« 「地図力検定」受験! | トップページ | ニューGT-R発表! »

2007年10月22日 (月)

「富山城」の現在

Img_67271s 「地図力検定」の前に時間があったので会場隣の「富山城」公園に入った。仕事やプライベートで何度も訪れている富山だが、城をまじまじ眺めたり入ったりするのは初めてだ。
富山藩は加賀藩の支藩として寛永16年(1639)成立したが、富山城の天守は実際このようでなく、今あるのは戦災から立ち直る記念に昭和29年富山産業大博覧会を開催し、そのとき建設されたいわゆる模擬天守だ。今は「富山市郷土博物館」として一昨年耐震改修工事も終わり、国の登録文化財となっている。
改修間もない、見た目に美しい模擬天守は、やはりそこに存在するだけでも都市のシンボルたりうる。金沢にも早くほしいものだが、世界遺産を目指すには史実になるべく忠実であるべきという縛りがある。ならば本丸の森林も撤去すべきと思うがどうか・・。

Img_67284s 展示では、中世の富山の成り立ちから解説があるが、隣県のことなのに今までよく理解していなかった。戦国時には信濃同様、自国に強力な勢力が存在しなかったため、神保長職よって初めて築かれた富山城も、上杉謙信や一向一揆勢、そして織田信長の勢力と、入れ替わり立ち替わりその支配者は変わっていった。
そして佐々成政が治めたあと、秀吉が征討してから一旦富山城は破却された。
Img_67287s 江戸時代になり加賀前田家の勢力下になると、一国一城令によりまた廃城、そして富山藩分藩の1639年に初代藩主前田利次が入城した。この富山藩の4代目が僕と同じ名前であるので親しみは以前からあった。前田利家の祖父も別名が同じ名前である。
この富山城下の絵図は、地図展や博物館で購入した史料本にもさまざまのが載っていたが、神通川が城の真北に蛇行している。明治時代に河道改修されまっすぐになり、現在は県庁や地図展会場の県民会館など、全くの市街地だ。
Img_67293s 天守の上から鉄門(くろがねもん)石垣を見る。近年の改修時に内部調査された石垣だ。富山城は門周辺にのみ石垣があり、あとは土塁が主だった。
それはともかく内堀がかなり改修され、水もまるでプールのような色をしていたのがちょっと人工的で気になった。まぁ城自体人工的なものではあるが。
まだこの内側の、今地下駐車場になっている内郭が耐震工事中で鉄骨がむき出しになっている。明治以来城域はさまざまな公共機関の建物が林立していた富山城だが、古の姿を取り戻すバランスをとるのはなかなか労苦がありそうだ。

|

« 「地図力検定」受験! | トップページ | ニューGT-R発表! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「地図力検定」受験! | トップページ | ニューGT-R発表! »