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2007年6月

2007年6月29日 (金)

「ガンバレ!石川ミリオンスターズ」

Img_50020s_1 野球の「北信越BCリーグ」が始まってかれこれ2ヶ月。1/4ほど消化して最近は雨中も多いけど、ここまでのリーグり現況はどうか。今日は石川県中小企業同友会の支部例会に、会社の先輩に付き添って一緒に参加。「ガンバレ!石川ミリオンスターズ」と題してミリオンスターズの端保社長をお招きして講演を聴きました。
仕事が押して途中からの参加でしたが、現在のリーグや石川チームの問題点やギモンに思っていたことなどを質疑交えて一通り確認できたので、非常に有意義でした。
地元開幕戦や二戦目を観戦した僕としては、そのころ観客数も4000人ほどだったのに、だんだん2000人・1000人と減って、今では数百人のていたらく。特に石川は4県の中で一番少ない。年間運営費試算が1億8000万円で現段階で確保できたのが1億1000万円。スポンサー集めもまだまだ必要ということで、問題山積のようです。そんな中で僕らが他球団と比較してもギモンに思えることを忌憚なくぶつけてみました。
まず、石川県立球場の試合がほぼすべて遅い19時開始。日曜の夜など来いというほうがムリ、っていう状況はどうしてか。予想の範囲でしたが、県内観客の呼べる球場は5箇所、週末の日中はすべてアマチュアに占められている。アマが完全に球場を去らないとプロは入ったらアカン!と協会のきついお達しとか。どうしても19時になるらしい。県立球場の使用料もプロ扱いで当初高いプロ野球と同じ価格を提示されてたのを、なんとか知事決済で1/4にしてもらったのがやっとのようです。アマから見ればプロ、プロから見ればまだまだ未完成な零細企業。地域密着、活性化の一翼を担う理念で立ち上がったものを、自治体は通り一遍の対応であまりに冷たいです。他県に比べても県民の盛り上がりの弱さとともに厳しい現状です。
観客を呼ぶ対策として無料券を配布するなどオープンなサービスは? 実は北信越の前に反面教師となる四国リーグについていろいろ研究。四国の失敗の二の轍を踏まない、と硬い決意のよう。四国は安易にサービス券をばらまいて、有料観戦の価値を貶めて収益確保に失敗したそうです。また選手たちも、給料は同じ15万ほどですが、四国はシーズン中だけの契約、オフは勝手にしろというスタンス。北信越は派遣会社と提携して仕事先を斡旋。不安を解消させるケアがあり、四国からも多くの選手が北信越にやってきました。
地元の選手を多く獲得していったら? 実はトライアウトでリーグで100人選抜。その中で地元の選手を優先に獲得してからドラフト。石川・富山は地元民は5人ほど、新潟・信濃は15人も居るそうです。実はここが2強2弱になった分かれ目。100人の選択の中で、新潟・信濃はボーダーライン上の選手も地元優先で推薦、石川・富山はそのへんシビアに実力で選んだようで、結果、今の成績(石川・富山の首位争い)になっているわけ。
集客などのためメディア戦略は?松井秀喜などにアプローチしたの? もちろん、シーズンオフの松井にアタックするためにニューヨーク行きも計画。しかし知り合いの番記者に止められた。NYの松井は分秒争う人気者。記者たちも僅かの接触で話を膨らませていつも記事にしてるらしく、秀喜へのアタックはまずムリらしい。そこで松井パパに協力を申し込むも、希望の半分も訴えられず、後援会に参加してもらうのがやっと。まずは秀喜にも認知してもらえるほどこちらが話題にならなければ、というところ。
その他、こちらがまだまだ努力の余地があるだろうと思ったことも、裏話まじえたご苦労の様子をうかがうと、ホントにいろんな可能性を試しているけれど、各所折衝の多忙の中、少人数でこなせていない、という実情が見えました。石川は県民性からも、ファンの方からのアプローチがなく、球団職員だけでは限界があるようです。観戦もそうですが、外部からの質量の応援、自治体の後押しなどもまだまだ薄いように感じました。我が県のチームとして永い存続を願うなら、なんとかファンの手で後押ししたいですね。僕もちょっと考えたいです。

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2007年6月27日 (水)

100名城「川越城」には入れず!

