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2008年1月

2008年1月31日 (木)

産業観光推進セミナー

080130_132353 今日は金沢商工会議所が主催する、「産業観光セミナー」に出席した。
産業観光とは、人間が築き上げた歴史的・文化的な価値のある産業文化財(産業遺構)や工場・産業製品、コンテンツなどのソフト資源を観光資源として、それらの価値・面白さに触れることで、人的交流を促進するもの、と定義されてます。
むつかしいこと言ったけど、つまり古い橋や工場、鉱山などの産業遺産を観光資産として価値を高めたり、現在まで引き継がれる伝統工芸などの見学ツアーを組むなど、単なる風景や古刹を見て回る観光とは一線を画す、新たな旅行需要の拡大につながる「ニューツーリズム」の一つなんです。
たとえば群馬の富岡製糸場や横濱赤煉瓦倉庫、千枚田の田植え体験、世界遺産になった石見銀山見学とか。
Img_31749s 石川には、歴史ある伝統工芸がたくさんあります。金沢金箔や九谷焼・加賀友禅などはいずれも体験ツアーがすでにあり、コンテンツの資産には事欠きません。
写真は旧陸軍兵器庫の「石川県歴史博物館」犀川大橋とともに、産業遺産の重要文化財・登録文化財になっています。
しかし、ただそこにあるものを見、体験するだけでは本当の産業観光たりえないようです。その観光資源を地域としてどうコーディネートするか、余暇休暇の価値観の新しいニーズにどう文化的に応えていくか。それらを新たなビジネスモデルとして捉えて、地元企業として僕らが出来ることを考えてほしい、協力していってほしい、というのが今回の趣旨のよう。そういったコーディネーターというか人材育成は、すでに兵庫や熊本では組織作りが行われている事例もでました。
これから団塊リタイヤーなど、新たな視点の観光需要が高まる傾向。埋もれてしまわず魅力ある地域であることを発信し続けるためにも、今日は勉強になりました。僕らにもなにかできることはあると思います。

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2008年1月30日 (水)

加賀藩・歴史文化護持協力会

Img_47125s 加賀藩には、前田家一族を含めた「加賀八家」という家老の重臣たちがいる。彼らは江戸時代、藩内で1万石以上の知行を得、他藩の大名相当の石高だ。
もちろん現在のご子孫たちが金沢などにご健在だが、まだまだ未整理の藩政時代の資料などがたくさん眠っているという。それら加賀藩の知られざる歴史や文化などの発掘に向けて、「加賀藩・歴史文化護持協力会」がみなさんの手で設立された。
27日に開かれた設立総会と記念座談会で、前田家18代当主前田利祐氏を迎え、八家の現当主、本多政光(15代)長昭連(34代)村井長和(16代)前田直大(14代)横山隆昭(16代)の各氏が出席した。
080130_131823 初年度の事業として、初代藩主前田利家が、佐々成政・不破光治の三人で越前府中に10万石を織田信長から与えられ、大名として歩みだした際の記録である、「不破家文書」を調査することに決めた。
村井氏は「東京で保管していた古文書が戦災で燃えてしまい、残念な思いをしている」と、古文書の収集と解読の重要性、家を継ぐご苦労を語った。(北國新聞1月28日既報)
Img_70184s 復刻した金沢城の絵図も、県内の高校で教材として活用してもらうため、100枚が寄贈された。
1万石以上の重臣が、他にも数家あった金沢城下、彼らの複数の屋敷がミニ城下町を形成し、全国でも珍しい「複合城下町」だった金沢。この点も世界遺産としてオンリーワンの価値をアピールする要素だ。
この機関がいままで不確かだった事実を掘り起こして、より魅力的だった金沢の歴史を紐解いてくれるだろう。しかし百年事業に近い仕事、生きてるうちにどこまで解明するだろう?

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2008年1月29日 (火)

「ふるさと探査2014年」

Img_69076s 地元の北國新聞の1面のコラム「ふるさと探査2014年」がいよいよ佳境に入ってきたよ!
2014年、北陸新幹線、金沢開通を前に、さまざまな問題提起をタイムマシンに乗って探検する、SFチックなおもしろいコラム。今金沢で盛り上がってるよ。
たとえばストロー現象。東京まで2時間半、乗り換えなしで着くのはいいけど、東京から観光客が来るだけじゃなく、北陸から買い物客が都会へ流出するんじゃないかと問題になってる。
長野・新潟・富山など、新幹線が通じることによって、それらの地方間のつながりは?とか、上越新幹線と北陸新幹線の互換性とか。東京-大宮間の線路容量に限界があるから、上越新幹線が高崎始発になるとかならないとか・・。まぁいろいろ。
新幹線車両も、今の長野(行)新幹線で使用されてるE2系は30パーミルの急勾配に耐えられるし、50/60Hzの両周波数に安定した性能を出せるからと、使用車両の候補になってるけど、
Img_33090s いままで上越新幹線経由だった北陸の利用者がなだれ込むから、E4系のような二階建て車両でないと対応できないのでは、と思う。やはり新型車両をぜひとも開発してほしい!
また、初のJR東日本・西日本を通じての新幹線、途中の境界駅「上越」駅で乗務員交代のため速達タイプでも必ず停車する? ってことも、物議を呼んでる。
それから列車の名前。僕は当然長野新幹線開通で消えた「白山」、つまり「はくさん」にしてほしい。
Img_60973s コラムでも推してるし、必ずしも一般公募せずに決めることもあると。今の新幹線は大概、在来線時代の列車名を引き継いでるから、公募しても無難にきまると思うけどね。
写真は夏に撮ったけど、今では高架の新幹線路盤は富山県境まですべて繋がった。線路は引くのに1年半かかるそうだし、試験運転も重ねなきゃいけないから、今から5年かからず線路工事が始まるだろう。
Img_60920s カメラを右に振ったら金沢駅だ。在来線ホームの上は今は駐車場になってる。その右側、西口はJRのホテルだ。新幹線ホームや上屋はもちろんまだ造っていない。でもそのスペースは工事を今や遅しと口を開けて待ってる。
正面の金沢フォーラス(ジャスコ系)は、富山・福井の女性たちをも大勢呼び込む恐るべきファッションビルだ。新幹線が通じたら、その人たちはやはり東京へなだれ込むのだろうか。
いずれにしても、2014年度末まであとちょうど7年!今から待ち遠しい!

