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2008年1月25日 (金)

江戸堪能 2江戸城探訪

Img_75973s 日本橋から大手町を抜けて大手門から江戸城に入ろう。ところがその途中に、「将門塚」があった。平将門の首塚があったところで、ここに元々神田明神が建っていた。度々祟りを為した将門を鎮めるために手厚くここに祀られ、坂東の勇者であった彼を慕い今でもその祭りが絶えない。今日も既に、黒服の3人連れが献花焼香していた。何者なのか?
そしてお年寄りたちのフィールドワーカーがここにも。今から説明にはいるところのようだが、せまい場所に大勢居るので近寄りがたく、結局墓前?まで行けなかった。



Img_75976s さて江戸城大手門前に来ました。ここは「下馬」と呼ばれ、昔ならここで、大名や高級旗本などの「乗輿以上」の者以外は下馬せねばならず、供の人数も制限されました。ここで主君の帰りを待つ家臣たちの間で、幕府内での出世についていろいろ噂してたことから「下馬評」という言葉が生まれました。
ここからさらに、二の丸に入るところで皇居東御苑となり、受付で入場札をもらいます。
Img_75992s さらに本丸に向けて入る門に、「本丸中之門」があり、その石垣の修復工事が1年前に終わり、詳細な解体・新発見の内容が説明板に書かれています。江戸時代中でも、何度も修復されていて、そのときの刻銘が石垣に彫られていました。石垣は永い年月の果てひび割れたりずれたりします。江戸城の中でも最大級の石が使われ「布積み」という技法で積まれていました。
Img_75997s 汐見坂から白鳥堀を望みます。江戸城は現在は巨大な史跡公園と言えましょうが、その外延部は取り巻くように高層ビルが林立します。そのアンバランスさは東京ならではでしょう。
いよいよ本丸に入ります。


Img_76002s 本丸内の休憩所で、グッズを買い、古いパネルを見ました。江戸城の昔の写真とほぼ現在の写真。昔と言っても江戸城無血開城後のはずで、櫓や建物、道などが荒廃している様子が窺えます。これは攻められたというより、当時幕府自体その修繕まで手が回っていないということを指すようです。
買ったグッズは写真ハガキや地図、菊の御紋章の根付など。菊御紋はハンカチ、キーホルダーなど、お土産グッズの何にでも使われ、所有権はないの?というくらいあけひろげでした。実際グッズ個々の値段もわりと安かったですしね。
Img_76005s 室内には、「大嘗宮」の模型もありました。「大嘗宮」とは、皇位継承の際に行われる「大嘗祭」のため、普段芝生だけの東御苑の敷地にそのたきだけ設営される建物群です。平成2年のときの再現ですが、覚えている方もいるでしょうか。


Img_76018s 本丸南西端の「富士見櫓」です。江戸城には、たしか18の櫓があったのですが、現在はあと「伏見櫓」「桜田櫓」の計3基が残っており、うち三層なのはこの「富士見櫓」だけです。他の2基は外側から見え美しいのですが、この富士見櫓は普段はこのように裏側からしか見られません。なぜならこの向こうは宮内庁だからです。しかも柵があって近づけません。
Img_76021s 松の大廊下跡です。このあたりで例の事件はあったわけですが、今は名のとおり松が植えられています。松の廊下とは、その襖絵に松が描かれていたからですが、廊下に並んで控の間があり、大廊下上・下とは御三家や前田家など将軍家ゆかりの大名が控える、格の高い殿席でした。その目の前で事は起こったわけですな。
Img_76037s 天守台まで来ました。江戸城の天守は慶長・元和・寛永と三期に亘って築かれ、その都度火災で焼失しました。五層の天守は天守台含め高さ59m、一階の床面積は1270㎡。姫路城の高さ1.2倍、面積2.3倍の史上最大の天守でした。写真の今残っているものは、四代目を建てようとした万治天守台で、加賀藩前田家が築きましたが、家光の弟、将軍補佐役の保科正之の進言で天守の再建は中止され、以来350年、このままの姿をさらしています。
Img_76052s さて、ようやく城外へでて、受け付けで札を返します。そこでスタンプをもらえるかと思ったら、スタンプ帳に「○○案内所」とあり、愕然としました。日本百名城のスタンプ帳を埋めるべく、今回来たようなものでしたが、スタンプおいてある案内所は、北の丸・和田倉・楠像と、皆今ならほぼ城外のような位置。ここからさらに武道館前の北の丸案内所まで500m以上歩いて疲れました。やっと室内で見つけて、丁寧に押したらまた愕然!スタンプに貼ってあるシールと上下さかさまじゃぁあ~りませんか!!
疲れがドッと出ましたが、急いで田安門出て九段下から岩本町へ行かねばなりません!既に4キロ以上歩いてヘロヘロですw。

