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2006年11月

2006年11月27日 (月)

「武蔵国全図」

Img_37186s 「武蔵国全図」。東京よりむしろ、地方で地図を多く置いてある書店のほうが、各地の旧国の古地図があったりする。大桑の「いまじん書店」で購入した。
安政3年(1856)。各都市の地図は幕府秘匿のためあまり流布しなかったが、国地図は江戸時代を通じてそれなりに出版されていた。幕末も近くなるとより精緻になり、この武蔵国全図は彩色も鮮やかで山川・郡境・村名はもちろん、当国の寺社仏閣の一覧も載せるなど情報量も多い。先刻紹介した明治の「大阪府管内細見全図」より出来はすばらしい。武蔵国の名の由来も載っている。「大和本記に秩父の山々が勇者のごとく勇壮で、日本武尊が東征の武具を岩蔵に納め埋めたので武蔵といふ」といったようなことが書いてある。
江戸時代の彩色出版なので、当然ながら版画である。自著板元が菊池脩蔵で、有名な江戸の日本橋壹丁目「須原屋茂兵衛」をはじめ13軒が出版官許されている。
左の赤い部分が江戸だが、幕末でも江戸の範囲は[深川・本所・駒込・巣鴨・高田・新宿・渋谷・高輪]までである。武蔵国は埼玉県と東京都、川崎・横浜のほとんどと広い。今の「さいたま」の範囲をみると、大宮・浦和より「岩槻」のほうが大都市のようだ。「三沼」も大きな沼としてある。一時期地名としてなくなった今の横浜市都筑区は長く「都築郡」だったし、「千住」からさっきの「さいたま」よりさらに「鴻巣」までずっと「足立郡」だ。こういった旧郡の範囲を全国研究するのがこの先の目標である。(既に「和名類聚抄郡郷里驛名考證」は手に入れてある。が時間がない)この古地図が充分な参考資料になるだろう。

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2006年11月26日 (日)

「白馬」登山地図

Img_37181s 地図好きが嵩じて山登りを始めたようなものだが、登山地図も買ってしまった。
「昭文社」の山と高原地図シリーズの「白馬岳」(北アルプス)1/50000だ。登山用に濡れてもいいように、合成紙の「ユポ」で出来ている。破れないよ。
本格的な山の興味はこれからと思うが、北アルプスは隣の富山県から始まっているが今まで近くて遠い存在、その位置関係もあまりよくわかってなかった。白馬はこちらから見ると裏側。糸魚川から大糸線に乗って白馬駅へ。大糸線は南小谷で電化非電化が分かれてるので乗り換えが必要で、金沢から結局3時間以上かかってしまう。その先の松本へは5時間もかかり、大糸線経由より、特急乗り継ぎの名古屋周りと時間的に変わらないという始末だ。
それでも来夏には友人と行こうと思っている。地形図なども買ってじっくり研究して、今から楽しみである。(ところが金沢では、北陸以外の地域の地形図を書店で置いていない。困った。)

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2006年11月25日 (土)

BCリーグ「石川ミリオンスターズ」

プロ野球独立リーグの「北信越ベースボールチャレンジリーグ」(BCリーグ)で石川球団の詳細が決まった!
球団名は「石川ミリオンスターズ」球団ロゴは←サイトに飛んで。監督は西武で活躍した金森栄治氏。
球団名は一般募集もしていて自分も応募したが、百万石と言うこともあって「ミリオン」はキーワードの一つだったが、同名のパチンコチェーンもあって自分は敢えて避けてたのに、そう決まってしまった。他の4県は「新潟アルビレックス」「富山サンダーバーズ」「信濃グランセローズ」と、結構かっこいい名前だが、石川はちょっとやぼったくないか?富山は県鳥「雷鳥」から来てるし同名の特急もあり認知度がすでに高い。シンボルマークのデザインももうかっこいいのが決まってる。石川のロゴは無機質でM’sはMがBだったらオリックスとなんら変わらないぞ。
しかし監督は、だれもが未経験とはいえ、石川の金森氏はコーチ経験も豊かで、そこは期待が持てる。(新潟は後藤孝志氏、富山は鈴木康友氏、長野は木田勇氏)彼は金沢出身で(此花小学校)、中学から大阪のPL学園へ野球留学したので早くから金沢を離れたのに、プロ現役時代なんらかの賞で高級車がもらえたとき、金沢市の公用車として寄付したことがある。金沢を忘れないでいてくれたわけだ。デッドボールで有名だが、ヤクルト時代野村監督に見出され代打の切り札を長くやり、引退後もコーチとしてヤクルト・阪神とノムさんに仕えた。今年もソフトバンクに在籍したが、理由はわからないが弾かれた。おかげで石川球団に呼ばれたことになる。彼のことはずっと好きだったので、来期の采配が楽しみだ。
このBCリーグ、本日最初のトライアウトが金沢の星稜高校グラウンドで行われた。60人ほどが参加し、各所で開催後、西武ドームで来月2次テストがあり4チーム全体で100人が選ばれる。その後地元選手を優先で選んだ後、ドラフト?で計25人が各チームに振り分けられる。
サッカーは石川のチームはイマイチの感はあるが、来期からはじまるBCリーグ、週末を中心に開催される試合、地元の応援に駆けつけたいと思う。