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2008年1月28日 (月)

雪景色がなつかしい?

Img_76735s 日曜の昼まで、しんしんと雪模様だった。朝久しぶりに雪かきしたよ。10センチくらいだったか。車もうずもれて、今日一日こんなだったら、月曜早朝会議の早起きに、掘り出すのがたいへんだなと思ってた。
したら、昼から陽が射してきて、道路の雪も全く溶けてしまった。ホントに市民生活するには楽になったもんだw。
だけど、金曜の夜など、凍結の心配もあってちょっとのろのろ運転。皆さん暖冬になれちゃって、あちこちでスリップ事故が相次いだって。スタッドレスでゆっくり走れば問題ないはずだが、雪なしのクセついてついスピード出したりして気がゆるんじゃうんだろうね。
今週も雪マークがあるから、しばらくは気が抜けないね。

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2008年1月27日 (日)

江戸堪能 4銀座から日本橋懐古

Img_76069s 銀座へやってきたよ。今日は歩行者天国。中央通りのど真ん中を歩いていこう。
朝、日本橋を探訪したけど、N氏も見たいってことで、神田の集合場所までずっとブラブラ歩くことにした。銀座は会社の事務所があるから、僕のほうが詳しいぞ。この交差点を右に行ったら歌舞伎座だ。
ホコテンでは、どの放送局かわからんが、あちこちで街頭インタビューしてたよ。
Img_76073s なにやら人だかりがあると思ったら、猫にゃんだ! タオルが敷いてあるから、だれかわざと置いたな! 皆で写メ撮ってる。もう猫となると見境ない人が多いからな~。



Img_76076s TIFFANYだ。BVLGARIもそうだが、でかいビルごとまるまるブランドショップが多い。もちろん金沢の比じゃない。
かと言えば、木村屋アンパン、とか山野楽器、御木本など老舗も多い。けどどの店に入るでもなく単にブラブラしてるたけだけどww。

Img_76083s もう日本橋にやってきた。橋そのものは前回でしたから、三越前の工事現場の防護壁に、日本橋界隈の古い写真が印刷されていたのを紹介。
今日本橋周辺の景観復元を盛んにアピール。確かに味気ない高速高架橋がなくなれば、こんな都心のランドマークはすごく魅力ある場所になるだろう。昔も「日本橋まつり」とかやってたみたいだよ。
Img_76085s 昭和28年、日本橋まつり当日。ふとんの西川・東海銀行・野村證券がみえる。ボンネットバスとかも懐かしいね。
人通りが今より多く感じるのは、昔は徒歩移動が格段に多かったんだろうね、地下鉄とかも少なかったし。
つらつら古い写真をみてると、そうそうN氏は「三丁目の夕日」のシーン懐古でここを見たいと言ったんだっけ。新しいいわゆるインテリジェントビルとかもいいんだけど、場所によっては一昔前の景観が相応しいところ、ってのもあるよね。ここもまさにそうかもね。

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2008年1月26日 (土)

江戸堪能 3江戸の中の金沢

Img_76060s 秋葉原でN氏に会って、有楽町の老舗カレー屋でお昼を食べることにする。有楽町、へ行くのなら以前から行きたかったあそこへちょっと寄ろうよ。
たしか日比谷通りをすぐ、東宝ツインタワー1階・・あれ、ないなぁ? ぐるっと回ると・・あっ、あった、あれだ。「加賀・能登金沢 江戸本店」 石川県のアンテナショップ、物産館だよ。
話には聞いていたけどこんな裏側では、目立たないことこの上ない。銀座から八重洲・日本橋界隈には、各都道府県のアンテナショップが散在している。岩手県のは表通りで広かったなぁ。
Img_76064s ここは以前と業態を若干変えて再オープン。冷蔵食品も扱いを渋っていたけど、今は売っている。ズワイガニ・甘エビ・かぶらずしなど、石川の名産は冷蔵の必要のあるものが多い、これらを外しちゃ価値がない。
さりげにN氏にも登場願ったw。石川の物産で思いつくのは何でしょうか? 九谷焼・輪島塗・加賀友禅・和菓子・加賀人形?
Img_76065s 能登杜氏が造る酒?灘の生一本は能登杜氏の手によるものが多いですよ。そうそう、能登の地震では今でも、神戸の方との交流が多いです。先日もイベントで被災者同士の協力として多くの方が来てくださいました。
店内は、金沢から来たのを告げて、お願いして撮らせてもらってる。あまり広くないスペースに所狭しと並べてある。和菓子はたくさんメーカーがあるのだが、やはり一部しか置けてないようだ。協賛するメーカーも限られてるようだし。
Img_76066s ここのレジシステムを、実は会社の外注SE、S氏が開発してた。店舗はPC慣れてない人ばかりで、悪戦苦闘してたみたい。会計のとき、まじまじ見させてもらったけど、頑張って使ってね、ってとこか。
裏通りでつらいとこだが、なんとか売上伸ばしてほしい。こうやって紹介しますから・・。今は既に書いたとおり、冬の食材のシーズンだから、ぜひみなさん寄ってみてください。
さて、これから逢う人たちのお土産を買って、銀ブラでもしますか!

