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2006年7月

2006年7月30日 (日)

バラエティ マンガ書評 ③

最近忙しくて毎日帰りが遅いし、せっかく梅雨が明けても出歩かなくてトピックが何も無いので、久しぶりにマンガネタを少々。
[島本和彦]「新・吼えろペン」。
「うる星やつら」が全盛のころの小学館「少年サンデー」に1983年降臨した、「炎の転校生」。触ると火傷しそうな暑苦しい熱血!なマンガで、当時でも当初読者がもてあまし気味の正統派根性マンガだった。石ノ森章太郎にも傾倒した作者は、数年前、氏が逝くと念願の「仮面ライダー」のリメイク漫画も著すなど、その熱き魂を原稿にぶつける熱きマンガ家だ。今をときめく[堀北真希]がでた映画「逆境ナイン」の作者と言えばわかるかな?
そしてその燃え盛るスピリットが嵩じて、とうとうそんな自分の生き様?をマンガにしてしまった。いちおうすべてを架空としているが、その主人公のマンガ家[炎尾燃]は作者島本に生き写し!? 締め切りギリギリに原稿を上げるためアシスタントとの修羅場のスタジオを初め、編集との駆け引き、業界の裏舞台など、Gペンも折れんばかりに迫力ある熱血な紙面に描いている。マンガ家を目指す若者にはぜひバイブルとして見逃さないでほしい。
最新刊では、作家として描きたいことのクオリティと、メジャーとして大多数に支持されるべきマンガとの両立に悩む答えを、驚愕の事実?とともに伝えている!!
学生のころは、近所の友達が彼のファンで、二人でマンガ家を目指していたときもあったが、今となってこの作品に出会えて、やはりこの道を選ばなくて良かったと胸をなでおろしている。でも僕のかつての?従兄弟が小学館の編集に居るので(たぶんこのGX担当)、もしかして島本氏に付いたことがあるかも知れぬ。
島本氏にはいつまでもこの迫力を続けてほしいが、彼の正統?な後継者が見当たらないのがつらいところだ!?

新吼えろペン 5 (5) Book 新吼えろペン 5 (5)

著者:島本 和彦
販売元:小学館
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2006年7月24日 (月)

明治32年「東京全図」

Img_29424s この地図も「人文社」復刻。発行は奎暉閣。東京駅前、旧国鉄本社跡地の一角にできた「丸の内オアゾ」の中にある書店「丸善」には、地図コーナーが充実していて、さらに復刻古地図も豊富に在庫している。中でも人文社の古地図は、昨日も書いたがネットで紹介している以上に揃えられている。東京へ行く度に吸い寄せられてしまう所以だ。
特にこの明治32年(再販印刷。実際30年に訂正再販印刷・発行)の「東京全図」は出色である。精密に描かれる各一角々に町名が記載され、また凡例に崖・橋など多くの記号の他、青物市場など絵地図の要素もあるなど地図本体そのものも精細を極めるが、付録として多くの図・情報が周囲に描かれている。永禄(1558年)・寛永(1624年)・慶應(1865年)年代の江戸図や、浅草寺や皇居二重橋の絵が小さいながらも緻密に描写されている。さらに当時の15区の町名6郡の町村の編入前後、はては伊豆・小笠原群島の村名まで一覧表になり、東京管内の戸数35萬8443戸、人口は111萬6757人とある。これだけでも往時を偲ぶ一級資料となる。
やはり古地図は東京・江戸図が一番充実しているが、まだまだ数多く出版されている。眺めていると心が当時にワープして時の経つのを忘れてしまうくらいだが、あまり時間的余裕が無く、じっくりのめり込めないのが最近のつらいところだ。

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2006年7月23日 (日)

