« 水上バスの旅 ③ | トップページ | 関ヶ原+伊吹山 ② »

2006年11月 4日 (土)

関ヶ原+伊吹山 ①

Img_36941s 前日は風邪で休んでたのに、従前からキップを買っていたし、なんとか動けるようになったので旅立つことにした。そう、伊吹山への山登りである。山登りといっても山頂付近までバス。このバスがこの週末で今シーズン終わりとあらば、行かないわけにはいかない!
暗いうちに早起きして、いつもの東京行きよりすこし遅い、6時25分発「しらさぎ2号」に乗る。写真はそれではなく、たまたま直前に入線してきた寝台特急「日本海4号」大阪行き。牽引する[EF81104]号はトワイライトカラーである。
Img_36951s [683系]などが編成する「しらさぎ」は、北陸では当たり前なので撮影しない。米原駅で東海道線を待っていると、JR東海の[313系]が特別快速として入線。1999年から導入されたこの車両は、国鉄時代の103系113系の淘汰を目的とし、過酷な運用だった311系の負担も軽減、ローカルも含めた線区に応じた運用に対応してJR東海の標準車両となった。今年7月からの大量増備で計391両、最大勢力となった。真新しい車内は3ドア固定ロングシートもすわりごこちがよく、大きいガラス越しの運転台と正面も明るく快適だった。複雑な米原駅構内もすべるように東海道上り線としてオーバークロスし、同時に北陸本線からやってきた583系改造車の419系が入線すると、そのツギハギの痛々しい車体との落差が妙に悲しかった。
Img_36983s 関ヶ原駅に到着。ここから伊吹山ドライブウェイ山頂までバスに乗る。時間まで関ヶ原の史跡を辿ることにした。駅前は小ぢんまりとした地方の静かなたたずまいのまま。山に四方囲まれた街道の交差点は、その土地ゆえに歴史の主役の場となったとしても、その後の発展を約束されたわけではなかった。
新しい跨線橋(こせんきょう。線をまたぐ意)で駅の北側に向かう。この橋の名が「関ヶ原古戦橋」

Img_36963s 駅から歩いて5分で、古戦場その壱の「徳川家康最後陣地」。「最期」ではない。ここより東の桃配山ふもとに最初陣取った家康は戦局が膠着すると、前線に近い関ヶ原中央のここに陣を移した。戦闘後写真奥の土盛で囲った中で床几に座り、敵将の首実検をしたという。
関ヶ原は適度に広い平野部のそこかしこに「だれそれ陣跡」「決戦地」「首塚」などと点在しているので、それらを網羅するだけで一日以上かかろう。したがってここだけにした。
Img_36955s その隣にあるのが「関ヶ原歴史民俗資料館」。朝早いからか人通りも少なく、のどかな田舎の静かな空間の中に、ここから拡声器で最近出来たという、演歌の関ヶ原の歌が響いていた。近所迷惑ではないのか?
館内は確かに貴重な資料や解説はあるにはあったが、規模でいうとチカモリ遺跡の資料館(8月19日の記事参照)とあまり変わらない。町営のようだが受付におばさん一人しか居なく、日本のその後を左右した、一大決戦を網羅した博物館としてはなんとも寂しい。そのおばさんは、岐阜市からきた中学の教師という人に、『戦には農民やどんな人たちまでもが参加してたのか子供たちに質問されたがわからなかったので来た』、というのに答えられなかった。
Img_36965s 当時の武具、鉄砲などの展示や、陣形図の大型模型など一通りは楽しめたが、出色のものはなかった。西軍を裏切った小早川秀秋が陣取った「松尾山城」の復元図があり、小高く見晴らしのいいそこは古くから山城があって、善戦の西軍を見ていたはずの秀秋がなぜ裏切ったか「謎」としている。
2階には出陣していた両軍の旗指物や家紋が並べてあったが、この中に「前田家」がないのは良かったのかどうだか。まぁバスまであまり時間がないので、適当に切り上げて駅へ向かう。 ・・・つづく。

|

« 水上バスの旅 ③ | トップページ | 関ヶ原+伊吹山 ② »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 水上バスの旅 ③ | トップページ | 関ヶ原+伊吹山 ② »