« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007年5月

2007年5月29日 (火)

カキツとダム

Img_51442s バラの後はカキツバタを撮りに兼六園へ。県民無料デーに初めて無料で入場した。前回は先に料金払っちゃったんで掲示に気づかなかったけど、もう少し大きく書いて欲しいね。
兼六園内のカキツは是からが盛りという話だが、咲いた株はこの陽気で一気にしおれかかってるし、まだの株は全然ツボミの気配もない。一斉に咲き乱れる様子はまだ先かも知れないが今日はちょっとガッカリ。

Img_51449s それでも大勢の観光客は、まぁキレイ! と感嘆なさってたが、他所ではいろんな種類のカキツで華やかだろうに、ここは1種しかないしまだまだの状態で申し訳ない・・、って心の中で頭を下げてました。
GW後の新緑を迎えるシーズンだが、観光には端境期のような気もする。それでもたくさん観えられてるのは、能登半島地震にもかかわらずありがたいことです。欲を言えば今年一年続けて多くの方に来てもらいたいですね。

Img_51461s ところでこのあと雲が多くなってきたが、以前から気になっていた「医王ダム」へ向かうことにした。
ここは医王山麓の北側、角間の金沢大学を抜けた県道金沢・井波線の最奥、森下川(もりもとがわ)に平成12年に造られたロックフィルダムだ。最近は単にそう言わず、中心コアー型フィルダムというのかな。

Img_51472s 堤長208.2m、堤高58.8mの中規模ダム。県営で灌漑と防災に利用している。
いつのまにこんなダムが出来てたのか知らなかった。この道は金大が移転完了する前、約20年弱前に通ったきり。全然整備されてなくて山道をくねくね越えた記憶がある。県境を過ぎたら突然富山県側はきれいな道になっていて、不満だったのを覚えている。今はここに来るまでも、ほとんどが快適な立派な道になり、むしろ傾斜でスピード出すぎないか心配するほどだった。
灌漑・防災と言いながら、森下川はそんな大きな川でないのに、この大規模な施設には地元の賛成・反対、どんな反応があったのだろうか。犀川の辰巳ダムのようなことはなかったか気になるが、もう10年近く前のことである。以前からそこに居たかのように、医王ダムはどっしりとそびえていた。
Img_51474s こんな日にこの山奥にダム見学しにくる物好きなど、他にはいないのか、居る間中この広い空間、僕ひとりだけだった。やはり僕の行動形態は他人とは違うマイナーなもののようだ。ダムを多角的にバシバシ撮ったから、監視カメラでもあったら不審人物と思われてるかも。
でもこんな身近に立派なダムがせっかくあるのだから、市内の学校とかで社会見学などしてもらいたいものだ。犀川ダムは道がきつくてちょっと不便だしね。

| | コメント (0)

2007年5月28日 (月)

バラの名前わかりますか?

Img_51294s 青空の広がった日曜は、前日の黄砂の影響もどこへやら、昼ごろには視界もよくなったので、花を撮りに外出した。金沢南運動公園ではバラ園が今盛りだそうで、初めて行ってみた。
するとびっくり、こんな近所にたくさんのバラを栽培してるところがあるとは知らなかった。例によってたくさんの人々でにぎわっている。写真を撮ったり絵を描いたり・・。僕の行動スタイルも大多数にあってきたかな?
Img_51313s マクロの50mmは花を撮るくらいにしか今のところ使ってないけど、今日は本領発揮。今日は花の咲き具合も一番いいタイミングだった。





Img_51337s 品種の名前もボードがあったけど、花の名前は一番覚えられないし知らない。正直興味がないわけかな。
まぁせめて少しは覚えられるようにしようとおもっている。










Img_51435s

| | コメント (2)

2007年5月27日 (日)

「Good books for all」!

Img_51257s 現在世界最古の現役客船という、「DOULOS」(ドゥロス号)が金沢に入港した。週末は大勢の見学客が訪れるというので早速行ってきた。
この船の特徴は世界最大の船上書店。1914年(大正3)に貨物船「MEDINA」としてアメリカで造船されたこの船は、第二次大戦を沿岸警備隊に徴用され、後に「ROMA」「FRANCA C」と持ち主や船名も数度変わって豪華客船として生まれ変わるなど数奇な運命をたどり、現在はドイツの非営利慈善法人「GBA」(Gute Bucher fur Alle)が所有。
Img_51241s 国際親善と文化交流を目的に運行し、約50ヶ国から350人のボランティアスタッフが乗船している。上記ドイツ語は(Good books for all)という意味で、甲板上1/3を占める大型書店では、児童書や美術書をはじめ、約6,000タイトル50万冊の洋書が並び、子供連れなどたくさんの人で溢れていた。
なるほど船内は一般客船とは違い、ツアー客が世界を巡る、といったような雰囲気ではなかった。
Img_51189s この書店では世界各国の訪問でもスムースに買い物できるように、UNITという単位で価格表示していた。日本円では1UNIT=3円とされ、つまり100UNITSは300円だ。
もちろんほぼ全部英語で書かれたものだが、洋書にありがちな、分厚く粗雑な紙で文字しか書かれてない淡白な本より、薄くてビジュアルで見せる(子供にも読みやすい)本も多かった。最近英語を習い始めただれかさんのお土産に何冊か購入。
Img_51222s 船室のフロアではステージもあって交流イベントなど、これから始まりそうだった。意外に普通のおじさんおばさんなんかもテーブルに座って、外人スタッフと話しかけてる。引っ込み思案の僕としては遠慮させていただこう。
なかなかに珍しいこの船は、来週末の「百万石まつり」にスタッフが踊り流すというので、それまで滞在しているので、ぜひみなさんも体験してみてください。

| | コメント (0)

2007年5月26日 (土)

「金沢駅西口ビル」オープン!