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2008年1月25日 (金)

江戸堪能 2江戸城探訪

Img_75973s 日本橋から大手町を抜けて大手門から江戸城に入ろう。ところがその途中に、「将門塚」があった。平将門の首塚があったところで、ここに元々神田明神が建っていた。度々祟りを為した将門を鎮めるために手厚くここに祀られ、坂東の勇者であった彼を慕い今でもその祭りが絶えない。今日も既に、黒服の3人連れが献花焼香していた。何者なのか?
そしてお年寄りたちのフィールドワーカーがここにも。今から説明にはいるところのようだが、せまい場所に大勢居るので近寄りがたく、結局墓前?まで行けなかった。



Img_75976s さて江戸城大手門前に来ました。ここは「下馬」と呼ばれ、昔ならここで、大名や高級旗本などの「乗輿以上」の者以外は下馬せねばならず、供の人数も制限されました。ここで主君の帰りを待つ家臣たちの間で、幕府内での出世についていろいろ噂してたことから「下馬評」という言葉が生まれました。
ここからさらに、二の丸に入るところで皇居東御苑となり、受付で入場札をもらいます。
Img_75992s さらに本丸に向けて入る門に、「本丸中之門」があり、その石垣の修復工事が1年前に終わり、詳細な解体・新発見の内容が説明板に書かれています。江戸時代中でも、何度も修復されていて、そのときの刻銘が石垣に彫られていました。石垣は永い年月の果てひび割れたりずれたりします。江戸城の中でも最大級の石が使われ「布積み」という技法で積まれていました。
Img_75997s 汐見坂から白鳥堀を望みます。江戸城は現在は巨大な史跡公園と言えましょうが、その外延部は取り巻くように高層ビルが林立します。そのアンバランスさは東京ならではでしょう。
いよいよ本丸に入ります。


Img_76002s 本丸内の休憩所で、グッズを買い、古いパネルを見ました。江戸城の昔の写真とほぼ現在の写真。昔と言っても江戸城無血開城後のはずで、櫓や建物、道などが荒廃している様子が窺えます。これは攻められたというより、当時幕府自体その修繕まで手が回っていないということを指すようです。
買ったグッズは写真ハガキや地図、菊の御紋章の根付など。菊御紋はハンカチ、キーホルダーなど、お土産グッズの何にでも使われ、所有権はないの?というくらいあけひろげでした。実際グッズ個々の値段もわりと安かったですしね。
Img_76005s 室内には、「大嘗宮」の模型もありました。「大嘗宮」とは、皇位継承の際に行われる「大嘗祭」のため、普段芝生だけの東御苑の敷地にそのたきだけ設営される建物群です。平成2年のときの再現ですが、覚えている方もいるでしょうか。


Img_76018s 本丸南西端の「富士見櫓」です。江戸城には、たしか18の櫓があったのですが、現在はあと「伏見櫓」「桜田櫓」の計3基が残っており、うち三層なのはこの「富士見櫓」だけです。他の2基は外側から見え美しいのですが、この富士見櫓は普段はこのように裏側からしか見られません。なぜならこの向こうは宮内庁だからです。しかも柵があって近づけません。
Img_76021s 松の大廊下跡です。このあたりで例の事件はあったわけですが、今は名のとおり松が植えられています。松の廊下とは、その襖絵に松が描かれていたからですが、廊下に並んで控の間があり、大廊下上・下とは御三家や前田家など将軍家ゆかりの大名が控える、格の高い殿席でした。その目の前で事は起こったわけですな。
Img_76037s 天守台まで来ました。江戸城の天守は慶長・元和・寛永と三期に亘って築かれ、その都度火災で焼失しました。五層の天守は天守台含め高さ59m、一階の床面積は1270㎡。姫路城の高さ1.2倍、面積2.3倍の史上最大の天守でした。写真の今残っているものは、四代目を建てようとした万治天守台で、加賀藩前田家が築きましたが、家光の弟、将軍補佐役の保科正之の進言で天守の再建は中止され、以来350年、このままの姿をさらしています。
Img_76052s さて、ようやく城外へでて、受け付けで札を返します。そこでスタンプをもらえるかと思ったら、スタンプ帳に「○○案内所」とあり、愕然としました。日本百名城のスタンプ帳を埋めるべく、今回来たようなものでしたが、スタンプおいてある案内所は、北の丸・和田倉・楠像と、皆今ならほぼ城外のような位置。ここからさらに武道館前の北の丸案内所まで500m以上歩いて疲れました。やっと室内で見つけて、丁寧に押したらまた愕然!スタンプに貼ってあるシールと上下さかさまじゃぁあ~りませんか!!
疲れがドッと出ましたが、急いで田安門出て九段下から岩本町へ行かねばなりません!既に4キロ以上歩いてヘロヘロですw。

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2008年1月24日 (木)