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2006年11月23日 (木)

「食玩」また買い出しちゃった。

Img_37180s 久しく眠っていた食玩熱が復活しちゃうかも。ここのところのミニチュアは、申し訳程度のガムやチョコビンズもなく、全くミニモデルと化している。
チョコエッグの動物に始まった食玩も、今やオトナ向けのレトロな作品が数多い。仏像や城まである。最初のころはコンプリートにこだわってたが、価格も300円台から5、600円もするし、なかなか揃えるのはたいへんなので、いくつか買って気に入ったのが手に入ったらオシマイ。でも川本三国志シリーズは揃えたかったけど、そんなに多く売ってなかった。販売元の「北陸製菓」は金沢にあるのにね。
最近はまたスカイラインやスポーツカーものも何度も手に品を変えて出てくるから、ついコンビニでまた買い出してしまった。ロフトには未組立のミニチュアが1年分くらい溜まってる。一斉に組上げるのは正月休みか? いずれそれらはまた紹介しよう。

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2006年11月20日 (月)

第二回「金沢検定」傍観

今年で2回目の「金沢検定試験」が昨日実施された。3000人超が申し込んだのに実際受験したのは65%にすぎない2736人だった(去年は79%)。
去年初級を合格した者としては、今年どうしようか考えたが、中級を受けるのはとりあえず様子見にした。80点以上が合格ラインだが昨年は初級で合格率5%の130人、中級にいたっては15人しか受からなかった。今年も同様の難易度だったら、合格ライン70点、40%ほど合格する「京都検定」などとは一線を画す超難関ご当地検定としてその名を留めるつもりと判断して、来年中級を受けてやろうじゃないかと考えた。
まぁ去年は初年度として、主催の金沢経済同友会に加盟している企業から、社員がムリヤリ参加させられたのもあり合格率が極端に低かっただろうと思うし、また出題内容が想像できなかった分、今年は多くの対策本の発売や充分予習してきた参加者も多いだろうから、合格率は結構上がるんじゃないかな?
昨年中級を合格した15名のうち9名は、市役所OBをはじめとした、金沢観光ボランティアガイドの「まいどさん」の方々だった。やはりそれくらいでないと受からないようで(去年の中級の出題内容をまだ知らないが)、今年初の上級試験の対策も[山の標高]や[泉鏡花賞の受賞者名]などマニアックに富んでいてハンパじゃないようだ。実際出された上級問題を早く知りたいものだが、重箱隅ツツキは勘弁してほしい。
来年2月に合格発表というが、昨年も結局12月には判明した。早いとこ合格率が知りたいですな。そこからがスタートだ!

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2006年11月19日 (日)

「大阪府管内細見全図」

Img_37177s 久しぶりに先日買った古地図を紹介。明治16年「大阪府管内細見全図」
明治に入っているが、これは絵地図に等しく、距離寸法などもいい加減だ。しかし明治初期の大阪府奈良県を網羅し、郡の位置や村名、山や街道もかなり綿密に記載されている。なにより河川が簡略ながらも漏れなく記入され、いやこの地図の中で一番目立つ存在のように描かれているのが興味深い。さすが水の都だ。
特徴あるのは淀川だ。淀川は古代から船運が盛んで江戸時代はその最盛であったが、上流からの土砂の流入も多くたびたび妨げとなっていた。明治になって河口の港湾整備の必要もあり、オランダからの外国人技師たちの手によって築堤や河川改修が計画され、今の新淀川放水路にも繋がる一大河川改造が続いた。明治18年の大洪水をも契機に、河川改修の必要性を訴えたオランダ人技師「デ・レイケ」はこのほか木曽三川改修計画などでも活躍し、内務省事務次官相当の土木技監(勅任官)となって富山県や長野県の社会資本整備を指導し、勲二等瑞宝章を叙勲して明治36年にオランダに帰国するまで、明治のお雇い外国人の中で尤も長い29年間に亘って日本の近代化に貢献した。
しかし最近までこの「デ・レイケ」の実績は研究されず謎とされ、その功績は教科書にも載らず全く無名であった。日本地図センターの「地図中心」409号には彼の活動をはじめとした淀川治水の歴史が詳しく掲載されている。特に大阪の人にはぜひとも読んでいただきたい内容になっている。

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2006年11月18日 (土)