Img_51264s 北陸新幹線の開業を見据え、金沢駅周辺の集客力強化のため計画された、「金沢駅西口ビル」がいよいよオープンした。
ショップ主体の「くつろぎ館」として、1階はカフェ・ベーカリー・コンビニ、2階は食品スーパーと石川初上陸の「マツモトキヨシ」。3階は居酒屋やハチバンの系列店など飲食、4階はエステなど。5~8階はJR系のホテル「ヴィアイン金沢」となるが、社員研修として開業は1ヵ月後だ。
Img_51270s 在来線ホームの屋上は415台分の駐車場となった。早速列車撮影ポイントがないか下見を兼ねて来たが、流石に察したか、複雑なフェンスを設えて壁に近づけさせないように工夫している。こりゃだめだ。
しかし、ここ数ヶ月で金沢駅周辺のにぎわい創出として「金沢FORUS」はじめ多くの商業施設が生まれ、駐車場も軒並み増えたが、開業日ながらこの屋上駐車場はガラガラ、半分も埋まってない。早くも過剰投資となってきたのか? ただ、そういえばこの駐車場の入口はどこかわからなかったな。
Img_51276s 建物内の食品スーパー、地元の「東京ストア」系の「100banMART」だ。駅で食料品ってどうかと思ったが、この周辺にはあまりスーパーもなく、近所の方々には好評のよう。駅の利用者も遅くまで開いていれば便利なようだ。店内はレジも行列でさすが初日は大勢でにぎわう。僕はレジで時間かかりそうだったのでやめたが。

Img_51277s 金沢初登場の「マツモトキヨシ」だ。北陸は地元のドラッグストア数社が郊外にチェーン競争してて、中央資本の入る余地がなかなかなかったが、ついに出店した。まるでパチンコ業界みたいになってきた。しかしあまり広くない店舗でどこまで影響だせるだろうか。
このほか飲食エリアを含め、人で溢れていたが、エスカレーターの乗り口が片面だけとか廊下が短いとか、人の流れを計算できてる構造か心配だ。まぁ先々の健闘を期待しよう。
Img_51289s ついでに東口、旧此花小前まで行って、先月オープンした鉄道グッズショップ「カラマツトレイン金沢店」へ。北海道が本店だけあって、北海道内の行先サボとかもあったけど、北陸ゆかりのホーロー製サボでもあればと思ったが、中々これはというものはなかった。しかもサボは1万超えるしね。
やむなく昔駅のホーム上に掛かってた、特急の乗り口案内のプラ板を購入。「はくたか14号」3号車(禁煙)という黄色のパネルは4,000円。高いか安いかの判断はお任せします。
金沢駅周辺はこれからワクワクしてきたかも知れないね。

| | コメント (0)

2007年5月25日 (金)

「河北門」復元設計案まとまる

Img_25493s 金沢城「河北門」の、主な復元設計案がこのたびまとまった。
地盤強度に課題のあった城内側の二の門の石垣の在来工法では、結局鋼製の杭を内部に設置して石垣上の櫓を支えることにした。杭は外側からは見えず、石垣内部も在来工法に近いものになる。
またその櫓の構造は、建築基準法の条件を満たすため、床と天井の梁をつなぐ中柱を六本設置するが、下をくぐる際に見えないようにする検討を加える。
一の門の門の高さは現存する石川門や一部復元した橋爪門を参考に4mとする。ニラミ櫓台下の石垣はレーザー測量・地質調査などの結果強度に問題なく、上段部分の積みなおしが可能となった。
また、「二の門」にバリアフリー対策として長い木造スロープを設け、踊り場には新丸広場などを一望できる展望スペースも用意される。
今年は秋から二の門の石垣積みの作業をはじめ、2009年度末の完成を目指す。
完成が待ちきれない。

| | コメント (0)

2007年5月23日 (水)