江戸堪能 1日本橋探訪

Img_75933s 週末、また上京しましたが、今回は結構歩きました。日中も時間が取れたので、日本橋周辺と江戸城を散策。7㎞以上は歩いたかなぁ。
宿は今回初めて、APAホテルの日本橋駅前。例の耐震偽造の対象物だったところだ。最上階の15階に大浴場があり、そのため浴場は休業と聞いていたが、修築の結果今は100%回復して営業している。露天風呂つきの大浴場も入ってきた。大阪肥後橋でもそうだったが、広い浴槽でゆったりできるビジネスホテルは他に無い。APAホテルのサービスはやはり誇ってもいいと思う。スキャンダルに負けず、まだまだ新規オープンもしているようだし、ぜひ利用してみてほしい。ただ、部屋に置いてある、社長夫婦賛美のあの雑誌はどうもならんなw。
写真は東京駅の「グラントウキョウ ノースタワー」。あの大丸の入ったビルだ。夕方弁当を買いにデパ地下に行ったが、すんごい人の波。食材も充実してるが、都会の価格はあれが当たり前なんでしょうね。
Img_75949s 翌朝は待望の「日本橋」へ。日本の道路の基点である、「日本国道路元標」(戦前までの法律)が置かれていた、地図マニアにはやはり聖地の一つである。
現在は東京オリンピックのため完成が急がれた「首都高速」の高架橋が空を覆い、往時の面影はなし。都市景観の回復の構想のもと、首都高の地下化による景観復元のプランもあるが、5000億ともいわれる試算のため、石原都知事は反対してるみたいだ。
Img_75954s 橋の北東の袂には、魚河岸発祥の碑があった。江戸幕府開闢から関東大震災まで、ここに魚河岸が開かれ、たいへんな賑わいを見せていた。「なんのその日に千両は朝のうち」とも謳われた様子は、江戸検定にも当然題材となる。
ここの背中に実は大勢の学生たちと引率の先生が居た。これから都内をフィールドワークする雰囲気だが、今日はそういう団体に多く出くわすことになる。
Img_75961s 1972年まで、橋の中央に据えられていた「東京市道路元標」のポールなど、数々の記念物である。橋自身とともに1999年に国の重要文化財に指定された。




Img_75963s 橋の四隅と欄干中央には、1911年架橋のルネサンス様式の二連アーチ橋、19代日本橋に相応しい、獅子とドラゴンの彫刻がある。四隅の親柱の銘板には、「日本橋」と「にほんはし」の文字があるが、これは最後の将軍「徳川慶喜」の揮毫による。
みっちり堪能して、いざ江戸城に向かう。




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2008年1月18日 (金)

大阪出張行ってきました2

R08011705 ホテルは10月に出来たばかりの、いろいろお騒がせした我が石川のAPAホテル〈大阪肥後橋駅前〉に泊まりました。30階建ての23階の部屋から見える中ノ島は、時間があったらぜひ寄りたいとこでしたが、まぁいずれかの機会で。
APAホテルは中に大浴場があってくつろげる異色のホテルです。耐震偽装で心配がありましたが、逆にその後なら大丈夫でしょう。部屋のトータルサービスもよく、歩いて事務所にいけるので、次回があったらまた泊まりたいですね。
R08011709 キーボードを買いに2年ぶりくらいに日本橋(にっぽんばし)に寄りましたが、ソフマップとかかつてあったショップが軒並み移転や無くなってたので、戸惑いもありましたが、アキバの中央通りほどヲタク化してなかったのでホッとしました(ゲーマーズやとらのあななどは相変わらずでしたが)。アキバも最近は行ってもヨドバシくらいになってしまいましたが、梅田のヨドバシ周辺は今、再開発がピーク!大阪駅もコンコースが新しくなっていてビックリ。壁面に描かれていたサンダーバードが止まる旧13番ホームも今はなく、9番ホームの岡山寄りに止まるという変則入線。
R08011712 日中かすかに雪も降った大阪でしたが、ビル風も強く、わりと体感も寒く感じました。昼間の湖西線の人身事故の影響も晩にはなくなり、ほぼ定時で金沢へ帰着しましたが、明日には業界で問題になってる事件の対処にも追われることと思います。やれやれw。





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2008年1月17日 (木)

大阪出張行ってきました1

080116_122334 大阪出張行ってきました。1年半前、大阪事務所開設に行って以来。事務所のPCのケアが主目的です。
セキュリティの整った、SOHOと貸店舗用との複合ビル。その貸店舗スペースにビルが建ってまもないときに入居しました。だから内装は全く無く、全面コンクリート打ちっぱなし。コンセントに電気も来てませんでした。
その後一人で常駐の同僚が、エアコンなど設置してもらったら、コンクリむき出しの床ホコリが舞って大変だったようですw。
080116_122354 なんとか最低限の内装入れて、一人で一年半、頑張ってもらってます。しかしPCも、中の整理をしない彼にされるがまま、キーボード壊れたとか、メールが動かないというので、電話でももどかしく、行って整理して、リモートできる設定して帰ってきました。こういうのもadministratorの仕事ですな。
写真は彼に連れて行ってもらった南海の「なんばPARKS」南海ホークス メモリアルギャラリー。大阪球場のあった野球界に由緒ある場所も、いまや六本木ヒルズみたいな立派な複合商業施設に生まれ変わってます。
080116_122745 しかし平日の昼間、レストラン以外は人影もまばら。大阪の景気はいまひとつのようです。近鉄も球団を離して、華やかさも消えてしまいました。大阪に在った2球団はいまやなく、天王寺公園にドームが出来てればなぁ、と南海電車を見ながら今更ながらにしみじみ思いますね・・。















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2008年1月16日 (水)

