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2005年10月11日 (火)

行ってきましたよ、前田土佐守家

城フェチのブログに、まるで僕に行けとばかりに、「前田土佐守家資料館」のレポートが載っていたので、犀川の洪水が気になっていましたが、10日の夕方、堤防偵察の後、行ってきました。
[前田土佐守家]とは、「前田利家」と、「まつ」の次男、一時能登22万石を領した「前田利政」を家祖とし、利政改易後その子孫が宗家の家臣として、加賀藩の年寄衆(加賀八家)の一角をなしてきた家柄です。その「土佐守家」に残されていた資料を展示しているのがこの資料館で、このたび特別展として、江戸時代の金沢城下などの絵図が公開されたわけです。
注目は、巨大な「金沢城二ノ丸御屋形図」で、幅270cmの図に、藩主の住まいである二ノ丸御殿が間取りも精密に、ビッチリ描かれているものです。この図の存在は前から知っていましたが、直に見るとやはり迫力ありますね。これを元に、二ノ丸御殿の復元も画策されています。県財政に余裕があったら、ぜひ僕が生きている間に実現してほしいです。
金沢城下の絵図は2点展示してあり、やはりなにかで紹介を見たとおりでしたが、金沢図の場合は西が下になります。どちらも金沢城下の範囲がほぼ正確に描かれ、北國街道沿いが、長く南北に延びているのも(北は鳴和、南は有松のあたりまで)特徴です。僕の家は・・・あった。同心板前組地から犀川に向かった川沿いの芝居小屋あたり。「菊川松之助一座」があったと伝えられています。
他に、今金沢駅の西口あたりの旧醒ケ井町にあった「前田土佐守家下屋敷図」。下屋敷とはその家の中級以下の家臣が住まう区画が用意されていて、畠も多く多少自給できるようにもなっていました。この図は六代直方が、藩の測量家「石黒信由」とともに、彼の考案した磁石盤を用いて測量して作成したものです。石黒信由は、全国測量中の「伊能忠敬」とも会って教えを乞うています。図の北側には、あれっ、我が家の菩提寺の「願楽寺」があるじゃないですか。
今回、金沢城図が公開されてなかったのが残念ですが、充分堪能できた展示でした。

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