「延宝金沢図」

Img_29260s 金沢の江戸時代の古地図は、復刻版にしろなかなか市販されてないが、大桑のショッピングセンターの書店でやっと見つけた。「人文社」の出しているものだが、社のサイトで紹介しているより実際たくさんの種類を出版している。
図は延宝年間(1673年~1681年)の金沢図で、5代藩主前田綱紀の時代である。幕府献上の正保絵図(1644~1648)の系譜を持ち、狩野派の画家によって描かれた。城郭部分は例によって白抜きされている。
延宝期は幕藩体制の確立期で、徳川家綱の時代。武断政治により改易が連発されていた家光の時代から、末期養子を認め文治政治へ移行することによって、各地の藩主・城下町の確定期でもあった。加賀藩は当時、越中の新川郡・婦負郡を富山藩に、加賀の江沼郡を大聖寺藩に分藩してもなお、表高102万5020石余であった。江戸・大坂・名古屋に次ぐ第四の都市としての風格も垣間見える。
寛永8年・12年(1631・1635)の大火により城下町を再編し、侍地を城周辺に配し、1万石以上の八家の重臣の屋敷地を、城内から主要地に分散させた。のちにその重臣の家臣団の集住する家中町に発展する下地もみえる。侍たちの役目ごとに集められた町名や職人町、寺町が構成されたのもこのころ。町人居住地は本町・地子町・相対請地・寺社門前地に格分けされた。
江戸時代と一口にいっても約260年間もあり、どんな都市でも発展により初期のころから随分と様変わりしているはず。金沢も年代別に地図を手に入れてつぶさにその様子を観察したいものです。しかしこの復刻図は残念ながら印刷が荒く網点がはっきり見えてしまっている。

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2006年7月19日 (水)

集中豪雨! ③ 水防警報

ただ今、犀川では水防警報発令中です。

[7月18日 20時42分 金沢地方気象台発表]
<大雨警報>
<洪水警報>

なお、20時20分に石川県が犀川(下菊橋)に水防警報(準備)を発表しました。河川や用水には近づかないようにしてください。

テレビ、ラジオ等で今後の気象情報にご注意ください。

[7月18日 22時40分 石川県発表]

犀川(示野橋)に水防警報(準備)が発表されました。河川や用水には近づかないようにし、今後の気象情報等にご注意ください。

Img_29412s 消防車が堤防の道を巡回しています。パトカーも目の前を通りました。こんな夜出歩いてると不審に思われるかな?
雨は激しく降り続いています。朝には川原も浸水してるかもしれません。ちょっと不安ですね。

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2006年7月18日 (火)

集中豪雨! ②

Img_29343s 今回の豪雨、4日連続である。日曜の夜、濁流の轟音とともに、川霧立ちこむ不気味な姿を写した。
翌日が心配である。




Img_29361s 翌朝月曜。前日よりは水量が多いがギリギリだ。
この日は南加賀で豪雨、柴山潟は溢れ片山津温泉は数件のホテルが水没した。加賀市は一時1万人が避難。床上浸水・がけ崩れも多発したよう。
犀川も日中水防警報が出てたが午後に解除になった。「金沢ぼうさいドットコム」に登録すると、金沢市から校下単位で災害情報をメールでくれる。
この雨まだ水曜まで続くようで、今はまだ市内は被害が出てないが、この先心配だ。
Img_29373s 中州の巣を流された鴨も川原の芝生で所在無げに歩き回っている。鴨に限らずたくさんの野鳥が川面を低く飛びまわっていたが、皆、巣を追われただろう。自然災害は容赦なく彼らにも押し寄せてる。



Img_29405s アオサギのツガイか?こんなに近づいても直前まで飛び立たなかったが、呆然と川の濁流を鳥ですら眺めている。
普段は穏やで清い流れでしかない犀川も、一旦豪雨になると、年に一度ほどはこんな姿になる。火・水と日曜くらい降ったら、いよいよ川原の道を越えるかも知れない。そしたらまたレポートします。

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2006年7月17日 (月)

「地図力検定試験」

Mapkentei 巷は検定試験ブームですが、ここにも一つ、興味のあるものがありました。[日本地図センター]が主催する、「地図力検定試験」です。
[地図は土地に関するさまざまな情報を的確に提供し、余暇の知的な過ごし方も提供してくれる。私たちの生活に不可欠な地図について理解を深めてもらうのをねらいに、「誰もが楽しく地図を読み、楽しく使いこなす」力を競い合う地図力検定試験]が平成16年10月3日から開始され、年2回ほど不定期実施で、次回第6回は11月12日です。
50問各2点の100点満点で、4択のマークシート、60分です。試験は12のジャンルに分かれていて、トピックス・地図の歴史・測量の基準・図法・地図の表現法・国土地理院の地形図の読図・主題図・GIS・地名、などです。
しかしそう難しかったり、専門的すぎる問題ばかりでなく、地図にまつわった違うジャンルのユニークな出題も多々あるようで面白いです。たとえば、[1989年、日清カップヌードルのCMで遊佐未森の歌った曲名は?]→答え:地図を下さい。や、[次の食品名で、語源が地名でないものは?]→答え:サンドイッチ。とかです。
ただ、受験者数があまりにも少ない! 第一回はものめずらしさもあり、200人以上受けたのですが、それからは数十人ほど、しかも女性は数えるほど・・。東京に限らず、地方開催だけの時もあったからでしょうが、でも地図ってそんなにマイナーなジャンルでしょうか? 
次回は東京・大阪・札幌の同時開催。受験料は3,000円です。96点以上で[地図力博士]の称号がもらえ、成績優秀で1級~3級の認定を受けられます。
タモリは「タモリ倶楽部」で取材した地図センターで、地図マニアの実力を顕してましたし、決してそんなマイナーなものじゃないと思います。これは地図の楽しい世界を広め、メジャーを目指すためにも、頑張って行かなきゃならないかもしれませんね。

