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2006年9月

2006年9月28日 (木)

石川球団の名づけ親に

なりませんか?
来年4月の開幕を目指して準備が進むプロ野球独立リーグ「北信越ベースボールチャレンジリーグ」石川県球団開設準備室が、球団名を広く県民から募集することになりました。
「石川○○○○○○」と、頭に「石川」となるみたい。資格は石川県内在住者で、官製はがきかサークルKサンクスに10月3日から置かれる専用の応募はがきで、住所・氏名・年齢・性別・職業・球団名(理由)を書いて、
〒920-0961金沢市香林坊1-2-24北國会館、石川県球団開設準備室へ。10月17日が締め切りだからあまり余裕がない。27日には発表だって。当選者には公式戦始球式投球権や全試合観戦パス、ゴーゴーカレー食事券2000円分とか。
あなたもいい名前を考えて、来期たくさん観戦しましょう。しかしこのリーグ成功するのか、まだちょっと心配?!

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2006年9月25日 (月)

医王山 下見。

Img_33556s 「戸室山」を下りてから車で奥地探検。いずれ行くだろう「医王山」へ下見を兼ねて林道を途中まで行くことにした。
医王山麓一帯は、石川県自然公園に指定されていて、動植物の保護が指導されている。そのわりに林道が奥まで通じていて、富山県側の「イオックス・アローザ」スキー場まで繋がっている。県境の尾根伝いに走る「百万石道路」は興味がそそる。
その間にも「医王山スポースセンター」やキャンプ場の「医王の里」など、さまざまな施設が充実しているが、金沢に戻って20年以上になるが、子供もいないので終ぞそんなところには行ったことが無かった。休日は専らインドア派だったが、このブログを去年書き出してから、だんだんアウトドアにも目覚めて健康的?になってきたかな。
Img_33563s 林道「菱池広谷線」に入って「医王の里」を抜け、医王山(いおうぜん)まで4キロ強といったあたり、眼前に医王山の雄姿が間近に迫った。写真右側の高みがそう。左側は「白兀山」(しらはげやま)だ。金沢市内からは、両峰が気高く並んで見える。
林道に平行して登山道があるが、林道をだいぶ登ってから途中の駐車場で登山道に入るという、わりと手軽に登れるようになっている。左右の高みの間の低くなっているところが「夕霧峠」。林道はあそこまで行って富山県に入る。
Img_33568s その駐車場のひとつ、「西尾平」だ。ガイド本に載っているアングルから撮った。医王山まであと4キロ。この先に「しがらくび」という同様の駐車場があるが、今日はここまで。医王山に登るときは白兀山の眺望もよいので、ぜひ両山を攻めたい。
昼過ぎともなると駐車場は満杯。「医王の里」もそうだったが家族連れや登山客に人気のスポットのようだ。この地点でもう640m。「戸室山」を優に超えている。

Img_33593s 林道を戻ってキゴ山の医王山スキー場まで下りてきた。広い「医王山寺」境内に入る。後ろが「戸室山」だ。戸室山を霊場にしている。境内にが出没するのでご注意!という看板があった。そういえば熊対策を全くしてこなかったが、例のグループなどは熊よけの鈴をつけていたりした。林道でも、上の登山道から鈴の音が聞こえた。これは次回要注意ですな。


Img_33605s 医王山寺から対面を望むと、キゴ山と医王山スキー場。小学校のスキー遠足でも来るところだろう。自分は体験がない。右のゲレンデは市内からでもよく見える。雪のない今でも、山肌が草地になってるバリカンを通したようなこの状態がよくわかる。
ここから自宅へ帰っても20分くらい、またこんな近いところへ全く行ってなかったわけですな。これからまだまだ探検するところはいっぱいあるというわけだ。しかし最近鉄道ネタがないから、10月14日の鉄道記念日に向けていまからチェックしておこう。

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2006年9月24日 (日)

戸室山 登山!