Img_53721s 記事更新が遅れてましたが、週末に立て続けで出かけていて、平日はあまり時間が取れず遅くなりました。先週末は夜行で出かけたため朝時間があったので、日本100名城のひとつ、川越城までやってきました。
川越城は丁度今、大河ドラマ「風林火山」の舞台、上杉と北条の激戦の地としても出てきました。今年は彦根城など、築城400年祭の城が各地でありますが、ここ川越城には550年祭の幟が。太田道灌が築城して以来、江戸時代には譜代の大名が立ち代り入り、「小江戸」と称されています。本丸御殿の一部が今も残っていますが、あまりに早く着いたため入館はあきらめました。せっかく先週100名城のスタンプ帳を手に入れていたのに。
Img_53759s やむなく市内を散策。なんやかやと5キロ以上歩いてしまいました。朝とはいえ梅雨の晴れ間のピーカンな日に、早くも汗だくに。富士見櫓跡から成田山、喜多院と廻り、有名な「蔵造りの街」へ。電柱を廃しすっきりとした街並は、古い蔵の商家が並びます。てっきり江戸時代のしわざと思ったのに、明治になって大火があり、蔵は焼けなかったことから皆商家が蔵造りに変えていったのが成り立ちだそう。「小江戸」ではないですね。でもシャトルバスや景観的に統一した家並など、観光に対して徹底したところは、学ぶべき点も多いなと感心しました。
Img_53772s これは有名な「時の鐘」。さっきの通りから一本東に入ったところ。400年前から街に時を知らせていたそう。今でも6時・12時・15時・18時に鐘を鳴らしてるようだが、昼まで待てません。
早朝には人が居ないのかとひっそりとした通りも多かったけど、9時ころになるとチラホラ観光客も見えてきました。でもお店はだいたい10時開店。まだ街をぐるぐる歩いてるだけで、早くも疲れてきました。





Img_53800s 10時開店の「菓子屋横丁」。昭和初期から駄菓子の製造・卸などを数十軒がしていたそうです。テレビにも何度も取り上げられてるみたいで、フランスパンのような大きな麩菓子は「でぶや」の石坂がくわえてる写真が各店で展示してました。
夕べ偶然列車の中で見ていたビデオpodcastで日テレの「ぐぐっとジョブ」が、この川越の飴屋さんを紹介。昔ながらに店内の奥の工場で飴つくりをレポーターが体験。そこで僕もお店に入り飴を購入。ご主人にipodの映像をお見せしたところ喜んでいただけました。
このあとは疲れたので駅へ直行。東武東上線に揺られて都内へ。

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2007年6月19日 (火)

「多摩川台古墳群」inタモリ倶楽部

Img_51801s この週末、またみやこに行きましたが、空いてる時間で、今度は「タモリ倶楽部」をオマージュしてみました。
先週(関東なら先々週?)放送してた、「多摩川台古墳」群。都内の田園調布という高級住宅街に、よもや群落する古墳史跡があるとは知りませんでした。早速JR蒲田駅から東急多摩川線に乗り換えて終点「多摩川」駅まで。東京へ行くたびに、少しずつでも鉄道路線を乗りつぶすのも目的のひとつ。大田区・品川区に小路線の多い東急線もまだ完遂していないエリアです。
Img_51818s 「多摩川」駅と多摩川との間の小高い丘の上に古墳が並んでいます。一帯は公園になっていて、高級住宅に住む近在の人々の格好の犬の散歩ルート。朝早く既に多くの住民がくつろいでいます。対岸は旧読売巨人軍の多摩川グラウンド。今は少年野球チームなどが朝練してました。
「タモリ倶楽部」でも紹介してた案内ボードが。「円墳?」もしっかりキャッチしました。4世紀から7世紀にかけて造られた古墳群は、その主はわからないまでも、都心に往時のまま残された大規模な遺跡として貴重な存在価値がありましょう。
Img_51823s 番組で紹介されて、是非もなく訪れてみたくなりました。野鳥のさえずりしか聞こえないひっそりとした静かな場所で、草木の生えた丸い山盛りに、古墳であるのを示す表示ボードがあるほかは、たんなる公園でしかないのも事実。しかし深遠とした森の中はやはり都会であることを忘れさせてくれます。くわしく解説のある資料館もありますが、朝はやくて開いてませんでした。早いといえば、西の端にある宝来山古墳も9時にならないとゲートが開かず、そこも入れませんでした。残念!
Img_51861s しかしこの公園はあじさい園とも言えるほどのあじさいの群落が。植物園も主役があじさいでしたが、今が満開のピーク。是は予想外でしたが、素晴らしいシチュエーションに当たりました。しかし梅雨の時期にもマッチするはずが、今日は快晴、やはり晴れ男です。
ひとしきり花を撮影して思わず枚数を消費してしまいました。この後は羽田空港へ、久しぶりに飛行機でも撮ろうと思っているのに・・。


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2007年6月15日 (金)