「坊ちゃん」途中で止まってる。

先日の休みに読んだマンガで、江川達也「坊ちゃん」がある。これは例の無料配布コミック雑誌「コミック・ガンボ」で連載されていたものだが、残念ながら昨年末に廃刊になった。
当然連載は読んでいないが、気になって単行本2巻分を年末に手に取った。そして驚いた! 江川達也は「坊ちゃん」を、明治の「サムライ」と捉まえていたのである!!
士農工商から四民平等、国民皆兵になって日本人すべてがサムライになったのに、西洋の悪しき風習が入り込みサムライとしての自覚が育たなくなり、卑しい人間が溢れ始めた。文豪夏目漱石はその堕落と無知蒙昧な日本人の心に啓蒙するためこの作品を文学の士として作り出した、という。
「坊ちゃん」はいままでに何度も映像化され、なんだかのんきな野郎としか印象なかったが、確かに漱石の文体を被せながらひとコマひとコマ、マンガ原稿の上に無鉄砲に、乱暴に、眉間にしわ寄せながら暴れまわる「坊ちゃん」を見せられると、なんだこういう男だったんだ、としか思えなくなってくる。
しかし巻末で、漱石の孫でもあるマンガコラムニストの夏目房之介氏との対談では、夏目氏は"坊ちゃん"は武ではなくあくまで儒教的な士(サムライ)だと言う。
いずれにしろ江川氏独特のストーリー回しで、漱石の表現どおりのキャラクター(赤シャツやうらなり、山嵐など)と緻密に再現された明治の松山の街で繰り広げられる「坊ちゃん」。キャラクター表にもある[マドンナ]がどんなふうに登場するのかわくわく!! と思いきや、姿を見せる前に休刊とはこれいかに(-_-;)
ガンボを発刊していた株式会社デジマは、HPこそ残っているものの、ガンボ関係のページを削除し、この途中になった作品の行方は遥として知れず。どこかで続きを発表してくれ~!!

坊っちゃん 1 (1) (ガンボコミックス 1)

坊っちゃん 1 (1) (ガンボコミックス 1)

著者:夏目 漱石

坊っちゃん 1 (1) (ガンボコミックス 1)

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2008年1月15日 (火)

今日の犀川

Img_74681s 今日の家の前です。白いものが残る、っていう程度ですね。この冬ずっとこうでしょうか。気温は確かに低くなって、最高でも3度のようですが、部屋に居る分には苦になりません。
写真の山はこの犀川の上流、いわゆる犀奥の山々といいますが、去年は結局チャレンジできませんでした。高三郎山(1445m)はこの一年、はるかに遠く感じましたね。[室堂からの立山]よりかなりに難しい山です。今年は・・・ゆっくり考えますw。

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2008年1月14日 (月)

左義長は今日ですか?

Img_74662s 今日は左義長 です。いわゆる「どんど焼き」?あなたの地方ではどう呼ばれてますかね。1月15日に地元の各神社で行われていたこれも、成人の日が月曜になってからその日になったりまちまちのようで困りますね。Wikiで調べたら江戸じゃ火事のタネとして廃れたとか。今はダイオキシンのため混ぜ物に神経質になってますね。正月の注連飾りなど、普通に捨てるわけにはいきませんから、左義長はなくなってもらうとたいへんですw。
それに、ここ金沢では、写真のように鏡餅の上の餅は赤いのです。子供のころからそれが当たり前だと思ってましたが、他の地方では全くなく、金沢独自のようですね。最近はサトウ食品越後製菓 でパックの鏡餅が売ってますが(中に小さな丸もちがたくさん入ってる)、金沢ではちゃんと上を赤く染めています。これはわざわざ金沢だけのために製造しているとか!一部だけどこかへ僅かに供給してるみたいですが、地方地方の風習は、なにも正月だけに限りませんが、尊重しなきゃいけない企業側も大変ですね。

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2008年1月13日 (日)

正月の金沢城の写真でスマン

Img_72891s ここのところ仕事も忙しく、やっと週末になったけど土曜は昼すぎ仕事から帰ってきたら、バタンと寝てしまった。日曜少し楽になったら、ようやく雪がちらついてきた。外に出る気も起こらないけど、今京都では女子駅伝。テレビ見ながらブログでも書きましょう。
写真は元旦に金沢城へ行った際に撮った、橋爪門の注連飾り。江戸時代の形を復元した。浮世絵師の巌如春(いわおじょしゅん)が描いた「加賀藩儀式風俗図絵 元旦登城」を参考にした「数の子飾り」というもの。長さは5.4mあり、金沢のワラ工芸師 松木長俊氏(90歳)が作成した。



Img_72900s 正月過ぎてから、出歩く天気も時間も金も都合とれないが、週明けると急遽大阪出張も決まった。来週末までまた時間取れないし、気になってる部分で医者にも行けない。
ちょっと投げやりな記事ですいません。元旦の金沢城でもどうぞw。コツコツとデータ整理でもしてます。

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2008年1月11日 (金)

久しぶりのマンガネタ!