金沢城に新「回廊」

Img_37106s 風邪もようやく癒えかかってきたので、今日オープンの金沢城「石垣めぐり、薪の丸コース」を視察に行ってきた。
江戸時代を通じて何度も改修を行ってきた金沢城は、年代ごとに工夫が重ねられてきた石垣の特徴がバラエティに富み、[石垣の博物館]とも言われる。そこで県が金沢城の魅力に触れることのできる散策路「石垣回廊」を整備。このたび金沢城本丸南面、宮守堀(いもりぼり)園地西側から入る「薪の丸コース」が完成した。
入口には宮守堀の鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)跡から発掘した石垣が整然と並べられ展示している。また、石垣の主な積み上げ方3種のモデルも、その奥の構造がわかるように組み上げ並べてある。みなさん、石垣の石はサイコロのようだと思ってませんか? 実はそのほとんどは、奥行きが表面の辺の2倍から4倍も長いんですよ。
Img_37118s 本丸下は、石垣が4層に段を重ね、それぞれが出丸のようになっている。[薪の丸]もそんな出丸の一つで、薪というからには、そういった資材倉庫が置かれた時期もあったらしいが、本来は本丸の防御の役割の方が重要だったようだ。
東面に廻ったら、ちょうど反対側から来た本日の「石垣巡りガイドツアー」(先着40名。間に合わなかった)に鉢合わせ。解説を少し聞かせてもらった。寛文6年(1666)、石垣普請職の穴生衆(あのうしゅう)である後藤権兵衛によって改修された、整然と積み上げられた「打ち込みハギ」の石垣は、じっくり見ると一つ一つはわりと大きく、また緻密な計算がないと実際は組めないようで、その資料は今も後藤家に秘伝だそう。
今日の「薪の丸コース」のオープンで、それに続く3月にオープンした「玉泉院丸コース」などとあわせて1.8kmの「城内ルート」が完成。こういったアプローチの城跡は全国でも珍しいと思うので、金沢へいらした際にはぜひ散策に来てください。
Img_37142s 今日は国の重要文化財、「三十間長屋」も一般開放。安政5年(1858)に再建されたこの建物と、有名な「石川門」が江戸時代から残る建造物だ。倉庫としての役割も多かった日本の城の「長屋」だが、この三十間長屋は珍しい二階建て。海鼠塀も美しく、この面の反対側は出窓もある。普段閉まっているこの中身は以前から興味あったので、早速入ってみよう。
Img_37134s 中は窓が全て開放されてるとはいえ、かなり薄暗く空気もよどんでいた。おかげで結構咳き込んでしまった。写真は明るく見えるが、露出を調整した結果だ。意外に構造的には簡単なもので、どの梁も当たり前のように木の太さを生かして曲がっている。今でもなにか置いてあるのかと思ったが中はがらんどう。これならある程度の制限をつけて、常に開放したらいいのに。しかし重要文化財、火災に気をつけやたら消火器が多く置いてあった。
Img_37155s 外に出て鶴丸へ。再建した橋爪門続櫓などの裏手になるが、実はここらからの眺めのほうが好きだ。ブログのトップ写真もここから。今日は石垣と紅葉と城。日本の典型的な秋の景色だ。ほらほらあなたも金沢へ来たくなりませんか?


Img_37160s 鶴丸には、休憩所を兼ねた解説展示室がある。また土塀の構造をモデルにした、写真のような展示物もあり、城の仕組みを身をもって学べる。ここ数年でホント充実してきたなぁ。たまに来るだけでもいつも何か新しくなっている。


Img_37168s そして今、「河北門」復元整備のための発掘調査が行われている。3年後の完成を目指した金沢城の実質の表門だった枡形門の復元は、金沢城公園の中心にデンと櫓門が鎮座する、今後の金沢城のシンボルとなる建造物となるだろう。工事の模様は折に触れ追跡していきたい。
今日はこの後「金沢21世紀美術館」で「北大路魯山人」展を見に行ったが、これは正直ちょっとピンとこなかった。書がわりと少なく、焼物ばかりだったからかな。

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2006年11月14日 (火)

溜まった「功名が辻」

今月に入ってからの風邪ひきが長引いて、未だに完治してません。今年の風邪はしつこいらしくて、長く罹っている人が多いと聞きます。みなさんもお気をつけください。
週末もなるべく楽にしていて、ブログの更新もお休みしてましたが、その間たまってたTV番組のHD録画を見たり整理したりしてました。特に今年の大河ドラマ「功名が辻」を、7月分から8月いっぱい分までをやっと観ることが出来た。賤ヶ岳から北条征伐あたり。仲間由紀恵見たさに録ってから、日曜20時を横着こいていたらここまで溜まったわけですが、ここへ来てあまりの演出にちょっと閉口ぎみ。時代の流れの重要な場面全てに一豊や千代が積極的に関与している。もしホントなら、今までの戦国時代を扱った大河にすべて登場しなきゃならないのに、今までは名前すらそう出たことなかったはず。まぁこの時代の転換期に、どう一豊をドラマとして絡めるかとしたら、そうせざるを得なかったかも。ホントの本人にとって重要な場面は関ヶ原直前。このときのために今までを布石としてるようなもの。
逆にここまで、まるで無視するかのように、前田利家は登場していないけどこれも不自然。秀吉薨去の後必要になって唐沢利家を出演させるようだけど、もはや遅いって。しかし山内一豊という派手でない主役のおかげか、あの時代を冷静になぞって展開するところは、一般にはわかりやすかったかも。
ただ、大河で最後にそこまでするかわからないけど、一豊が土佐に入国してから取った処置は、お世辞にも立派とは、ホントは言えない。長宗我部の残党の武士を悉く虐待・差別して、上士・下士の制をとり、坂本竜馬の時代まで尾を引くわけだから、幕末はやっぱり関ヶ原から始まっているという「みなもと太郎」氏の説は正解と思う。
ところで、最近の大河はなぜかプロレスラーを多用している。今回も高山善廣(蜂須賀小六)と高田延彦(本多忠勝)が出演。そのうえ似合っていい味だしてるから文句はないけど。次は誰だ? それと、永作博美ってあんな綺麗だったっけ? 淀はだれがやっても映える役だよね。