「辰巳櫓」再建直前で幻に

Img_9365s_1 金沢城の、街の目抜きからちょうど見上げて目立つ位置に、かつて「辰巳櫓」があった。1759年(宝暦9年)の大火で焼失後、1839年(天保10年)に再建のために設計図を作成したり資材を調達していたにもかかわらず、直前で断念していたことが、石川県金沢城調査研究所の調べでこのほど判明した。
「天保の再建計画」の断念を示すのは、金沢市立玉川図書館所蔵の「清水文庫」にある、資材調達簿にあたる「巽御櫓御入用銀指引書」などの古文書や設計図群。文書にある「亥年」の特定がこのほど1839年のことであると突き止めた。宝暦以前の辰巳櫓に完全復元するべく進められていたが、石垣が既に大規模に改修され、作事を担当する大工方の苦心が設計図の複数の朱引きにも表れている。
平成の現代も復元の可能性の調査が進められているが、天保当時の断念の理由は主に加賀藩の財政難によるものと金沢城調査研究所では分析している。そのころは肝心の本丸には建造物は建っておらず、加賀藩の威信をかけて願っていた再建を断腸の思いで断念したことは、想像に難くない。
まだ暫く待つから、ぜひ平成の御世には見事な再建を願ってやまない・・。

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2007年6月10日 (日)

今度は「日本丸」寄航

Img_51758s また船ネタになるが、金沢港に今度は国土交通省所管独立行政法人「航海訓練所」の航海練習船、いわゆる練習帆船「日本丸」が来航した。今回の寄航は北海道から神戸へ回航する際の補給としてなので、一般公開はないが、それでも今日のような週末はやはり大勢が見に来ていた。
この「日本丸」は、練習船としても2代目で、初代は戦前の1930年に就航、1984年退役で今は横浜港に係留されている。
Img_51760s この「日本丸2世」は1984年就航。帆装艤装設計から製作まで、すべて日本国内で行われた初の大型帆船。 先代の日本丸に比べて帆走性能が大幅に向上しており、世界でも有数の高速帆船として名をつらねている。その年で最速の帆船に贈られる「ボストン・ティーポットトロフィー」を1986年,1989年,1993年と三回受賞している。
僚船の「海王丸2世」との区別はこの舳先の船首像。「藍青(らんじょう)」と名付けられている。海王丸2世の船首像は横笛を吹く女性で、「紺青」と名付けられている。
Img_51788s 海王丸の初代は隣の富山県、新湊に係留されているが、くしくもおなじ富山県で2004年、「海王丸2世」は台風によって難破座礁した。
船尾の装飾も美しく、帆船であるがゆえに数多くのロープでマストと甲板が彩られている。甲板上では乗組員たちがラジオ体操にいそしんでいた。
この日本丸・海王丸の母港は写真にもあるとおり東京港。
Img_48196s 東京、東八潮の船の科学館横の専用桟橋に係留中の「日本丸2世」。東京ではここに停泊するのだが、この近くには何度も足を運んでいるのでこの様子は珍しくない。
そういえば富山新港の「海王丸」も、公開当初の1990年ころには何度も行ったが、最近は全く足を運んでいない。再び行ってみたくなった。

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2007年6月 7日 (木)

「紅天女 能登に捧ぐ」

伝説の少女マンガ、「ガラスの仮面」美内すずえさんが、能登半島地震からの復興の願いを込めた創作舞踊の台本を書き下ろした。そして7月7日七夕の日午後7時に、七尾市の和倉温泉「のと楽」で上演される。
「紅天女 能登に捧ぐ」と題された30分の舞踊は、「ガラスの仮面」作中劇の「紅天女」が劇中今までに語ったストーリーなどを基に、熱烈な能登ファンを自認する美内すずえ氏が渾身の想いで造られた。一昨年夏から奥能登の珠洲などを訪れた美内氏は、風光明媚な景色と神秘性を感じさせる伝説に魅了され、以来6回も足を運んでいる。
今回、主役の紅天女を演じる東京恵比寿の舞踊家「花柳鶴寿賀」さんの元での稽古シーンが報道された。舞台は、地震や竜巻などが人々を襲い、世界が最後を迎えようとするシーンで始まる。万物創造の女神である紅天女は静観するが、最終的には慈愛の心で災いを鎮め、人々に生かされていることに気づくよう諭す。「まこと紅 千年の いのちの花ぞ いま開かん」という締めくくりの台詞に能登再生の祈りを込める。
美内すずえ氏が能登を愛してくれているとは知らなかったが、これはビッグニュースだ。新聞では、「ガラスの仮面」はまだ連載中、となっているが、ここ数年「花とゆめ」は手にもしてないが、掲載された形跡はついぞ見当たらない。最新?42巻が出たのはいつのことだったか・・・。こんなことするより、早く連載しろと言いたいのはやまやまだが、この舞台は観てみたい。時間と元気とサイフが許してくれればだが。。