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2006年7月16日 (日)

集中豪雨!

Img_29341s 昨日から今日にかけて、ここ石川県でも大雨警報。夕べ隣接してる小学校の防災放送の呼びかけもあった。
午前中に大雨の降る中、お盆の墓参りに行ったが、午後には止んだ。帰ってくると目の前の犀川では茶色い流れが轟音とともに進んでいたのでカメラに収めた。いつもより水足も速く、自転車ほどのスピードか?

Img_29333s 橋の濡れ具合からすると、午前はもう少し水かさがあったようだ。数年前は川原のコンクリ道の上を洗うように、ギリギリまで水が来たことがあったが、今日はこのあたりで落ち着くかな。それでもあと1メートルほどである。
先日も洪水ハザードマップの件でレポートしたけど、そのとき6月から配布や説明会があるということだったが、音沙汰なし。
ネットでいつでも見られるし、本日この程度の雨ではどうってことないが、後手後手にならないよう、重ねてお願いしたいものだ。

Img_29338s_1輪島では昨日1時間で70ミリの豪雨で水没してたとこがあったようだが、今日を含め今回、北陸の他地区はどうか気になるところだ。
こんな川でも釣りにいそしむおじさんがいた。好きな人には関係ないんでしょうねぇ。気をつけてくださいね。

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2006年7月13日 (木)

河北門 埋蔵文化財調査に着手

Img_15500s 金沢城[三御門整備]事業の中で目玉となる、河北門復元に向けた埋蔵文化財調査に、いよいよ石川県が着手した。
かつての金沢城の実質的な表門で、三の丸と新丸との間の[枡形門]であった[河北門]の復元は、2014年の北陸新幹線開業に間に合わせたい[石川門]改修と[橋爪門]整備との[三御門整備]の中核を成す、重要な計画である。広場化された金沢城公園のほぼ中央に位置し、石川門同様の重厚な枡形門の姿は、金沢城の荘厳な雰囲気を今まで以上により演出する、シンボリックな建築物となるでしょう。
Img_24096s 河北門は絵図や写真、文献などが多く、この発掘調査でより詳しい遺構の状態を確認することで、史実にかなり忠実な復元ができると期待されている。
かつては櫓門に長屋と櫓を伴っていた大規模な枡形門だったが、1759年の宝暦の大火で焼失し、1772年(安永元年)の再建では長屋と櫓が省略されてしまい、明治初期までその姿であった。
河北門本体の復元完成は2009年末を予定されているが、今からその威容を想像してわくわくする。願わくば創建時の豪勢な門にしてほしいが、再建の姿が長かったのと現在の予算の関係で、やはり安永再建の規模となるだろう。
復元工事が始まったら、折を見てまた紹介したいと思う。

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2006年7月12日 (水)

今度は[一等水準点]

Img_29264s 今度は[一等水準点]。水準点は、結構街中あちこちに平気であります。一等水準点は金沢市だけでも8箇所。水準というからには、標高の基準となる点のことです。
ここは金沢でも、片町という繁華街のど真ん中!歩道の縁石、植込みの脇にあります。「ふらっとバス」という100円コミュニティバスのバス停の前です。
基準点コードは[008-318]、標高は[19.3606m]。案外に片町は高い位置にあったんですね。

Img_29267s ふだん、何気に通っている歩道なんかに、丸い真鍮?のプレートがあったら、それは何かの公式なサインです。なんて書いてあるか興味をもって見てください。どうしても悪戯されることがあるみたいで、どれだけかの確率で亡失してしまっています。わざわざ[この測量標を移転毀損すると、測量法により罰せられます]と明記されているのがかえって残念ですね。





Img_29310s 鳥越に行ったときに、鳥越小学校にある[電子基準点]も探しました。
電子基準点は、わりと学校や公園など、公共施設の傍に設置されています。三角点などと違い、必ずしも山の上や人里離れたところにある必要はないのです。
校庭からちょっと離れた、畑の片隅にありました。Noは[960578A]。これも1996年設置ですね。

Img_29313s このように、あなたの街にも、身近なところや意外なところに国土の基準となるポイントがあって、この国が測られたり、地殻変動の観測などで地震対策に利用されたりしています。
街に出て気が向いたら探してみてください。そして、決して触ったり悪戯したりしないように!