Img_33507s 家の裏の小学校の社会体育大会の喧騒から逃れるように、今日は何十年ぶりかの登山に向かった。地図好きが嵩じて最近地形図も買っていたら(地図力検定にも必要だが、勉強しているヒマがない)、また犀川も探訪していると、山への興味がムクムクと久しぶりにわいてきた。「山と渓谷社」の分県登山ガイド[石川県の山]を買って下調べ。今日は足ならしに「戸室山」へ登る。
「キゴ山ふれあいの里」前駐車場から、食堂[どんぐり]の裏の登山道を進む。ここからの標高差180mだ。ちゃんとした登山は、そうだな~、中学のときの多摩高尾山以来かな? 小学校高学年からしばらく金沢を離れていたので、金沢の小中学生が学校で登るであろう、こういった「戸室山」なども初めてだ。この一帯は親子で遊べる[ふれあいの里]や[自然学習館][医王山スキー場]など、平成になってから充実した施設が多くあり、僕らが子供のころは気軽に来られるところではなかった。スキー場も今は無き[内川スキー場]だったと思うけど・・。
Img_33518s 何はともあれいざ登ってみると、いきなりの急勾配。とりあえず行けるペースで足早に登ったけど、やはり早くも10分くらいで息が上がった。今日は市内は24度ほどの予報。服は長袖にしたが薄めのにして正解。汗かきの自分はもうダクダクになった。どんな服装で臨めばいいか予想しにくかったけど、もう少し秋が深まってもこの軽装で自分はいいかも知れない。
しかし30分くらいで頂上近くまで来れる「戸室山」、これくらいがリハビリ?に丁度いい。写真の「戸室権現」近くでキノコ狩り散策会?の10数人のグループに出会う。ペースは遅いが中高年の方々は汗ひとつ掻いてない。やはり運動不足だよね~。
Img_33519s 「戸室権現」前の眺望! 今日はこれを見たいがためにやって来た。金沢市内から日本海まで一望。後でよくよく見ると、自宅の横の社会体育大会をやってる小学校までバッチリ見えた! はっはっは、大会をサボってわしはここにいるぞ~、てな感じ。
もっと晴れていると日本海もはっきり見えるんだけど、それは今後のお楽しみ。



Img_33528s 「戸室権現」から3分。とうとう山頂に到着。ここは森に囲まれ眺望はきかない。標高547.8m三等三角点「戸室山」も画面左下にある。基準点コード「TR35436653901」。
ここまでいろいろ見たり休んだりでも40分くらい。小手調べにはまずまずの山で、初めはどうなるかと思ったけど、登ってみるとあっけないものだった。もう少し登るのはゆっくりペースがいいのかも。

Img_33535s 登りきったらやっと路傍の花を写す余裕も出てきた。しかし季節がらあまりいろんな種類は咲いてない。これはなんだっけ?頂上付近にしか咲いてなかったけど。紅葉などもまだまだ、だからか、登山客も少ないよね。
帰りはもと来た道を戻ったけど、急斜面は滑りやすく、下りのほうが神経使った。そして以前から長い距離歩くと痛くなってた膝頭の軟骨(最近調子よかった)が、下りにかかると痛くなってきた。それでもバタバタと降りられるところもあり、結局15分掛からず下山。ん十年ぶりの登山は正味1時間ちょっとで終了。汗を整えたら今度は医王山へ向けての下見に行ってこよう。レポートは25日に。

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2006年9月23日 (土)

金沢犀川まつり・犀川大橋

Img_33501s 今日明日は「金沢・犀川犀星まつり」が開催される。[犀川大橋][桜橋]の間の河川敷でメインに行われるが、この祭り自体はまだ歴史が浅く、春に開かれる「浅野川園遊会」のほうが規模も大きく内容も華やかだ。
30年ほど前は、「加賀っ子まつり」として河川敷でしばらく実施していたが、その後河川改良工事もあり数年で立ち消えとなった。以来犀川では目だった催しが無く、「浅野川園遊会」がうらやましかったが、今回のこの祭りもたいしたプログラムもなくてあまり興味がない。