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2007年6月 4日 (月)

「ナスカ展」はオドロキがいっぱい

Img_51748s 南米ペルーの世界遺産、「ナスカ」の展覧会が石川県立美術館で開催中。早速行ってきました。
一口にペルーの古代文明と言っても数多くあり、ナスカは紀元前後数百年、南部海岸の砂漠地帯にある。ナスカはもちろん地上絵で有名だが、人や動物などをかたどった、さまざまな形の土器も多く、そのほとんどは今でもキレイに残るほど見事に彩色され、中には現代のマンガにも通じるようなおどけた表情の作品もあり驚かされる。また子供や大人のミイラも展示され、眼球も残っていたというからビックリ。神秘さがいやおう増した。
さて地上絵だが、その規模は今まで想像してたのと全く違った。800平方キロもの広大な砂漠の平原に、数多くの意匠が描かれている。描くといっても、小石が敷き詰められているような砂漠表面に、その石を取り除いて砂を露出させ、溝のように見えるラインが絵の線になっている。いろんな説があるようだが、やはりただ人間が地上から見ただけではここまで表現できないと思うんだけど・・。
展示会でも大画面シアターがあったけど、CGであたかもセスナに乗って上空からじっくり見てるようなDVDを買ったので、時間のあるときにゆっくり見ることにしよう。
6月24日まで開催してるので、お近くの方はぜひ必見ですよ。

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2007年6月 3日 (日)

一週早い「百万石まつり」

Img_51558s 今年も「百万石まつり」がやってきました。6月14日に前田利家が能登から金沢に入城してきたのを祝うまつりで、10年くらい前までその日に市祭として実施されてたけど、週末に開催をずらし、尚今年は梅雨をさけて6月第一週末の2日(土)に行列日を迎えました。
昨年からルートも、金沢城を一周するものから、きれいに整備されたJR金沢駅東口から目抜き通りを半周して金沢城内に入る、本来の入城シーンを再現するものとされ、好評を得ていました。
Img_51632s 行列も、大正時代からの始まりに由来する商工祭の色あいのあった企業パレードを排除し、市民約2000人が参加する(先頭からの各学校などの演じる音楽パレードは良しとして)、時代絵巻が主体となる本来の趣旨にあった行列となってスッキリした。
昨年は武蔵が辻交差点に陣取ったけど、今年はルートの後半、百間堀通りに座った。ここは地元テレビもメインステージがあるところで一番賑やかしいエリアだけど、ちょっと早く着き過ぎたか(駅でスタートする15時)、まだ閑散としてたので、ipodのポッドキャストラジオを聴いて時間つぶし。
今日は日向は暑くしかも逆光になるので、日陰の城側に廻って、結果痛し痒し。加賀鳶梯子登りはこちら向きに演じてくれたけど、行列の後半は陽がかなり傾いてシャッタースピードが得られなかった。

Img_51680s 行列の内容を列挙しよう。
「音楽パレード」「ミス百万石」「獅子舞行列」「加賀鳶行列」「尾山神社御鳳輦(ごほうれん)」「かぶき者行列」「子供奴行列」「大人奴行列」「珠姫お輿入れ行列」「お松の方行列」「加賀八家老行列」「前田利家入城行列」「赤母衣衆」。
[珠姫]は3代利常の正室として徳川秀忠・お江の娘が5歳で嫁いできたのを、地元の子から募集して再現。写真は[お松の方]で言わずもがな利家の正室。毎年市内2つのデパートの女性が交代で選出される。
Img_51719s いよいよ利家の登場。20年くらい前から俳優を呼んで演じてもらっている。今年は[的場浩司]。大河の「利家とまつ」では唐沢利家の最初からの家来[村井長頼]を好演した。なんでも父の実家は能登だそうで、子供のころは何度も金沢に来ていたらしい。
やはり俳優効果はバツグンで、子供を含めて黄色い声で祭りは最高潮に達する。最近は警備がたくさんで廻りを囲むのが趣きを削ぐが、以前は混乱もあったようだからしかたなしか。

Img_51746s 行列は全般的にいいペースで進んだと思うが、途中多少間隔が空いたりしたか、進行時間は少し遅れた。目の前を最後の赤母衣衆が過ぎたのが18時30分。いかに陽が長い6月とは言え、さすがにシャッタースピードは遅い。開始時間が15時なのを、もう少し早められないものか。今年は去年と違ってここから動かなかったが、しかし去年見たようなこの後の金沢城内のイベントは、薄暮のほうが確かに雰囲気はあるだろう。
各行列は、ところどころで動的に演じるんだけれど、今日は疲れてて写真ではちょっとお見せ出来ませんでした。

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