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2008年2月 8日 (金)

城下に30超す「小城下」

Img_70175s 金沢市史の資料編、「絵地図」を買って久しいが、なかなか熟読できなくて。昨日の北國新聞で、金沢城調査研究所副所長の木越隆三氏のコラムが載っていたので、関連して紹介したい。
1674年(延宝2年)に製作された「延宝金沢図」である。旧金沢城下全体がわりと整然とわかりやすく把握できる、見やすい絵地図だ。
城下を縦横に流れる用水や、総構堀(そうがまえぼり)という外堀、そして犀川・浅野川の二川の位置もよくわかる。「の」の字のように城を囲む総構堀は、江戸城下をも彷彿とさせる。
さて表題だが、「加賀には殿様が九人いた」とも言われるが、百万石の前田の殿様の他に、八人の一万石以上の家老(加賀八家)が存在した。彼らは城下に、大名並みの広大な屋敷地を与えられ、多くの家臣も抱えていた。それらがそれぞれまるで金沢城下に、さらなる城下を形成しているようで、これを複合城下町とも言う。他の高禄の家臣の屋敷地もあわせ、およそ30以上もの「小城下」があった。
五十万石以上の城下町(仙台・広島・名古屋・熊本など)は、同様の構造を持ち合わせていたというが、どこも現在、都市の近代化によってあまりその姿が残っていない。しかし戦災に逢わなかった金沢は、今でも往時を偲ぶ街路や街並が色濃く残っており、この点が日本で数ある城下町の中でも、金沢がその代表として世界遺産の価値があると強調される部分なのです。
まだまだこの研究は深く掘り下げる余地があり、先日結成された、加賀八家のご子孫たちが中心の「加賀藩歴史文化護持協力会」がさらなる調査の中で、このテーマの研究も進むことでしょう。そうやって見ると、金沢の絵地図はより興味深く見ることが出来る。

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コメント

江戸時代からの縁の名前の町名は、金沢にもたくさん残っています。記事の家老の屋敷地も、それぞれ現在町名になっていますよ。(本多町・長町・横山町とか)
子供のころから当たり前に思っていたのに、全国的には珍しいこの街割りの構成は、世界遺産は極端としても、新幹線開通後には今以上に多くの観光客に体感してほしい日本の文化ですね。
今日は雪でなく雨で、結局疲れて夜景はまた明日のチャレンジです。

投稿: joker | 2008年2月 9日 (土) 22時52分

姫路の城下町も、かなり広かったんだと思われます。
詳しくは分かりませんが、それこそ『大手町』とか言われる地名が
残っていたり、お城から少し離れた白銀町って所にも名残があり、
碁盤の目のように小さな用水路があります。

お城の周りには、博物館や公園など、姫路城の歴史をしる施設が沢山
ありますよ。

そして、出来るものなら『好古園』っていう有料の公園で撮影してみたいです。
http://www.city.himeji.hyogo.jp/koukoen/index.php

投稿: ナベちゃん | 2008年2月 9日 (土) 18時17分

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