Img_33490s ただ、[犀川大橋]がライトアップされるというので写しに行った。しかしこれも、いうほどきれいに浮かび上がってない。
[犀川大橋]は、「鋼下路式曲弦ワーレントラス橋」で、大正13年架橋。中流域でここが一番川幅が狭く、江戸時代、金沢から北國街道で京へ向かう始まりとして重要な橋でありながら、たびたびの流失を繰り返していた。大正8年に立派な鉄筋コンクリートの橋が完成したのに、わずか3年でやはり洪水で流される。そのため街中の川の鉄橋としてはかなり早いうちに架橋された歴史を持つ。そこで平成12年には文化庁の登録有形文化財に指定された。
生きている間何度か細かい改修はあったものの、70年以上経っても今度はしっかりと金沢の街を繋ぐべく架かっている[犀川大橋]は、見慣れているとはいえ今日はすこし美しく感じた・・かな?

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2006年9月19日 (火)

「金沢ナンバー」申請しました!

Ttl ご当地ナンバー制の「金沢ナンバー」が、いよいよ10月10日から交付開始です。
そして、ネットから希望ナンバーを申し込めるので、早速申請しました。
実は僕の車は以前に前部をぶつけられ、ナンバーがちょっとベコベコなので、これをいい機会に新しいナンバープレートに変えようと思ったわけです!!申請したナンバーは前の車で使っていた番号。自分の名前にゴロがいいので覚えられていたけど、今の番号は毎日乗っているのに実は全く覚えていない。だもんでちょうどよかった。
キリのいい番号は抽選になるけど、金沢の場合次の13個「1」「7」「8」「88」「333」「555」「777」「888」「1111」「3333」「5555」「7777」「8888」。それ以外は早い者勝ち。
「金沢ナンバー」サポーターズクラブにも詳しく案内が載っているので、ぜひ見てみて!
金沢をはじめ全国17箇所からスタートするご当地ナンバー。あなたの地域はどうかな?

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2006年9月13日 (水)

M.シューマッハ 引退!

この件について、ネット上数々のサイトやブログで取り上げているだろう。
アイルトン・セナの思い出から離れられない自分としては、彼にレース後よくたしなめられていた印象がまだまだ拭えないけれど、その抜けるチャンスには貪欲にアタックするパフォーマンスには並々ならぬエネルギーを感じていたのも事実。
しかし当時のF1マシンの危険性を身をもって示したセナの事故以来、まるで人が変わったように、F1パイロット全体をまとめる責任感とともに、早いけれど確実な安定性のあるドライブへと進化したのが見て取れた。セナがいなくなることによる勝利の意味もあるだろうが、その進化したテクニックが彼の勝ち星を増やしていったのではないか。そういう意味でセナの死は2重にミハエル・シューマッハという稀代のF1パイロットの存在を浮かび上がらせたような気がする。
そんな彼も達成感の伴うモチベーションの維持力の減退から、後進に道を譲るときが来た。昨年、佐藤琢磨を叩いたとこなんか、まるでセナと立場が移ったようだった(セナは叩かないけど)。未だに「セナas No.1」と思っているけど、勝者にしか許されない、勝利後の引退発表のすがすがしい顔は、「あご兄ちゃん、お疲れ様」と言ってやりたい気になった。
さて、来年からはキミ様ですか? 日本勢にも頑張ってほしいですな!!

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2006年9月11日 (月)

鈴鹿行き決定しちゃいましたっ♪♪

今年でいちおう最後になる、F1GP鈴鹿グランプリ。F1好きな撮影仲間と、なんとか行けることになりました。\(^o^)/ 決勝の10月8日に向けた強行軍になると思うけど、めったにないチャンスだもんね。
F1には決して縁遠くなく、前の勤め先で東京のオーナーがバブリーな頃、鈴木亜久里をスポンサードしていた、って言えばわかる人はわかるよね。鈴鹿で3位取ったときは、店舗で記念キャンペーン。いや、毎回F1キャンペーンを張って、取りまとめをしていたか。東京の店舗やイベントでモックアップだけどF1のコックピットにも座らせてもらった。フジの放送前に、リザルトが事務所に英文FAXで送られてきたのは良し悪しだったな。
あれから十ウン年経って、F1熱も一時醒めたけど、今年にわかに僕の周辺で盛り上がってきた。亜久里が久しぶりにF1の舞台に戻ってきたということもあるけれど、鈴鹿ラストラン?というのも感慨ものだから。来年の富士に行くのはここから結構遠いからね。
サーキットでの撮影は初めてだから、今から流し撮りとかの練習しとかないと!
4週間後が待ち遠しい☆