バラエティ マンガ書評 ⑫

長いこと更新しなかったけど、ちょっと忙しかったのと目立ったトピックもなかったので。そこで久しぶりにマンガネタを少々。
「からくりサーカス」を少年誌である「少年サンデー」で連載を終わらせた藤田和日郎が青年誌「ビッグコミックスピリッツ」で短期集中連載した「邪眼は月輪に飛ぶ」。月輪と書いて[がちりん]と読ませる。
「からくり」も後半はサンデーの誌面の後ろの方に沈み込んでたように、ホントはガチガチに子供に伝えたいドラマだったのに、画的にも大人にその読み手がスライドしていった感がある。そう、藤田和日郎の活躍の場は青年誌にこそ今は相応しいのかも。そこで登場した「邪眼・・」は、その眼で見られたものはすべて死んでしまうという恐ろしいフクロウを退治する物語。相変わらず荒唐無稽なストーリー立てだが、画面いっぱいに動き回る彼独特のキャラクターの迫力が、息をつかせぬテンポと相まって一気に楽しく読ませる短編だ。
本人も描いているうちに少し連載が延びてしまったというこの作品は、なぜフクロウを選んだかというあとがきも面白い。
さて、彼の青年誌をフィールドとしての適性を敏感に察した講談社が、「モーニング」に連載を依頼。今は「黒博物館スプリンガルド」を「からくり」ばりにダイナミックなエンターティメントとして提供しだした。また読んでみたいと思う。ところでうふじたかずひろうって僕と同い年だった。あんなに後退してるのに・・・。

邪眼は月輪に飛ぶ Book 邪眼は月輪に飛ぶ

著者:藤田 和日郎
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0)

2007年5月13日 (日)

山の下見に藤を見つけて・・

Img_51173s この週末はプリンターを新しいものにした。CanonMP810だ。スキャンも出来る複合機だが売価で30,000円だよ。一昔にくらべてホントにとんでもなく安いものになってしまった。100満ボルトのポイントも貯まってたから、実質3,000円で買った。まだ使いこなしはこれからだけど、またたくさんプリントしてみたい。
午後になって用事で出かけたついでに、山登りの下見にと思ってふもとをうろついた。
高尾山に登るには湯涌温泉から田子島林道に入る。しかし今日はちょっと遅くなったし山の天候も曇ってきたので、その手前でやめた。それはつまり旧江戸村の前だ。何年かぶりで江戸村まで来たけど廃村(笑)してからだいぶ経つので、かなり荒廃してるかと思ったが、重要文化財になってる旧家「石倉家」の保存工事を延々としている跡があった。平成20年、つまり来年まで期限が看板に書かれてたが、そのあとどこでどうするんだろう。ここは市営で復活させるのか?
Img_51177s その下の白雲楼ホテルは全く更地になっていた。鐘楼だけが地面に下ろされ、工事の幕の向こう側に佇んでいた。諸行無常の理を顕してた。それでもこの道、度々車が通るので、変に撮影してたら怪しい者と思われるとなんだから撮らなかったが、下、つまり湯涌温泉の通りに出たら、川向こうの山肌に山藤の群落が。
キレイだったので思わずカメラに収めたが、しかし藤ってこんな風に咲くんだったっけ? と思って帰ってWikiで調べてみた。すると、元々[山野に普通に木に巻きついて登り、樹冠に広がる]とあるが、その樹の光合成を妨げるので人工林では伐採されるが、近年管理が行き届かなくなり日本の山林で藤の花が咲いている風景が増えてきた、そうだ。
ここのはどうかわからないが、世相の一端がこんな山にも見え隠れするとは。いや、出る前に庭に虫を見かけたんだけど、人類が滅んでもこの地球上、虫と植物はその凄まじい生命力でまだまだ生きながらえるんだろうナ、としみじみ思ったよ。

| | コメント (1)

2007年5月 9日 (水)

北陸「駅」鉄道風景

Img_50632s

高岡へ向かう前に津幡で列車を撮っていた。特急銀座と言われる北陸本線でも、一番多くの列車を見ることが出来るのはやはり「金沢」である。昼間に見られる特急だけでも「しらさぎ」「しらさぎ(旧加越の短編成)」「サンダーバード」「雷鳥(富山県で逆に見られない)」「はくたか」「北越」「トワイライトエクスプレス」などだ。特急は681・683系シリーズがほとんどとなったがまだ雷鳥では国鉄色485系(大阪方はパノラマグリーンの481系)、北越は旧上沼垂色485系が走っている。全国から撮り鉄が集まるのもむべなるかな。写真は国鉄急行色で飾った475系でかつての急行「くずりゅう」などを思い起こさせる。今は1編成が緩行で走っているが、編成表が手元にないので出会う確率はメッタになかったのでラッキー。

Img_50641s

北越急行色の681系スノーラビット「はくたか」。これは北越急行のHPに編成表があるから求めれば出会えるが、こういう偶然で写せるのも楽しい。白ばっかりでアキちゃってるからね。



Img_50654s

津幡駅は最寄に源平合戦で名高い倶利伽羅峠がある。そこで源義経が牛の角に松明をつけて平家軍を混乱させた故事にのっとって「火牛の像」があったよ。
この駅も駅舎は鉄筋コンクリだが、レンガ造りの倉庫などもあって、七尾線分岐のかつての鉄道の要衝として風格のある駅だった名残がチラホラとある。