功名が辻 (後編)    NHK大河ドラマ・ストーリー Book 功名が辻 (後編) NHK大河ドラマ・ストーリー

著者:司馬 遼太郎,大石 静
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風雲児たち 幕末編 (9) Book 風雲児たち 幕末編 (9)

著者:みなもと 太郎
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2006年11月 7日 (火)

バラエティ マンガ書評 ⑤

さて久しぶりにマンガ書評を。いまさらでもあるが、講談社「アフタヌーン」連載の、沙村広明「無限の住人」。93年、四季賞からデビューするなり、その圧倒的な画力・大胆な演出・斬新な殺陣、などにより「時代劇」を一躍エンターティメントの主流へと蘇らせた[ネオ時代劇]と評される。
今まで時代劇とは無縁と思われた、ロック魂がガンガン入っているファンキーな野郎どもが江戸の舞台を好き放題暴れ捲っている!!てな感じ? 殺陣の表現や奇抜な武器類も特徴がある。なにより作者はどうも大の葛飾北斎ファン。北斎は90歳オーバーの人生の中で数多く雅号を変えているが、それらを主人公はじめ敵やライバルの名前に多用している。主人公の「万次(卍)」、「戴斗」、「宋理」、「偽一」などである。
当時とてもそんなやつ居なかったろうと思わせる登場人物も多いが、その深い写実的画面と歴史的探求力のあるストーリー仕立てが、妙に読者に説得力を与える。またどんなに筋立てが飛び回ろうと、最後にはホッとした安堵感のあるハートウォームな立ち位置に戻ってくる安心感が、多様な読者の人気を得ている要因かも知れない。
以前はその書き込みの深さゆえに、連載時に間に合わずほとんど[白い]コマを多用した時期もあったが、自らやアシをロックバンドになぞらえ、単行本の見返しにアナザーストーリーをぶち上げるなどギャグ?センスも楽しい。そんな「むげにん」も連載はいよいよ佳境。一度は壊滅の憂き目に会ったライバルチーム?と切腹猶予一ヶ月の幕府側のリーダー(これも今は万次の敵)との最期の対決に、万次と死にゾコないの本当の?がどう絡むか!! でもこれであと2年はメシが食えるんじゃない?

無限の住人 20 (20) Book 無限の住人 20 (20)

著者:沙村 広明
販売元:講談社
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2006年11月 6日 (月)

金沢駅前の変化!

Img_37083s すっかり旅行記になってしまった当ブログ、本来のインドア系に戻る前に、金沢駅で行われていたアートを最後に。
東口「もてなしドーム」を光のカーテンで覆う「デジタル掛軸」(D-K)。TVで大河ドラマやニュース・スポーツのタイトル、中国電視台のロゴやCMなど数千本を制作、ACC賞など多くの賞も受賞している[長谷川章]氏が創作。すでに世界中の世界遺産などでパフォーマンスされている。
Img_37090s デジタルで作られた光の万華鏡がここの場合建物の内側を彩る。ドームの無機質なアルミパイプがまるで大型生物の骨格のように命を与えられたようだ。
なんて少しは見とれたが、パンフにあるようなガラスの方には彩色は見えず、金属パイプにのみ反射しているので実際暗くて今ひとつだった。
「D-K LIVE」と題されたこの企画は、他の建物なら外側から壁面を映すので、迫力と美しさは見ごたえがあるだろうが、ここではちょっとザンネンじゃないかな。まぁあえて見に来るつもりは無かったので、たまたま見られてよかった。
Img_37095s それよりなにより、問題はここだ!この金沢駅東口に前日オープン、「金沢フォーラス」。イオングループが満を持したファッションビル。北陸に今までなかった数々のブランドショップや、駅前初の9スクリーンのシネコン、フードダイニングなど、駅前立地を生かして北陸3県からも広く若者の集客を狙った。市内中心部の片町・タテマチなど既存商店街も戦々恐々、など、そんなことはどうでもよい。
週末、度々駅方面へ行くとき、反対側西口の駐車場に入り、駅でキップを購入、20分以内で戻ってくれば無料。でいつも空いていたのが、なんと入場制限つきの混雑!! いったい今後どうしてくれるんだ、と言った顛末。 これから先も駅前は出店計画が。どうなるんでしょう。