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2006年9月10日 (日)

国宝「信貴山縁起絵巻」

Shigisan   今日の文化財保護制度の原形であり、「国宝」という言葉が最初に用いられたのは明治30(1897)年に公布された古社寺保存法です。

 この法律を受けて内務省に移管された古社寺保存会で技師として終生、国宝及び特別保護建造物の調査、指定、保護に尽力したのが金沢生まれの中川忠順(1873-1928)でした。中川は56歳で病没するまで古社寺保存会に奉職する傍ら、文展の日本画審査員を務めるなど美術史界の碩学として活躍しました。

 今回はこの古社寺保存法の公布110周年を機に、中川の故郷・金沢で「国宝」中の国宝とされる「信貴山縁起絵巻」を一挙公開することになりました。この絵巻はこれまで、一巻ごとに、しかもその一部が公開されたことはありましたが、三巻同時に、全画面で展示されるのは史上初となります。
「石川県立美術館」案内文より抜粋-

行ってきました。1000年ほど前に描かれたものとは思えない緻密さと登場人物の豊かな表情、表現技法。現代のマンガ・アニメが、ここから全て教示を受けているのではないかと思えるほどの素晴らしさです。
水の流れの強弱、霞による場面転換、米俵を枠外で見せないことによる量の表現、「逆勝手」による強い効果、一コマに何回も描く「異時同図法」、挙げればキリが無い。
宮中「清涼殿」の図も別の資料からもその正確性が確かなものであり、当時の風俗(庶民の家)、習慣(従者をどのように従えていたか)などを写す貴重な記録ともいえる。勅使のふくよかな姿は、なんだか親近感がわくし、「剣の護法童子」のスピード感あふれる描写は、初期の大友克洋をも思わせるかっこよさだ。
長いもので14メートルもあるこの三巻に、今日はまさに老若男女魅入られて、行列の移動する早さがみなさん遅かった。
「山崎長者の巻」「延喜加持の巻」「尼公の巻」の三巻同時展示はおそらくこれが唯一の機会とのこと。24日までです。ぜひあなたもお見逃し無く!
う~む、「信貴山」に行ってみたくなったわい。

信貴山縁起絵巻―躍動する絵に舌を巻く Book 信貴山縁起絵巻―躍動する絵に舌を巻く

著者:泉 武夫
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2006年9月 6日 (水)

「世継ぎの皇子は生れましぬ」

今日は未来の天皇誕生日にもなるかという、重要な日となった。これで日本は世界的にも当分は救われた。紀子様は日本の救世主として永く語られるだろう。。
なにも皇室偏重で言っているのではない。日本が日本であるレゾンデートルは世界的に於いて、もはや世界最古の王室とワールドニュースが言うように、皇室において他に無い。そういった現在は象徴的存在であっても、日本人を一つとする対象なかりせば、アメリカの様に他民族・独善的民主主義な攻撃的国家となりやがて他者により物心両面で支配されてしまうのも遠くない話となるだろう。日本という「国」柄として世界の他の国から尊敬されるのは、「皇室」という象徴王室を持っているから、と国内に居てはなかなか気がつかない。
そしてそれはアメリカなどが持ち得ない、血統の歴史と伝統が重要であるのに、女系天皇を認めてしまうと、誰しもが天皇になれてしまうというロジックがどうしても理解されていないようだ。紀子様・秋篠宮殿下は、たぶんそういった国家的危機を、我身のこれからの困難労苦(ずっと次男の嫁としてお気楽に過ごせたかもしれないのに・・)を省みず、一身に受ける覚悟のもと今回の懐妊・出産となったのかもしれない。雅子様よりよほど肝が据わっていて、未来の皇后に相応しいと感じるのは自分だけでないだろう(わっ、言っちゃった)。
さて、今回はこんなムツカシイことを言いたかったんじゃなく、表題の「世継ぎの皇子(みこ)は生(あ)れましぬ」だけど、これは現在の今上明仁天皇が、待望の昭和天皇の皇太子として昭和8年にお生まれになったとき、慶祝として作られた歌の題なんだけど、これは言語学者の故金田一春彦氏の本に載っていたエピソード。
当時東京帝国大学の学生として下宿していた金田一先生は、下宿の子供に、「お兄さん、この歌おかしいよ、生まれたのに「アレマァ死ぬ」だって!!」そこで「いやいや、これは皇室への最敬語だけど、「お生まれになった」という意味だ。判りにくかったら、なんでも反対の意味で読めばいいんだよ。」・・たぶんこういった内容だった。