Img_50857s

これは高岡駅でのしらさぎ。683系はサンダーバードが基本編成6両に増結3両。GWのような繁忙期にはさらに3両増結して12両編成もある。側面のラインはブルー1本。
しらさぎは5両ユニットの基本編成で旧加越の50号番台を勤め、名古屋まで行く列車は3両増結ユニットを1ないし2連結して、和倉温泉へ行ったり米原止まりだったりフレキシブルに運用している。ラインはブルーとオレンジの2本引いてサンダーバードと区別できる。

Img_50916s

金沢駅前の駐車場ビルより望む。新幹線用の高架はもうほぼ完成している。あとはレールを敷くだけ?
東側、金沢総合車両所方面は配線が複雑で、向かってきた列車がどのルートを通って何番線に入るか予想がつけられない。この北越もさっきのはくたかと違うルートで来た。ずっと観てると飽きないんだけれどなぁ。

Img_50936s

サンダーバードはここで和倉温泉行きを増開結する。富山方から侵入してきたGW用9両編成に、奥で退避していた和倉温泉からの3両ユニットが後からついてくる。金沢駅で12両に繋がるわけだ。
今は当たり前に珍しく思わないが、他地区の方から観ればおもしろい瞬間じゃないだろうか。

Img_50493s

金沢駅の現在である。西口側から写してるから、中央東口側に見えるのが「もてなしトーム」。のっぽのビルが日航ホテル。左のでかいビルが金沢フォーラス。ここのブランドショップ目掛けて富山や福井の女性たちが金沢に多くやってくるようになったって。
その下のコンクリが新幹線用高架。在来線用ホームの上屋がそのために駐車場に来月から利用される。その右の小さく見えるビルは、月末オープンの金沢駅西ビル。各種ショップとホテルが入るそうだ。北陸の鉄道事情の一端が垣間見えたでしょうか。

| | コメント (0)

2007年5月 8日 (火)

「高岡」古刹と鉄道

Img_50671s

昼前に高岡へやってきた。高岡駅氷見線城端線の接続駅。広い構内は健在だ。最大24本もの配線が平行している。
氷見線は地元の藤子不二雄氏のキャラクターをラッピングしたキハ47が走っている。小学5年の時は僕は氷見に住んでいたが、そのときはこの氷見線の列車には乗れなかった。バスで30分で高岡に着いたしそっちのほうが便利だった。今日も乗らずに駅で撮り鉄に徹しよう。

Img_50703s

高岡鉄道部のキハ軍団だ。氷見線・城端線ともこのカラーリング。城端線と言えば国鉄末期には「伊藤敏博」という歌手が城端線で車掌しながらフォークを歌ってたの知ってるかな?金沢駅でさよならイベントしてたときにグッズをもらった覚えがあるよ。今はどうしてるんでしょうね。(今ネットで調べたら地元中心にまだまだご活躍中。富山で知らない人は居ないくらいみたい)


Img_50713s

さて、一旦高岡駅を離れて、かねてから行きたかった「瑞龍寺」へ。
ここは前田家2代、前田利長の菩提寺。3代利常が兄を敬して、兄が隠居して亡くなったここ高岡に大規模な寺院を建てた。
国宝にもなった有名な寺に、これも今まで行ってなかったが、最近の情報で利長が地元高岡の人に今でも慕われていると聞いて今回行ってみることにした。ちょっと寂しい駅南口から15分くらいの徒歩で着く。

Img_50728s

瑞龍寺正面、東西方向に長い参道が出来ていて、反対側は後で行く利長の墓地がある。伽藍の敷地はかなり広く、回廊で囲った芝生が敷き詰められた中に、山門・仏殿・法堂と国宝が続く。
地方都市の寺としては異常に広く、創建時はまだこの数倍広く、堀を巡らし36,000坪だったという。


Img_50744s

屋外には分骨廟があって、本能寺の変後、利長が織田信長父子の分骨を迎えたという。本能寺で遺体が見つからなかったのに分骨とは此れいかに?ではあるが、利長・利家なども加えたこの5基は、金沢で前田家の墓地が公開されない代わりに、地元大名家の墓蹟としてぜひとも敬いたいものだった。なぜに金沢にこういったものがないのか。(尾山神社で利家を祀ってあるが)

Img_50751s

なかなかに広い伽藍である。回廊の途中に大庫裏なども近年復元され、その威容はまとまった完成を見た。
建坪186坪の法堂はその大きさもさることながら、内部の彫刻や天井の絵画(狩野安信)もすばらしい。左右に広がる前面の板廊下とその下の土間の構造も大柄な造りで驚かされる。
いちどぜひ皆さんにも観てもらいたい。

Img_50771s

さて瑞龍寺の正門を抜けて東に八丁道を行くとその突当りに南面して、まるで古墳のように前田利長の墓が建てられている。三代利常が利長の三十三回忌にあたる正保三年(1646)に創建。基壇は加賀戸室石。その上に花崗岩笠付墓標をたて、墓頭から平地まで約39尺、三重基壇の前面に12段の石段を設け、石段の参道があり、石の玉垣で囲み、濠をめぐらし、大小数十基の石灯篭が配されている。