久しぶりに漫画ネタを。年末年始に、ずっと読めなくて積ん読状態だったマンガを、読むはずだったのに外出ばかりで、結局今やっと読んだ、高橋留美子の「1ポンドの福音」。ヤングサンデー創刊の頃から不定期に連載していたこの作品も、2007年3月に最終4巻目でピリオド。連載は2006年11月に最後の5話が掲載されたけど、やっと長く続いたエンドレスの話も終わるときが来た。
「うる星やつら」「めぞん一刻」「らんま1/2」と、サンデーやスピリッツ本誌で長期連載を続けていた本道とは別の、「人魚シリーズ」「高橋留美子劇場」など短期集中連載のサブルートにあたるこの作品は、長期連載にはない普遍的で軽やかなストーリー展開が独特で好感が持てていた。
若い見習いシスターを慕う、減量下手のしがないボクサーとの交流は、主人公がパッとしないからこそ永く読者に受け入れられていたのかも知れない。しかし何気に最後は勝ってしまう。いや勝敗はむしろどうでもよく、シスターへの各話一環したストレートな想いが、物語の最後には結実したのだろう。
そういう最終回は、別に見せられなくても、ずっとエンドレスに続いてくれてもよかったと思うが、この最後の5話は単行本の尺あわせと、"作者が区切りをつけるため"みたいに、久しぶりに、また唐突に連載されたものだった。絵柄がかなりラフに見えるのと、初期の1巻と比べると年を経ているので作風が違って見えることから、若干の批判もそこかしこに見える。
この「1ポンドの福音」は、日本テレビで12日(土)から連続ドラマが始まる。黒木メイサ亀梨和也が主演だ。ドラマ自体にはあまり期待していないが、まぁ話のタネに見てみようとは思う。みなさんもゼヒ!

1ポンドの福音 Vol.4 (4) (ヤングサンデーコミックス)

1ポンドの福音 Vol.4 (4) (ヤングサンデーコミックス)

著者:高橋 留美子

1ポンドの福音 Vol.4 (4) (ヤングサンデーコミックス)

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2008年1月 8日 (火)

「カブラ寿司」に「鱒寿司」?

Kaburasushi 農林水産省が先月発表した、「農山漁村の郷土料理百選」に、石川から「カブラ寿司」「治部煮(じぶに)」、富山から「鱒寿司」「ぶり大根」が選ばれた。全都道府県から候補の上がった1650料理から、選定委員とネット投票によって選出された。
選定候補の数も、実はこの北陸は際立って多く、石川は[いしる料理][こんかいわし][ころ柿]など59品目、富山は[ホタルイカ料理][昆布じめ]など72品目に票が入った。他県が30前後なので、北陸の多彩な食文化を現していると言えよう。
この選定に、地元関連企業などは一様に歓迎ムードで、はやりの地域ブランドと相まって、北陸新幹線開業に向けて全国へのアピールの一つとしたい、としている。
しかし、ここにちょっと問題がある。農林水産省が発表した品目が、実は地元で販売しているものと表記があまり合ってないのだ。
石川の「カブラ寿司」は、江戸前の握りのような[はやずし]のことではなく、昔からの[なれずし]。つまり蕪(かぶ)をスライスしてブリの切り身を挟み、米麹で漬け込む、一種の漬物だ。僕も大好物の、北陸の冬の食卓には欠かせない、独特の匂いと味は他県の人にはとっつきにくいらしいw。ところがこれを販売している業者では「かぶら寿し」「かぶらずし」などと表記し、統一したわけではないが、読みやすさ・親しみやすさからそうなったようで、江戸時代から慣れ親しまれてきた食品としては、「カブラ寿司」では違うものや何だか味気ない、との声も出ている。
富山の「鱒寿司」も、これはれっきとした「はやずし」の押し寿司だが、地元の表記は「ます寿し」や「鱒の寿し」「ますのすし」などである。10社以上の林立する製造者があるが、一社たりとて「鱒寿司」はない。
なぜそうなったか、農政局は、県から挙がった名称に深く考えず採用したというが、2月のパンフなど正式文書化にするまえに、ぜひ見直してもらいたいものです。
ちなみに、茨城では「あんこう料理」「そぼろ納豆」。埼玉は「冷汁うどん」「いが饅頭」。千葉で「太巻き寿司」「イワシのごま漬け」だって。どれも知らないなぁ?ww。

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2008年1月 7日 (月)

金貨また落札しちゃいました☆

Img_64296s 財務省の近代金貨ネットオークションの第6回が始まり、この正月にまた競り落としてしまいました。
明治4年の「新貨条例」による、いわゆる旧金貨をどうしてもほしくて、かといって先日は新10円でもそれなりの額がしました。今出せるとしても旧1円くらいだろうと、とりあえず中を覗くと、参考価格の2/3くらいで落札締め切り時間が迫っていました。思わず若干の上乗せをして入札。前回の新10円の時のようにさらなる自動上乗せがなく、そのまま落札!
あまり本気ともとれなくあっけなく落札してしまいました。今金地金なども高騰してるのに世間は無関心なのか、第6回でかなり財務省も放出して、古銭商も持て余し気味なのか、参考価格よりどれも低調です。みなさん、資産を価値あるものに換えるなら今がチャンスですよ! っと言ってももう参加申込は締め切っていますw。
でも僕のような僅かの額で多くを集めたいコレクターでは、たかが知れです。旧1円は、貨幣切り替えで1両に相当するものの、直径13.51mm、1.67gのうち金90%という小さなもの。
それでも明治3年旧20円極美品、直径35.06mm、33.33gは参考価格を大きく上回る、6,010,000円で落札されてました。超ビックリ!持ってる人は持ってるんですね~。
このまま第6回は14日で終了、引き続き19日から2月3日まで第7回が開催され、これで財務省の放出は完了します。見てるだけでも面白い残り少ないオークションを楽しんで見ます。

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2008年1月 6日 (日)