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2006年7月10日 (月)

一向一揆と廃線を偲ぶ

Img_29289s 久しぶりに、旧鳥越村へ行く。途中、手取川を広瀬大橋で渡ったら、冷たそうな水が轟音とともに流れていた。今年は日照時間が少なくて白山の雪解けが進まず、7月1日の山開きでも多くの積雪が登山道を塞いでいたらしい。おかげで鮎も小振りのままで少なく、釣果は今ひとつのようだ。(犀川・浅野川は豊漁だって)






Img_29317s さて鳥越に行ったのは、「一向一揆歴史館」「白山麓を走った鉄道展」を観たかったからだ。
[道の駅]のここは、しかし土曜の午後というのに車はまばらで、歴史館の客は自分ひとりだった。ここでの展示は明日が最終で、GW含め今まで2ヶ月開いていたというのに、もらった硬券の記念キップはまだ182番だった。歴史探訪の穴場スポットといえる所なので、もっとたくさんの人に来てもらいたいのに、さみしい限りである。
Img_29320s 鉄道の展示より先に、ここは一向一揆の館だから、丁度歴史をたどる映画をしていたのでじっくり見た。結構予算を掛けた作りになっていて見ごたえあり。
加賀は15世紀半ばから約100年、[百姓の持ちたる国]として、守護を打ち倒した一向宗(今の浄土真宗)一揆勢が長年自治をしていたところ。しかし当時の本願寺法主の蓮如は、必ずしも好ましいと思ってたわけではないようですね。門徒は政治に関わるな、と手紙をしたためていたそうで、今回初めて知りました。
戦国時代、織田信長が大坂の石山本願寺を攻め従えると、ここ鳥越の一向宗門徒は、この歴史館のある谷の両側の山に、鳥越城二曲城(ふとげじょう)を築き抵抗したがあえなく陥落、ここに北陸の一向一揆も終結したのでした。鳥越城跡は、山頂に砦の姿が復元されているが、帰りの時間を考え今回は登らなかった。
Img_29324s しばし古(いにしえ)の人々の息遣いに想いを馳せていると、そうそう、鉄道のことを忘れていた。
[北陸鉄道]石川線として、金沢の[野町]から鶴来の[加賀一の宮]まで鉄道が残っているが、最盛期はそこからさらに、現在の国道157号線を登って[白山下]まで続いていた。大雨により手取川を渡る鉄橋の強度が問題となり、運休を余儀なくされバス代行輸送となり、そのまま昭和62年に廃止となる。展示は写真が主で、記念物はそんなに多くなかったのがちょっと残念。
自分も充分思い出が残っていて、廃止になったのがつい昨日のように感じられた。この線は[金名線]というように、白山を越えて名古屋まで通すという遠大な計画のもと造られたのに、今や石川の鉄道はJR以外は見る影もなくなってしまった。新幹線が通じたら在来線はさらに寂しいものになるだろう。なんとか金沢市内だけでも、富山のライトレールに倣って、新県庁からでも路面電車か地下鉄が出来てほしいものだ。

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2006年7月 9日 (日)

赤十字に新しいマーク!

Sekiju 土曜日に久しぶりに病院へ行った。最近頻繁には行けないと言ったら薬を2ヶ月分呉れ、10,000円掛かった。自分は只では生きられないのだと今更ながらに悟った一瞬でしたね。
さてそんな僕の家に「日本赤十字社」から毎月新聞が来ます。それによると赤十字のマークとして、図の真ん中の[赤いクリスタル]も認められるようになり、これによってイスラエルパレスチナの赤十字にあたる社も加盟が先月認められた、ということです。何のことか判らないかもしれませんが、まぁこういうことです。
1864年に発足した国際赤十字組織は、その創始者のスイス人、アンリー・デュナンを敬して、彼の出身スイスの国旗の色を反転させたマークを[赤十字]の標章にしました(だから赤十字)。後にイスラム教国の団体が加盟するときに、十字はキリスト教を連想させるとして、彼の国には三日月マークの[赤新月]を標章としました。すなわち今では、[国際赤十字・赤新月社連盟]と言います。
しかし赤十字は宗教とはなんの関わりも無いとはいえ、ユダヤ教のイスラエルはこだわりました。そこで今回、マーク一つで加盟してなかったイスラエルとパレスチナに加盟の道をつなげるため、新たに菱形の標章を決め、その中に独自のシンボルを入れても良いことにしたのです。イスラエルの場合、国旗にも使っている[ダビデの盾](ドーマンセーマン?)を入れるようです。この上両国?の加盟を認め、世界の赤十字社は185社となりました。
今後外国へ行って、赤い菱形[レッドクリスタル](日本読みはまだ決まってない)を見ることがあったら、それも赤十字のことですから、決してミサイルを撃ってはいけませんよ!!