Img_50772s

大名の墓としてはおそらく日本一大きい利長の墓地だが、前面の堀にはこのように、禁止の立て札にかまわず子供たちがザリガニ釣りに精を出していた。右奥には学校のテニスコートがあって、学生たちはまるで学校の一部のように、この敷地に入って休憩や練習したりしていた。まぁ地元に愛され・・ということでは良いだろうが、まがりなりにも世界遺産を標榜するのなら、もう少し管理できるようにしたらどうだろう。

Img_50791s

駅前に戻ってくると、万葉線の路面電車がやってきた。ここも富山市のポートラム同様、先進低床連接車に「アイトラム」の名をつけて2編成が運行している。
かつて加越能鉄道が路面電車を走らせていたが経営難から廃止を申請すると、存続を願った地元の努力で第三セクター「万葉線株式会社」が平成14年にスタートした。万葉線とは、この地に大伴家持が赴任した万葉集にちなんだ土地であることからついた、風情のある名前だ。

Img_50827s

2編成とも鮮やかな赤い車体が駅前を颯爽と走ると、30年ほど前、父の関係でよく通ったこの街が(基本的にあまり変わってないんだけど)、駅前のデカいビルとこの電車ですごくインテリジェントな街に変わったと感じるのは気のせいだろうか?
内装は富山のポートラムにかなり似ている。運転席周りも非常に単純化されているのは、のと鉄道のNT200でもそうだったが、最近の一環した配慮なのだろうか。

| | コメント (0)

2007年5月 7日 (月)

「能登」の列車旅

Img_50505s

5月4日は野球を見る前に日帰りで能登高岡へ行った。能登へは地震以来というか、何年ぶりだろう。のと鉄道も実は初めて乗る。
普段は天蓋外の七尾線専用4番ホームから出る415系もなぜか7番から。ヘッドマークには「元気宣言!能登」の文字が。GW期間中観光客も普段並に回復しているらしい。なんにせよよかった。。

Img_50509s

七尾線の駅を車窓からちょっと撮る。ガラスの水滴痕がうまく取れてなくて、なんだかフォギーがかかったように見えて却って雰囲気でてる? 「本津幡」では古い木造駅舎のままだし、べつにここいらでは珍しくもなんともないが、誰かさん(鉄○の旅とか)に言わせるとこういうのがすごくいいんだって?20年くらい前までどこにでもあったと思うけど、ありがたがられるとは確かにちょっと寂しい時代になったわけだね。Img_50517s
「敷浪」では八重桜がまだ満開。のどかに鈍行列車は走るけど、金沢から七尾まで約1時間半、奥能登まで行けば3時間から4時間もかかる。能登線が走ってた頃のうちに珠洲なども行きたがったが、ともすると名古屋以上に時間がかかる遠さに足も鈍っていたのは確か。こりゃ観光客を鉄道で奥能登に呼ぶのは至難の業だったろう。もう一工夫なにかが欲しかったと思うが今となっては残念だ。

Img_50528s

「七尾」駅に着いたがここで「のと鉄道」に乗り換える。JRは次の「和倉温泉」までだし特急はそこまで行く。しかし各駅停車は地元の利便性を考えて七尾までとし、ここからは「のと鉄道」が第二種鉄道事業者として乗り入れる。一昨年能登線を廃止するのと同時に車両も一斉に更新し、今は写真のNT200型のみの運行だ。

Img_50534s

前任のNT100型より一気に2m長くした新潟トランシス製の18.5m車は、車内は意外に広く、バリアフリーにも配慮しながら居住性がいい。モーター音を響かせながら最高速度95km/hで、意外に駅間距離のある路線を(33.1kmで8駅)快適に走る。
しかし「能登中島」まで16.3kmを510円ではちと高すぎないか?
車内では能登復興にむけた短冊や子供の描いたポスターなどが。

Img_50543s

普段の能登の海と傍目には変わらないように見えるが、そんな車内の一コマでも地震があったんだと、思い起こさせる。和倉温泉や七尾では、それなりの観光客が居たが、それより先は皆さん地元の人ばかり。行きの車内は僕を含めて3人ほどとなった。この季節、鉄ちゃんがもっと居てもいいと思ったが。

Img_50549s

待望の「能登中島」に着いた。ここでは写真の郵便車「オユ10 2565」「NT800型」が静態保存されている。地元の[ふるさと鉄道保存協会]が所有し、車内で郵便仕分け体験が出来るイベントなども開かれるが、それは前日だった。まぁどうしてもしたいわけじゃないのであえて混む日を避けたのだけど。


Img_50554s

「のと恋路号」などに使われたパノラマカー「NT800型」だが、往時の面影なくところどころ錆が浮き出していた。
これでわずか5年前まで能登内浦一周していた頃に、なぜ行けなかったのか悔やまれる。




Img_50570s

戻りの列車は学生たちも(部活だろうか)大勢乗り、一気に賑やかになったが、そんな地元の人々のくらしとともに、いつまでもここに在りつづけてほしい。実際奥能登へ行く手立てはバスなど自動車しかないと思うと、途方に暮れるほど遠く感じるようになった。

| | コメント (0)