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2006年9月 5日 (火)

「犀川」 補足

「犀川」は、その源を金沢市南東部の富山県境に位置する奈良岳(標高1,644m)に発し、内川を合流した後、金沢平野へ向けて流下し、金沢市のほぼ中心部を貫流した後、伏見川、十人川、安原川、木曳川を合流して日本海に注ぐ幹川流路延長約35km、流域面積約256平方kmの二級河川である。

上流より架橋
[熊走大橋]・[相合谷橋]・[水淵橋]・[ほたる橋]・[辰巳橋]・[天池橋]・[大桑貝殻橋](人道橋)・[崎浦橋](外環状山側線)・[大桑橋]・[犀川雪見橋]・[上菊橋]・[下菊橋]・[桜橋]・[犀川大橋]・[新橋]・[御影大橋]・[新御影橋](人道橋)・[北陸本線犀川鉄橋]・[大豆田大橋]・[若宮大橋]・[示野中橋]・[さいがわ橋](北陸自動車道・国道8号)・[示野橋]・[二ツ寺橋]・[赤土橋](外環状海側線)・[犀川橋]・[普正寺橋]  以上27橋

地質:源流・上流部  新第三紀中新世前期~中期の凝灰岩質岩石および流紋岩質凝灰岩
上・中流部  新第三紀鮮新世~第四紀更新世の堆積岩層、特に大桑層では貝の化石が大量に発見される。

自然環境:源流部は「犀川源流自然環境保全地域」に指定され、ブナ・ミズナラ林等に代表される夏緑広葉樹林からなる天然性林が存在し、イヌワシ・クマタカなどの猛禽類が生息している。
犀川ダム・内川ダムから大桑橋付近までの上流部では、河岸段丘を形成する斜面に広葉樹の自然林やスギ植林地等豊かな植生が存在しており、河川域には瀬や淵が連続して形成されている。
(上・中流部での)
魚類では、アカザ・アユ・アブラハヤ・カジカ・シマドジョウ・ヤマメ・ウグイ・ヨシノボリ類などが生息している。
鳥類では、ゴイサギやササゴイ、カワアイサ・ヤマセミ、オシドリ・イソシギ・カワガラス・セキレイ類等が生息している。

「犀川水系河川整備基本方針」(提言)から一部抜粋

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2006年9月 3日 (日)

犀川河畔の旅 27橋完全制覇

Img_32052s 今日も天気のいい週末。昨日のやり残し感と、去年の秋は週末雨続きだったことを思い、今日のうちに犀川の橋残り3橋を完全制覇することを思い立った。河畔の旅もこれでしばらくお休みするだろうから、もう少し最後までお付き合いください。
[水淵橋]。昨日の[相合谷橋]から1キロ下流。右岸の上辰巳1の集落から対岸上の水淵集落を繋ぐ橋。車一台がやっとだ。このあたりから崖上の主要道沿いの住宅地から一段下がった農地の集落と、それらを繋ぐ橋が続く。
Img_32061s 犀川の河岸段丘が顕著になる始まりだ。上流を見るとまだ両側は切り立った崖。一部相合谷のように広がったところもあるが、住宅や農地はない。段丘の下を利用しだすのは実質ここからだ。
しかしここで自宅のある中流域まで10キロも離れてないのだから、犀川はコンバクトながらも多様な景色を持ち合わせているなぁ。