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2006年7月 6日 (木)

デジタル放送って、どんながや?

5日に、PCベンダーのセミナーに行ってきました。そのうちの一つが、石川県で7月1日から本放送が始まった[地上デジタル放送]について。地元民放の技術局取締役が講演、わかりやすく全体像を解説してくれました。
地上波デジタル放送は、ヨーロッパ・アメリカなど主要国ではすでに始まっていて、日本は14番目(2003年12月)、割と遅いがその方式は[ISDB-Tハイビジョン]でハイビジョンと移動体放送に対応しているのが他国より遅れた理由らしい。これはあとブラジルが採用したそうだ。
現在テレビ放送で使用している周波数帯を2011年8月のアナログ放送終了後に整理し、1~12チャンネルのVHF帯を放棄して、13~62チャンネルのUHF帯で現在使用中のアナログ・デジタルのチャンネルを13~52チャンネルに圧縮再配置して、空いた周波数帯を移動体通信やデジタルラジオに振り分ける。
テレビ放送として電波をどう使っているかの仕組みも教えてくれた。いまVHF6チャンネルのこの放送局は、182MHz~188MHzの6MHzの幅いっぱいに、映像(明暗・色も)と音声をそのままの電気信号で飛ばしている。そのため乱反射でゴーストも起きる。しかしデジタルはデータを送るのでゴーストは起きない。そしてUHF14チャンネルのデジタル放送に移ると、476MHz~482MHzの6MHzを13のセグメントに分けて4セグメントずつ最大3つの多チャンネルハイビジョン放送ができる。残りの1セグメントで簡易動画を送って携帯端末向け放送、いわゆる[ワンセグ]携帯放送をする。でもこの[ワンセグ]、固定デジタル(4セグ)の[60コマ/秒]に対して、[15コマ/秒]だし、今対応携帯で観ると、電池が3時間もたないらしい。
自宅の今のテレビはまだまだ使えるので、当分デシタル放送独自のコンテンツが出てこなければ買い換える気にはならなかったが、32インチで20万切っているようだし、チューナーも安ければ2万台のよう。データ放送でいつでもニュースが見られて、[新聞いらず]くらいになったら考えてもいいかな?
いずれにしても2011年7月24日には、アナログ放送が終了してしまう。まだ著名なIT企業家なども、この規格は失敗する、との発言もありますが、さてどうなるでしょう。まだ本放送の綺麗なハイビジョン画面は観てませんが、すでにスタートしたエリアの方々、テレビは買い替えてますか?

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著者:神島 治美
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2006年7月 5日 (水)

7発も発射!!!!!!!

今朝から、北朝鮮のミサイル発射のニュースで世間は喧しかった。それでも何気に日常は進んでいった。いうほど大騒ぎもなかった。  ・・・どうも日本人はやはり感覚がマヒしてるようだ。
ここ日本海側は太平洋側が思うより、北朝鮮に[いざ]ということがあったら、他人事では済まされない事態が充分起こりうる。ミサイルの脅威やスパイ船、はたまた北朝鮮有事なら難民漂着など。日本海側の真ん中に突出した海岸線の長い能登半島に、輪島レーダーサイトと航空自衛隊小松基地。石川県はとくに危険にさらされてる。万一のときの対策は県当局にも高いレベルで求められているが、あまり具体的なことは聞かされてない。県民は静かだが深く悩ましく思っている。
今回の事態は意図が全く読めないが、我々の想像を超えて、いつ何時でもとんでもないことをやらかす可能性は充分にあるぞ!ということが判ったと思う。北朝鮮擁護派も返す言葉が無いだろう。
だいたい7発も撃つ理由が見当たらない。大事な弾頭、いざというときのために取っておけばよいものを、テポドン失敗のカモフラージュかもしれないが、落ちた位置からもロシアを怒らせるだけだろう。 これは想像だが、実はかなり追い詰められていて、遠くないうちに政権崩壊があるのかも知れぬ。不幸な人が多く出ないですむ早い解決を望みますね。

「反日」の超克 中国、韓国、北朝鮮とどう対峙するか Book 「反日」の超克 中国、韓国、北朝鮮とどう対峙するか

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2006年7月 3日 (月)

まちなか彫刻 「走れ!ワーキン」?