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コメント

姫路城は、天守だけじゃなくて、城郭がほぼセットで残っている貴重な城です。まさに世界の遺産ですよ!
今年こそは江戸だけじゃなく、姫路城や広島(広島城・宮島・大和ミュージアム)、安土城とかもぜひ行きたいですね。

新幹線の停車駅は、これは記事にしようと思ってたのですが、例の地元新聞のコラムで、北陸新幹線が金沢まで開通したら、「のぞみ」のような速達タイプでも、「上越」駅に止まるのでは、と言っています。これは、JR東日本と西日本の境目で、乗務員の交代があるから、と。
実際「はくたか」では、東西の境となる直江津で、乗務員が一斉交代します。東海道でも、新大阪で必ず止まるのは、東海と西日本の乗務員交代のためとか。
しかし在来線では必ずしも境目での交代は必須でなく、国土交通省に聞いても、鉄道会社次第だと言い、JRは全く未定と答えます。
せっかく東京まで一本、早く到達したいのに、あまり利用者が必ずしも多いとは言えない「上越」で止まるより、せいぜい「高崎」-「長野」-「富山」-「新高岡」-「金沢」といきたいですね。もちろん「はくさん」で。

投稿: joker | 2008年1月25日 (金) 22時38分

江戸城は天守閣が無くなったけど、色々不思議な魅力がいっぱい
隠れてるんですね。

お城はまだ、姫路・岡山・松江しか登ったことありませんが、
姫路はやっぱり世界文化遺産なだけあって魅力いっぱいです。
春夏秋冬色んな姿を見せてくれて、姫路どころか兵庫・関西・日本を
代表するお城である貫禄が窺えます。
滅多に見れない雪化粧の姫路城も素晴らしいですが、定番な春の桜に
埋もれる姫路城はやはり感動しますね。
真っ青な澄み切った空の下、満開の桜並木の中に天守閣が聳え立つ
姿は『天下の白鷺城』って思います。表現がイマイチだけど…。
姫路の市街地にも『城下町』であった名残があって、市街地の用水路に
一部『堀』のような感じの創りが見られたり、一般道の中にサーキットで言う
『シケイン』のような道があって、両側が石垣や壁で覆われた、昔は
お城に入る為の門だったと言われる場所も残ってます。
勿論、大手門も残ってますし、姫路城とJR姫路駅を結ぶメインストリートは
『大手前通り』と呼ばれてます。

で…無理やり?鉄道の話にもっていってしまいますが、そんな姫路の街に
『のぞみ』号を全て停車させて欲しいのが想い深いですね(笑)
数年前は、姫路発着の朝晩限定の『ひかり』『のぞみ』があるのに、
新大阪での連絡の関係上、『ひかりレールスター』が半分近く
姫路を通過してました。
今では『ひかり』は全て停車し『のぞみ』も岡山・広島行は全て停車
するようになりました。しかしながら博多行(N700・700・500系)は
殆ど通過します。まず、定期便でN700・500系が姫路を停車している
のを、見たことがありません。臨時の『ひかり』で500系が停まるのを
見ましたが。
3月後半からは、通常のぞみ停車駅ではない西明石が起点のビジネス用
『のぞみ』の運転も始まるし、阪神・播磨の新幹線停車駅は活気を取り戻して
いってるような感じもします。

あと、これも無謀な話ですが、網干(あぼし)に鷹取工場の機能を持った
大規模の車両所もあるんで、北陸方面行の『サンダーバード』も朝・夕の
数本を姫路まで運転して欲しいです。欲を言うなら、どちらよりか
忘れましたが3両の増結分?を網干か姫路で切り離して赤穂線の播州赤穂か
山陽線の上郡まで。播州赤穂も新快速が1時間に1本走るようになってから
街が活性化して京阪神のベッドタウンになってますからね。
そして、歴史の街としても有名で『忠臣蔵』と縁深く、観光客も
多いです。そして、岡山・広島方面行電車との連絡駅としても。
上郡も智頭急行と連絡してるし、宮本武蔵に因んだ観光地へのお客さんも
いるのは確かです。
そんなこんなで電車特急(サンダーバード)の延伸も密かに想ってます。
昔は日に1本『スーパー雷鳥』が神戸まで走ってたのに…。

そういうと…地元の新聞に載ってましたが、485系『雷鳥』は
完全消滅の予定だそうですね。新車を作るらしいですね。
常磐線みたいに定期特急電車が全て変わってしまうのかな?

投稿: ナベちゃん | 2008年1月25日 (金) 11時19分

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