Img_32070s 対岸を登っていくと、「水淵韻文学の里」というのがあった。このあたりの出身の5人の文学的賢人を表して碑が点在している。この2~3年の間に作られたらしい。全く知らなかった。「金子會政」「高橋久雄」「米山久子」「中西舗土」「森美楓」とある。特に「米山久子」氏は、戦後初の女性衆議院議員の一人として、女性初の代表質問をした人だって。今年の「金沢検定」に出るかな?
Img_32081s そこから上流から出来た新しい道を下ると、大きな立派な橋と出くわした。[ほたる橋]だ。平成12年架とある。この5年前後、犀川上流など全く見向きもしなかったら、いつの間にか新しい道や橋が続々と築かれていたのが気がつかなかった。新橋だけでも[犀川雪見橋][崎浦大橋]そして[ほたる橋]だ。旧い橋の架け替えも、わが[上菊橋]を始め、[辰巳橋][大桑橋]など。下流は新道がたくさん出来たから、より多い。[示野中橋][赤土橋]は新橋だし、[御影大橋][犀川橋]は架け替え。[若宮大橋]もわりと新しい。



Img_32084s [ほたる橋]は坂の途中にあるので、スリップ防止にゴム片が埋め込んである。しかしこの暑さからか、ところどころ外れて転がっていた。2つばかし記念にもらっちった。



Img_32111s いよいよ最後の27橋目、[辰巳橋]である。短いなんの変哲もない橋でちょっと盛り上がりに欠けた。辰巳町トと対岸の天池町を結ぶ。[ほたる橋]からここまで、なかなかの犀川ビュースポットがあり、夏休みなら子供たちが水遊びしてもいいだろうに、最近はそんなことする者はいないだろう。鮎釣りなら適してるか。

Img_32113s 橋の上から上流をのぞくと、いたいた、鮎釣りのおじいさま。
犀川の崖は街が近くなってきても高いままなのが特徴だ。中流域の寺町台も20m近い高さを持っている。








Img_32120s 橋を渡って先日行った「石川県埋蔵文化財センター」の下を廻ると、いままでとは違う別世界が広がっていた。犀川の支流「内川」が合流する地点の開けた空間に、「内川スポーツ広場」があった。駐車場に入りきれない路駐の車が連なっていてびっくりだったが、やはりここも存在自体知らなかった。子供がメインの遊びの空間のようだが、子供いないからね。
Img_32128s 別所へ目掛けて登ると、見えてきたので思わず車を降りた。[犀川の大三角]だ(自分で勝手につけた)。向こうから流れて90度折れ曲がる地点で、大きな三角州(直角三角形だ)を中心に流れが二つに分かれて、また左で合流する。崖と直角に向き合う場所だから自然とそうなったんだろうが、これを川原に下りて確認したいものだが立入禁止なのでダメである。
でも今日はいろいろ確認できて充分満足だった。

Img_32147s 蓮花町の稲穂が黄色く実った田で写した蝶。yamaさん、なんて種類でしょうね。今日は水淵でも蝶が乱舞していたけど、まさに「乱舞」だったので止まったところはやっとここで撮影できた。
9月になった途端、陽射しは強くても心地いい風が汗を掻かせなくなった。家から車で15分内外のところで、今の今まで巡らなかったのを、やっと廻る事が出来たのがちょっとうれしい。
Img_32155s やっと戻ってきましたよ。やはりこの中流域から医王山を眺めるビューが、自分には一番落ち着く景色だな。子供のころは、川原に見える人工的な芝生の空間は川床で、小石の川原が僅かに連なっていた。石を投げて対岸まで届くかと、跳ね石(水に投げて何度も跳ねるやつ)をよくやったもんだ。犀川とともに成長したのに、途中で遠くにいったもんだから、やっと今になってその姿のほとんどを観る事が出来た。駒帰から上流は、またの機会にします。

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2006年9月 2日 (土)

犀川河畔の旅 辰巳ダム建設予定地

Img_31987s 今日は故あって上流から。家から一気に12キロ溯った。27ある犀川の橋の中で最上流、[熊走大橋]だ。最上流といってもここから先、まだ[犀川ダム]をはじめ源流まで20キロ以上はある。しかしこの先はダムへの県道は民家もまばら、対岸の林道[犀鶴線]「公道でないので路肩の保全・法面の落石防止処置が充分でないので気をつけろ!」と書いてあるので当分は行かないだろう。
ここは実は30年ほど前、家族で渓谷の下まで降りてBBQなぞした思い出の場所である。当時はこの橋から10m下流側につり橋がありそのたもとから下に降りられたものだが、20年ほど前大雨で川原が流され、以後降りられなくなった。
Img_31976s 深い渓谷は秋になると紅葉で美しくなるが、夏はごらんのように緑一面でちょっとつまらない。下に降りる道を整備して、増水避難対策を考えれば、格好の行楽地にもなりそうなものだが、水の事故を懸念して市はたぶん何もしたがらないだろう。それに結構深い。子供心に荷物を持って上り下りはもういやだ!という記憶もある。犀川渓谷は手付かずの自然があるという、聞こえはいいが、当局の整備がなおざりで、この奥も大河川に比べれば全然小規模なのだが、素人が行くにはなかなか厳しい源流地となっている。



Img_32014s さて、一気に3キロほど下ったが、ここが今日の目的地、「相合谷」(あおだに)である。上流から二つ目の橋[相合谷橋]が見える。ここが近い将来「辰巳ダム」に沈む谷となる。
「辰巳ダム」は事の経緯から紆余曲折して約20年も決着していない事業計画だが、この夏石川県は[土地収用法]発動に踏み切るなど、いよいよ始まってしまった。
当初多目的ダムとして計画されたが、市民団体などから洪水想定数値の杜撰さや「辰巳用水」の取水口を水没させるなどの指摘から、計画を洪水対策にしぼり、ダムの位置をすこしずらして「辰巳用水」を保護することによって、事業を進めることになった。
Img_32030s 崖上から前に見える道を下って、[相合谷橋]まで下りてきた。この正面にダムは建設される。ここは水没地点だ。ちょうど犀川が両岸を削ってコの字型の谷になっている。新しい計画では、常時満水にするのではなく、ダムに穴をあけて通常は今までと変わらぬ流形で、洪水時に流量調節して水を貯めるということだ。しかし貯水能力としては、さっきの[熊走大橋]近くまでダム湖が出来る計算となる。それに常時水はないということは、ここに自然の景観とはミスマッチな巨大なコンクリートの壁が出来るという寸法だ。
Img_32037s ここは橋の上から左(下流)を向いたもの。正面の崖に赤い標識が見えるだろうか?どうもダムの位置らしい。この谷は未利用地がほとんどで自然の植生に恵まれているが、蔦系の植物が樹木を覆ったりして決して見栄えがいいとは言えない。ただ、暖地性のシダ類の北限繁殖があり貴重らしい。ダム湖になる地域ももちろん地権者はいるだろうが、ここまで下ったところ人家はありそうに無かった。
それでも上流に「犀川ダム」もあるし、そんな大規模な建造物がなくとも洪水は防げるような気はするのだが?(城南1丁目の堤防を嵩上げするとか)
Img_32050s 元来た上り道の途中。ダム予定空間を下流側から見たとこ。この真下に「辰巳用水」東岩取水口がある。見たいと思ったが川沿いのジャリ道はロープで塞がれていた。その向こう側に車が一台止まっていて、反対派を監視する県側の車なのかはたまたその逆か?と思い近寄らなかった。
「辰巳用水」はここから5キロ先の「兼六園」まで水トンネルを主に360年前に作られた用水で、兼六園から火事の多かった金沢城まで、堀を「伏越の理」(サイフォンの原理)でくぐって通したという、「日本一の用水」とも言われる歴史的な構造物だ。一部とは言えそれを破壊するのは残念だったので、とりあえずそれは避けられた。
この先ここはどうなっていくのだろう? 心配だったので工事開始前にぜひ確認しておきたかった。

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