2007年5月 6日 (日)

湖東の旅[城と鉄道めぐり] 3

Img_50468s 湖東の旅、最後は長浜に寄ったよ。何度か仕事で来てるけどプライベートでは初めて。長浜は鉄道関係でも歴史あるポイント。駅も近年橋上駅に建て替えられ、西口はまだ整備中。彦根・米原と近代的なイメージにガラッと変わってしまった。それでも今から訪れる現存する旧駅舎の雰囲気に合わせたデザインに工夫されている。

Img_50305s 駅に程近く、「長浜鉄道スクエア」。ここは現存する日本最古の駅舎、旧長浜駅と博物館の「長浜鉄道文化館」、そして2003年7月に開館した「北陸線電化記念館」をあわせて「長浜鉄道スクエア」としてオープン。
東海道本線は最初、大津・長浜間を琵琶湖汽船で渡っていた。長浜はその東の基点として栄えたのです。しかし早くも1889年の全線鉄道開通の折にはルートを換えられて今では単なる通過駅となっている。
Img_50299s しかし近年には、直流電化の東海道本線と交流の北陸本線とのデッドセクションとして脚光も浴びました。平成3年に、田村から長浜まで直流区間が伸び、大阪方面からの新快速の終点として利便が図られたのです。しかし去年それも敦賀まで伸びたのですが、長浜駅ではおもしろい線形が組まれることになりました。
写真は日本初の実用交流機関車ED70 1号機とD51 793号。昔は交直流のデッドセクションは蒸機が牽いていました。

Img_50307s さてこんどは長浜城へ。ここは復元というより創作天守で、昭和57年に戦国時代の天守を模して博物館を建設。徳川の世になって秀吉ゆかりのものは徹底的に破壊されたので(部材は前述したように彦根城などにも使われた)、こういった城があったかどうかもわかっていない。
内部はコンクリート造りで大阪城のミニタイプといった感じ。展示も湖北の当時の様子が窺えておもしろかった。
下からの写真で雲がうまい具合に天守を映えさせているでしょう。創った天守のわりには気に入りました。金沢城天守も少ない史料の中、忠実さを守ろうとするのもいいけど、ある程度創作しないと再建はおぼつかないように思うが・・。



Img_50341s 最上階の望楼からの見晴らしもよかった。やはり少し霞みかかって遠くは見られないが、さっきまで居た彦根城がかすかに望める。このへんはのどかで住まうにもよいところだな。
しかしのんびりはしていられない。駆け足で古い時代を懐古した街並、「黒壁スクエア」へ向かう。だがこのころには僕の左ひざはもう折れんばかりに激痛がはしっていた。足を引きずって街へ。
Img_50351s 旧北国街道ぞいのこの一角で明治時代の銀行の壁が黒壁だったことから「黒壁銀行」と呼ばれた建物を改装した「黒壁ガラス館」を中心に、古い町並みを再現して観光客を呼んでいる。その真ん中に黒ならぬ「白壁」の異色な建物、「海洋堂ミュージアム」だ。食玩のフィギュアで一般にも名を馳せた「海洋堂」のここはほぼ全ての作品を網羅している。実際ここが子供から大人まで一番集客して混雑していた。ダイキャストのガレージキットの時代からソフビ、そして食玩まで、商品化されたキャラクター作品やその造形師の紹介、またここに展示するために造った大型の恐竜や動物など、スミソニアン博物館をはじめ各地の博物館に採用された実力をここで間近に見ることが出来る。
Img_50377s 僕もガレキのころからお世話になっている。今もソフビのビオゴジなどが自宅のショーケースに居る。当然自己塗装だ。
近年は塗装済みキットが手ごろな価格で大量に販売されるようになって一気に広まった。食玩の勢いもあるだろう。なにより一般化したのが大きい。こんな博物館を建てて大勢の来客があるようになるなど、当時は想像もつかなかった。
1階のショップでまたも食玩などいろいろ買ってしまった。20cmの川本三国志の武将たちは9,250円もしてたので断念した。孔明はやはり売り切れていたし。Img_50492s
ようやく帰路につくため長浜駅へ。しかし急ぎすぎたか次の特急まで1時間もある。北陸方面への接続はあまりよくなさそうだ。いい例がこれ。せっかく敦賀まで直流になったのに、手前の近江塩津まで直通する新快速は極めて限られる。敦賀からの新快速は湖西線廻りだ。
そこで長浜始発の近江塩津行きの2両編成、小浜線でも使われている125系がこの区間だけ走ることとなった。ここはそのための頭端ホームである。こういった近代的な新製車はやはり直流区間だけだろうか。ならば早く新幹線が繋がってほしいものだ。

| | コメント (0)

2007年5月 5日 (土)

「石川ミリオンスターズ」地元初勝利!

