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2007年6月15日 (金)

「辰巳櫓」再建直前で幻に

Img_9365s_1 金沢城の、街の目抜きからちょうど見上げて目立つ位置に、かつて「辰巳櫓」があった。1759年(宝暦9年)の大火で焼失後、1839年(天保10年)に再建のために設計図を作成したり資材を調達していたにもかかわらず、直前で断念していたことが、石川県金沢城調査研究所の調べでこのほど判明した。
「天保の再建計画」の断念を示すのは、金沢市立玉川図書館所蔵の「清水文庫」にある、資材調達簿にあたる「巽御櫓御入用銀指引書」などの古文書や設計図群。文書にある「亥年」の特定がこのほど1839年のことであると突き止めた。宝暦以前の辰巳櫓に完全復元するべく進められていたが、石垣が既に大規模に改修され、作事を担当する大工方の苦心が設計図の複数の朱引きにも表れている。
平成の現代も復元の可能性の調査が進められているが、天保当時の断念の理由は主に加賀藩の財政難によるものと金沢城調査研究所では分析している。そのころは肝心の本丸には建造物は建っておらず、加賀藩の威信をかけて願っていた再建を断腸の思いで断念したことは、想像に難くない。
まだ暫く待つから、ぜひ平成の御世には見事な再建を願ってやまない・・。

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