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2007年8月25日 (土)

金沢城石川門太鼓塀「解体修理現地説明会」

Img_62386s 石川門の土塀の解体修理の現地説明会に行ってきました。ようやくこの手の説明会に初めて参加。朝から暑い日差しの中、やはりお年寄りが多く、帽子を忘れたのが痛い。
その前に日本100名城のスタンプをやっと押せました。案内所のおやっさんは無愛想で無口でしたが、僕は地元だからいいけど、観光客にもこれをやられたら印象悪くしますね。
説明会は午前10時から。先着25人ずつから組になって順番にガイド。組数から言って100人ほど来場したでしょうか。
Img_62333s 僕はNo16で最初の組でしたが、工事「現場」とあってヘルメット着用。帽子の心配はなくラッキーです。
石川門は門一帯の部分だけでなく、左右に長い土塀の太鼓塀があり、今回外から向かって右の「附属右方太鼓塀」の解体修理についての説明会でした。
石垣の上の土塀は、明治維新で封建社会の象徴である多くの「城」が破壊される中、特に城を隠すものとして壊され、全国でもここ金沢城のように漆喰の白が美しく長く残されているのは数少ないです。
Img_62347s そんな金沢城でも藩政期から火事や地震などでたびたび土塀は再建・修理されています。文献などで天明8年(1788)再建後、寛政11年(1799)の地震で大破。右方太鼓塀は弘化5年(1848)に解体修理。明治以後でも石川門の各櫓の屋根部分の修理などを再三実施。そして太鼓塀は大正・昭和初期に、当時城域に駐屯していた陸軍の手によって鉄筋コンクリートの斜めの控柱が施されました。その後昭和32年前後に石川門全体の解体修理が行われ、今回写真の木の骨組の貫材はそのときに更新されています。
Img_62354s 地元新聞でも既報のとおり、今回の修理で藩政期には、木製の控柱が2本の地面に平行な貫により繋がっていたのが確認され、それに忠実に復元することが検討されています。
今回の解体修理は全体で平成25年まで長期にわたり、特に太鼓塀は土台の痛みが激しく、かなりの部材更新をするようですが、写真の柱のように能登のアテの木などが使われていた藩政期の部材は頑丈で、なるべくそのまま残して使用するようです。江戸時代の四角い釘の痕なども数多くあり、時の流れを感じさせます。真ん中を通る貫はわりと新しく見え、「昭和32年度修補」と焼印されていました。下地になる小舞竹も昭和の大修理のときに更新したようですが、腐らずわりとしっかり残っていたので再利用するようです。最近のことと思いましたが、もう50年も経っているんですね。

Img_62367s 平成の大修理とも言える今回の解体修理の説明会に、熱心な多くの参加者が説明員の話を聞き漏らすまいと終始静かに進みました。しかしやはりマスコミが我が物顔でちょこまかと動き回るのには閉口しました。工事現場で足元が危険なのに人を退けようとする態度はいかがなものでしょう。
今度は10月にシンポジウムがあるので、またぜひ参加してみたいですね。


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