正月のトウキョウ3 その他

Img_73163s なんだかんだ言って東京レポートの多くなってる当ブログですw。浅草では、夕方になったので入らなかったけどNさんのたっての願いで「花やしき」前まで来ました。せまい密集した場所で、ホントにアトラクションのたくさんある遊園地が現実に成立するのかって。してましたw。正月ってこともあり、客もいっぱい入ってましたね。入場口のショップでいろいろ物色してたら、東京物でない東京みやげがちらほらと。草加せんべいとか。金箔フレークはやはり金沢製だったw。
Img_73195s 都内某所へ。ちょうど時間どおり着きましたよ。いろいろお年玉というかおみやげも持って行きました。
正月だから人少ないかと思ったけど、僕らが居なくてもまずまずだっかな。しかしいつも思うけど金属の椅子はどうにかならんのか?冷たくてたまらん。

Img_73927s_2 翌日の都内某所パート2。といっても新宿というのは判るね。天気がよくて絶好の日和でした。
向こうに見える工事中のビルは、東京モード学園のコクーンタワー。繭のような姿の特徴的なビルだ。203m。10月完成、来年開校で学校法人としては日本一の高さとなる。また新宿の名物がひとつ増えそうだ。
せっかく来たので、都庁を久しぶりに登ってみたかったが、次の機会にしよう。しかし今回もまた疲れた旅行だった。







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2008年1月 5日 (土)

正月のトウキョウ2 浅草寺初詣

Img_73083s  そのあと急いで待ち合わせの浅草へ。皆の便がいいので「つくばEX」の浅草駅で待ち合わせ。浅草六区が近いここは浅草の中でも演芸の街だ。地下駅のコンコースには往時を偲ぶ写真なぞが壁面に。この時代の浅草にぜひ行ってみたかったものだ。

Img_73081s_2 地図好きにはすぐ地図に眼がいってしまう。真上から見た現在の浅草だが、建物は鳥瞰図のように斜めに、また色合いも朱を基調に、昔の江戸図にも似せた趣の有る作りになって面白い。
あとでわかるが、ここからA1出口、さらに右折で浅草寺、と張り紙や立看板で案内がされていたが、それだけでは参詣できないカラクリがあるのだ。
Img_73090s 約1名遅れたものの、そぞろ歩きで浅草を堪能。早速「浅草演芸ホール」前でハマった。正月初席で「木久扇・正蔵・円蔵・きみまろ・馬風・円歌」など錚々たるメンバーが顔を連ねている。よくNHKとかでも元旦にこの前から放送あるよね。
このまままっすぐ浅草寺に向かい、五重塔脇から入ろうとしたら、参詣の方は雷門から回ってください、と警察のつれない拡声器の声が。確かに境内の通路は果てしない行列の波が横からでもよく見える。だったらもっと早い段階で道案内しないと、一般客にはわかりにくいよ。
Img_73112s んでぐるっと南にまわって、雷門に来ました。なになに、本堂まで340m?ここから何時間かかるだろう。
今年は戦後、浅草寺本堂再建から50周年。10月には記念開帳もあるようで、初詣客も多くが見込まれてる。NHKのゆく年くる年でも取り上げられてたし、ハンパな人じゃないようだ。
Img_73127s 仲見世通りは超満員。時折、通路を横切らせるために、行列は一時停止を余儀なくされる。しかしこの状態で、店で販売できるのか?真ん中の人は買いたくても買えないだろうし。でもSさんは人形焼半額セールをゲットしてた。
僕は以前ここに来たのは、夜行で早く来て時間をもてあましてた午前7時で、もちろん仲見世は全部シャッター。人の全く居ない浅草寺を一人参ったのを覚えてる。
Img_73140s 季節は忘れたけど、もちろん初詣ではない。やっとここまで来たけどでも案外1時間ほどで済んだ。本堂の中に入るのに規制で区切られるけど、しかしイザ入ったら、周りに押されてギュウギュウだ。かろうじて賽銭入れスペースを発見して100円を投げ入れる。だが祈っているヒマはない。左のお守り販売所へ向け、左への流れに乗ってようやく脱出。
Img_73159s ゆっくり味わうことはできなかったが、なんとかお守りも買って当初の目的も果たした。
あとはみんなでお好み焼きだ~。幹事さんよろしく!!




Img_73170s しかしそこの場所も迷った。アーケードをぐるぐる回るハメに。だけど浅草のいろんなウインドショップも楽しめたので却ってよかった。あそこへ行くまでの時間は充分あったし。
初めてお好み焼きの食べ放題を経験したが、小さめだったけどそんなには食べられないね。焼きそば一人頭半分にしたのは正解だったね。途中火が強すぎて、煙がひどく目がやられたせいか、今でも目が充血してるって。 でもおいしかったし、とても楽しかった! また来年しますか?

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2008年1月 4日 (金)