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2006年11月 5日 (日)

関ヶ原+伊吹山 ②

Img_36988s 10時発で関ヶ原駅から伊吹山ドライブウェイへバスで行く。満員にはならないが、二人掛座席が一人ずつ埋まるほど。年配の夫婦も多い。今日は快晴だが山の上の方は少し霞んでみえる。先が心配。片道17キロもある有料道路はかなり曲がりくねりと勾配がある。上がるにつれ路肩の山肌もガケとも思える勾配の様になってきた。杉などの人工林から紅葉の原生ブナ林にその姿も変える。耳も少し痛くなってきた。洟のかみ過ぎだけではないようだ。関ヶ原から見えていた山稜を越すと、写真にある伊吹山山頂が見えてきた。道はあの裏手になる北側をぐるっと廻る。
Img_36992s ゆっくりと45分かけて駐車場到着。広い平坦地に思いがけず自家用車が多い。シーズンオフ直前の駆け込みのようだ。ここで標高1,260m。日本百名山の表示もある。平地と気温差5~10度と聞いていたが、やはり少し寒い。先日買った登山用のジャンバーを着込む。芭蕉も「奥の細道」終焉の大垣で、「そのままよ 月もたのまし 伊吹山」と詠んだとあります(月の力を借りなくてもすばらしい伊吹山よ)。写真向こうは琵琶湖が見えるそうだが、今日も霞んでやはり見えない。ここのところ山や高いところに登って遠くを眺望したかったのに、晴れても悉く裏切られている。そういう空の下なのか・・・。
Img_37004s さてここからいよいよ登山だ。といっても標高差約100m、幼稚園児でも歩いている。道幅も広く勾配もきつくない。ほとんどピクニック気分なんだろう。しかしこの西ルートは整備中とあって、不規則な大きさのバラストが転がしてあって歩きづらい。そして道々の高山植物は全て枯れ果てていた。今年は晴天が多い秋で、生育も早かっただろう。ハゲ山を大勢の行楽客がありがたがって登ってる図であった。

Img_37046s 30分ほどで山頂到着!露岩も多いこの山頂部はしかしサッカーのハーフコートのように広く、また下はどこもガケのように急勾配で、そうコンビーフ缶のようだと言えばいいか。ここにはみやげ物屋、祠、モニュメントなどが複数雑多に入り混じり、登山?客も何百人といて混雑。とても千m級の山頂と思えない。雲は既に眼下にも泳ぎ、風は冷たかったが陽射しはしっかりと温度を感じた。汗も適度に掻いたが風邪病み上がりに丁度よいリハビリになったかな。
Img_37031s ありました一等三角点「伊吹山」基準点コード[TR15336039201]。標高1377.31m。今日はこれを写しにきたようなもの。もう使われなくなった旧伊吹山測候所の横の最高点にある。しかしこの三角点の四角柱を守るように、四辺の脇にコンクリで埋められる自然石の一辺が写真のように崩れていた。様子からみてそんなに新しくないが、国土地理院は早めの補修はしないのだろうか?

Img_37051s 山頂から、登ってきた駐車場を見る。伊吹山の山影は、JRで長浜あたりを通っても良く見える。本当は山頂から、この日運行していたSL北びわこ号を見たかったのだが・・・。でもその山影は石灰岩大量採掘でいびつな姿を露呈している。
駅からのドライブウェイバスは「名阪近鉄バス」。このドライブウェイ自体も近鉄本社の所有だったが、今年外資に譲渡してしまった。ここにも近鉄の秋風が吹いているとは・・。
山頂の風を枕に、帰りのバス時間まで小一時間昼寝し、関ヶ原に着いたらその後の史跡廻りは止めて早めに金沢まで戻ってきた。戻ってきたら駅では・・・。 つづく。

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2006年11月 4日 (土)

関ヶ原+伊吹山 ①

Img_36941s 前日は風邪で休んでたのに、従前からキップを買っていたし、なんとか動けるようになったので旅立つことにした。そう、伊吹山への山登りである。山登りといっても山頂付近までバス。このバスがこの週末で今シーズン終わりとあらば、行かないわけにはいかない!
暗いうちに早起きして、いつもの東京行きよりすこし遅い、6時25分発「しらさぎ2号」に乗る。写真はそれではなく、たまたま直前に入線してきた寝台特急「日本海4号」大阪行き。牽引する[EF81104]号はトワイライトカラーである。
Img_36951s [683系]などが編成する「しらさぎ」は、北陸では当たり前なので撮影しない。米原駅で東海道線を待っていると、JR東海の[313系]が特別快速として入線。1999年から導入されたこの車両は、国鉄時代の103系113系の淘汰を目的とし、過酷な運用だった311系の負担も軽減、ローカルも含めた線区に応じた運用に対応してJR東海の標準車両となった。今年7月からの大量増備で計391両、最大勢力となった。真新しい車内は3ドア固定ロングシートもすわりごこちがよく、大きいガラス越しの運転台と正面も明るく快適だった。複雑な米原駅構内もすべるように東海道上り線としてオーバークロスし、同時に北陸本線からやってきた583系改造車の419系が入線すると、そのツギハギの痛々しい車体との落差が妙に悲しかった。
Img_36983s 関ヶ原駅に到着。ここから伊吹山ドライブウェイ山頂までバスに乗る。時間まで関ヶ原の史跡を辿ることにした。駅前は小ぢんまりとした地方の静かなたたずまいのまま。山に四方囲まれた街道の交差点は、その土地ゆえに歴史の主役の場となったとしても、その後の発展を約束されたわけではなかった。
新しい跨線橋(こせんきょう。線をまたぐ意)で駅の北側に向かう。この橋の名が「関ヶ原古戦橋」