Img_51018s 長浜のレポートは翌日に回して、4日に再び県立球場にミリオンスターズを観にいっての、地元初勝利を報告する。
地元開幕の悪夢の敗北から初勝利を重ねて2連勝しての凱旋試合、富山サンダーバーズと首位攻防。いままでの残塁癖タイムリー欠乏症から打って変わって、この日は初回から得点。エースの蛇澤君の開幕以来の登板で彼の好投から締まった試合になった。四球も少なく、今日はスピーディーに進んだ。
Img_51028s_1 初安打を許したのは富山のコーチ兼任、元西武・ソフトバンクの宮地克彦選手。本日めでたくプロ通算1,000本安打達成、おめでとう! 石川のファンで埋めたスタンドからも祝福の拍手が。




Img_51052s 3回には、いままでチャンスで打ててなかった4番DHの深澤にも、待望の長打、満塁走者一掃のタイムリー三塁打。今日は投打にうまくはまって快勝ペースとなった。豪打に勝る石川の本領発揮。こういう試合をファンは待ち望んでいた。
写真は5試合で5割6打点6盗塁とチームの働き頭、佐野選手。シャープなバッティングと守備が売り。各選手の特徴もはやくもつかめてきたよ。
Img_51108s 7-2で石川の圧勝。試合時間は2時間45分。前回より1時間も早い。これなら子供にも安心して見せられるね。このへんも含めてやはり投手力がカギとなろうか。今日はエースの投げあいだからよかったが、3番手4番手の先発の出来の差で、大量点の取り合いの試合も多い。俄然時間も長くなってしまう。今後の運営にも影響しそうじゃないだろうか。
観客もそれなりに入ったように見えたが、後に2053人とわかると、そんな少なかったかな。
Img_51169s 地元初勝利に喜ぶ金森監督。いい男だ!
普段からムスッとした顔ばかり見せるから、やっと笑顔が見られてこちらもホッとした。
この顔を見にでもいいから、もっと大勢に観戦に来て欲しいですね。
とうとう首位奪取の石川ミリオンスターズ、このまま驀進が期待したい。

| | コメント (0)

2007年5月 4日 (金)

湖東の旅[城と鉄道めぐり] 2

Img_50169s 彦根駅に戻って自由通路を東口に向かう。「近江鉄道」乗り場もやり過ごして新しい工事中の東口に降りた。琵琶湖東岸の主要駅は今工事の真っ盛り。今回訪れた「米原」・「長浜」とも新しい駅にしている最中だ。この彦根駅の東側は駅に限らず一帯を高層ビルを中心とした新しい街づくりを計画している。
そんな東口に近江鉄道は「近江鉄道ミュージアム」を開設した。
Img_50170s 開業約110年と歴史のある近江鉄道の現存している車両や史料が展示してある。「近畿日本鉄道」より前に「近鉄」といわれた会社だ。戦後地元出身の堤康次郎、すなわち西武グループの傘下にはいった。いまでもバス事業の車両はライオンズカラーだ。
GWに入って昨日の29日にはイベントもあったらしいが、翌日の午前はちょっとおとなし目? 何人かの鉄っちゃんが来訪していた。
Img_50174s 資料館では旧い鉄道資材や道具、写真なども展示。単線を行き交うための通票「タブレット」一式もあった。昔30数年前の七尾線で見たタブレット交換が思い起こされる。
近江鉄道そのものに特段の愛着はないが(だって利用したことなかったし)、ここにある資料は明治時代の輸入レール始め各鉄道共通の価値と意義があるので充分楽しめた。
Img_50197s 電気機関車も多数展示してある。ED144型は運転台にも乗れた。国鉄払い下げの車両もあり、ED144には[国鉄大宮工場(今のJR東日本大宮総合車両センター)昭和30年改造]のプレートが掲げられたままだ。
地方の中小鉄道会社としては自社での車両改造など、昔からかなり元気に活動しているようだ。

Img_50212s そろそろ米原に向けて車両に乗る。東口から一旦登って近江鉄道専用ホームへ。改札と運転手は若い20代のあんちゃんだ。こういったところでもまだまだ元気に営業するんだよっていうのが見える。うらやましい限りだ。
車両は西武401系改造の800系。今はこれが10編成で主流のようだ。乗客が少ないので(終点米原へあと3駅)、先頭の窓に陣取る。
Img_50222s 朝来るときも米原で[しらさぎ]から新快速に乗り換えたので気がついたが、「近江鉄道」は米原駅でJRの敷地に乗り入れるようだ。ホームがほぼ仕上がっていた。
案の定、まもなく米原駅のところで高架の工事中路線と出くわした。現在は右へカーブして頭端の終着駅がJR駅の道路挟んだ東側にあるが、近いうちにまっすぐいってJR米原駅構内に乗り入れるのだろう。
Img_50230s その「近江鉄道」米原駅だ。この背中がJR米原駅だが、記憶のある20年ほど前なら旧い立派?な駅舎があったはずの米原駅東口は、こじんまりとした近代的な都会の駅に様変わりしていた。構内はまだ工事中で、渡り跨橋もまだメインのものが架かっていない。ホントの東口駅舎もこれからしっかりしたものが出来るのかも知れない。。
滋賀はまだまだ発展しそうですね。
続きは米原駅から「長浜鉄道スクエア」へ。

| | コメント (0)

2007年5月 3日 (木)

