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2006年11月 2日 (木)

水上バスの旅 ②

Img_36493s 両国から下流に向けて、いざ出発。対岸の堤防は塗り壁に海鼠塀をあしらって、まるで城壁のようだ。人形の久月の本社がみえる。現代東京の下町の風景だ。
船には待った分結局一番のり(キップ購入順に乗船順位カードをもらえる)で、右前の席にしたが、まぁ全体ガラガラで、一つ前の船の混みようと対照的だった。

Img_36497s ここは神田川との合流地点。そして向こうに見えるのが「柳橋」。「柳橋の料亭・・」の「柳橋」だ。橋の左たもとに柳が見えるでしょう。ここでお客と待ち合わせたりしたので「柳橋」とついた。江戸時代からある粋な街のはなしである。


Img_36499s 「両国橋」。両国とは隅田川を境に武蔵国と下総国の2国を繋いだから。千住大橋についで隅田川で2番目に架けられた橋。明暦3年(1657)の「振袖火事」のとき隅田川に橋がなく、大勢の犠牲者を出したため、万治2年(1659)架設した。
さらに関東大震災で多くの橋が焼け落ちたので、以来架設された鉄橋が隅田川に多い。この両国橋も震災後の1932年に架け替えられたもの。
Img_36503s この方がボランティア解説のおじさん。今日はこの便にのみ乗船ということで、たいへんラッキー、と言われたが、果たして・・? でも多少知識として持っていたが、再確認や新事実も聞けて結構たのしい説明だった。新事実はのちほど・・。


Img_36524s ここは佃島のリパーシティ21。旧石川島播磨重工業の工場跡地にマンション街を作った。学校・病院もセットされ、ここで生活のすべてを賄えるという。じつはここに郷土の勇、松井秀喜の自宅があるという。シーズンオフの数ヶ月しか居ないだろうが、いずれ引退したら、ここを終の棲家にするつもりだろうか? 浜風を一身にうけるこのあたりは、水害や地震があったらどうなるか不安にならないかとも思うが。
Img_36534s その佃島と対岸新川を結ぶ中央大橋。隅田川で一番新しい橋だ。斜張橋の橋桁には銅像があり、隅田川と姉妹川のパリのセーヌ川との友好を記念してフランスから贈られた。「メッセンジャー像」といい、パリの紋章である帆船を手にしているという。
このあたりは夜景がすばらしいだろう。そういったタイミングで撮影できないのも心残りだが。

Img_36537s その中央大橋のそばに、水準点を記念したモニュメントがある。「霊岸島水位観測所」である。
みなさんは山の標高などの基準はなにからだと思いますか。実は日本の標高は、東京湾の平均水位から算出されています。高さの基準となる「水準原点」は、実は国会議事堂そばの永田町1-1(旧陸軍測地測量部)の石堂の中にあり、標高24.4140メートル(関東大震災で24.5メートルからずれた)なのですが、その基になるのがここでした。
現在では埋め立てなどが進み、観測所として適さなくなったため、三浦半島の油壺に機能は移されています。
Img_36548s そして隅田川最下流の橋、「勝鬨橋」。言わずと知れた、まんなか44メートルが開く可動橋だ。交通量が多くなったため昭和45年以来開かれていないが、現在でも機能は残っている。「両さん(こち亀)」では開いてみせたりしてたよね。ここのライトアップも緑と青の照明でたいへん綺麗だそうだ。

Img_36559s いよいよゴールの「浜離宮恩賜公園」が近くなってきた。
手前の森がそうだが、その向こうにそびえるビル群が汐留だ。浜風をさえぎって、こりゃヒートアイランドになるわ、という大きなカベが出来ている。こんな重たい構造物を、一点の地面が支えている(免震構造は少ない点で建物を支える)と思うと、地盤沈下とか大丈夫かなと素人ながら気になった。東京はこうやって観光に来ても、住むところじゃないな、と改めて実感。
パート3はまたあした。

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