Img_36963s 駅から歩いて5分で、古戦場その壱の「徳川家康最後陣地」。「最期」ではない。ここより東の桃配山ふもとに最初陣取った家康は戦局が膠着すると、前線に近い関ヶ原中央のここに陣を移した。戦闘後写真奥の土盛で囲った中で床几に座り、敵将の首実検をしたという。
関ヶ原は適度に広い平野部のそこかしこに「だれそれ陣跡」「決戦地」「首塚」などと点在しているので、それらを網羅するだけで一日以上かかろう。したがってここだけにした。
Img_36955s その隣にあるのが「関ヶ原歴史民俗資料館」。朝早いからか人通りも少なく、のどかな田舎の静かな空間の中に、ここから拡声器で最近出来たという、演歌の関ヶ原の歌が響いていた。近所迷惑ではないのか?
館内は確かに貴重な資料や解説はあるにはあったが、規模でいうとチカモリ遺跡の資料館(8月19日の記事参照)とあまり変わらない。町営のようだが受付におばさん一人しか居なく、日本のその後を左右した、一大決戦を網羅した博物館としてはなんとも寂しい。そのおばさんは、岐阜市からきた中学の教師という人に、『戦には農民やどんな人たちまでもが参加してたのか子供たちに質問されたがわからなかったので来た』、というのに答えられなかった。
Img_36965s 当時の武具、鉄砲などの展示や、陣形図の大型模型など一通りは楽しめたが、出色のものはなかった。西軍を裏切った小早川秀秋が陣取った「松尾山城」の復元図があり、小高く見晴らしのいいそこは古くから山城があって、善戦の西軍を見ていたはずの秀秋がなぜ裏切ったか「謎」としている。
2階には出陣していた両軍の旗指物や家紋が並べてあったが、この中に「前田家」がないのは良かったのかどうだか。まぁバスまであまり時間がないので、適当に切り上げて駅へ向かう。 ・・・つづく。

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2006年11月 3日 (金)

水上バスの旅 ③

Img_36553s 浜離宮横の東京中央卸売市場(築地市場)だ。海から見ると、毎日引っ切り無しに魚運搬船が横付けする姿が浮かんでくる。
江戸の魚市場はさっき見た佃島に家康が大坂から漁師を呼び寄せ、江戸城に献上させる残りを日本橋で売らせたのが始まりです。やはり関東大震災で日本橋の魚河岸は壊滅し、仮設の芝浦から海軍兵学校のあった築地へ大正12年移り、昭和10年に今の規模となり鉄道・海運両方から、扇状の建物で全国から新鮮な海産物などを荷受しています。昨年実績で1日3,300トンの魚・野菜を取引しています。
今やここも手狭となり、平成24年には江東区豊洲に移る予定です。
Img_36561s_1 「浜離宮庭園」に入る水門です。遊覧船が一隻通るのが精一杯の幅。かなりキケンですね。後ろには築地の朝日新聞が見えます。このあたりは聖路加病院から歌舞伎座・築地市場・新橋駅・国立がんセンターなど、地方にいてもニュースなどでよく聴くスポットが林立している。
こんな都会の真ん中だが、海の上だと少し静かに思う。
Img_36570s 水門から出てきた大型観光船だ。この船ではなかったが(昨日かな)、船上結婚披露パーティも華やかに開かれ流行っているようだ。貸切だといったい幾らかかるのかな? 
とてもする気にはなれないが、ナイトクルージングなど素敵なものだろう。

Img_36574s 浜離宮の下船場だ。ここまで35分。なかなか楽しい旅だった。このあとお台場まで行く船には、乗客もここでほとんどが降り、改めてここからの乗客が多く乗り込んだ。両国からここまで500円、浜離宮入場券が300円だ。なんともお手軽な東京観光ルート、関東の人でもあまり経験がないんじゃないですか。

