筋だったことから。
現在は片側2車線の立派な真っ直ぐな道が、三代藩主利常の正室で徳川家から嫁いだ珠姫の菩提寺「天徳院」まで続いています。国立病院・松原病院・金沢大学病院、と病院が連なっているし、父はよく大学病院に入院してたし、僕も国立に何度もお世話になったし、そんなイメージがある通りですねw。
Img_85060z [辰巳用水(たつみようすい)]No407 
何度か当ブログで紹介している辰巳用水です。石碑のある位置は、もうすぐ兼六園という最後の方ですが、犀川上流旧辰巳村から約10km、長いトンネルなども掘り、寛永年間(1632ころ)に短期間で作られました。火事の多い金沢城の上水としても利用され、現在でも兼六園や市内中心部を潤しています。工事指揮にあたった板屋兵四郎はサイフォンの原理で城内に水を引き込んだなど、金沢の偉人に今はなっています。
Img_85064z さらに石引通りを上がると[旧安藤町(あんどうまち)]No40 鉄砲組頭 安藤長左衛門の組地があったことから。
このあたり、南北の台地下への下りには、由緒ある坂が数多く、石碑もたくさんあるのですが、この日は五社めぐりがメイン。そのルートに沿うのを優先にして、坂はいずれかの機会にします。
Img_85066z さてそうこうしていると、金沢に3ルートあるコミュニティバス、わが菊川ルートの「ふらっとバス」が来ました。100円で1周約1時間の、古く狭い昔ながらの住宅地と街中をゆっくりとした足取りで巡ってくれます。だもんでお年寄りの利用が多いですね。僕もたまに乗りますが、のんびりとしていいものです。フォルクスワーゲン製のバスが多いんですが、この車は日野自動車製の新型です。こいつのほうが広く感じます。こういうのが全国で今広まってますよね。
Img_85074z 今日の最後は[亀坂(かめざか)]No309 この付近は昔深い谷だったけど、戸室石を運ぶのに、次第に坂の勾配をゆるくしていきました。しかし亀坂の名の由来はわからないそうです。
坂自体の特定が出来ぬままきたのですが、ガイドパンフの写真からこの坂と思い、上から下まで降りたのに石碑が見つかりません。もう一度上まで戻ると、坂の上の道、あまり関係なさそうなところに建ってました。坂は写真の左の階段を下ったところから始まります。

ここまでで、29日S氏と廻った発見石碑の半分くらいです。まだまだ続きますよ!

|

« 「金沢市歴史のまちしるべ」1 | トップページ | 母の日の葬儀 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「金沢市歴史のまちしるべ」1 | トップページ | 母の日の葬儀 »