Img_29101s なんども言うが、彫刻作品そのものの芸術性はとやかく言ってません。作者の力作だろうし、その良さを測る力量もないです。単独で見れば素晴らしいでしょう。
しかし、金沢市が展示している場所や状況が、なんとも市民が納得いくようなものではないのが事実です。
この作品は足を紐に見立ててひと縛りして、力強く走っている様子がユニークで勢いを感じますね。

Img_29105s しかしここは、金沢市でも一番の目抜き通りの交差点、香林坊です。そこはかつて小さい雑居ビルが建っていましたが、取り壊された後、市の大きな行事や祭りがあるときのデコレーションやカウントダウンカウンターが設置され、そのデザインはともかく、市民の注目の的のスポットでした。
金沢城まつりなど、大きな祭りがほぼ終了して当分ないなどの状況はいいですが、そこに人も入れないのにむりやり芝生を植えて、ポツネンとオブジェを置く、その空間に対するアンバランスさというか、センスがどうか考えさせられます。市は、街中の未利用地に利用頻度の低いと思われる公園をよく作っていたりして、その空間管理にギモンを持つ人が少なくありません。芸術作品のほうもある意味悲劇です。
なにかいい解決策がほしいですね。

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2006年7月 2日 (日)

金沢復刻地図と旧町名復活

Img_29256s 旧町名復活の先駆を行ってる金沢市の、昭和29年当時の地図が今年になって復刻された。
戦後昭和の大合併のあたりから区画整理などとともに戦前からの旧町名を破棄して、味気ない新町名を付けてきた市町村が全国にあるが、ここ金沢もご他聞に漏れず新町名で街を整理してきた。しかし近年、戦災に逢ってない古都金沢に、保存すべきは町並みだけでなく町名も旧いものに復活すべしと条例も制定し、いくつもの旧町名が復活してきた。簡単に言うがその労苦は並大抵でなく、登記関係の変更費用を住民が負担するため(市の助成は幾分かあるが)、ほぼ全会一致の町会内承認も必要で、地元の方の努力はたいへんなものがあった。
今までに七箇所が復活し、このたび武蔵が辻そばの[袋町]が復活する。いずれも藩政期の雰囲気が残ったり、細い路地などで由緒ある名前に相応しい町並みである。
昭和29年の地図では、その七箇所どこも旧町名のままだし、もちろん市内は他にも趣のある数多くの町名で小さく分かれていた。我が現在の菊川町も松本町や梅ヶ枝町など今の町会名で細かくなっていたが、自分のところは今も昔も[菊川町]である。
こういう現在との違いを比較して楽しむのが、古地図収集の醍醐味である。

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2006年7月 1日 (土)

氷室開き!

Img_29253s 今日7月1日は、金沢では「氷室の日」と呼んで、[氷室まんじゅう]なるものを食す!この日ばかりは、街のどの小さな和菓子やさんでも、皆行列をついて買いに並ぶ。単純な酒まんじゅうだが、金沢人はこれを食べないと夏を元気にすごせないと思い込んでいる。
冬に地面に穴を掘った室(むろ)に雪を貯め、江戸時代に陰暦6月1日に保存しておいた氷を将軍家に献上していた。江戸まで120里の距離を8人の脚夫で4日間で江戸藩邸まで走り届けたようです。大役の無事を祈願して神社にまんじゅうを供えたのが[氷室まんじゅう]のはじまりで、以来町民こぞってまんじゅうを食して無病息災を祈ったのであります。
近年になって[氷室]自体も復元して、金沢郊外の湯涌温泉郷で昔ながらに保存した雪を、6月30日に[氷室開き]と称して氷を取り出します。今年は天候不良もあり、結構氷は残っていました。切り取ってデパートに展示したり、(かつては)東京にも運ばれたりしています。氷室氷はさすがに手元にはないので、去年のボトルロックを横に置きました。
あなたはいくつ食べましたか?

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