Img_36586s 「浜離宮恩賜庭園」なにが恩賜かというと、ここはもともと徳川将軍家の庭園。鷹狩場や浜御殿と呼ぶ別邸でしたが、明治維新で皇室の離宮となりました。戦後東京都に下賜されたので「恩賜」公園。
ここも旧安田庭園のように、海水を潮の干満で引き入れる「潮入の池」様式。安田庭園ではどこも水門を閉鎖と書いてあったのに、浜離宮のパンフには都内唯一の池とある。どっちが正解?
鴨場の池が二つあり、鵜やカモメなど多くの水鳥・野鳥が生息している。ベンチで老人たちが句会を開いていていたり、休日の午後たくさんの人でにぎわっていた。しかしこういった庭園は「兼六園」で充分あじわってるし、もとより30分遅れのスケジュール。ほとんど立ち止まらずに庭園を三角に横切るように短時間で通り過ぎた。
Img_36590s 浜離宮から汐留を横切って新橋から東京タワーへ。タワーに登るのは30年ぶりくらいか?
映画などここのところの「東京タワー」ブーム。第二東京タワーの建設もきまり、一躍脚光を浴びて今日も超満員! 下のビルは30年前のかすかな記憶に比べたらだいぶ現代的にスッキリしている。大展望台まで820円。3機のエレベーターをフルに回転させ10分くらい待ちで乗れた。ちょうど今年の9月29日で、累積1億5,000万人御来塔の看板もあった。
昭和33年に333メートルで開業した世界一のタワーの建設労苦は、先日NHKの「その時歴史が動いた!」でも詳しい。
アナログ波14波、デジタル波9波でもう容量的に限界。墨田区、東武伊勢崎線「業平橋」駅前(地下鉄押上駅上)を第一候補として、2011年の地上波デジタル完全移行に向けて、600メートル級の大タワーを建設する計画がある。


Img_36610s 再来年、開業50年を迎える東京タワーだが、大地震がきても倒れないらしい。333メートルだとゴジラでも実際はムリだろう。
大展望台に登ったが、朝方の雨で遠方がけぶっていてダメだ。左に見える高く霞んでる建物が「六本木ヒルズ」。新宿副都心も霧の中なので、特別展望台で富士山を見てやろうと思っていた目論見はもろくも崩れた。大勢の行列を待ってさらに料金が要るので、今回はヤメにした。そろそろ待ち合わせの時間である。
Img_36639s 渋谷駅に着いたら、この10月26日から設置した東急の5000系、青ガエルがハチ公の横に鎮座していた。1954年から活躍したこのトップナンバー5001は、東急全線で活躍後86年から上田交通へ譲渡。93年引退後は東急車輛が保管していた。車体を2/3にカットし台車も外すなど、コンパクトにまとめられた感はあるが、中では活躍時の写真パネルも展示され、誰でもくつろげるスポットとして利用OKだ。
だいたいハチ公前に居ても、あまりの人の多さに、そこでさらに携帯で探すなどしないと逢えないとは、こんなところを待ち合わせ場所にすることが間違ってる!「青ガエル」が少しは混雑緩和に役立つでしょうか?

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2006年11月 2日 (木)

水上バスの旅 ②

Img_36493s 両国から下流に向けて、いざ出発。対岸の堤防は塗り壁に海鼠塀をあしらって、まるで城壁のようだ。人形の久月の本社がみえる。現代東京の下町の風景だ。
船には待った分結局一番のり(キップ購入順に乗船順位カードをもらえる)で、右前の席にしたが、まぁ全体ガラガラで、一つ前の船の混みようと対照的だった。

Img_36497s ここは神田川との合流地点。そして向こうに見えるのが「柳橋」。「柳橋の料亭・・」の「柳橋」だ。橋の左たもとに柳が見えるでしょう。ここでお客と待ち合わせたりしたので「柳橋」とついた。江戸時代からある粋な街のはなしである。


Img_36499s 「両国橋」。両国とは隅田川を境に武蔵国と下総国の2国を繋いだから。千住大橋についで隅田川で2番目に架けられた橋。明暦3年(1657)の「振袖火事」のとき隅田川に橋がなく、大勢の犠牲者を出したため、万治2年(1659)架設した。
さらに関東大震災で多くの橋が焼け落ちたので、以来架設された鉄橋が隅田川に多い。この両国橋も震災後の1932年に架け替えられたもの。
Img_36503s この方がボランティア解説のおじさん。今日はこの便にのみ乗船ということで、たいへんラッキー、と言われたが、果たして・・? でも多少知識として持っていたが、再確認や新事実も聞けて結構たのしい説明だった。新事実はのちほど・・。


Img_36524s ここは佃島のリパーシティ21。旧石川島播磨重工業の工場跡地にマンション街を作った。学校・病院もセットされ、ここで生活のすべてを賄えるという。じつはここに郷土の勇、松井秀喜の自宅があるという。シーズンオフの数ヶ月しか居ないだろうが、いずれ引退したら、ここを終の棲家にするつもりだろうか? 浜風を一身にうけるこのあたりは、水害や地震があったらどうなるか不安にならないかとも思うが。
Img_36534s その佃島と対岸新川を結ぶ中央大橋。隅田川で一番新しい橋だ。斜張橋の橋桁には銅像があり、隅田川と姉妹川のパリのセーヌ川との友好を記念してフランスから贈られた。「メッセンジャー像」といい、パリの紋章である帆船を手にしているという。
このあたりは夜景がすばらしいだろう。そういったタイミングで撮影できないのも心残りだが。