湖東の旅[城と鉄道めぐり] 1

Img_50038s GWがいよいよスタートして、30日には日帰りでかねてから行きたかった彦根長浜に行ってきました。両地とも城と鉄道の知る人ぞ知るスポット、滋賀には縁もあるのに今まで行かなかったほうが不思議。
6:25のしらさぎ2号(1番電車)目掛けて金沢駅へ着くと485系雷鳥が。ボンネットタイプの定期運用が引退すると、大阪方はクロ481のパノラマグリーン車となっている。この姿もいつまで見られるかわからない。JR西日本で唯一の交流電化区間である北陸本線では北陸新幹線開通を見越してか新製車は導入してくれない。写真のクハ455系や583系改造の419系などがいまも普通車の主流である。朝早いというのにGWとあってメッカの新疋田周辺ではしらさぎ683系を撮りに鉄ちゃんが列をなしていた。
Img_50067s 彦根へ初めて降り立つと、駅のロータリーでは井伊直政の銅像が迎えていた。家康は好きでないので正直ここもいままで興味がなかった。しかし今年は彦根城400年祭。ここ数年各地の城は400年を迎える。これを潮に各城を巡りたいと思ってとうとうここにも来た。
駅から10分程度の徒歩で城内へ。かなり広い堀が道の両側で待ち構える。博物館である表御殿と城内入場共通券を1,400円で購入してまず表御殿へ入る。
400年祭のイベントとしてGW中の特別展示で「彦根城と城下町」と題して大量の古地図が展示されていた。琵琶湖東岸は戦国時代は今と違って湿地や入り江(内湖)が今陸地の部分にかなり入り込んでいた。そのわりに小山も数多く、その水辺に囲まれた山を天然の要害として利用した城が湖東には多い。ここのすぐ北側の石田三成の旧城「佐和山城」を破壊して、この地に天下普請で城を築いた。
御殿は全て復元されたものだが、総面積はかなり広い。しかしかなり入り組んでいて今どこにいるのかわからなくなるくらい。ただ天井が低かったり奥向きは各部屋は狭く、金沢城二の丸御殿を復元するときどれくらいの規模になるものか、参考になるだろうか。
Img_50099s いよいよ城に登るが、まだ10時前というのに陽気もよく、不規則な上り坂で一気に汗が出てしまった。どうも彦根城を甘くみていたようだ。こんなに登るとは思っていなかった。しかしバリアフリーを標榜する昨今、早くも大勢の観光客が訪れる中お年寄りも多く、こんなにキツくてはどうなんだろう。
今はもう新緑ばかりだが、桜が多く植えられ、一月前ならなお見事な景色になっていたろう。






Img_50108s そう距離はなかったがやっとの思いで本丸に到着。念願の国宝「彦根城天守」を望む。復元天守でない、江戸時代のままの天守に登るのはもしかして初めてじゃないかな。石垣をみると切り出しの楔(くさび)の跡もなまなましい。野面積みとまでは言わないがかなり乱雑で、間に詰める小石の数も多い。
外観はかなり修復がされていて金の装飾も美しい。






Img_50126s 中に入ると梁の木材も各所で時代を感じさせる豪胆なつくりだ。
城を作るときは旧西軍側の佐和山城や長浜城・大津城などの遺材を使ったというが、明治の旧城破却のときは大隈重信の上奏によって免れた。
三層の最上階から観る琵琶湖の眺めはよかったが、今日もやはり霞みかかって遠くの山や対岸は見えなかった。
Img_50131s しかしやはりこの天守は登りにくい。階段がまるで梯子なのだ。角度が急でやはりお年寄りにキツイ。手すりをつけて段にも滑り止めを貼ってあるが、危険なのでそれぞれの階段の下には常に係りの人が居る。国宝なのに釘打ち付けていいのか?ってところだが安全のためそうも言っていられない。
しかしこんな急な階段を作って、攻め込まれても守り有利なように、ということだろうが、もしそんな場面、つまり天守を敵に包囲されたとしたら、城主は自害して天守に火を放つだろうに、結局意味ないんじゃないかとも思う。自分が登るのだって危険だ。江戸時代を通じてどこの天守も城主の住むところでなく、一度も登らなかった藩主もいるほどだ、という話も聴いたことがあるが、充分納得できる。

Img_50137s 天守から降りると外では「ひこにゃん」が待っていた。この彦根城築城400年祭にあわせて作られたキャラクターだ。かわいいにゃん。
しかし長浜では「島左近」をもじって「しまさこにゃん」が居るってどれくらい知られてるだろう。一度対決してほしいものだ。

Img_50144s 北側から天守を写す。このアングルが勇壮だ。朝早くから大勢の人で賑わっているが、この一角はあまり人がいない。この左下、黒門に向けて坂を下りたがここも登るとしたらかなりしんどいぞ。下りではやくも左膝が痛くなってきた。関節が持病のように痛むのだけど、朝からハードとなった。まだまだ今日はいっぱい歩くのに・・。
これから彦根駅へ戻って「近江鉄道」を訪れる。。

| | コメント (0)

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »