一向一揆と廃線を偲ぶ
久しぶりに、旧鳥越村へ行く。途中、手取川を広瀬大橋で渡ったら、冷たそうな水が轟音とともに流れていた。今年は日照時間が少なくて白山の雪解けが進まず、7月1日の山開きでも多くの積雪が登山道を塞いでいたらしい。おかげで鮎も小振りのままで少なく、釣果は今ひとつのようだ。(犀川・浅野川は豊漁だって)
さて鳥越に行ったのは、「一向一揆歴史館」の「白山麓を走った鉄道展」を観たかったからだ。
[道の駅]のここは、しかし土曜の午後というのに車はまばらで、歴史館の客は自分ひとりだった。ここでの展示は明日が最終で、GW含め今まで2ヶ月開いていたというのに、もらった硬券の記念キップはまだ182番だった。歴史探訪の穴場スポットといえる所なので、もっとたくさんの人に来てもらいたいのに、さみしい限りである。 鉄道の展示より先に、ここは一向一揆の館だから、丁度歴史をたどる映画をしていたのでじっくり見た。結構予算を掛けた作りになっていて見ごたえあり。
加賀は15世紀半ばから約100年、[百姓の持ちたる国]として、守護を打ち倒した一向宗(今の浄土真宗)一揆勢が長年自治をしていたところ。しかし当時の本願寺法主の蓮如は、必ずしも好ましいと思ってたわけではないようですね。門徒は政治に関わるな、と手紙をしたためていたそうで、今回初めて知りました。
戦国時代、織田信長が大坂の石山本願寺を攻め従えると、ここ鳥越の一向宗門徒は、この歴史館のある谷の両側の山に、鳥越城と二曲城(ふとげじょう)を築き抵抗したがあえなく陥落、ここに北陸の一向一揆も終結したのでした。鳥越城跡は、山頂に砦の姿が復元されているが、帰りの時間を考え今回は登らなかった。 しばし古(いにしえ)の人々の息遣いに想いを馳せていると、そうそう、鉄道のことを忘れていた。
今[北陸鉄道]石川線として、金沢の[野町]から鶴来の[加賀一の宮]まで鉄道が残っているが、最盛期はそこからさらに、現在の国道157号線を登って[白山下]まで続いていた。大雨により手取川を渡る鉄橋の強度が問題となり、運休を余儀なくされバス代行輸送となり、そのまま昭和62年に廃止となる。展示は写真が主で、記念物はそんなに多くなかったのがちょっと残念。
自分も充分思い出が残っていて、廃止になったのがつい昨日のように感じられた。この線は[金名線]というように、白山を越えて名古屋まで通すという遠大な計画のもと造られたのに、今や石川の鉄道はJR以外は見る影もなくなってしまった。新幹線が通じたら在来線はさらに寂しいものになるだろう。なんとか金沢市内だけでも、富山のライトレールに倣って、新県庁からでも路面電車か地下鉄が出来てほしいものだ。
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