正月のトウキョウ1 一般参賀

Img_72936s 正月三が日はいかがお過ごしだったでしょうか。僕は昨年に引き続き、関東の友人たちと新年会+αのために、2日・3日と上京してました。2日は浅草寺に皆で初詣。その前に午前に東京駅に着いたので、思い立って皇居へ新年一般参賀に行きました。
いつかは行ってみたい、とかねがね思ってたのでいい機会に恵まれました。
朝は薄暗い小雪交じりの冷たい金沢を出たのに、この東京の抜けるような青空はどうですか?おなじ日本と思えないくらいです。
皇居外苑から大勢の警官が取り仕切り、カバンと身体検査、2箇所のゲートを物々しくくぐって、ようやく正門から二重橋へ。皇居の中は初めて入りました。二重橋から伏見櫓などもみなさん立ち止まって記念撮影とかしちゃってますが、ぞろぞろと大勢の入場者が澱みなく通れるよう、警察は立ち止まらぬようさかんに声を掛けてます。
Img_72950s 皇居宮殿長和殿。入れ替えのわりと最初のほうに入れたので、ガラガラに見えますが、すでに正面のほうはかなりいっぱい。結局正面中ほどには陣取れました。10時10分から50分おきにお出ましになる、4回目にあたり、結果雅子様はいらっしゃいませんでした。3回で体調配慮で出ないということですが、ベランダに出るだけなのにそんなに疲れるでしょうか?
Img_72971s 20分ほど待っていよいよお出ましです。皇居に入る前に、どこかの団体からもらった日の丸を皆で振りかざします!ちょっと早いタイミングで誰かが「天皇陛下万歳!」を叫びましたが、誰も同調しません。多少皆、感嘆の声は出すものの、至って静かに紙の旗の振るカサカサという音だけが響きます。しかしこういったとき、背の低い者はホントに損です。精一杯腕を伸ばしてファインダー覗かずに撮影。
Img_72995s 幾分かして、お言葉を賜ります。「新年、あけましておめでとう。今年が、良い年でありますように」といった至って簡単な内容。
防弾ガラス越しでちょっと暗いですが、ご尊顔が見えるでしょうか?いつものように、陛下がお話の間、皇后陛下は天皇陛下を向いて僅かに頭を下げられる。
このあとまた手を振られて、まもなく退席されましたが、この間約4分。滞りなく僕らも退出です。
Img_73023s 帰りは坂下門、あるいは桔梗門から。外人もたくさん居たけど、中国人や韓国?人もいたのはどうか?単なる物見ならいいけど、反感もって来られる人も中には居そう? そうでなければうれしいですが。
門外にはなんだか関連グッズを売ってるブースもあって、なんだかなぁ。
たくさんの人だったけど、意外に人の流れは早かった。
Img_73046s 車両通行止めの内堀通りには、警視庁の白馬に乗った警官が。車のこない横断歩道でみんなに取り囲まれててたけど、「みなさん通りますから、立ち止まらないでくださいね」って言われても、そりゃあんたがかっこいいからムリだって、みんなに失笑されてた。

Img_73071s 東京駅では、2012年の完成に向けて、いよいよ丸の内駅舎の工事も始まっていた!左右のドームも寄棟式の2階から、創建時の3階丸ドームに復原されるし、耐震設備もバッチリとなる。
写真左のサピアタワーは、全国の大学の事務所なども入ったインテリジェントビル。右はグラントウキョウノースタワー。14階までが大丸でその上はオフィスフロア。
Tokyo Station Cityとして、2013年までにさまざまなビルや施設が開発される東京駅周辺は、新しい情報発信の「街」として生まれ変わる。

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2008年1月 1日 (火)

初詣に金沢中心部へ

Img_72834s 新年、明けましておめでとうございます。本年もよろしくおねがいします。
このブログを始めて3回目の正月ですが、この年末年始の寒波と言っておきながら、また金沢は積雪がありません。気温は低く多少白いものがありますが、雪かきするまでもなく、楽は楽ですけど心配な温暖化ですね。
そんな中例年どおり市内の神社へ初詣に。氏子になってる石川県社の「石浦神社」のあと、「石川護国神社」へ。ここは毎年夏になったら大東亜聖戦祭があって小林よしのり氏もやってくる。
Img_72858s その足でとなりの兼六園へ。年末年始の無料開放ということで、大晦日でも全国ニュースで出てた。例年のことだが観光客も多い。こうしてわずかでも雪があったら絵になるだろう、喜んでもらえたろうか。しかしなぜに冬なのに、より寒いところを求めるのか? 日本人の情緒を感じる性でしょうか。

Img_72867s 続いて金沢城公園へ。河北門の工事現場では、ブルーシートが敷かれ、冬の間はお休み続きとなろう。最近起工式があったばかりだが、こうなることはわかってたはずなのに・・。
工事の様子を見学できやすいようにと、一段高い見学ステージがスロープで用意され、車椅子でも登ることができる。石垣が組みあがってきたら、反対側にも木製スロープが築かれる予定だ。ここのところ、シート掛かったところしか見てないが、春になったら繁く通ってみたい。
Img_72880s 城内に入ったところで、陽が射してきて雲も晴れてきた。このあとまた小雪が降るのだが、城の撮影をしている間晴れていた。やはり恵まれているなぁ。
河北門復元の海鼠塀平瓦や壁板に記銘寄進募集のチラシが、いまさらのように管理事務所に置いてあったが、もっと告知しないと広まらないだろうに。開始早々ネット予約したけど音沙汰なし。今は予約募集段階で5月から申込手続開始。各5,000円なのでぜひみなさんも興味があったら石川県土木部公園緑地課へアクセスしてみてほしい。
Img_72905s 金沢城の石垣めぐり、「三十間長屋コース」が先日できたので通ってみた。写真の上から下ってきたのだが、昔はもともと通れたところ、整備中に通行止めだった。この左右の薪の丸コースが先に開通し、先日の現地説明会もここでしていた。
石垣の博物館、金沢城。この左下、玉泉院丸石垣の調査工事もいよいよ石垣の積みなおしがはじまった。県の体育館が4月に郊外にオープンすれば、玉泉院丸の旧体育館もいつ取り壊してもよくなる。そしていよいよ再整備のための発掘と、まだまだ金沢城は昔の姿を取り戻すために手入れが続きます。また他県のみなさんも是非お越し願いたいですね。

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