Img_36537s その中央大橋のそばに、水準点を記念したモニュメントがある。「霊岸島水位観測所」である。
みなさんは山の標高などの基準はなにからだと思いますか。実は日本の標高は、東京湾の平均水位から算出されています。高さの基準となる「水準原点」は、実は国会議事堂そばの永田町1-1(旧陸軍測地測量部)の石堂の中にあり、標高24.4140メートル(関東大震災で24.5メートルからずれた)なのですが、その基になるのがここでした。
現在では埋め立てなどが進み、観測所として適さなくなったため、三浦半島の油壺に機能は移されています。
Img_36548s そして隅田川最下流の橋、「勝鬨橋」。言わずと知れた、まんなか44メートルが開く可動橋だ。交通量が多くなったため昭和45年以来開かれていないが、現在でも機能は残っている。「両さん(こち亀)」では開いてみせたりしてたよね。ここのライトアップも緑と青の照明でたいへん綺麗だそうだ。

Img_36559s いよいよゴールの「浜離宮恩賜公園」が近くなってきた。
手前の森がそうだが、その向こうにそびえるビル群が汐留だ。浜風をさえぎって、こりゃヒートアイランドになるわ、という大きなカベが出来ている。こんな重たい構造物を、一点の地面が支えている(免震構造は少ない点で建物を支える)と思うと、地盤沈下とか大丈夫かなと素人ながら気になった。東京はこうやって観光に来ても、住むところじゃないな、と改めて実感。
パート3はまたあした。

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2006年11月 1日 (水)

水上バスの旅 ①

Img_36426s 両国駅の列車ホーム。かつて両国駅は房総列車のすべての始発駅だったのに、御茶ノ水まで電車線が通じたり、急行がすべて特急に格上げ、東京駅始発になるなどで、その玄関口としての役割が終わってしまった。頭端式の列車ホームは時折臨時列車に使われることがあるかもしれないが、通常は閉鎖されている。
国技館の屋根とマッチして、この栄枯盛衰のホームは東京の一つの風景に感じられる。

Img_36433s 国技館前。本場所は行われていないが日曜日なのに、館内の相撲博物館は開いていない。グッズショップだけが入口近くに開いていて、中は見学できない状態だ。ん~、年3回、計45日間しかここの本場所はないのに、博物館を一般に見せる機会を制限してるのはどうかと思う。シャクではあったが、金沢出身の「出島」の巾着が(たぶん大関時代の名残だろう)売っていたのでもう買えないと思ってゲットした。

Img_36439s 国技館の隣には、今世間を騒がせていた「北越製紙」のビルがあった。業界人としては、今後も気になるところ。
さらに隣に「旧安田庭園」が開放されていたので、水上ボートの時間まで散策。ここは足利藩本庄氏の庭園で、隅田川の干満の差を利用した「潮入回遊式庭園」だ。そういったのは他にこの後行く「浜離宮庭園」などだが、今はどこも水門を閉鎖している。ここは人工的に再現しているが、今は干潮?鴨など水鳥が人間のすぐそばまで来ても平気のよう。かなり慣れてるようだ。
Img_36463s 川に出てみると、ちょうど水上バスがやってきた。これは「松本零士」氏が監修した宇宙船をイメージした「HIMIKO」号。お台場でも見たことがある。かっこいいが今日はこれに乗るわけではない。しかし今から久しぶりに船に乗るのにわくわくさせるに充分だ。

Img_36467s 両国船着場の近辺、典型な東京の風景の一つ。画面から隠したが、左側の堤防脇には、ブルーハウスが続いている。中にはとてもりっぱな作りのもあり、年季がはいってるなぁ。
この下町一帯はすべて、川のほうが高い「天井川」状態だ。大型台風が来て水位が上がっても、堤防高は5メートル近く確保されている。しかしこの立っているところは水没するが、そうするとブルーハウスたちは全滅だ。なにも無ければいいけどね。
Img_36476s 実際乗る船は、この「さくら」号。東京都の所有で標準タイプ。両国が始発でたまたま出発前に写せた。写している橋は「蔵前橋」。まっ黄色の鉄橋は周りから見てもかなり目立つ。隅田川下流は橋のデパートだが、船からまた紹介します。


Img_36486s 「東京水辺ライン両国発着場」。実は川べりから向かったが、この建物でキップを買うように言われて戻った。なんてことはない、国技館のまん前だった。ダイヤを確認していた13時30分の便は、湾岸一周で混雑してるから、30分後の始発便を薦められた。残り時間が気になったが、結果的によかった。船はガラガラで解説のボランティアのおじさんも同乗、興味深い説明を受けて楽しかった。それは・・つづく。

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